お母さん
本日も快晴、いいお天気。
お隣の要と日課のランニングから戻ると、すぐにお風呂へ直行だ。運動した後の温かいシャワーは格別で、清々しい日差しがお風呂場を照らす。朝と夜とでは全く違う場所みたいだ。
「少しは筋肉が付いたかな?」
最近は走るのが楽しくてたまらない。息も上がりにくくなってきたので、体の変化が分かって嬉しいのかも。効果が現れると達成感がたまらないよね。
気分良くお風呂から上がると、お母さんが扉越しに声を掛けてきた。
「花音、卵は目玉にする? スクランブル?」
「いいよ、無理しないで」
私は急いで体を拭くと、ジャージを着た。そして急いで廊下に出た私に、お母さんが軽く笑う。
「大丈夫よ、病気じゃないんだから」
「ダメダメ、安定期まだなんだから」
お母さんを追い越し、居間に入るとフライパンを持った。
「でも……」
「いいから、こういうときの娘でしょ。私に甘えて座っててよ」
「そう?」
少し嬉しそうにソファーに座ってくれたので、ホッとする。
なぜなら母が妊娠しているからだ。予定日は11月らしく、私は楽しみにしている。私に弟か妹が出来る。
今から赤ちゃんが楽しみで楽しみで……ちょっと不安。それはゲームの主人公に兄弟がいた話を聞いたことがないから。
もしかしたら、小さすぎて話しに絡まなかっただけなのかもしれない。
こんな時、恋愛シミュレーションゲーム特有の詳細情報を知っていればと何度も思う。ゲーム内では分からなかった人物背景や裏事情等……あるのかどうかは知らないけど。
なので、私が出来ることは出来るだけしたいのだ。母親に何も危険が無いように、赤ちゃんに絶対会えるように、頑張らせていただきます。
「ご飯は炊けてるね、お味噌汁も適当に作るから」
「頼もしいな、花音」
お父さんが起きてきた。
「炊飯器とガスのお蔭でしょ」
時間の通り炊けるなんて、文明の利器って素晴らしい。
……ふと、別のゲームの世界に産まれる可能性もあったのでは? と思ってしまった。恋愛ゲーム以外にも三国志や戦国時代のゲームもシミュレーションなんて大量にある。
「うーん」
嫌だ、戦略的価値のお姫様役も無双なキャラ役も、いやモブ兵士の可能性も捨てきれない。RPGで勇者になるのもきつそうだな……、ゲームだったらセーブして好きな時に遊べるが、リアル勇者は逃げ出したい。名声の為に体を酷使するのも敵を殲滅するのも、私の性に合わない。
あ、ホラーゲームも遠慮したいな。戦闘ゲームなんて絶叫して終わりそう……。
なぜ内容をあまり覚えていない恋愛ゲームなんだと悔しがったが、これで良かったのかもしれない。
うん、神様ありがとう、今を大事に生きるよ。
味噌を溶きながら神様に感謝していると、お父さんがカレンダーの前に立った。
「今日もカレンダーに花音の付けとくか。走ってきたんだろ?」
「もちろん」
我が家のカレンダーは私の評価表になっていたりする。評価=お小遣いなのだ。お手伝いごとに色がつけられて月初めに渡される。
親の収入を気にしてしまうが……、もらえるのはやっぱり嬉しい。
ご機嫌に食事の用意をしていると、父と母がこちらを微笑みながら見ていた。もしかしたら、また乗せられたのかもしれない。まだバイトも出来ない身なので、喜んで両親の寵愛を享受しましょう。
無駄遣いしないからね!
ご飯とあおさのお味噌汁、卵焼きに常備菜のきんぴらと梅干、昨日の残りの煮物を置いて朝食の準備完了だ。
「頂きます」
三人で手を合わせてご飯を頂く。
「そういえば、花音はなんでジャージなんだ?」
お味噌汁を飲んでいると、父から指摘が来た。
うちの中学校の春は、イベントが多い。4月半ばに健康診断、体力測定、実力テストが行われるのだが、全学年同時にあるわけではなく、3日に分けて各学年毎に割り当てられている。
初日は1年生が健康診断、2年生は体力測定で3年生は実力テストだ。
「今日は健康診断なの、だから学校指定のジャージを着て登校」
「あら、ご飯を食べて大丈夫なの?」
お母さんが楽しげに聞いてきたので、安心してと答えた。
「消化器官系の診断は無いから食べて大丈夫」
明日はパンで目玉焼きもいいかもしれない。ベーコンは塩気が多いので、細切りにしてほうれん草と炒めようか。
「そうじゃなくって、体重測定もあるんでしょ?」
「うん」
「気にならないの?」
「何が?」
「体重よ」
「え……もしかして、私太ってる?」
自分の体系が標準と信じていたので、ショックを受けた。いや、脂肪と筋肉は重さが違うので喜ばしい?
「違うの、違うのよ? 女の子は体重を気にしてよく食事を抜いたりするから……花音はそんな事しないのかな? って」
「食事抜くの?」
少し考えて聞いてみた。
「してほしい?」
「して注意させて欲しいの。そんな事しなくてもいいのよって」
「お母さん……」
溜息をつくお母さんは、妊娠中でちょっと感情が不安定なのかも。マタニティブルーってヤツだね? ひとまず感謝しておく。
「ありがとう、気にしてくれて」
「ううん、花音が元気ならいいわ」
梅干をつつくお母さんの顔が少し青い。寝不足かもしれないので、チャンスがあれば妊娠対策の本でも探してみようか。
「洗い物、帰ってするからお母さんは横になっててね」
食べ終えた私は、自分の食器を下げると洗面台へ行き、歯を磨く。そして簡単に日焼け止めを塗ると、カバンを持って玄関に向かった。
「いってきます!」
今日は健康診断のみなので、早く帰れるだろう。出来れば図書館に行きつつ、夕飯の買い物をしたい。夕飯は何にしよう? これも図書館で調べるかな? そう考えていたら、声が聞こえた。
「花音ちゃ~ん」
遥ちゃんだ! 気分が一気に浮上する。
「遥ちゃん、おはよう」
「おはよう、花音ちゃん」
可愛い走り方で来てくれて、嬉しい。今日も長い髪を二つに分けて三つ編みにしている。三つ編みが跳ねて、やっぱり可愛い。
「今日は健康診断だね」
「うん……」
「どうしたの?」
元気が無くなった返しに心配してしまう。
「私太ったから」
「それはないって」
「だって昨日体重計に乗ったら……」
「成長したんだよ」
「え」
どう見ても遥ちゃんは細い。標準以上あるとは思えない。
「だって成長期だし、これから身長だって伸びるんだよ」
「そうかな」
遥ちゃんの顔が明るくなってきた。
「それに遥ちゃん髪が長いんだから、その分も考えたら大丈夫よ」
「ありがとう」
ふわりと笑う彼女に満足する。
「こちらこそ」
「?」
今日も今日で癒された、ありがとう! 遥ちゃん。
1年生と2年生がジャージなので、紺色と朱色の集団が学校にあふれてる。男子が紺色の上下で、女子が朱色の上下だ。共にズボンは長いかハーフパンツになる。
遥ちゃんと別れた後、2組の教室に入るとやはり明智くんがいた。
いつも早いな。
「おはよう」
「おはよう」
声を掛けるとちゃんと返してくれる。
でもそれ以上の言葉を交わしたことが無い。まだ学校が始まって1週間ちょっとなので、それも当たり前なのだが……。
クラス内に特別親しい友人がいないので、会話に飢えているのかもしれない。
登下校は遥ちゃんがいるので、それまで我慢しよう。
小学校が他校・他クラスの人に話しかけるのに、きっかけが欲しい。今日の健康診断で、そのチャンスがくるといいなぁ。自分に与えられた席に座り、黒板を見る。
第一理科室(男子):身長・体重・座高・内診
第二理科室(女子):身長・体重・座高・内診
被服科室:視力
視聴覚室:聴力
体育館 :耳鼻・歯
検査場所が書いてあった。体育館や理科室では医者が待機しているのだろうな。小学校の時と違い、本格的な感じがした。
あ、胸囲が無い。
ぼんやりと見ていると、どんどんクラスメイトが登校してきた。
「……うん」
文句を言うわけじゃないけれど、私の周りは紺色だらけ。クラス編成で偏っているんじゃ? と思うくらいに。
『伊賀崎』の次にくる女子は『七瀬』さんだ。私の出席番号は『2』で、七瀬さんは『16』。教室の机の並びは縦5列の横7列なので、七瀬さんの場所は私のいる廊下側から3列目になる。つまり、女子が遠い。
出席番号『35』の和田くんと代わりたい。彼と代わりたいのは、私とは対照的に女子に囲まれているのだ。あーあ、早く席替えが無いだろうか。もう和田くんの後ろの席でも構わないから。
チャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。
「おはよう」
「「「おはようございます」」」
ここの中学校の朝礼は、座ったまま返事をする。席を立ったり座ったりする動作が無いのは五月蝿いからかな? 椅子を全員で引く音は大きいからね。
担任が出欠簿を開き、軽くみんなを見回した。
「では出欠を取る、明智」
「はい」
「伊賀崎」
「はい」
「江里口」
「はい」
「小川」
こういう時は、出席番号が早くてよかったと思う。順番待ちを気にしなくてすむから。後ろの方だとそろそろかなと待ち時間がながいしね。
学校に健康、体力、共に知力も管理されていくことを考えると、なんだかシミュレーションゲームを思い出す。いや、育成ゲームかも。
小学校までは担任・副担任がクラスの生徒を管理するが、中学校となると学科で学年で管理される。全部の教科をクラス分管理するのと、一つの教科を学年で管理するのはどちらがきついのか……どちらにしろ相手は機械でなく子供なので、かなり難しいと思う。
教職に就いた経験は私の中にはないので、理解は出来ないけれど、ニュースを見る限りかなり心身ともにくる職業だ。
教育って大変なんだな。まだ管理されている身なので、他人事のように頷く。