第八話「目の前では一方的で残酷な修羅場を繰り広げられている」
「に、兄さんっ!」
俺とイルマの目の前にいる人物。キザな印象と華やかさを併せ持つ人物。
――天条スバル。
イルマの兄であり部族長である、彼は今、俺とイルマの前に立っている。
「イルマ。こんなところで何をしているんだ?」
そんな天条スバルは不敵な笑みを浮かべつつ、わざとらしくイルマに言った。
「そっちこそ。なんでここで何をしているんだい? 兄さん」
イルマはそんな天条スバルに向かって不敵に微笑み返す。
その笑みにはイルマの覚悟と決意がにじみでているように俺には思えた。
「ほお」
天条スバルもまたイルマの態度を見ると感心したような声を上げながら、腕を組む。そこに先程までの笑みはなく、表情が一気に険しくなった。
「兄さんの目的は修真君。そうだね?」
イルマもまた顔をしかめながら言った。そこには先程の不敵な笑みはない。
「これは驚いた。そこまで気がついているとはな」
その柳眉を釣り上げて、スバルは驚嘆の色を示すが、
イルマはそんな彼を相手にせず、舞の構えを作る。この構えは『黄泉の舞』だろうか。
「兄さんの思い通りにはさせないよ!」
イルマがそう言い切ったところからこの四部族全面戦争。彼女は自部族には協力しないと決めたようだと確信した。
先程のイルマに対する襲撃。そして部族長のこの態度。
天条一族はイルマのことを『仲間』だとは思っていないのだ。
なぜか『敵』として判断しているのだ。
そこから、イルマは自部族には協力しないことにしたのだろう。
……それにしても、なぜ天条一族はイルマを敵としているのだろうか?
「……思いどおりだよ。イルマ」
「何を言っているんだ?」
「……くっくっくっ」
天条スバルはイルマの牽制を見て、今度は声に出して笑い始めた。
先程、同様に嫌な笑みだ。
「あははっ。全部思い通りだよ。イルマ! 何が思い通りにはさせないだ。もう思い通りだっての!」
天条スバルはイルマを見下すようにして言った。いや小馬鹿にしたという方が適切かもしれない。
「な、何を言ってる! デタラメを言うな!!!」
イルマは宙を切り裂くようにして、片腕を振るわす。
「お前のおかげで岸野のガキを仙翁の娘から切り離すことができたからな」
「な、な……」
「あいつが一番やっかいだからな。心を読まれるなんてたまったもんじゃない」
……なるほど。これは天条スバルの思い通りというわけか。
イルマが襲われ、俺が助けに向かう。
そして、他の者は天条一族の民の相手をする。
こちらの戦力は六。向こうはおよそ五百といったところだろうか?
これだけの戦力差があればいくら、精鋭ぞろいでも苦戦を強いられている。
恐らく、助けがこちらに来るまでは、まだまだ時間がかかることだろう。
つまり、俺とイルマはまんまと天条スバルの罠にはめられたってことか。
でも、こっちは二人。向こうは一人。どう考えてもこっちが有利だ。
「じゃあそこを退いてもらおうか。イルマ。お前の後ろにいる彼に用があるのでね」
「……くっ」
「おー。怖い怖い」
イルマは鋭く瞳を尖らせ、天条スバルを見やる。
彼女はそれだけで動こうとはしなかった。いや正しくは動くことはできなかったのかもしれない。
「おーすごいな。岸野のガキを殴りつけようとしないだけで大したものだ」
イルマの鋭く尖らせた瞳。その瞳には光が感じられない。生気が感じられなかったのだ。
「……『黄泉の舞』か」
「お、よくわかったな。ガキのくせに」
なるほど。これでイルマは戦闘不能も同然。
それに加えてイルマを『黄泉の舞』で自分の仲間に無理やり引き込もう魂胆か。さすがは部族長、といったところか。
「おっと。危ない」
俺は剣を背中の剣を取り出し、天条スバルに襲いかかろうとした。
「……っ!」
けれども、それができない。身体が思うように動かないのだ。
俺は言う事を聞かない身体。だが顔から上だけは動かすことはできた。
だから、俺は天条スバルに問いを投げかける。
「い、いつ仕込んだ……」
『黄泉の舞』
それは進化の舞などとは違い、踊ることに意味があるのではなく、踊りを相手に見せることで始めて効力を発揮するものなのだ。だから、俺はどこかでこの舞を目にした見たはずなのだ。だが、俺に心辺りはない。
「さあ? どこだろうな?」
そう言った後天条スバルはくっくっくっと小さく笑みを浮かべた。
どうやら、この問いに答えるつもりはないらしい。
「さてと……」
そう言って、天条スバルは一歩、また一歩とこちらに歩を進める。
……くそっ。もうダメか。
身体は天条スバルに抗うことを許さない。俺の命令はこれっぽっちも受け入れてはくれない。俺にできた唯一のことは俯くことだった。
俺は自らの敗北を実感すると共に自分の無力さに対する悔しさがこみ上げてきた。
俺が争いの火種になるくらいなら、いっそのこと――。
舌を噛み切って自害しようかと考えたのだが、すべては俺の想像と違う展開を見せた。
「まずはお前からだ。イルマ」
てっきり天条スバルは俺を連れ去るものだとばかり思っていたのだが、そうではなかった。天条スバルは俺の横を素通りすると、真っ直ぐにイルマの元へ向かったのだ。
「『天元の舞』」
天条スバルは優雅なダンスを踊った後に空中より突如出現した剣を手に取る。
「……」
イルマは天条スバルにものを話すことはできない。彼女は彼女の兄をただ見つめることしかできない。
「これで終わりだ。イルマ」
そして、それを無抵抗なイルマに突きつけた。
その行動はまるで天条スバルが天条イルマを『始末』する。それにしか見えなかった。
「お、……おい」
同じ血を分けた兄弟だぞ? 同じ屋根の下に暮らした家族だぞ?
そんな尊い存在を自らの手で始末する?
なんでこいつはそこまでして大切な者を必死に排除しようとする?
敵だからか?
……おかしい。そんなのはおかしい。
いくら敵だからといってそれはない。敵である以前に家族なんだぞ。普通ここまでするものか?
……そうか。わかったぞ。
俺がたどり着いた答え。
それはイルマを襲ってきた敵の、不安げな瞳。諦めるように俯いた顔。
そして、先程の一言『進化の舞――創造の章。肉体を石のように硬く強化する舞か。さすがお嬢様だ』
これらが俺をこの答えまでたどり着かせてくれた。
「おい……待てよ。天条スバル」
俺はどうしようもない、残念な答えしか持たない者の名を呼ぶ。
彼は今も、俺の大事な仲間に剣を突きつけていた。
……剣はな、そういう風に使うものじゃねーんだよ。
「なんだ? 岸野のガキ。お前は黙ってみてろよ」
動け、俺の身体。
今すぐ本当の剣をこいつに教えてやるんだ――。
「おいおい。そんなことをしても無駄だ。お前じゃ、術から逃れることはできないぜ」
今すぐ動け、俺の身体。俺の仲間をなんとしても護るんだ。
こんな薄汚い、自分が族長であり続けるためだけに、家族を殺そうとするクソ野郎を――。
――自分より優秀で人望も厚いイルマを恐れて、愚者の極みとしか言えない行為を行おうとするこの大バカ野郎を、
「お……おい。不可能だろ……?」
――ブッツブス。
× × ×
僕はあの時と同じような彼を見た。それは魔王と対峙した時に見せた彼。
彼はその圧倒的な力を持ってして、相手をとにかく殴り続ける。
それはまるで草食動物をひたすらに貪る肉食獣が如く。
こんな彼は……なんというか彼であるような気がしない。
彼は今もなお、兄さんを殴り続けている。もうピクリともしない兄さんをとにかく殴り続けている。兄さんの顔面はすでに原型を留めていない。それでもなお殴り続ける。
……今すぐ彼を止めてあげなくてはならないような気がする。
けれども、僕の足は動こうとはしない。
黄泉の舞の効果は兄さんが倒れたことでとっくに切れているというのに。
恐怖。
これは恐らく彼に対する恐怖なのだろう。僕を襲ってきたレンヤも震えている。圧倒的威圧感。それに伴う想像を絶する恐怖。こんな絶対的な恐怖は味わったことがない。
「イルちゃん。何をしているの!?」
そう。僕の隣にいる魔王からもこんな恐怖は感じなかった。
「イルちゃん。しっかりして!!!」
魔王は僕を何度も何度も揺すっている。
なぜ、魔王は平気なのだろう。
僕は魔王の顔を見る。彼女はいつにない真剣な表情をしていた。
その後ろには、美咲君、南雲君、みくるくんの姿もあった。
そうか。天条一族は負けたんだな。
それにしても皆よく平気でいられるな。
――目の前では、こんなにも一方的で残酷な修羅場を繰り広げられているというのに。
「イルちゃん、よく聞いて。修ちゃんは今、あなたのために戦っているわ」
か、彼は僕のために……?
「ええ。そうよ。修ちゃんは今、全力であなたを護ろうとしている」
ま、護る……?
「けれども、そのせいで彼は彼ではなくなっているのよ」
彼が彼ではない……? それは一体どういう意味なんだ……?
「いい、よく聞いて。だからあなたが彼を解放してあげる必要があるの」
解放……? 僕にそんなことができるのか……?
「『癒しの舞』です。イルちゃん」
癒しの舞……? そんなもので今の彼が止まるのか?
…………。
「僕に……今も彼を止めることは不可能だよ」
これが僕の……答えだ。あんな恐ろしいものを僕が止められるはずがない。
だが、僕の答えに異議を唱えるものは、そこにいた。
僕に異議を唱えるものは僕たちとは似ても似つかない存在。
魔王――。
「彼は今、苦しんでいます。あなたを救うために苦しんでいます」
魔王は最後に言った。そこから魔王が何かを口にすることはなかった。
「ぼ、僕の目指した平等は……どんな者たちにも暖かな日々が送れることができる平等」
そうだ。僕の目指した平等は誰かを守ろうとするために犠牲になるものがいてはいけない。
そんな簡単なことすら、僕は失念していたというのか。
「癒しの舞だね。エミリオン!」
「ええ。そうです」
だから、今の僕にできる平等をしよう。精一杯にだ。
「聞こえるかー。修真君ー」
修真君は兄さんを殴るその拳の動きを止めてこちらを凝視している。
よし。今だ。
何度刻んだかわからないこのステップ。今はこの舞いを修真君にも届くように精一杯に踊るだけだ。
「ふぅー」
僕は、一呼吸の後に『癒しの舞い』を踊り始める。
頼む。修真君に届いてくれ。
僕は精一杯の踊りに、強い想いをこめる。
――修真君。戻ってきてくれ! 僕も……仲間を護りたい!
僕の強い想いに呼応するかのように沈みかけの夕日と昇り始めた月の光が修真君を優しく包み込んだ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
光に包まれた修真君は肉食獣のような咆哮と共に修真君は頭を抱えて、その場にうずくまってしまう。
「ガアァァァ…………」
そして、修真君は力なく倒れた。
「こ、これで戻ったのかい?」
「ええ」
おおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉーーーー。
一難が去って安心したのも、つかの間。
東の方より空気の震えが伝わってきた。
「天条一族の増援です!」
南雲君の叫びが耳に届いた。
その叫びの後に僕たちは再び臨戦態勢に入った。
倒れている修真君と、ある一人を除いては。
「じゃあ、ここは……」
そのある一人であるエミリオン君が少しの思案の後に閃いたようにして、一本の指を立てる。
「逃げましょう」
「「「「は!?」」」」
そして、僕たちの反論を聞くまでもなくエミリオン君は自分と僕たちをどこかへと瞬間転送したのだった。