本当の自分×告白の時
自分のことについて話をするタイミングは、正直今までの中で結構あったと思う。
でもそれをできなかったのは――ううん……それをしなかったのは、単純に私が臆病だったからとしか言いようがない。
「失礼します」
二年生の修了式を1週間後に控えた放課後。
私は人目を忍ぶようにして花嵐恋学園の保健室へとやって来た。宮下先生に聞いてほしい話があったからだ。
「ん? おお、涼風か。どうした? また具合でも悪くなったのか?」
「――今日は宮下先生にお話があって来ました」
引き戸を開いて保健室の中に宮下先生以外の誰かが居ないことを確認した私は、室内へと入ってから宮下先生の前まで来てそう言った。
「……そうか。では隣の談話室へ入りたまえ。話はそこで聞こう」
宮下先生はそう言うとサッと席を立ち、隣の談話室へと入って行った。
いつもならそのまま話を始める宮下先生だけど、わざわざ隣の談話室へ来るように言ったということは、私の雰囲気でなにかいつもと違うことを察してくれたのだと思う。
「失礼します」
大人としての気遣いを見せる宮下先生に感謝をしつつ、私は談話室への扉を開けて中へと入った。
「まあ座りたまえ」
既にソファーに座って待機していた宮下先生の言葉に頷いた私は、言われるがままに指し示されたソファーへと腰を下ろした。
「で、今日はなんの相談があるのかね?」
私がソファーへ腰を下ろすと、宮下先生はなんの遠回りもすることなく、話の核心を聞いてくる。
こちらとしても遠まわしな問答をするつもりはなかったので、私は率直に話の要点を口にした。
「自分たち兄妹について、大切なことを告白しようと思っています」
「……それは鳴沢たちだけに向けてということかね?」
「最初にこのことを話すのは龍之介くんになりますけど、私は自分の偽らない姿で残りの1年を過ごしたいと思っています」
「そうか。それが君の下した決断だと言うのなら、私はそれでいいと思うぞ」
「はい。でも、凄く不安なんです……もしも本当のことを話してみんなに嫌われてしまったらと思うと、今でもこのままの関係でいいんじゃないか――って思ってしまったりもするんです……」
バレンタインの日、私は龍之介くんに手渡した紙袋に1枚のメッセージカードを忍ばせていた。
そのカードには、“修了式の日の午後15時、海世界の大パノラマ水槽の前で待っています。誰にも言わずに1人で来て下さい”――とのメッセージを認めていた。私とまひるのことについて本当のことを話すためだ。
けれどそれを龍之介くんに手渡して以降、私はずっと迷い続けていた。本当に真実を話していいのか、今までの関係を続ける方が良かったんじゃないのか、本当のことを話したら、龍之介くんたちを凄く傷つけてしまうんじゃないか――そんな色々なことをたくさん考えてしまっていた。
私のついている嘘は、絶対にいつかはばれてしまう嘘。いつかは絶対に告白しなければいけない嘘。
仮にこの嘘を告白せずに済む方法があるとしたら、それは龍之介くんや茜ちゃんたちとの関係を絶つくらいしか方法が思いつかない。
でも私は龍之介くんや茜ちゃんたちと、ずっと仲良しでいたい。だから私には、みんなに嫌われる可能性があっても本当のことを話すしか道はない。そうしないと切り開けない未来があるから。
そう思って決断したことではあったけれど、やっぱり怖いものは怖い。
だからこうして私の内情を知る宮下先生に、心の中にある不安なんかを吐露しに来たというわけだ。
「涼風のその気持ちは分からないでもない。しかし君は、自分を偽り続けることが嫌だったのだろう? だからずっと真実を話したいと思っていた。その機会を窺っていた。そして君は真実を話す決断を下した。いったいなにが切っ掛けになって君がその決断を下すに至ったかは分からないが、少なからず君の中に居るもう1人の自分に触発されたのは間違いないのだろう?」
「はい……」
私は宮下先生の言葉に小さく頭を縦に頷かせた。
自分の中に居るもう1人の自分、涼風まひる。私の中に居る可愛い妹。
その可愛らしい妹に、私は何度も助けられてきた。自分では絶対に勇気が出なくてやれないことを、まひるは代わりになってやってくれた。
だから私は、男性の涼風まひろとしての生活を送り続けることができた。もしまひるが居なかったら、高校生の私は自分の生み出したストレスに押し潰されていたと思う。
もしもまひるが居なかったら、こうして真実を話そうと決断することはなかったかもしれない。
「だったら今は、自分の決断を盲目なまでに信じたまえ。それでも恐れ戦く気持ちを忘れることはできないだろうが、きっと昨日までの自分とは違う、新しい自分と出会うことができるはずだからな」
「新しい自分……ですか?」
「まあ涼風の場合は新しい自分と言うより、本来の自分――と言った方が正しいのかもしれないがな」
「そうですね……そうですよね。ちゃんと本当の自分を見せないといけませんよね」
私は自分に言い聞かせるようにそう言うと、静かにソファーから立ち上がった。
「ありがとうございます、宮下先生。僕――いいえ、私頑張ってみます」
「ああ。君が思うように、君が感じるままにその気持ちをぶつけてきたまえ。そしてその気持ちが相手に伝わろうと伝わらなかろうと、君は胸を張りまたえ。自分の弱い心を乗り越えたのだと」
「はい。ありがとうございました」
私はスッとソファーから立ち上がり、ペコリと宮下先生に頭を下げた。
「別にお礼を言われるほどのことではないさ。悩み苦しむ生徒に、決断するための道を示す――それが私の仕事でもあるからな」
キリッとした笑みを浮かべると、宮下先生は席を立って保健室の方へと戻って行く。
そんな宮下先生を見つめつつ、私はその背中に向かって深く頭を下げた。
× × × ×
宮下先生に相談を持ちかけた日から1週間後。
無事に二年生の修了式を終えた私は、茜ちゃんに誘われたファミレスを用事があるからと早めに抜けさせてもらい、自宅へ戻ってから細かい身支度と白のワンピースへの着替えを済ませ、龍之介くんとの待ち合わせをしている海世界へと向かった。
「――ちょっと早く着いちゃったかな」
時刻は14時を少し過ぎたところ。メッセージカードに書いていた時間は15時だったけど、私は落ち着かなくてかなり早めに海世界へと来てしまっていた。
とりあえず外でぼーっとして居ても仕方がないので、私はチケットを購入してから待ち合わせの場所にしているパノラマ大水槽の前へと移動を始める。
「ここは前に来た時と変わらないなあ……」
パノラマ大水槽の中で悠然と泳ぐお魚さんたちを見ながら、私は三学期初日の放課後のことを思い出していた。
龍之介くんと2人で行った水族館。楽しい時間に楽しい思い出。そして本当の自分を見せるための決意をした瞬間でもあるあの日。
思えばあれからの日々は凄く長く感じていたけど、こうして当日を迎えると、案外短かったなあとも思ってしまう。
昨日までの自分、偽っていた自分との決別……その意識を強く持つために、私はまだこの時期には少し早いこの白のワンピースを着て来た。
このワンピースを着て外へ出るのは初めてのはずなのに、不思議とそんな気にならないのは、まひるが私の代わりにこれを着て外出した思い出が、私の中にあるからかもしれない。
私の心をできるだけ平穏に保つために、龍之介くんとの楽しい思い出を残すためにと、まひるは本当に色々と尽力してくれた。
妹に助けられてばかりのダメな姉で申し訳ない限りだけど、まひるの存在は私の中で大きな支えになっていた。でも、妹に頼ってばかりのダメな姉は、今日で卒業する。
『お姉ちゃん、大丈夫?』
そうは思っていても、心の中にある不安を消すことはできない。
そして次々と不安が溢れ出てくるのを感じていた時、心の中でまひるの心配そうにする声が響いた。
『正直不安でいっぱいだけど、これは私がちゃんとしなくちゃいけないことだから』
ほんの数日前からだけど、まひるとはこうしてほんの少しの間だけど会話をできるようになっていた。
この会話自体が私の単なる妄想だと言えなくもないけど、でも、私はそんな風に思いたくはなかった。
『うん……でも無理はしないでね。いざとなったら私がなんとかするから』
まひるの力強い言葉が、私の不安を少し和らげてくれる。本当にどこまでも優しくて可愛い妹だと思う。
『ありがとう、まひる。でもこれだけは自分でちゃんとやりたいの。それに今までまひるにはたくさん迷惑かけちゃったから』
『私は全然迷惑だなんて思ったことはないよ? だって私、お姉ちゃんのことが大好きだから』
『ふふっ、ありがとう。私もまひるのことが大好きよ』
『えへへっ』
そんなまひるの言葉に、私は思わず表情を緩めて微笑む。
まひると色々なやり取りをするようになってから、なんとなく龍之介くんが杏子ちゃん相手に甘くなっちゃう理由や、表情を緩ませてしまう理由が分かってきた気がする。
そしてそんなやり取りを少しして気分が落ち着いた頃、人も疎らな館内の入口から、一つの足音が響いてきたのに気づいた。
『あっ、お兄ちゃんが来たみたい――』
その足音がなんとなく龍之介くんじゃないかなと思っていると、まひるが確信めいた口調でそんなことを言った。
まさか足音で龍之介くんかどうかを判断できたとは思えないけど、まひるならそんなことができても不思議じゃないかな――と、なぜかそんな風に思ってしまう。
『――お姉ちゃん、頑張ってね』
『うん、ありがとう。お姉ちゃん頑張ってくるね』
心配をかけないように明るくそう言うと、まひるの意識が私の中で薄れていくのが分かった。
そして私はゆっくりと近づいて来るその足音を聞きながら、再びパノラマ大水槽へと視線を向けた。
青い空を飛んでいるように優雅に泳ぐお魚さんたちを見ながら、私はすぐ後ろへと迫っていたその足音の人物へ向け、身体をゆっくりと振り返らせる。
振り返った先に居たのは、まひるが言っていたように確かに龍之介くんだった。どうして後ろから近づいて来ていたのが龍之介くんだと確信したのか、それは今度じっくりとまひるに聞いてみることにしようと思う。
「ありがとう、ちゃんと来てくれて――」
驚きの表情を見せて硬直している龍之介くんに対し、私はいつものように――ううん、偽りのない本来の涼風まひろとしてそう言った。




