主人公
そろそろ帰りたい。けれどなかなか手を離してくれない彼をどうしたものか。誰でもいいから何か言ってやって…って私しかいないのか。ならちゃんと言わなければ。
「もう6時を過ぎたから、帰らなきゃ」
明智くんが使用しているであろう目覚まし時計を見ながら、お願いしてみる。
「そうだったな…早く帰さないといけないと分かってるのに」
彼は立ち上がると、私を引っ張り立たせてくれた。
「だが帰る前に…その…」
「…何かな?」
彼が言い難そうに言葉を濁している。なんて珍しい、どうしたんだろう。
「何かあるの?」
もう一度聞くと、意を決したように顔を近づけてきた。
「抱いてもいい?」
真正面から言われて、ビックリしてしまう。
「は!?だ、抱いてって」
つい一歩下がろうとしたけど、クッションがあるので下がれない。学生のうちの婚前交渉は認めないんじゃなかったのかい?
「さっき思ったんだ。伊賀崎を抱っこしていると空いた胸が埋まった様にホッとする」
ふと弟の馨を思い出した。
「ああ。あー、そっか、そういう事か」
私も弟を抱っこして抱きしめて癒されている。でも彼は家族が側にいないし、抱きしめてくれるはずの親が不在。…聞いてもいいのかな…明智くんの両親はって。でも踏み込みすぎもいけないよね。
「痛くはしない、気をつける。さっきも痛かったか?」
あまりに悩んでいたので、彼が違う勘違いをしてしまった。
「そうじゃなくて…でも、はい」
私は両手を広げて受け入れ態勢を取る。
「抱きしめるだけなら、どうぞ」
「ありがとう」
嬉しそうに抱きついてきた。うう、確かに力は入っていないが、圧し掛かるような抱きしめ方なので海老反りになってしまう。これは少し苦しい…、身長差も考えものかもしれない。今度は踏み台に乗ってからお願いしたいぞ。
「伊賀崎」
「なに?」
充電完了したかな?と思ったけど違った。
「伊賀崎は好きな人とかいないのか?」
「いないよ、それに多分出来ない」
出涸らしの様に私は恋する気力がない。過去で恋に疲れきってしまったのだ。そんなものに回す気力があれば、攻略対象たちの恋愛に回す。
「出来ない?」
「そういう感情が抜け落ちてるとでも思って」
「…そうか」
彼の力がほんの少し強まった。
「ちょ、どうして…」
ふと気が付いて焦る。ちょっと待て!この状況おかしくないか?と。冷静に考えてみて、14歳の男女が抱き合うってただの仲良しに見える?
「あ…」
嫌な汗が出てきそうになった。やばくないですか?これって。万が一押し倒されたら、反撃できない。と言うより絶対勝てないよ!私が男だったら…悔しい。
「あの、明智くん」
「良かった」
擦れた声で囁かれると、嫌な予感ばかりするんですけど!
「本で読んだ。女性は好きな人以外に触られたくないんだろう?」
「へ?…ま、そうだね」
一般的にそうだ、と思う。誰も彼もは無理だな。
「伊賀崎に好きな人がいなくて良かった。出来なくて良かった」
頭を頬ずりされながら、撫でられる。もしやこれは愛玩動物扱い?
「そ、そっか」
おずおずと彼の背を擦ってやる。
「伊賀崎だと安心する」
「それじゃ外国で大変だったでしょ。挨拶がハグなんだから」
苦笑すると、頬ずりが止まった。
「いや、向こうではしても軽くだ。それにあまり日本人にはしない」
そうなのか?実際に行った事が無いので、そこらへんは良く分からない。でも、いつか行きたいな。博物館をじっくり見てみたい。
「…昔の話になる」
「ん?昔の?」
「ああ。小学生の時に、無理やり抱きつかれたが気持ち悪かった」
一体何があった、明智くんの小学校時代。うちの小学校でも男子児童に抱きつく女子児童なんていなかったぞ。だれそれが好きと言う話は聞いた事があったけど、付き合うまでは無かった。
「どんな状況なのそれって…」
「まとわりつかれていたが、無視していたらされた」
「あらら」
それにしても話しかけて駄目なら、抱きついちゃえか…行動力ある女の子だね。
「それで突き飛ばしてしまって…」
あ、なんとなく予想ついちゃった。
「明智くんに責任取れって?」
「良く分かったな」
分かるって、予想通り過ぎて恐ろしいくらい。でも小学生で責任取れって、すごい女の子だな。将来明智くんがどうなるか分からないのに。
「尻餅をついただけなのに、骨折していたらしくてな」
「うわお。目撃者はいなかったの?」
「パーティだったし、そいつが騒いだからかなり人目に付いていた」
小学生でパーティですか。どんな小学生…そうか、こんなマンションを与えられる地位の息子なら、そういう事もあるのかな?
「それにその子の姉が保証してくれた、それが一番助かった」
「なら年下にやられたの?うわー」
おしゃまな子だな、それ。
「だから体を鍛える事にした。飛びつかれようとも避けれるように」
「……それって何歳の時?」
「10歳」
「10歳から鍛えてそんなになれるもんなの?」
今彼の体を触ってて思うけど、無駄な筋肉が付いていない。
「いや、昔からやっていたが、より一層頑張った」
「そうかー、頑張ったんだ。お疲れだったね」
そこまで嫌だったのか、抱きつかれるの。
「急遽開かれたパーティで行かなくてもよかったんだが」
何かを思い出したようで、黙る。
「あの、元気だしなよ」
今度は背中を軽く叩いてあげる。
「ああ。人に抱きしめられるのは、気持ちの良いものだったと分かった」
「ははは、そう?」
「初めてが伊賀崎なら良かった」
「へ?」
そのセリフ、違う場面で男女逆に囁かれません?
「それってどういう…」
「初めて抱きつかれたのが嫌悪すべき相手で悲しい」
……少し気になるぞ、その言い方。
「今まで誰かに抱きしめられたことは?」
「無い」
「え、お母さんは?」
「人前でそんな事はしないし、俺はやるべき事だらけで会う機会も少なかった」
「…そっか」
今度はしっかりと抱きしめ返す。私はお母さん、今は明智くんのお母さんだ。
「でもその事件が無かったら、伊賀崎に会えなかった」
「大袈裟な」
「大袈裟じゃない。嫌な話だが、伊賀崎の為と分かれば寛容になれる」
寛容って…明智くんってばどういう教育を…。
「ありがとう、伊賀崎」
彼はそっと離れると、すっきりした様な表情で感謝を述べた。
「すっかり暗くなってしまったな。送る」
「いいよ、三軒隣だし」
「いや、送らせてくれ。もう少し一緒にいたい」
「はは、そう?」
コートを持ってきた彼と一緒にマンションを出る。ご機嫌だと分かるのはなぜだろうか。いつものように無表情に戻ったというのに。それにしても係わりすぎたかもしれない。そう思ってしまうのは、明智くんの過去を知ってしまったから。小学生まで、誰にも抱きしめられていないというのは一体…。
彼に自宅まできっちりと送られ、家に入ると真っ直ぐに洗面所で手を洗い口をゆすぐ。
「ただいま」
居間に入ると、馨が夕飯を食べていた。
「おかえりなさい、遅かったわね」
テーブルの上には食事の準備が完了していて、お母さんが私を待っていたんだと分かる。そう思うと申し訳ない気持ちと感謝の気持ちと一緒に、これから一人で食事をする明智くんに罪悪感を抱いてしまった。
「ごめんなさい、遅くなって」
そっと弟に近づくと頭を頬ずりしてしまう。これだけで癒されるなんて、赤ちゃんの存在ってすごい。
「何かあったの?」
お母さんが心配して聞いてくるけど、明智くんの家族の話を容易にできなかった。しかも今は1人で住んで1人でご飯を食べているなんて…同じ14歳でこうも違うとは。お金持ちの事情は分からないけど、簡単に話せない。
「ウチは、お父さんとお母さんと馨が側にいてくれるので嬉しいなって」
食事の邪魔をされたと思ったのか、弟が私から離れようとする。今は我慢するけど、後で抱っこさせてね、と名残惜しく離れた。
「なら花音も寂しい思いをさせない人になってね。さ、ご飯にしましょう」
「うん」
ゲーム内ならモブとして存在している人達。普段なら気にしないし気を掛けようにも係われるコマンドすらない。なのにこんなに仲良くなって彼らの日常に係わっている。ゲームでなら休日やイベント以外、ボタン1つで一気に進んで行くのにね。
「本当に現実なんだなぁ」
「なぁに?」
つい声に出してしまったので、お母さんが反応してしまった。
「いや、ゲームの世界だったら人生楽だったのかなって」
「いやねぇ、花音ったら」
「世の中複雑な事ばかりだから、単純明快に決められたらなと思っただけなの」
ため息をつけば、ふふふと笑い返される。
「他人事なら単純に思ってしまうかもね。でもいざ本人になったら複雑じゃない?」
「う」
まさしくその状況なので、言葉につまってしまう。
「ゲームなんて若い頃しかやってないけど、主人公には絶対なりたくないわね」
お母さん、まさしく私はそれです。なんか主人公らしいです。
「絶対なりたくないってそんな酷いな…」
「あら、確かに目立って凄かったりするけど、主人公って苦労するものだから嫌じゃない?」
「…ソウカナ?」
苦労、私苦労してるのかな。
「色んな事に巻き込まれて解決を迫られ、知恵を絞り努力してエンディングを目指す」
やっぱり苦労するの決定なの!?……今までを思い返して、物語が始まっていないけど巻き込まれてばかりの人生である事は確かだった。
「ちなみにさ、お母さんのやったゲームはどんなの?」
「RPGよ」
おおう、過去で私もやった事ありましたよ。
「無力なうちから勇者と祭り上げられて、いい様に戦わせられるゲームだね」
現実にあったら、体のいい生贄だ。本人の資質とか言うけど、1人に全部任せてお願いするのは駄目だと思う。しかも支援は最初の一回だけ!ものすごく安い依頼料だよね。…はっ、もしや勇者達が家捜ししても捕まらないのは、王様の手回し?王様もバックアップしたから、国民達もそうするようにと。そういう事なのかしら?
「けっこう辛辣な批評ね、その通りだけど」
「だよね」
これでも1つのゲームを背負ってますから。もう1つ登場させてもらっているゲームも在るみたいですが、認めていません。攻略なんて絶対されたくないし、されないから無いと感じてもいいよね。
「……ゲームって主人公がいなくなったらどうなるのかな」
「そうねぇ。話が進まないから、ゲームが終わらないんじゃない?」
少しゾッとした。終わらない物語ほど怖いものはない。
「ん?」
いや、RPGなら物語が進まないだろうけど、私の場合は強制的に日にちが経つのでいなくても大丈夫かも。でもちゃんと進むかなぁ?国民的長寿アニメ番組のように永遠と一年が繰り返されていくのは嫌だから、念の為にゲームの高校に入ろう。一生弟が成長しないのは悲しいので、頑張らなきゃね。
でもそうなると氷室くんのゲームはどうなるのかな?私のゲームに引っ張られて時間が進めばいいんだけど。
「ほーら、馨。よだれがスゴイぞ?」
彼のガーゼで口元を拭うのを嫌がられた。うう、昔はにこやかな笑みを返してくれたのに、寂しい。こうやって過ごしていると現実だと思えるけど、ふとした瞬間ゲームだとも思えてしまうから困惑する。
「幸せって難しいなぁ」
「お母さんは今幸せよ。花音は違うの?」
「うん、私も幸せなんだけどね」
意味が違うんだ、意味が。知り合い達が楽しい学校生活を笑顔で過ごしてもらう事に悩んでますといいたい。
「悩むうちは花だから、十分に悩みなさい」
「えー」
「悩めず選べずじゃないんでしょ?」
選べず…ふと江里口くんを思い出す。
「そうだよね、一番いい方法を選べばいいんだよね」
「ほらほら、馨も心配してるわよー。お姉ちゃん元気出して」
お母さんが弟の腕を取り、左右に動かす。
「うあ」
ご飯を食べて満足した彼は、椅子から降りたがっているようで、立派な足を伸ばしてテーブルを蹴った。
「ならおねえちゃんと遊ぼうかー。お母さん先に食べちゃって」
「お言葉に甘えちゃおっかな」
私は馨を抱っこすると、思う存分癒しを堪能する。明日の為に充電しないと気力が足りないからね。抱きしめると明智くんを思い出した。私なんかで本当に充電できたのだろうか…。これから彼にもっと親しい人が出来れば、私以外も大丈夫になるかもしれない。愛梨ちゃんも試して欲しいと思うけど、まだまだ彼女にはハードルが高いだろうな。どうしたもんだろう。
「うー、あ」
「なぁに?馨」
「あーあー」
抱っこより下でおもちゃを触りたいらしい。
「ならつみきで遊ぶ?」
抱っこが中断され、すぐに下ろさせられたけど弟と一緒に遊んで楽しんだ。
ジジッと耳鳴りがして、たくさんの声に包まれる。でも何を話しているのか聞こえない。一斉に話すので聞き取れないのだ。膨大な音に溺れそうになった瞬間、静寂が訪れる。
「伊賀崎さん、ごめんね」
江里口くんが現れて謝ってきた。
「コレは用意していたものだから現状が良く分からないけど、多分ミスったんだろうね。やっちゃったか…残念」
こめかみを人差し指で掻きながら、ハハッと自嘲する。
「今手掛けているものはかなり大規模なものだけど、永久的なものじゃないんだ」
なんと言ったら良いものかと悩む。
「成功していて君にかかる悪意が少しでも消えているといいな、でも用心してお守りは身に着け続けて」
それから、と真正面をむく。
「あまり話すと引っ掛かる可能性があるし、禁止ワードで迷惑がかかるかもしれないので、全部話せなくてごめん」
斜め下に視線を投げ、悲しそうに話す。
「でも僕の弟子になりたいって言われた時、すっごく嬉しかったよ」
そのまま俯かれたので、表情が読めない。
「つい君の為に場まで用意しちゃって…へへ、接続しすぎだってね」
ほんの少し黙って、また呟く。
「僕の事、忘れないで、また側へ行くから」
プチンと切れて、砂嵐のような音が響く。
「ゴメン、見つかった」
暗闇の中、声だけが聞こえる。
「君の頬を通じてアクセス権の優先を流したけど、いつまで効くか…」
焦っているのか、早口だ。
「僕の事は口外しちゃいけない、補強を全部消される。お守りも鍵も眼鏡も力も」
そしてポツリと。
「心配してくれてありがとう……あと、頬っぺた柔らかいね」
「なんじゃそりゃ!」
つい声を上げてツッコミをしてしまった。頬を伝う汗で少し驚いてしまう。冬なのに、めちゃくちゃ寝汗がすごい。
「今の、夢?」
かなりリアルで…辻褄合ってる?部屋の電気を付けると明るくなったけど、なんだか変な感じがする。パジャマを脱ぎながら着替えを取り出すけど、頬だけほんのりと温かかった。
「彼はなんと言ってたっけ」
下着を替えながら江里口くんの言葉を反芻する。
「口外しちゃ駄目かな?…これは明智くんの見解で合ってるのかな」
補強を消されるって、お守りや眼鏡を取り上げられるのは嫌だなぁ。でも鍵と力が分からない。他に彼から貰ったものは無いのだから。
「それともどこかに仕込まれてたり?」
けれどカバンを探っても他のカバンを探してもそんなものは出てこなかった。制服を調べるけど、ポケットにはティッシュのみ。
「もしかして、前の制服の中に?」
少し考えて、それは無いなと判断する。だって、江里口くんが私に黙って制服に何かをなんて考えられない。それとも写真を取られた時に一緒に取られたか。写真を抜き取られた瞬間が分からないだけに、なんとも言いようが無い。もう少し身の回りに気をつかうべきだった。
「本当に私って抜けてるな…もっとしっかりしないとね」
机の椅子に座ると引き出しから写真を取り出す。オリエンテーリングで仲良く5人で食事をしている写真だ。眼鏡が光っている明智くん、まだまだぎこちない笑みの愛梨ちゃん、変な顔をしている氷室くん、照れ笑いをしている江里口くん、そして私。悲しい事なんて何も無くて、ただ楽しく笑って過ごしていた時の写真。
「おかしいな、ほんの少し前の写真なのに、随分前に感じてしまう」
泣きそうになるけど、我慢して写真を机に戻すと電気を消した。
「でも江里口くんの最後の言葉が頬っぺたって…もう…」
なんだか恥かしい…。いつか帰ってきたら、問い質してやろう。もっと違う言葉を残してカッコつけてよってね。キスしたわけでもないのに、照れながら言う言葉じゃない。たかだか頬っぺただよ?
憤慨しながら二度寝をしたら、今度は変な夢を見た。
でっかいピンク色のドラゴンがシャボン玉を楽しそうに食べている。でも全部じゃなくて、選り好みしていた。綺麗な色のシャボン玉をぱくりと食べると、幸せそうに打ち震えて堪能している。
(美味しいのかしら?)
黒い色や怪しげな色は首を振って向こうへ飛ばす。そしてオレンジ色の雲にダイビング。雲はとても柔らかそうで、私もぜひダイブしたい程にふわふわに見える。
幾つかシャボン玉を食べて満足したのか、気分良さげに歌を歌い始めた。綺麗な音で聞きほれてしまう。これはなんて旋律だろう。耳を澄ますと、どんどん音が遠ざかる。あれ?なんか煩い。人工的な音が耳を覆い、目が覚めた。
「目覚ましか…」
布団から手を伸ばし、目覚まし時計のアラームを切る。
「あれ?もう起きる時間?さっき寝たばっかりなのに」
数時間はあったはずなのに、数分しか経ってないような気がするのは何故でしょう。だからまだ眠い気がする。寒くなった空気を我慢して起き上がると、クラリと眩暈がした。
「あれ?」
そして身に憶えのある腹痛に、諦めのため息が出る。
「とうとう来ちゃったか…」




