色褪せた×思い出
まひろの携帯電話選びにつき合った日から数日が経ち、俺は高校時代最後のゴールデンウイークを迎えていた。
「杏子、準備はできたか？」
「ＯＫだよ」
「よしっ、そんじゃ行くか」
陽が昇り始めたばかりの時間帯、それぞれに２日分の荷物を詰め込んだ鞄とキャリーケースを持ち、杏子と一緒に自宅をあとにする。
今から３日前の夜、田舎に住んでいるじいちゃんから電話で『久しぶりに顔を見たい』と言われ、ちょうどいい機会だからと２日間だけじいちゃんの家に泊まりに行くことになり、こうして出かけていると言うわけだ。
まだ陽が昇り始めて間もない時間ではあるけど、爽やかに感じていた春の空気も、段々暑さと湿気を帯びたものに変わってきている。そんな中を杏子と一緒にてくてくと歩きながら、目的の最寄り駅へと向かって行く。
「そういえば、美月お姉ちゃんは昨日の夜に出かけたんだよね？ どこに行ったの？」
「ああー、そういえばどこに行くのかは聞いてなかったな。『２日ほど留守にします』としか聞いてないや」
「お兄ちゃんらしいね」
そう言いながら呆れた感じの苦笑いを浮かべる我が妹。まあ気持ちは分からないでもないけどさ。
「そんな顔するなよ。別に留守にすることが分かってるんだからいいじゃないか。桐生さんも声優さんが開催するワークショップに泊りがけで参加するって言ってたしさ」
「まあそうだけどね。それにしても、おじいちゃんたちに会いに行くのは久しぶりだよね」
「そうだな。最後に会いに行ったのはいつ頃だっけ？」
「お兄ちゃんが花嵐恋学園に合格して入学するまでの間じゃなかったかな。確か春休みだったと思うよ」
「もう３年近く会ってないのか……」
俺としてはそんなに年月が経っていたようには思っていなかったけど、杏子の言葉を聞くと本当に長い間会っていなかったことを思い知る。
じいちゃんもばあちゃんも、小さな頃から本当に俺と杏子を可愛がってくれてたし、色々な遊びや知恵を教えてくれた。時には怒られることもあったけど、本当に優しい人たちだ。
「杏子、じいちゃんたちへのお土産はなんにしようか？」
「うーん……とりあえず駅に向かうまでの間でじっくりと考えてみない？」
「そうだな。じっくりと考えて２人が喜びそうなお土産を買って行こう」
「うん！」
少しずつ陽が高くなって町を明るく照らす中、２人でお土産の内容をあれやこれやと考えながら駅へと向かって行く。
× × × ×
お昼を迎える少し前にじいちゃんたちの家に着いた俺と杏子は、久しぶりに会ったじいちゃんとばあちゃんとの談笑を楽しみながら昼食を終え、そのあとで杏子と一緒に散歩に出かけていた。
「やっぱりこっちはのんびりしてる感じでいいな」
「そうだねえ」
ぽかぽかとした陽気が心地良く、そよそよと吹いてくる風が肌を撫でるように過ぎて行くのがたまらなく気持ちの良い昼下がり。
田舎とは言っても、周りになにもない絵に描いたような田舎とは程遠いけど、それでも地元とは違って静かでいい。たまにはこんな風に静かな中を散歩するのも悪くはないと思える。
そんな中を杏子と一緒にてくてくと歩きながら、昔の記憶を頼りに懐かしい場所を点々と巡って行く。
「――あっ、お兄ちゃん！ この沢まだ残ってるよ」
「おー、まだあったんだな、この沢。でも、昔よりは小さくなってないか？」
「えー、そうかな？ こんなものだったと思うけど」
「そうか？ 昔はもっと大きかったと思うけどな」
「うーん……多分お兄ちゃんが大きくなったから、相対的に沢が小さく感じるだけじゃないの？」
「ああー、なるほどな。もしかしたらそうなのかもしれないな」
いつもじいちゃんたちの家に来た時には、必ずと言っていいほど遊びに来ていた小さな沢。杏子と一緒にサワガニやアマガエルなどを捕まえていたことを思い出す。
あの時はひたすらに遊ぶことが楽しかった。妹の杏子と兄妹としての繋がりを深めることができたという意味でも、この沢は思い出深い場所だ。
「そういえばお兄ちゃん。昔こっちに住む人と友達になった――って話をしてたことがあるけど、その人とはもう会ってないの？」
「えっ？ 俺そんなこと言ってたっけ？」
「うん。私が小学校二年生の時に話してくれたもん。『去年の夏休みに田舎で友達になった子が居るんだ』――って」
「よくそんな昔のことを覚えてるな」
「もちろんだよ。だってお兄ちゃんが話してくれてたことだから」
「杏子の記憶力には脱帽だな」
もう随分と昔のことだから記憶も色褪せているけど、そう言われると断片的にではあるが色々なことを思い出してくる。
確かその話を聞かせたのは、俺が小学校三年生になってから杏子と一緒に暮らし始めてしばらく経った頃だったと思う。
あの時はようやく杏子と打ち解け始めた頃だったから、調子に乗って色々な話をしていた気がする。
今思えば余計なことをペラペラと喋っていたような気もするけど、今更そんなことを後悔しても遅いので、そこは深く考えないようにしよう。
それにしても、思い出そうと思えば案外色々なことを思い出せるもんだなと、そんな風に思いながら他の出来事も思い出そうとする。
あれっ――そういえば杏子の言っていた“こっちの友達”って、どんな子だったっけ？
「なあ杏子、その時に話してたこっちの友達ってどんな子か覚えてるか？」
「えっ？ 確か同い年の女の子だって言ってたよ」
「同い年の女の子……」
そう言われてその時のことを思い出そうと、深く意識を集中させていく。記憶の奥底に取り残されたその思い出を引き出すために。
