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文集 H28

修学旅行

作者: 珈琲髭

 1日目



 東京駅を発って一時間、私はもう嫌になっていた。


 現在、先程まで乗せられていた狭苦しい流線形の箱から降り、そのままこれまた狭苦しい長方形の箱へと移された後横揺れと縦揺れの挟撃を受けているのだが、有り体に言って戻しそうである。


 深夜バスを経験している為長距離移動には慣れていたつもりであったが、しかしそれは静寂ありきのものだったのだと実感した。

 深夜バスで騒ぐ客はいない。普通はそうだ。もっとも、我が学工生徒の大半は会話至上主義者であり、その限りではない。中々の狂宴具合であった。


 さて、突然だが私は徹夜をしている。三時間の仮眠をとったと言えば聞こえは良いが、所詮は仮眠、繰り返すようだが結局は徹夜明けなのだ。その身体に鞭打つ形である事は否めない。

 体調は悪化の一途を辿っており、呂律も怪しくなっている。これでは苦言の質も落ちるというものだ。


 などと思っていられる余ゆうも、ひと際つよい揺れによって今しがたうしなった。


 もはや、なにをかんがえ、どこをみているのかすらも、わからない。はやく、わたしをおろしてくれ。




 □




 2日目



 寝惚け眼に穏やかな光が染みる。


 早起きな友人達に起こされた朝五時の海は、その青を深くしつつ、静かに凪いでいた。


 もそもそと布団から這い出て少し。脳を溶かして眺める絶景は、地球上の全ての罪を赦そうではないか、という悟りの境地へと私を誘っていた。気付けば視界は薄れ、まるで水中にいるみたいだ。


 と思っていたのは勘違いで、ただ単に目蓋が職務放棄を敢行しているだけであった。布団への帰巣本能とは、かくも恐ろしいものである。


 さて。現実的に考えて、今から眠っても支障はないだろうか。少なくとも、朝食まで三時間はある。


 であれば結構、二度寝をするのも悪くはないだろう。


 そうして、暗闇へと戻ろうとする意思はしかし、髪を命とする友人達の活気によって霧散した。頭まで上げた布団を剥がされ、私を取り囲んで原住民族の如き踊りを舞って見せる彼らに内心辟易しつつ、仕方なく起床した事をアピールしてみると、彼らは爆発した後、洗面台へと突入して行く。

 覚えず苦笑し、ミステリーサークルと化した布団の輪からガラス越しの海へと歩みを進めた。


 備え付けの椅子に腰掛け、足を組み、流れるように目を伏せる。起床した振りをしたからと言って、眠いものは眠いのだ。


 自己弁護を終わらせ、さあ寝ようと気合を入れた時だった。開いていたのであろう窓から入ってきた潮風が、すぅ、と私の髪を撫ぜ──


 そうして、何故だか目が冴えた。


 もはや訳が分からなかったが、どうせ低気圧の所為だろう。よくよく外を見てみれば、小降りの雨が降っている。予想は大当たりだった。何時もなら頭痛を併発するので不思議であったが。


 とは言え、その雨も室内にいる分には気に障るものではない。むしろ、鳥のさえずりと波の音とを包み込み、ぼんやりと反響させ、心地の良いものへと変えてくれる。


 雨に対する評価を一段階上げ、テレビのスイッチを入れてから、着替えと出発の準備に取り掛かる。


 九時頃まで降りたままであるらしい薄靄は、私の旅に着いて行きたいと訴えているようであった。




 □




 3日目



 私は先程、茶碗の持ち主の意思を無視して白米を山盛りにし、それを持ち主に食べさせる奇祭を脇から見ていた。


 主催者の近辺の生徒達は普段の快活な笑い声を浮かべる余裕もないのか、乾いた笑みを浮かべていた事を記憶している。おおよそ、彼らもあの祭に巻き込まれたのだろう。彼らの若さが羨ましい限りであるが、真似はしたくなかった。私は虚弱体質なのだ。


 その祭の様を囃し立てていた生徒達にも何故か(・・・)飛火し、私と私の対面左手に位置する“帝王”を除いて、同じ机を囲んでいる友人達は半ば死人の体を容していた。


 その中でも一際辛そうに顔を歪めている彼をHとしよう。私の左に座するHは既に限界を迎えているらしく、箸の動きが食べ始めに比べて格段に鈍くなっている。しかし白米はその椀から飛び出さんばかりに残っており、この祭の計画性の無さを無言のままに語っていた。全く以て活力の無駄遣いである。


 そして私は、そんな彼が不憫に思えた為、泥で出来た助け舟を出す事にした。彼に断りを入れ、白米を半分程貰い受けたのだ。私は善良なる幸福な市民なのである。


 彼は私に感謝を述べ、私は彼に別に良いと言う。


 そこまでは良かった。


 問題は『不正行為を行っている』と私を指差し、道連れをするべく主催者を呼び始めた、Hと“帝王”を除いた近隣の友人達であった。

 この時ばかりは友人達をミイラか、はたまたゾンビか、ともかく、何らかのクリーチャーとして認識してしまった私だったが、それは恐らく正常な思考である筈だ。


 ともあれ。彼らの負の合唱は主催者の耳に届き、結果として私の椀は過分に満たされた。


 情けは人の為ならず、とはこう言う事だろうか。

 誤用である。分かっていた。


 かくして、無理やり白米やその他諸々を腹に詰め込んだ私は、“帝王”を拉致して部屋へと戻って行ってしまったHを含む薄情者達を怨む余裕さえなく、胃袋の抑圧から解放を求めた逆流に屈し、大広間から這い出した刹那、その絶望をぶち撒けた。


 そして現在、その後片付けを終え、逆転した視界を彷徨い、やっとの思いで辿り着いた瞬間ハウスダストの温床と化した我が班に与えられた部屋を這う這うの体で抜け出し、無骨なコンクリートの階段で、滾る粗熱を逃がしている。


 いやはや、長い道のりであった。


 なんとも言えない浮遊感と沈殿感とに浸され、する事も出来ることもない私は、取り敢えずそれについての考えに耽る。


 胸の内から渦巻き溢れ出しているのかと思えば、逆に辺りから胸の内へと流入してくる暗い熱のようなものを抱えた、ある種の俯瞰的視線で自身を見下ろした思考が、しかし地べたに寝転んだ低い視線からコンクリートを眺めているという奇妙極まりない感覚……それが最も近しい表現であると思われる。


 だが、こうして特徴を羅列してみたは良いものの、正直自分で何について考えていたのか分からなくなってしまった。


 もしかしたら私は、自身でも気付かぬ間に引き起こされたマーライオン現象によって気管を詰まらせ、既に死んでいるのかも知れない。


 階段を駆け上がって行った名も知らぬ細身の男子生徒が私を見向きもしなかったのは、この私が残留思念である事の証明ではないだろうか。


 多分そうなのだろう。いや、きっとそうなのだ。では理解もしたのだし、痛む頭を抑えるためにも思考を停止しよう。


 何処からともなく流れているジムノペティに包まれながら、明けない夜は更けていった。




 □




 4日目



 自己とは何だろう。


 例えば一人称。自宅では俺と言い、学校や社会では私と言う違い。

 また、滅私というものもある。他人を気にして、本来やりたい、したいと思っている事が出来なくなると言う気持ちの違い。


 これらは全て、自分という大本と、他人との間にクッションがあるという事になると考えられる。


 しかし、昨今ではそのクッションが排斥される傾向にある。個としての人格より、群としての人格の方が求められているのだ。


 これは優秀な者とそうでない者とを選り分けるふるいの掛け方が、今と昔では全く別の物に変質してしまっているからだと推測出来る。

 要は、自己という概念が既に他人という概念に侵食され、それと同等のものになっているのである。


 さて、それが人類の発展に因るものだとしたら、どうだ。


 どうもこうもない、お手上げだ。日進月歩の言葉の通り、人類は何らかの進化をし続ける。であれば、待ち受ける未来は破滅のみだ。終末時計も、その針を頂点で止める事になる。そう──


 ──人間は、近い内に絶滅の運命を辿る事になるだろう。




 下郎と言う甚だ不名誉なあだ名が普及してしまった我がクラスを運ぶ動く密室内にて、私の出来る事は意識を飛ばすか、そんな不毛かつ意味不明な自己啓発に勤しむだけであった。


 結局私は生きていたのだ。どうやってかは分からないが、入浴を済ませたと思しき記憶がある為、それ程重体でもなかったらしい。


 現在はその限りでもない。プラナリアに似たデザインの新幹線に対する憤りも忘れ、乗車した後、車内に備え付けられていた簡易テーブルに突っ伏していたりする。


 待機、移動、予定変更、移動、待機、予定変更、待機、予定変更、待機、移動、待機、移動。目まぐるしく移り変わる指示によって振り回されたのだ。憔悴の一つもするのは当然の事だろう。


 そして、やはりと言うべきか。私の体調に反比例するかの如し同級生諸君の活発さは手放しの賞賛を贈りたくなる。いや、畏敬の念と言った方がより正確か。


 時刻は午後九時を過ぎていて、高校生の皮を被った老人と名高い私にとっては就寝時間を超過している。だと言うのに、彼らはこの20余mの箱の中を飛び回っているではないか。


 なんだ此処は。ライブ会場か?

 さんざ彼らの若さを持て囃してきた私であったが、ここまでくると呆れが混じり始めてくる。


 それもこれも、全てはアップを始めた頭痛の仕業だ。


 もう良い、夢の中に逃避しよう。

 この地獄は少なくとも後一時間は続くのだから。

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