第十一話
久々のすがすがしい朝だった。ユウキはぐっすりと眠っているエリックを起こさないように、朝食のための材料を取りに行っていた。
「いい朝だな… って、さすがに爺臭いか」
湖の周りには食べられる物がたくさんあったため、食べ物に困ることはなかった。取り終わって家に入る前に、ユウキは大きくを伸びをして湖に漂う霧を胸いっぱいに吸い込んだ。
「ふう、 お前、何してんだ…」
扉を開くと、エリックが低姿勢で床に頭をこすりつけていた。
「…まだ眠ってんのか?」
「違う!」
ユウキは少し考えると、ああ!と手を打った。
「男の子だからか!」
「それも違う!」
恥ずかしくなってきたのか、少々赤くなっているエリックに、ユウキはじゃあ何なんだという視線を投げかけた。
「これは、その…」
ユウキの威圧に耐えかねて、エリックはもじもじしながら答えた。
「その… じいさんに一つ、お願いがあるんだ」
「はあ?」
なに言ってるかわからない顔をしているユウキに、エリックはできるだけ真剣な表情をした。
「今日一日で、僕を強くしてくれないか」
どうやらそれは懇願のポーズだったようだ。奇妙な間が生まれたが、ユウキは何も言わなかった。
「明日、学校であるやつと戦わなくちゃならないんだ。僕はそいつに勝ちたいんだ、だから」
ユウキはエリックを押しのけて、朝食を作るために家の奥に入った。
「俺みたいに長生きしたいなら、人生の内に必要なこと以外はあまりしないことだな」
鍋の中に取ってきた物を適当に千切って投げ入れているユウキは、あまり興味がない風に適当に返事をした。
「明日が最後なんだ!」
エリックの叫びはかなり鬼気迫っていた。
「…お前は何でそいつに勝ちたいんだ」
ユウキは、鍋を持ってきながらエリックに聞いた。
「そこまで強くなりたい理由は何だ?」
そして、皿を二枚用意して鍋の中身をいれた。
「僕は…」
「まあ、朝飯食いながらでいいからゆっくり話せや」
昨日と同じように皿を一枚渡して、ユウキはエリックが話し出すのをじっと待った。エリックは一口だけ口をつけた。
「僕はレベルが上がらない体質なんだ」
ユウキは小さく相槌をするだけで、特別驚いたりはしなかった。エリックにはその方が楽だった。
「それに会ったことはないけど、僕のお祖父さんはこの世界を救った勇者、イザナギなんだ」
「ふむ」
ユウキは少しだけ反応した。
かつて、この世界には災厄の魔王というのがいた。世界の裏側には魔物たちが住む魔界があり、そこを統治する者のことを魔王と呼んでいた。災厄の魔王は、魔界の魔物たちを一つにまとめ上げて人々が住む現界を進行し始めたのだ。それが、約百年前のことだった。
魔王といえば悪く聞こえるが、たいていは名ばかりで目立ったことはしない。だが、それのおかげで魔界と現界のバランスが保たれていた。
しかし、災厄の魔王は魔界を広げようと現界の人々に文字通り「災厄」を振り撒いた。
現界の人々はそれを阻止すべく、災厄の魔王を討伐する者を募った。何人もの戦士が災厄の魔王に挑んだが、倒すばかりか災厄の魔王のもとにたどり着いた者さえいなかった。
何十年もの間魔物たちに虐げられ、人々は少しづつ現界を狭めていった。そうせざるを得なかったのだ。
そんな中、エリックの祖父イザナギは大聖堂の真ん中で目覚めた。そして、それを見た神官に語り継がれている伝説の勇者として仕立て上げられたらしい。彼は何人かの仲間と共に、災厄の魔王を討伐すべく旅にでた。
幾年もの年月が過ぎたころ、ついに彼の手によって災厄の魔王が倒された。人々は彼を祭り上げ、いくつもの夜を超えて彼を祝福した。現界は魔界との正常なバランスを取り戻し、今の平和を手に入れたのだ。
その後、彼は一人の女性と結婚し、今のエリックの母が生まれたのだ。
エリックは、その世界を救ったというお祖父さんには会ったことはない。だから、勇者の孫という肩書は、レベルが上がらないエリックにとっては重荷以外の何物でもないのだ。
「僕は生まれたことを何度も後悔した。他の子に何度もいじめられた。でも、レベルが上がらないから彼らに抵抗ができないんだ。死にたいと思ったことだってある。」
ユウキは黙っている。料理はもう冷めていた。
「勇者の孫なのに何でできないの?って言われたこともある。君は勇者の面汚しだ、って。僕は世界を救ったお祖父さんのことを恨んでいない。でも、この体で生まれてきて一度も誇らしいって思ったことはないよ」
エリックの声が震えてきた。
「それでも、最近やっと生きたいって思える理由が見つかったんだ」
「僕は、いままで学校の模擬試合で、あいつに勝ったことはない。だから、明日は絶対に勝ちたいんだ…」
「僕はもう、エルサの前で負けたくないんだ…」
涙が出てきた。エリックはこうやって感情を出したことがなかったので、どんな顔をすればいいかわからなかった。
「僕はずっと駄目だった… でも、最後くらいは僕が勝ったっていいじゃないか…」
「わかったよ」
ユウキが優しく頭をなでてくれた。こんなに泣いたのは初めてだった。
「お前が強くなりたい理由はわかった。でも明日はちゃんと帰れよ」
エリックはなんだか不思議な気分だった。ユウキの前だと、なんでも話してしまいたくなるのだ。
「…俺のことを変に思ったりしない?」
「何言ってんだ、俺も旅をしてるけどお前以上の変な奴なんて世界中にいるぜ。レベルが上がんないのはお前だけかもしれないが、自分のことで悩んでいる奴はお前だけじゃないんだ」
ユウキの言葉はエリックをとても安心させた。
「こんな爺さんでいいんなら、今日一日俺が稽古つけてやろう」
「ホント!」
ユウキは少し濡れたタオルを、エリックに投げ渡した。
「ほら、これで顔拭け。さっさと外に出ろ」
木の剣を二つ取って、ユウキは外に出た。
(ユウキに頼んでよかった…!)
エリックは急いでタオルで顔を拭いた。こんなに人にものを頼んだのは、生まれて初めてだった。
タオルからは、少しだけだがユウキの匂いがした。




