優しさ×照れ
人には得手、不得手というものが存在する。
得意な事が無いと言う人は多いだろうけど、不得意な事が無いと言う人間はおそらく居ないと思う。どんなに完璧そうに見える人物でも、ほぼ例外無く不得手があるというのが人間だろう。
なるべくならそんな不得手を他人に晒す事無く人生を送りたいと思うのが普通だろうけど、残念ながら人生はそれ程甘くないらしい。
「遅いな……」
お昼過ぎの歓楽街。俺は陽の光から隠れる様にして映画館の出入口で茜が来るのを待っている。
今日は以前から見たかったシリーズ物のホラー映画を見に来たのだけど、今からとある不安が拭えずにいた。
「龍ちゃーん!」
「遅いぞ茜」
「ハァハァ……ご、ごめんね。ちょっと準備に時間かけ過ぎちゃって」
映画館がある歓楽街は俺や茜の自宅からそう遠くない。だからカジュアルな格好でいいはずなんだけど、茜はなぜか頭の天辺から足のつま先までしっかりとめかし込んでいた。
「まあとりあえずいいけどさ。ところで茜、そんなにめかし込んで来てどうした?」
「えっ? 似合ってないかな……」
途端に不安げな表情を浮かべながら自分の服装をチェックし始める。
――別に似合っていないという意味で言ったわけじゃないんだけどな。
「いや、似合ってるぞ。いつもの茜とはえらい違いだ」
「何だか含みのある言い方に聞こえて素直に喜べないんだけど?」
そう言って餌を詰め込んだハムスターの様にぷくーっと頬を膨らませる。
いつもの茜はわりとボーイッシュな感じの服装が多いのだけど、今回はギンガムチェック柄の可愛らしいワンピースを着ていて、簡単に言ってしまえば女子だという事を強く意識してしまう様な格好をしているわけだ。
そんな茜をこうして改めて見ると、茜も可愛らしいところがある女子なんだな――と、ついそんな風に思ってしまう。
「そのまんまの意味だよ」
「むうーっ!」
心の内を悟られないようにぶっきらぼうにそう答えると、茜はより一層不満げに口を尖らせた。
茜には悪いが、思った事を素直に口にはできない。調子に乗らせてしまう可能性が高いからな。
「それよりも本当にいいのか?」
「も、もちろんだよっ!」
茜に対する最後の気遣いも呆気なく無駄に終わってしまった。なぜここまで茜の事を心配するのかと言うと、俺が抱いていた不安というものに直結する。
それが何かと言うと、茜はホラーが超のつく程苦手なんだ。つまりこれから一番苦手なホラーを見て震え上がろうというのだから、俺にはその思考が理解できない。
そんな事を思いつつ茜の足もとを見ると、その足が小さく震えていた。
「足が震えてるぞ」
「む、武者震いよ!」
――どう見てもそうは見えないんだが……。それよりも武者震いって、コイツはこれから何と戦うつもりなんだか。
大丈夫そうには見えない青ざめた表情の茜を引き連れて建物の中へと入って行く。
茜は一度こうなると頑固だから、絶対に後には引かない。俺は結末が見えたこの先を思い、大きな溜息が出た――。
薄暗い映画館の中では巨大なスクリーンだけが明るい光を放っている。そのスクリーンに映し出されるのは、仄暗い雰囲気の恐怖映像。
「うおっ!」
見始めた映画も中盤へと突入し、次々と恐怖演出がスクリーンをとおして襲いかかってくる。流石はシリーズで一番怖い仕上がりになったと噂されるだけはあると思った。
俺はそんな怖さを純粋に楽しんでいたのだけど、茜は当然そうはいかない。
「ひっ!?」
チラリと横を見ると茜は両手で顔を覆い、少しだけ開けた指の隙間から映画をチラチラと見ている。そして恐怖演出がなされる度に恐怖に震える声で小さく短い悲鳴を上げていた。
そんなに怖いのなら無理して見なくてもいいのにと思うけど、こういう律儀なところは実に茜らしいとも思ってしまう。
小さく息を吐き再びスクリーンを見ようとしたその時、茜が震える手で俺の腕を掴んできた。
「お、おい」
一瞬で左腕をガッチリと掴まれ、動かす事も叶わない状態になった。
通常なら腕を掴んでいる手を無理やりにでも離しにかかるところだけど、ガッチリと掴まれた腕から伝わって来る震えで茜がいかに恐怖しているのが分かる。流石にこの状況で無理やり手を離しにかかるのは鬼畜過ぎるだろう。それにこんな事になるのは最初から予想できていたしな。
「きゃっ! 怖いよぉ……龍ちゃん」
映画の演出に周りから悲鳴が上がる度に茜の身体はビクッと跳ね、腕を掴む手に力が入っていく。正直かなり痛いんで加減してほしいのだけど、今の茜にそれを要求しても対応するのは無理だろう。
それから映画も後半に入り恐怖演出が一層の過激さを増した頃、いよいよ恐怖が最高潮を迎えたのか、茜はついに両手で俺の左腕にしがみついてきた。
しょうがないと思いながらこんな時の為にと用意した物をポケットから取り出し、箱の蓋を開けて中の物を指先で摘まんでから茜の方へと手を伸ばす。
「あっ……」
取り出した物を茜に付け終え、再び映画を堪能しようとスクリーンを見る。その時に小さくだが、『ありがとう』――と言う言葉が耳に届いた。
小さなその声に横を向くと茜は相変わらず目を瞑ったままで震えていたけど、先程よりもちょっとは身体の震えが小さくなっているように感じた。
× × × ×
「おいおい、大丈夫か?」
「う、うん……大丈夫」
約2時間に及ぶ映画が終わった後、俺はフラフラになった茜に肩をかしながらロビーへと出た。
茜の足はまるで生まれたての小鹿の様に小刻みに震え、支え無しではまともに立っていられないくらいだった。
「これのどこが大丈夫なんだか……」
「う、うるさいなー!」
「うぐっ!?」
顔を赤く染めながら横腹の一番痛い場所にピンポイントで肘鉄をかましてくる。
――コイツ……今すぐこの手を離したろか?
とりあえずロビーにあるソファーに茜を座らせると、全ての力が抜けた様に放心状態となった。
「ほら、茜」
「あっ、ありがとう、龍ちゃん」
放心状態だった茜に自動販売機で買って来たフルーツジュースを手渡し、俺は茜の隣に座って甘めの缶コーヒーを口にする。
茜がホラー映画を見てこんな状態になるのはこれが初めてじゃない。だからこそ俺は至って落ち着いているわけだ。
そして茜が復活するまでの間、俺は隣に座ったままで様子を見ながらゆっくりとコーヒーを味わっていた。
「――どうだ? そろそろ大丈夫か?」
「うん。もう大丈夫」
どうやら本当に大丈夫らしく、表情も元の明るさを取り戻していた。
――やれやれ、本当に世話が焼ける幼馴染だ。
「それじゃあ帰るか」
「うん」
そして映画館を後にした帰り道、俺は茜がいかに恐怖していたのかを延々と聞かされていた。
「お前さ、そんなに怖いならホラーなんて見なきゃいいだろう?」
「それはそうだけど……」
「見た後に介抱するこっちの身にもなってくれよな」
「ごめんね龍ちゃん。でも私、ホラーは龍ちゃんとしか見ないから」
「どういうこっちゃ……」
「だって龍ちゃんなら最後までちゃんと面倒見てくれるし、私を置いて帰ったりもしないから」
――それってつまり、龍ちゃんになら何をしてもいいやって事ですかい? いっそのこと映画館に置いて帰って来てやればよかったかな。
そんな事を思いながら会話をして歩いていると、いつの間にか茜の自宅前まで来ていた。
「じゃあな茜。夜中にトイレに行けなくてお漏らしするなよ?」
「だ、誰が漏らすかっ!」
顔を真っ赤にして反論する茜。こんな風に言われると、夜中にホラーなイタズラ電話でもしてみたくなってくる。
「龍ちゃん。夜に怖いイタズラ電話をしようとか考えてないでしょうね?」
「そ、そんな事ないぞ!?」
――くっ……相変わらず勘の鋭い奴だぜ。
「それじゃあ龍ちゃん、またね」
「おう。またな」
「あっ、そうだ! これ――」
茜はポケットから何かを取り出すと、俺の手にそれを握らせてから急いで自宅へと入って行った。
俺は手渡された物をポケットに入れ込み、自宅へと歩き始める。
それから少し歩いて自宅が見えてきた頃、携帯がメールの受信を知らせる音を奏で始めた。ポケットから携帯を取り出して画面を見ると、そこには水沢茜の表示。
――やれやれ、こういう事は本人を前にして直接言うのが筋なんだぞ?
送られて来たメールには、『龍ちゃん、耳栓貸してくれてありがとう。とっても嬉しかったよ』――と書かれていた。
そんな内容のメールを見て小さく微笑みながら茜への返信作業を始め、もう目の前に見えている自宅へと歩を進めて行く。




