難問×疑問
陽子さんからの電話が切れたあと、慌しく部屋を出た瞬間に鳴り響いた玄関のチャイム音。こんな時に誰だよと思いつつ、急いでチャイムの押された玄関へと向かう。
「はいはい、どちらさまですかー」
「あっ、こ、こんばんは、龍之介くん」
「よ、陽子さん!?」
開け放った玄関の扉の先に居たのは、つい今しがたこちらに来ると言って電話を切った相手の陽子さんだった。
陽子さんの住む下宿先からここまでは、歩いて片道20分ほどはかかる。そんな場所に住む陽子さんがものの1分も経たない内に来れば驚くのが当然だろう。陽子さんが実は魔法使いで、テレポートの魔法でも使ったなら話は別だけどな。
「こんな時間にごめんね、龍之介くん」
「い、いや、それは別にいいんだけど、それよりもずいぶん早かったね」
「あっ、それはその……もしかしたらと思ってお家の前で電話をかけたから……ごめんなさい」
俺の驚きと戸惑いを感じ取られてしまったのか、陽子さんはすまなそうに顔を伏せてから更に頭を下げてきた。
「ちょ、ちょっと、頭を上げてよ。元はと言えば俺がドジったのがいけないんだからさ。むしろこんな所まで来てもらってこっちが申し訳ないくらいだよ」
「ううん、私がもっと気をつけていれば良かったんだよ。だから龍之介くんは悪くないよ」
あくまでも俺のことを気遣ってくれる陽子さんの優しさに感涙しそうだが、その優しさが逆に俺の中の申し訳なさを増してきて苦しくなる。ここは手早く用件を済ませて陽子さんを送るのが得策だろう。
「ありがとう。例の物は杏子が預かってるから、どこに置いてあるのか聞いて来るね」
その言葉に『うん』と答えて頷く陽子さんを見たあと、俺はのんびりと風呂に入っている杏子のもとへと向かった。あのあと縞パンは杏子が回収して持って行ったわけだが、いったいどこに保管しているのやら。
「杏子~、ちょっといいかー?」
「ん~? どうしたのお兄ちゃん? 私と一緒にお風呂に入りたくなったの~?」
この妹は開口一番なんてことを口走っているんだろうか。どこの世界にこの歳になって妹と一緒に風呂に入りたがる兄貴が居るってんだ……まあ絶対に居ないとは言い切れないけど、少なくとも俺はそれに該当しない。
二次元妹に対してそう思うことはあったとしても、現実の妹を相手にそんな感情を抱くなど本当に希有なことだろうからな。
「そんなんじゃねーよ。例の下着を陽子さんが受け取りに来たんだよ」
「えっ? あれって陽子お姉ちゃんのだったの?」
「いや、陽子さんのと言うよりも、陽子さんの住む下宿先の誰かのってことだと思う。まあ詳しいことはあとで話すから、とりあえずあの下着をどこに保管してるのかを教えてくれ」
「あ、うん。私の部屋にあるテーブルの上に袋に入れて置いてあるよ」
「そっか、分かった。じゃあ部屋に入らせてもらうぞ?」
「うん、分かったー」
杏子からしっかりと入室の許可を得たあと、俺は玄関に居る陽子さんのもとへと戻ってから下着の在りかを言って杏子の部屋へと向かうつもりでいた。
しかしその時に陽子さんから『できれば自分で取りに行きたい』と言われ、俺は陽子さんと一緒に杏子の部屋の前までやって来た。よくよく考えてみれば女性にとっての下着というのはファッションの一部でもあるのだろうから、見知らぬ他人、しかも男性に触られたくはないだろう。それを考えれば陽子さんに取ってもらった方がいいのは間違いない。
「杏子は部屋の中にあるテーブルの上にあるって言ってたから、そこから取ってね」
「うん、分かった。あっ、これかな」
廊下から部屋の中に入った陽子さんにそう言うと、すぐさまそんな言葉が聞こえてきた。これで謎の縞パン事件は解決、一件落着でめでたしめでたしってわけだ。
無事に縞パンを回収した陽子さんは大事そうに縞パンが入った袋を抱いて杏子の部屋を出て来た。
このあと俺は風呂に入っている杏子のところへもう一度向かい、陽子さんを家の近くまで送ることを告げてから陽子さんと一緒に家を出た――。
「ごめんね陽子さん、わざわざ家まで足を運んでもらって。下着がなかった人にもごめんなさいって伝えておいて」
「う、うん。分かった」
昼間とは違って雨の勢いは更に落ち、今は小さな霧雨のような状態になっている。
雨さえ降っていなければ横に並んで歩くところだけど、さすがに傘を差した状態で横に並んで歩くのは危ないので、俺が前、陽子さんがその後ろにつく形で街灯に照らされている夜道を歩いていた。
連日の雨の影響があるせいか、外を歩いている人の姿はほぼないと言っていい。仕事をしている人たちの帰宅ピーク時間はとうに過ぎているようだし、雨が降っていればなおのこと人通りも少なくなるだろう。そのおかげか静かな雰囲気がとても心地良く感じる。
「――あの……変じゃなかったかな?」
静かな雰囲気を楽しみつつ陽子さんの家へ向けて歩いていると、後ろから小さく呟くような声が聞こえてきた。
「えっ? 変ってなにが?」
いったいなにについて聞いているのか分からなかったので、俺は思わず歩きながら後ろに居る陽子さんの方を向いて首を傾げてしまった。
「だからその……この下着、変じゃなかったかな……縞柄とか子供っぽくなかったかな?」
「えっ? えっと――」
この問いかけにはどんな意味があるのだろうか。いや、それ以上に俺はこの質問に対してどう答えればいいのだろうか……。思わず進めていた足の動きを止めて悩んでしまう。
さてこの場合、全然子供っぽくないよ――と答えるのが正解なのか、ちょっと子供っぽいかも――と答えるのか正解なのか、それとも他に正解ルートがあるのか非常に悩む。
まああの下着を身につけるのがどんな人物なのか――という部分でも答えは左右されるだろうけど、ここで『その下着の持ち主はどんな人?』――なんて聞く勇気は俺にはない。ということはどのパターンであっても乗り切れる選択肢を選ぶのが無難なんだろうけど、その“無難な選択肢”がどれなのかが分からないのだから困ったもんだ。
「――まあその……別に子供っぽくはないと思うよ?」
結局迷った末に答えを出したけど、こう答えておくのがおそらく一番無難だと思える。
「そ、そう? 良かった……」
「良かった?」
「あ、ううん、なんでもないの。気にしないでね」
陽子さんははっとした表情のあとでにこやかな笑顔を見せると、そう言ってからご機嫌な感じで俺の前へと出てから先へと歩き始めた。
さっきの質問にいったいどんな意図や意味があったのかはさっぱり分からないけど、どうやら地雷を踏んだということはなかったようだから良しとしておこう。
霧雨が降り続く夜道を踊るように軽やかな歩調で進んで行く陽子さんの後ろ姿を見ながら、とりあえず縞パン事件が解決をみたことに俺は心から安堵していた。




