第一話「確かに、ここに修羅場はあった」
――世界よ。これが俗に呼ばれる「修羅場」なのだろうか?
俺は今、目を塞ぎたくなるような惨状を目の当たりにしている。
「これで終わりよ。ドロボウ猫どもっ!」
「いつからあなたのものになったのですか!」
「……おまえら、だまれ。ぜったい、わたさない!」
「君たちもいい加減諦めたらどうだい!」
このように先程から彼女たちの怒号が鳴り止むことを知らない。
まだそれらだけならば目を塞ぐ必要はない。耳を塞ぐだけでいいのだ。
俺が目を塞ぎたくなる理由は何か?
それは怒号ともに飛び交う彼女たちの「術」のせいだ。
だが、ただ術が飛び交うだけならば、俺も目を塞ぐ必要はない。
むしろ彼女たちの素晴らしい術の数々を目に焼き付けたいくらいだ。
「怒り狂う四人の女の子」と「術の応酬」。
後、もう一つの目の当たりにしたもの。
それは――「血」だ。
四人の女の子たちが俺から少し距離をおいたなだらかな荒野の真ん中で多量の血を流していた。
ボロボロだった。よく立っていられるな、とさえ思う。
俺はこの彼女たちの痛ましい光景を目にして、目を塞ぎたくなったのだ。
……もうこんな光景はこりごりなんだ。
「修真待ってなさい! 今、助けてあげるから」
「も、もう少しですから修真さん……」
「ケガなんかしてない。ゼッタイ。だからシンパイしなくていい。シューシン」
「修真君、僕は絶対に勝つよ!」
「「「「すぐにこいつらを片付けるから」」」」
どうしてこうなったんだ。
どうして仲間だったはずのお前たちが争わなくちゃいけないんだ。
――もう世界は平和になったはずだ。
どうして英雄といわれた俺はこんなに無力なんだ。
なぜ、皆の争いを止めることすらできない。
『俺は一体どうやって魔王を倒したというんだ……?』
そんなことを考えていてもしょうがない。とにかく今はこれをなんとかしないければ。
あれこれと考えたが、力ない俺にできたのは呼びかけること。
ただ、彼女たちの心に呼びかけることしかできなかった。
「お前たち忘れたのかよっ! あの辛かった戦いを。俺たちの一緒に過ごした時間を!」
一緒に過ごした時間。それは長いようで短かった。
こいつらと共に切り抜けてきた戦いは数えきれない。何度助けられたことか。
一緒に囲んだ夕食の数は俺たちの絆の深さに比例しているといってもいいかもしれない。
それに君たちはあんなに楽しそうにきゃっきゃ、うふふと一緒にお風呂に入っていたこともあった。
……あーあ。俺も一緒に入りたかった。
こんなにも淡いピンク色の思い出。
きっと今の彼女たちにも響くものがあるはずだ。
「そんなものはもう忘れましたわ」
「僕はその場にいたのかい? ちょっと記憶が……」
「みくる、わかんない」
南雲、イルマ、みくるちゃんは俺たちの辛くも楽しかった、あの思い出を忘れたと口にした。…………やっぱり怒ってらっしゃる? あの時お風呂を覗いたことを。
「あたしはその一行にはいなかったわけなんだけど……」
若干一名の部外者をいたのをすっかり忘れていた。
「美咲っ! お前は俺の心の中にいつもいたじゃないか」
「……あっそ」
それっぽいことを言っておかないと、あいつ後ですねるからな。
……それどころじゃなかった。
このやりとりをしている最中でさえ彼女たちは手を休めようとはしない。
「隙ありっ!」
美咲は咆哮と共に遠距離剣術『卍ブレード』が発動させる。
距離にしておよそ一海里。これが『卍ブレード』の射程距離である。遠距離剣術の中では最長の射程範囲を誇るが、その習得の難しさから使えるのは大陸上で美咲だけだ。
そんな『卍ブレード』を放った美咲は『卍ブレード』の影に隠れるようにして南雲に急接近する。美咲は剣を片手にしながらも『卍ブレード』のすぐ後をついて離れない。ものすごい脚力だ。
改めて美咲の凄さを実感した俺は思う。
南の代表になれたのだろう。美咲の方がずっと強いのに、と。
「甘いですわ!」
やってきた美咲たちを南雲がなんなく防ぐ。彼女は『卍ブレード』を操術によってコントロールした岩盤を盾にし、影から現れた美咲の動きをひらりひらりと剣がどこに来るのかをわかっているかのように華麗に躱していく。これは恐らく操術の応用による読心を駆使したものだろう。
このようにして操術と読心、両方を使いこなして俺たちを激しい攻撃から守っていてくれた。
「皆、これでイチコロさ」
美咲と南雲の激しい攻防から少し離れたところでイルマのアルトボイスが聞こえた。
目をやるとイルマは天条一族の見たもの全てを幻術にかけるといわれる『黄泉の舞』を踊りはじめる。
黄泉の舞。この術で一体どれくらいの魔族が自害したのだろう。
「そのワザ、きかない」
だが突然、イルマを巨大な竜巻が囲んだ。
どうやら、みくるちゃんのユメノ一族に伝わる天地想像の力を使って竜巻を起こしたのだろう。彼女のあの竜巻で倒された魔族は数え切れない。
みくるちゃんはその幼さにも関わらず、魔族の討伐数は連合軍一という圧倒的な攻撃力の持ち主だった。
「や、やるね」
竜巻が止み、中から出てきたイルマはボロボロだった。
彼女は立っているだけで、やっと、という感じだ。
しかし、よくボロボロになるだけで済んだと思う。俺だったらバラバラだったに違いない。イルマはタフな一面も併せ持つのだった。
「とうぜん……ッ!」
無愛想のみくるちゃんにしては珍しく勝ち誇った表情を作ったが、その顔は一瞬で苦痛で歪む顔に変化した。
そして数秒もしない内に彼女はパタリと地に伏した。
「油断大敵よ」
美咲の剣がみくるちゃんの腹部を一突き。
剣はあっさりといくるの腹部を貫いたのだった。
「……!?」
しかし、そんな美咲は突然剣を高く掲げ上げると、自らの太ももを剣で貫いた。
「……ッ!」
そして苦痛で顔を歪めながら、うずくまる。
美咲はうずくまりながらもギロリと一点を睨みつけた。
「あなたの心は操らせてもらいました」
睨まれた南雲は怯むこともなく小さな笑みを浮かべている。
「ふふっ……」
どうやら『操術』を使ったようだ。操術って本当に便利だな。
心を操ることから、心を読むことだってできるのだから。
「これで私の……」
南雲が勝ちを宣言しようとした、彼女の瞳が突如曇りはじめた。
ゴンゴンッ。
そして、そんな生気の見られない瞳の南雲は頭を岩場に打ち付け始めた。
な、何が起こったんだ?
「き、決まった『黄泉の舞』」
ああ。これが黄泉の舞か。
俺も決まったところは初めてみたな。
……また呑気にしている場合じゃない。
「ま、まだよ……」
「たたかい、これから」
こんなことをしている間にも大怪我のみくるちゃんや美咲は立ち上がろうとしている。
彼女たちは本気だったのだ。
本気で自分以外のものを蹴落とすことしか考えてない。
本気の怪我をして、本気で死ぬかもしれないのに。
これはいがみ合いなんかではない。
彼女たちの――本気の殺し合いだ。
「もうやめてくれよ!」
どうしてこうなったのだ。おかしい。こんなのはおかしい。
俺は思わず四人の間に俺は割って入った。
入るタイミングが遅すぎたのかもしれない。
もう少し早く割って入っていれば、彼女たちはもっと怪我少なかったかもしれない。
「修真君、退けるんだ(どけるんだ)」
「そ、そこにいると邪魔よ……」
「…………いるとウザイ」
「ゴンゴンッ。……はっ! 私は何を……」
だが俺は簡単に四人から引き離されてしまった。
強風のあまりに吹き飛ばされてしまったのだ。
みくるちゃんの力だろう。恐らく俺はもう彼女たちに近づくことはできない。
……なんて無力なんだ。俺に力があれば……もっと力があれば……。
イルマのキレイ顔が歪むところも目撃することもなかった。
幼馴染である美咲があんな不安そうな顔を見ることもなかった。
あんなに慕ってくれた幼いみくるちゃんの苦悶の顔を見ることもなかった。
部隊の参謀だった南雲のちょっぴりおバカにしか見えない姿も見ることはなかった。
力で彼女たちを制することはできない。言葉でも通じない。
ならば、弱い俺に残された手段は一つしかなかった。
「……やめてくれよ」
俺にこの争いを収める力はない。彼女たちが強すぎるのだ。
だから俺は彼女たちにこうして懇願することしかできなかった。
「……頼む。もう誰かが傷つくのは見たくないんだ」
九十度に曲げた腰が悲鳴をあげた。
――これは魔王軍襲来の時に聞いた人々の悲鳴と同じくらいの不協和音だった。
地面についた両手が岩場の冷たい感触を伝えた。
――この冷たさは初めて魔王と対峙した時よりも冷たく感じた。
丸い小石がが折り曲げた膝に突き刺さった。
――これは今まで受けた、どんな攻撃よりも痛かった。
「修真……」
「修真さん……」
「シューシン……」
「修真君……」
これが俺に出来る精一杯。それは誠意を見せることだった。
先程まで絶え間なく響いてた炸裂音はもう聞こえない。
あの鳴り止むことを知らなかった怒号はもう聞こえない。
俺に聞こえてきたのは息絶え絶えの仲間たちの声のみ。
「修真君、僕もその気持ちは同じだよ」
「これは必要以上に人を傷つけないための戦いなの」
「修真さん……わかってください」
「シューシン、わかってない」
しかし、すべては丸く収まりハッピーエンド……とはいかなかった。
彼女たちは最後の力を振り絞って立ち上がろうとしている。
彼女たちは戦いをやめようとは考えなかったのだ。
「頼むっ! もうやめてくれ!」
頭をより一層深く下げる。
もう誰でもいい。誰か……誰かこいつらの争いを止めてくれ!
…………。
ドクン。
あれ? 急になんだか意識が遠のていく……。
ドクン。
お、俺はいつもこうだ。肝心なところで――。
× × ×
「な、なんだよ。これ」
俺が見たものは血に染まった岩場。
倒れてピクリともしない仲間たち。
そしてにぶい赤色に光る俺の拳。
「お、俺がやった……のか?」
気がついたら、こうなっていた。
俺は……俺はこんなことはしていない。
知らない。わからない。覚えてない。
だが確かに、ここに修羅場はあったのだ。
……あの時と同じだ。
俺は今、目を塞ぎたくなるような惨状を目の当たりにしている。