第五話
真っ昼間の森は、太陽の光を不気味に反射させて夜中の森よりもおおきく揺らいた。
「おお… ルークは本当にすごいな」
森を一目見るとたくさんの魔物たちがいるのがわかった。用意してくれた地図も案外正確に描かれていた。地図によると、その花は森の奥の谷にあるらしい。
エリックはできるだけ魔物たちに会わないように森を歩いた。しかし、魔物は思っていたよりも数がいて、仕方なく戦闘になる場面が何度かあった。
「グルルルルル…」
「またこいつか…」
エリックは小さく舌打ちをした。彼は戦うときはなるべく静かに倒すことを優先した。他の周りの魔物に気づかれると、必要な戦闘回数が増えてしまうからだ。時々、説明できない衝動に駆られて森や草原の魔物や獣を倒すことはあったが、基本的には学校の模擬試合もあまりやりたがらないくらいエリックは戦闘が嫌いなのだ。
魔物は小型の虎猿だった。牙と爪がとても鋭く、猫の科特有の細い目と黒と緑の体表は、不思議と森に紛れていた。ルークの魔付がなければ見つけるのさえ困難だっただろう。
虎猿は後ろ足で木の枝を掴むと、エリックの剣が届かない位置でぶら下がってこちらの様子を見てくる。手を上に上げて集中して詠唱すると、すぐに感づいて他の枝へと飛び移る。そして、こちらが一瞬でも隙を見せると、すぐさま木の上から飛びかかってくる。それを紙一重でかわすと、また木の上に戻ってしまう。
「これじゃあらちが明かないな」
エリックが火の魔導を詠唱し始めると、やはり虎猿は他の木に移ってしまう。
(狙いが定まらない…!)
馬鹿みたいに炎を撃てば当たるだろうが、それでは誤って木に火が移って燃えてしまうと花を採るどこの事態がではなくなってしまうので、虎猿はできるだけ一発で仕留めたかった。魔導が外れるのだけは避けたかった。かといって、森に影響が小さい水や土の魔導を使えば確かに当てれるのだが、それは虎猿にも影響が小さいということなので、結局倒すのに時間がかかってしまう。生物の弱点というのはたいてい生息地によって決まるものなのだ。だから、一撃で仕留められる炎を優先して使いたかった。
逃げるのが一番手っ取り早いのだが、できるならもうそうしている、とエリックは思った。
さっきから、逃げても逃げてもこの虎猿はついてくるのだ。
草原や森で魔物を倒してきたので、ここら一帯の生態系は知っているつもりなのだが、ここまで深く森に入ったことはなかったのである意味それは新鮮なことだったのだが。
そろそろ太陽が真上にまで昇る。森の夜は早いので、帰ることも考えると日のある内に花のある場所に着きたかった。しかし、このまま逃げ続けるのはエリックの身が持たない。
「少し考え方を変えよう」
エリックは大きく息を吸うと、詠唱し終えていた炎の魔導を虎猿ではなく地面に向かって撃った。その一瞬を見逃さなかった虎猿は、真っすぐエリックに襲い掛かった。
ここで、エリックが剣の柄に手を掛けたり、詠唱なしの魔導を使おうとすると、虎猿は器用に木を使って空中で方向転換することを知っていた。それに、今は集中していたかったから、じっと待った。
「グギャアアア!」
虎猿が目の前まで接近したのが分かった。瞬間、エリックは再び強く手に力を込めた。
「ファイア!」
虎猿は目の前で赤く燃え上がっている。突然、自分の体が燃えたことに驚いた虎猿は、火を消そうと必死に背中を地面にこすりながら悶えている。
「グギャゴオオオオオ!!」
聞くに堪えない断末魔を聞きながら、エリックは周りに火が燃え移らないように水の魔導で虎猿の周りを囲んだ。虎猿は転がり回っていたので、下手に移動しないように虎猿を中心にアリジゴクの要領で土の魔導を使い、少しだけ周りの地面を盛り上げた。
………
しばらくしないうちに息絶えたようだ、虎猿の体から光が浮かび上がった。その光はエリックになんの感情もわかせなかった。
光はゆっくりと見せつけるように天に昇って行った。エリックはそれを確認すると、火を消すため水を覆いかぶせた。
燃えカスになった死体は、他の獣から見つけにくいような場所へと移動させた。
彼は虎猿に何をしたのかというと、ようするにニアがさっきやっていた花火のように魔導を扱ったのだ。炎の塊を地面に衝突する直前で停止させ、虎猿が目の前に来る寸前に上方向にだけ弾けさせた。
しかし、この技は空中で停止させるだけでも精神力をかなり消費するし、あの一撃を外してしまうと今まで以上に警戒されてこれまた面倒なことになってしまうので、エリックにとっては一度しかできない一か八かの賭けでもあった。
「これでよしっと」
火が完全に消えたのを見ると、エリックは祈るように上を向いた。太陽は先ほどと変わらずに真上にあった。
「よかった… 夜になるまでまだ時間はある」
それでも…森は、なにが起こるかわからない。少しでも早くたどり着けるよう、エリックの足は心ばかりか速くなっていた。
✖
「あれー?エリックはどうしたー?」
授業の終わりと同時くらいに、先生はさほど驚かない様子で聞いてきた。
「エリック君は体調が悪いんで先に帰りましたよ、家には僕が連絡しときました」
「そうかー 悪いなー」
ルークのその言葉をまるきり信じた先生は、何事もなかったように教室へ戻っていった。
「こういう時に優等生っていうポジションは便利だな」
「ホントそういう知恵だけはすぐでるのよね…」
ついさっきまで生徒の気を引くために外で花火を何発も打ち上げていたニアは、息を切らしたからと座って休んでいた。そこに、授業中ずっと遠くでニアの花火を見ていたエルサが近づいてきた。
「ニア!さっきのは何ですか!?とても綺麗でしたよ!」
花火を見て興奮した様子で、ニアにグイグイと突っかかっていた。ニアはしまった!という顔をしてエルサの方を向いた。
「あれ、エルに見せたことなかったっけ?」
「初めて見ましたよ!どうやってやるんですか?」
このままだとエルサとの特別授業が始まってしまうことを察したニアは、助けを求めるような目でルークを見つめた。エルサは一度興味を持つととことん追求してしまうタイプで、ある意味ルークの性格と似ているのだが、何というか節操がなかったのだ。ルークは大きく息をつくと、エルサをそっと見やった。
「もうつぎの授業が始まるぞ、今やる必要はないだろ… 放課後になったら思う存分教えてもらえ」
「そう、ですね。じゃあニア、放課後教えてくださいね」
「もう!ルーク!そういうことじゃないんだから…」
放課後の地獄の教室が決定したニアは、エルサが納得するまで教えなければならないことを思って悲痛の叫びをあげていた。エルサはそれを気にすることはなく周りを見回すと、エリックがいないことに気づいた。
「あれ、リックは?」
「あー… あいつは…」
「リックはねー 森に行ったんだよ!」
何と言おうか迷っていたルークを差し置いて、ニアは何も考えずに言った。あーあ、ルークは全身にやっちゃったオーラを放ちだした。
「絶対めんどくさくなるから言うべきじゃあ無いのに…全く」
「えー!いいじゃない!別に悪いことをしてるわけじゃないんだし」
「へ?リック、森に行ったんですか?」
エルサはわざと驚いた様子で、手を口にあてた。たぶん、手の中で笑っているのだろう。自分のために何かをしてくれる男を見て喜ばない女などいないだろう。でも…
(まったく、悪い女だ…)
自らの手でこの状況を作ったエルサのことをルークはそう思わずにはいられなかった。エリックが何故こんな奴のことを好きになったのか不思議に思った。それと、本当にこいつはリックのことが好きなのか?
「へえ、エリック 森に行ったんだ」
ルークたちの会話を目ざとく聞きつけたロイは、取り巻きたちを連れてぞろぞろとこっちに来た。まるで砂糖に集まる蟻のようでルークは少しおかしかった。
「ほーらめんどくさくなった」
ルークはやれやれといった風に手を振った。そのまま教室に行けばいいものを、エリックをいびろうとわざわざやってきたのだ。実ははこいつら、リックのこと好きなんじゃないのか?そう思ってしまう程だった。
「なに、あいつレベル無いくせに森に花を採りに行ったの?ホント馬鹿だなー!」
「ホントホント」「ロイに勝てるわけないってーの」
取り巻きどもがロイの言葉に乗っかってギャアギャアわめいている。
「ま、なんにもできずに無様に帰ってくるのを見るのも楽しみだけどな」
「ホントホント」「明日が楽しみー」
「お前ら…!リックのこと好き勝手言いやがって…!」
「駄目だ、ニア」
ルークは今にも取り巻きに襲い掛かりそうなニアを手で制して、ロイをじっと睨みつけた。
「今日はもうエリックはいない、俺たちに絡む理由もないだろう。また明日にしてくれないか」
ロイはルークを睨み返すと、ふっと目線を外した。
「まあ、明日を楽しみにしとくよ。無事に帰ってきたらだけだがな」
「よく言うよ、自分は森に取りに行ってないくせに」
ロイは図星を突かれたようにビくっとした。キザっぽく去っていくロイの後ろ姿を見ると、ルークは少し言い返したくなったのだ。
「はあ?何言ってんだお前」
「なに、本当のことじゃないか、なんなら理由も言ってあげようか?ここで」
「…チッ!」
エルサも取り巻きもいる場所でさすがにそれはまずいと思ったのか、先ほどまでの威勢がしぼんで逃げ去るように教室へ帰っていった。ルークは再度深いため息をついた。
「ルーク、今のどういう意味なの」
ニアが真顔になって聞いてきた。ルークはどう言おうか少し悩んで、それから口を開いた。
「うーん、どういう意味もそういう意味なんだが」
「ロイは森に取りに行ってないってことなの!?あいつに対抗するためにリックは森に行ったっていうのに!」
「まあ、そういうことになるが」
ルークは間をあけてそういうと、何事もなかったように教室に戻ろうとした。それを、今度はニアが制した。
「ちょっと待って、じゃあ何でリックに行かせたの?」
「何でって、森に行ってないあいつに、エリックは森に行ったってことを見せつけるためだよ」
ルークがそう言うと、ニアは疑いの目でルークを見た。たしかにそれも効果的だと思うが、花束を渡されたときに言えばもっとよかったのではないか、ニアはそう思ったからだ
「でも、リックはちゃんと花を採ってきてくれますよね?」
エルサは何かを訴えるようにルークを見た。だが、ルークはそれには返さなかった。次の言葉がルークの憶測に過ぎないからなのだが。
「たぶん、リックは花を持って帰れないんじゃないかな?」
「「ええ!?」」
どうやら今度は本当に驚いたようだ。