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修学旅行×茜

　修学旅行二日目。昨晩はまひろと長話をし過ぎたせいか、朝は眠さで目覚めが悪かった。

「龍之介、起きて」

　枕元で囁《ささや》かれる声に被っていた掛け布団をそっと下げ、薄目を開けて声がした方を見る。

　――あれ……ここは天国か？　目の前に天使が居る。

「早く起きないと遅れちゃうよ？」

　困った様な表情で俺を起こそうと身体を揺さぶる天使。その表情を見ていると、ちょっとした悪戯心《いたずらごころ》が芽生えてしまう。

　俺は下げた掛け布団を両手で掴み、再びガバッと頭の上まで被せた。

「もうっ、寝直さないでよ」

　天使の困った様な声音《こわね》から表情を想像し、思わずニヤついてしまう。

　すると天使は再び俺の身体を揺すって起こそうとしてきた。もう少しこの甘い声を聞きながら優しい揺さぶりに包まれていたいけど、これ以上この愛らしい天使に意地悪をするのも忍びない。

　俺は掛け布団をそっと下げ、ゆっくりと上半身を起こした。

「あっ、やっと起きた」

「おはよう天使」

「えっ？　天使？　どこどこ？」

　俺の天使は天然さんなのか、頭を左右に振りながら辺りを見回している。

「ここに居るじゃないか～」

　両手を大きく広げ、俺は天然ボケをかます天使にガバッとしがみついて抱き締めた。

「ちょ、ちょっと龍之介！？　何してるの！？」

　しがみついた天使からは温かく柔らかな感触が伝わり、甘く爽やかなフルーツミント系の香りが鼻腔をくすぐる。

　その甘美な香りと気持ちの良い感触に、俺は再び夢の世界へと誘《いざな》われそうな感じだった。

「もうっ！　目を覚ましてっ！」

「ほぎゃっ！？」

　バシッと左頬に鋭く強い衝撃が走り、頭の中の霧は一気に消し飛んだ。

「はっ！？　俺はいったい何を……」

　目の前には涙目になったまひろの姿。そして俺はそんな異様な状況が理解できずに焦っていた。

「お、俺……何かしたのか？」

「龍之介の……バカ」

　どうやらまひろが涙目になる様な何かをしてしまったらしい。

　俺はまひろに何があったのかを聞いてみたが、結局何をしたのかは教えてもらえなかった。

　しかし俺に対して怒っているのは確かだったので、朝食後にデザートを献上するという条件を提示する事で何とか許してもらえた。ホントにまひろは優しいよな。

×　×　×　×

　今日は再び長崎を巡り、夕刻になる前にバスで鹿児島へと向かう事になっている。

「大きいもんだな……」

　俺達のグループは長崎平和記念公園へと来ていた。

　ここには後世への平和を願う人々によって作られた像がある。今の世の中も決して平和に満ちた世界とは言えないけど、それでも願い続ける事に意味があるのだろう。

「おっ、あっちにアイス屋さんがあるぜ！」

　渡は勉強よりも食い気が優先の様で、元気にアイス屋さんへと走って行く。本当に欲望に素直な奴だ。きっと悩みなど無いんだろうな。

　みんなで先に走って行った渡に続いてアイス屋へと向かう。そして全員がお好みのアイスを買った後で近場の木陰に座ってアイスを食べ始める。

　九月も終わりに入っているけど、まだまだ季節は夏の様相を失ってはいないからな。

「うん。美味いな」

　チョコミントアイスの爽やかなミント味が口の中に広がり、何とも爽快な気分になる。やっぱり暑い時に食べるアイスは格別に美味い。

　ご満悦な気分でチョコミントアイスをペロペロと舐めながら、入道雲が入り混じる青空を見上げる。

「やっほー！」

　不意に遠くから聞こえてきた声に視線をやると、見知った人物がこちらへと駆け寄って来ていた。

「みんなー、楽しんでるー？」

「おう。当たり前じゃないか」

　にこにこと笑顔の茜を見ながらチョコミントアイスをペロリと舐める。

「あっ、それチョコミント？　ちょっともーらいっ！」

「こ、こらっ！」

　茜は素早く俺の手からアイスを奪うと、そのまま自分の口へとアイスを運んだ。

「んー、冷たくて美味しい～」

「お前なあ……」

「いいじゃない、ちょっとくらい。幼馴染なんだから」

　毎回毎回何かする度に出てくるお決まりのこのセリフ。コイツは幼馴染であるという事がどれ程の免罪符《めんざいふ》になると思っているんだろうか。

「でもさ、それだと水沢さんと龍之介、間接キスだよな」

「えっ！？」

「バーカ。こういうのは間接キスとは言わないんだよ」

　そう。間接キスってのはもっとこう、心ときめくシチュエーションで行われるものなんだ。

「そうなんですか？　だったら私のも一口食べて下さい。はい、どうぞ」

　そう言ってにこやかにアイスを差し出してくる美月さん。本当にこの人は何を考えてるんだか。

「いやいや。俺はいいよ」

「そう言わずに食べて下さい」

　少し頬を膨らませながら、美月さんは口元へとアイスを近付けてくる。俺はやれやれと思いながらも仕方なく口を開けた。

「ダ、ダメ――――ッ！」

「きゃっ！」

　何を思ったのか、茜が美月さんの差し出していたアイスをパクッと口にした。

「あらっ。茜さんと間接キスになっちゃいましたね」

　自分のアイスを食べられたというのに、美月さんはどことなく楽しそうだった。

「おいおい。いくらお前がアイス好きでも、美月さんのまで食べなくてもいいだろ」

「そ、そんなんじゃないもんっ！」

　慌てて冷たいものを口にしたからか、右手で頭を押さえながら言い訳をする。

「じゃあどういう事だよ」

「そ、それは……」

「美月さんが持ってたアイスを食べたかっただけなんだろ？」

「ち、違うもん！　龍ちゃんのバカー！」

　茜は真っ赤に顔を染めると、一言そう叫んでから走り去って行った。

「あ、茜！？　もうっ、鳴沢くんの馬鹿！」

　真柴は俺にそう言い残すと、慌てて茜を追いかけて行く。

　茜に馬鹿呼ばわりされる意味も分からんが、何で真柴にも言われなきゃいけないんだ。

「なあ渡。俺何かマズイ事した？」

　じとーっとした目で俺を見ていた渡にとりあえずそう聞いてみた。

「はあっ……一番マズイのはお前の感性かもな」

　大きな溜息を吐いた後、渡は呆れた様な表情を浮かべて俺を見てきた。

　それにしても渡の言っている言葉の意味がさっぱり分からん。やはり渡に聞いたのは間違いだったんだろうか。

　そして俺達は真柴が戻って来るまでの間、静かに木の下で時を過ごしていた。