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恋愛ゲーム、ですよね?  作者: 雪屋なぎ
中学生 編
95/504

初めてのデート

天ヶ瀬司の着替えが終わるまで、背を向けて立つ。それは楽なようで、少し辛かった。

まだだろうか?衣擦れの音が聞こえるから、まだなんだろうな…。これって私と彼の性別が違っていたら、イベント臭いぞ。流れとしては、ハプニングが起きて大きな音がする、私が振り返る、際どい姿を見てしまう、絶叫して相手が赤面する…だな。

「なぁ、聞かせてくれよ」

「え、何を?」

いかん、女体化した天ヶ瀬司のイベントシーンを想像してた。私の頭は末期に近い?昔、色んなゲームやってきたから癖だよね。多分。

「あの…明智ってやつの事」

「明智くんが気になるの?」

「普通気になるだろ」

「ははは」

確かに今日の彼は明智くんらしからぬ行動だった。普段はクールで真面目一本な人なのに、一体どうしたんでしょうね。

「彼女がいるのに花音を追いかけるし、その…お前の…も、元彼か?」

「まさか」

元彼だなんてありえない。そもそも中学校でお付き合いだなんて私には無縁な話だ。ショタコンではない。

「私が抜けてるから心配して注意してくれる人。例えるなら、お父さんかな」

「は?」

後ろから怪訝な声が上がる。あと兄だと言ってる人もいるんだよ、と話したらどんな反応が返ってくるかな。

「もうたくさん助けられたから、命の恩人に近いかも。中学校入ってから大変な目に遭ってさ」

「どんな目に遭ったんだ?」

違うゲームに巻き込まれ、なんだか分からないうちに、痴漢変態ホイホイとなってました…なんて言えるわけない。

「それより吉岡凛さん、留学しているなんてすごいね」

「おい…話を」

「彼女とはいつから知り合いなの?」

「…俺がいつ知り合ったか気になるのか?」

「うん。その、出会い方とかどうだったのか…教えてほしいな」

一体彼女に何が起きたのか確認できるものなら、しておきたい。

「別に何も無いぞ?例の4年前に会ったくらいで、ここ最近先生に弟子入りしてきたんだ。ピアノの腕だけはいいからな」

「4年前…」

10歳の時、2人が出会っていた。木谷潤と出会うのは中学生の時。

「4年前、何があったの?なんで吉岡凛さんはあなたに夢中なの?」

本来は木谷潤に夢中になるはずなのに、とは口に出せないのがもどかしい。

「4年前、ちょっとしたパーティがあったんだ。まぁ親関連のだけど」

「パーティが」

「ああ。花音と出会った日に父親と話し合いをしたら、出発日を変更されてそのパーティで演奏する事になったんだ」

「うん」

「…花音も呼びたかったよ?でも居場所を知らなかったから、招待状出せなかったんだ」

10歳で大人の主催するパーティに呼ばれるなんて、そんな厳しい事を…連絡先を知られていなくて良かった。

「途中で招待状を落としちゃったから、これも運命と諦めたけど」

ナイス運命。グッジョブよ!

「演奏したら、リンが近寄ってきてピアノを弾くから合奏しようと」

「うん。それで」

「余計なアドリブや練習無しで演奏したくないから断った」

あー、それってもしかして木谷潤に対して浮かぶはずの気持ちが、天ヶ瀬司で培われたのか。

「そうなんだ…」

きっと天ヶ瀬司と合奏したい気持ちでピアノを頑張っているんだろうな。

「気になるか?」

「え、まぁそれは気になるわよ」

私のゲームの大切なライバル女子だもの。ならば木谷潤には申し訳ないけど、吉岡凛を諦めてもらわなきゃ。お調子者の彼ならば、人気者なのですぐに彼女が出来るから気にしなくていいか。うん、攻略数が減ったぞ。

「別にリンは妹みたいな存在だし、一緒に行動するときは他の仲間もいる」

後は水・金・地・火・土・海の6カップルか…。あ、そういえば私、遥ちゃんと気まずいままだった。水原くんとどうなったんだろう?要に探りを入れて貰わないと。

「花音?」

試験の後からずっと距離を置いたままだった。明智くんの件もあり、少し全てから逃避したかった事もあったから、逃げ続けてたんだ。はぁ…駄目だよね、攻略者としてはきちんとメンタルケアも出来なくちゃ。

「花音?」

でもどうしよう、天ヶ瀬司と吉岡凛のカップルは。どう動いていいか分からないし、海外だから何も手伝えない。

「花音?」

「は、はい」

顔を上げれば、目の前に天ヶ瀬司がいた。いつの間に着替えが終わった!?

「大丈夫か?」

「え、あ、うん。なんとも無いよ」

「あんまり考え込むな」

心配をかけてしまったみたい。

「うん、そうよね」

何事も考えすぎるのは良くないよね、思い込みは危険だもの。

「あのさ、携帯は?」

「うん、高校に入ってバイトを始めたら買おうかなって」

「高校に入るまで買わないの?」

「出来るだけ自分で料金を支払いたいのよ」

「へぇ…」

親の負担を出来るだけ軽くしたい。

「ならさ、フリーメールを持たないか?」

「フリーメールを?」

「俺は別にいいけど、電話とかし難いだろ?ならメールでやり取りしようぜ。家にパソコンくらいあるだろ?」

「まぁ、あるけど」

「手紙だと行き違いがあるが、メールならすぐに読める」

そっか、もし何かあった時、彼から相談メールが来るかもしれない。吉岡凛との近況メールが届いたりも…。

「うん、メル友になろう!!」

「お、おう」

さり気に話を聞く事が出来るかもしれないし、天ヶ瀬司と主人公・木谷潤と吉岡凛のイベントを彼らで出来るかもしれない。うひゃぁー、2人のキューピットは友人の伊賀崎花音さんですとか言われたりして!

「ふふ、嬉しいな」

「そうか。まぁ、とりあえず元気になって良かった」

天ヶ瀬司がホッとしながら腕時計をはめる。

「俺の携帯でフリーメール取得してやるよ」

「でもそれって…」

「なんだ?」

パスワードや連絡先がバレバレになるのでは…いや、天ヶ瀬司用にすればいいだけの話か。

「ううん、お願い」

「よし、ならアカウントはどうするか」

携帯を取り出した彼がソファーに座り、いじり始める。

「ちょっと、さっきの服はたたまないの?」

「別に、後でカバンに放り込むし」

「きちんとたたんだ方が入れやすいしコンパクトになるよ」

なんだかぐしゃっとした服が嫌だったので、適当に軽くたたむ。

「サンキュ」

服を触られても気にしない人のようだ、気になる人はすごく嫌がるからな。

「バッグはそれだから」

「普通スーツ用のハンガー付きバッグじゃないの?」

「あ?面倒だからそういうのもまとめてバッグに入れてる」

「くっ」

良く見ればバッグの側にスーツ用のバッグが…。普通こういうのってきちっとしないの?

「それじゃ、スーツ用に入れとくね」

「ああ」

ああ、じゃないだろ。吉岡凛ってこいつのこういう所知っているのかな…確かにバイオリンを演奏する姿は格好良かったけど、こうズボラっぽいとこ見ているのかな。部屋の隅にあったハンガーラックに掛けて服を片付ける。

「はい、終わったよ。アドレス取得できた?」

「アカウント名が…」

「別に何でもいいよ」

「花音の後に何か好きなスペルを」

ふむ。そうだなぁ、どうしようか。彼に近づき携帯を覗き込む。

「もう入力してるじゃない」

「うわっ、ビックリした」

「あ、ごめん。近づきすぎた?」

「べ、別に。終わったんなら隣に座れよ」

おいおい、少なくとも片付けてあげたんだからお礼くらい言おうよ。

「はいはい」

「ハイは一回だろ?シンが聞いたら煩いぜ?」

その真行寺さんに会う事はもうないと思うので大丈夫です。

「もう何か入力してたみたいだけど、それじゃ駄目だったの?」

言われるように彼の隣に座る。すると携帯を隠すように少し傾けられた。

「ちょ、ちょっと待て。試しに入力したもんだから」

「私は気にしないから、大丈夫だよ」

「…バカにしないか?」

「もちろん」

一時的に使用するアドレスなのだから、全くもって問題は無い。

「これだぞ」

携帯を印籠の様に見せられたので、遠慮なく覗いた。

「ふむ…かのん…ハイフンの…め、merfolk?」

画面に『kanon-merfolk@XXXX.XXX.XX.XX』と表示されている。

「言い出したのは俺じゃないぞ?レオンだ」

「へー」

「リンとの仲を疑われたんで、咄嗟にお前の話をしたんだ」

「え…と、うん」

「そしたら大仰に頷いて話を回りに…」

よく分からないが、彼もまだ中学生。音楽に集中したい、色恋沙汰はまだ控えたいという事かな。なので私をスケープゴートに…ちょっと前の私と同じ状況だったのか…気があうね。

「大丈夫、私の名前をじゃんじゃん使って」

「え」

「もし必要なら熱烈愛情メールも送って辻褄あわせしてあげるよ」

「いいのか?」

「問題ない」

遠距離になるので、私との仲を疑いに確認しに来る人なんて皆無だろう。ふふ、役に立てるなんてちょっと嬉しいね。

「別に辻褄あわせなんか」

「必要があれば、だよ。深く考えない、考えない。今は勉強お互い頑張りましょ」

「おう」

こうなれば私も彼の名前を利用させてもらおうかな…好きな人は、じゃない、憧れの人は天ヶ瀬司くんです!って。明智くんの誤解も解けてハッピーになれるかも?

「ん?」

あれ、そしたら吉岡凛が誤解しないかな…諦めて傷心、ピアノを止めて日本の学校に戻ったりとか…!!

「吉岡凛さんは?」

「あ?」

フリーメールの登録を続ける彼に聞いてみる。

「彼女は天ヶ瀬司くんが好きなんでしょ?」

「さっきから気になってるんだけどさ」

「うん」

「なんでフルネームで俺を呼ぶ」

「…なんとなく」

一個の固有名詞みたいなものだから。

「司でいい」

「ええええ!」

「…そんなに驚くことかよ」

「普通、天ヶ瀬くんからじゃないの?」

「今更だろ。なんで親父の名前と同じ呼び方にさせんだよ」

それはご家族だから、ファミリーネームが一緒なのは仕方ないじゃん。ゲームでも最初は司なんて呼んだ日には無視だよ?

「司さん」

「なんか他人っぽい」

「司くん」

「それ、リンに呼ばれているようでやだ」

「つかぴょん」

「俺は蛙か何かか」

「つっしー」

「嬉しくない。恐竜か何かのゆるキャラっぽくて嫌だ」

はぁ、と私はため息をつくとしょうがなく呼んだ。

「司…は無理だよ。せめて君付けて呼ばせて?」

「しょうがないな、じゃあ我慢する」

何が我慢なんだか…。まぁ頻繁に会うこともない人物だし、問題は少ないから大丈夫だろう。

「登録が終わった。このアドレスとパス無くすなよ」

控え室備え付けのメモ帳を一枚破ると、テーブルの上で文字を書いていく。書いている様を見つめていると、どうも指先を見てしまう。指が長くて、爪が整っていて、ふと自分の手と見比べて落ち込む。色も彼の方が白く、マネキュアも彼の方が似合いそうなくらい綺麗な爪の形をしている。

「ほら」

書き終わったらしく、顔を上げてメモを渡された。

「ありがとう」

「じゃどこに行こうか」

携帯をジャケットの内ポケットに入れ笑いかけられる。

「今日はクリスマスだから、どこも一杯だとおもうけど…行きたい所ある?」

「なら、花音の町に行きたい」

「私の町?」

「ああ」

「それは別にいいけど…周りは工事ばかりで海辺も少し変わったよ?」

「そうなのか?」

あの沿岸部分はレンガ道になって整備されたんだ。もし過去の場所と思って行くと寂しく思ってしまうかも。

「うん」

「そうか…なら思い切って行こうかな」

「しかも寒いよ」

「冬だから当たり前だろ」

「ごもっとも」

「まぁ、その…寒かったら俺の手を掴んでればいいし」

「え?」

「ほら、俺は体温高いから温めてやれるから」

頬を赤らめて言わないで、可愛らしいから。いや、これはモテ男を意識しての行動?ならまだまだ板に付いていないぞ。

「荷物はどうするの?」

「あ…そっか。一旦家に寄ってから行くには時間が」

「なら明日改めてにしようか」

彼の家がどこにあるのか分からないので、時間の計算が出来ないけど遅くなるのは分かる。

「あの付近、夜はあまり治安良さそうに思えないから」

しまったなぁ…今日は眼鏡を持参していないから、危険レベルが高くなってしまう。出来ればこの場で解散して、明日にしてほしい。

「分かった。今日は俺んちで話そう」

「無理」

「なんで無理なんだよ」

あまり深く係わらないようにしたいからです、下手に近づいて変に覚えられることを避けたいから。

「ほら、私にも門限が…弟の面倒を見なきゃいけないの。それに家族とクリスマスを楽しむ約束もしたし…」

「分かった。なら俺が花音の家に行く」

「ええっ!」

「俺んちかお前んちか、選べ」

究極の選択を押し付けてきたな、突然の訪問は迷惑なんだぞ?

「あんまり悩むなよ。ただ、話がしたいだけなんだ」

「なんで?」

「実質お前と会った回数は二回で、居た時間も一日に満たないだろ?」

「ええ、まぁ」

「色々話してお前を知りたいんだよ」

「友達になりたいと?」

頭を捻りながら聞けば、ぷいと顔を背ける。

「まだなんとも言えないね。お前のこと、良く知らないし」

「あーあ-、なるほど!そういう事ですか」

なんだなんだ、友達がほしかったのか。

「なら私の家でいいよ。自慢の弟に会わせてあげる」

「お前、弟居るのか?」

「うん。もう可愛くて目に入れても痛くない子よ」

「すっごい可愛がってんな」

「司くんも会ったら分かるよ、抱き寄せたくなるね、絶対」

「俺がお前の弟を?」

嫌そうな顔をしているが、年齢を知れば変わるだろう。だから内緒にしておこうっと。サプライズのようで、少し楽しみだ。

司くんは荷物をまとめると、片手で持ち背中に抱えた。私も脱いでいたコートを着ると、一緒に控え室を出る。

「そういえば今日は先生を交えて反省会とかしないの?」

「後日レポートを提出させられて、みんなと円陣を組みながら話し合う」

「後日なの?」

「先生、明日の演奏会で忙しいからな」

「そっか。でもなんで私に招待状を出そうと思ったの?」

「おい」

あ、なんかお怒りモードになりそう。なので急いで言葉を濁す。

「今日じゃなくて、4年前の件で」

「4年前?」

「うん。私にも招待状を送ろうとしたって…会ったばかりの子にどうして」

そんな事言ってたよね、使わせてもらおう。

「お前に俺の演奏を聞かせたかったんだと思う」

「私に?」

「ああ。国内でもトップクラスの俺に挫折するだの、一位になれないだのひでえ事ばかり言うお前に俺の凄さを見せ付けたかった」

「ご、ごめんね」

考えてみたら、初対面でそんな発言、激昂されても仕方ない。なんて失礼なガキだったんだ、私は。今から土下座して謝罪したい。

「まだ小学生だったんだから、世間を知らなかったのよ。今なら言えるよ?司くんが凄くて素晴らしい演奏家だって」

「ふん、お世辞は止せよ。自分の力くらい自分で分かってる」

ずいぶんストイックになったなぁ…これが成功の秘訣なんだろうか。

「さ、どうやってお前んちに行く?タクシー?電車?」

「…電車で」

「おう」

建物を出て、最寄の駅に向かう。最近のニュースの話をしながら、電車の事を思うと少し気が重い。なぜなら、痴漢体質になって初の変身眼鏡無し電車だからだ。

「ふぅ…」

「疲れたのか?」

「ううん、大丈夫」

切符を買いながら少し息を吐いてしまう。頼みます、神様!少ない、空いている電車でありますように。必死な気持ちで祈りつつ、ホームで電車を待つ。

「本当に大丈夫か?顔色悪いぞ」

「うん、大丈夫」

頭の中は、空いてる電車、空いてる電車と祈りを込めて…と言うより呪いを籠めるように呟いている。

「お、電車が来たぞ。楽器があるから空いているといいな」

「うん、本当に」

電車がホームに入ってきた。窓から中を覗く…。

「よっしゃ!」

「花音?」

「あ、いや、空いてて良かったなって」

「あ、ああ、そうだな」

恥かしい所を見られてしまった、と照れながら電車に乗り込む。残念ながら席は空いていなかったので、反対側のドアに立つ。

「荷物重そうだね、スーツ用のだけでも持とうか?」

「別に。もっと重いもの持たされたことあるし、コレくらいなら平気」

「そっか、大変だねぇ、音楽従事者も」

「まぁ、好きで進んだ道だしな」

親に言われて進んだ道、じゃなくなってる。そっか、お父さんと話し合ったって言っていたから、自分で何か納得できたのかも。

「いいね、そういうの」

「何が?」

「私も好きでやっている事があるし、目標を掲げているから」

「へぇ、お前が。何を?」

「そりゃ秘密でしょう」

「秘密にするようなもんなのか?」

「まぁ今はね」

「ならいつか教えてもらえるんだ」

「高校卒業のときかな、それは」

「ずいぶん先の長い話なんだな」

「まぁ、他人の人生が掛かってるから」

「それまた壮大な」

「壮大なのよ、とてもね」

いつかみんなに話せる時がくればいいのにね。本気でそう思う。

「こっちに立てば。また人が乗ってきた」

「ありがとう」

扉側に寄り添った。

「詰めなきゃ邪魔だろ」

「そうだね」

あと数駅で着くので、警戒が抜けない。

「司くんの最寄り駅はどこなの?」

「うん?△△駅だけど」

「けっこう離れているね。なんであの海岸に居たの?」

「俺のばあさんが近くに住んでたんだ」

「住んでた?」

「ああ。俺が三年生の時に亡くなった」

「……」

「気にするな。いつもばあさんが聞いてくれたから、もう一度あの街で弾きたかった」

「外国に行く前に?」

「ああ」

「そっか」

その場に居合わせて申し訳なかったなぁ。当時を思い返して、反省をする。すると、目の前のドアが開いた。ああ、この駅のホームから乗り降りの扉が変わるんだった。扉の端に避けようとして、声を掛けられる。

「邪魔なんだよ!」

おじさんの声に驚いた瞬間、バシッと音が聞こえた。

「ちゃんと彼女は避けてるよ。なぜ叩きに行く」

「どうしたの?」

振り返ると、少し顔の赤いおじさんが拳で私の腰の辺りを殴ろうとしていた事に驚く。おじさんの拳がちょうどその場所で止まっていたのだ。

「え、なんで?」

私に当たらなかったのは、その拳を司くんが手の平で止めていたから。

「降りるから、すぐにどけえ!」

拳を引っ込めると、おじさんは怒鳴りながら降りていく。

「当たればお尻だった。残念?」

馬鹿にするような口調で彼が言えば、マセガキと罵って行った。

「………」

そして扉が閉まる。混乱してしまって頭が真っ白になっていたが、ふと気が付いて彼の手を掴む。

「痛くない?怪我してない?痺れていない?大丈夫?」

「別に。平気」

将来有望な手に怪我をさせてしまったのでは?と思うと怖くてたまらない。私は赤くなった手の平をまじまじと確認した。

「おい、大丈夫だから」

「でも」

「いいから」

「まだ二個先だけど、次で降りよう?冷やすもの探してくるよ」

「もうすぐなのになんで降りるんだよ」

「だって赤いよ」

「そんなやわじゃない。落ち着け」

駅に着いたら冷たいジュースを買おう、そして手に押し付けなければ。彼の繊細そうな手を掴みながら、異常がないかどうか必死に見つめた。


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