加納砂織
退院許可が下りました。特に異常が見つからず、脳も問題無かったみたい。
ただ、ほんの少し体に傷が付いたくらいですかね。頭部はよく見ないと分からないけど、お腹が……消毒をしてもらうときに見て、目を閉じた。うう、少しの間お風呂につかれないのが残念。体を洗うにしても沁みそう。
「大丈夫よ。時間が経てば目立たなくなるわ」
加納さんが側でにっこりと微笑んでくれる。
今日は朝から病院に来てくれて、一緒にいてくれた。なんだか申し訳ないと同時に、歳の離れたお姉さんがいたらこういう風に助けてくれるのかもしれないと嬉しかったり。私も弟に何かあったら、加納さんのように私も手伝おう。
こんな完璧なお姉さんにはなれませんが……。
「ささ、座って。お茶でも飲もっか」
朝食も診察も終え、後は母がくれば退院。昨日の体のだるさが嘘のようで、もう普通に動ける。でも加納さんは私をソファーに座らせてお茶を勧め、簡単な片づけまでしてくれた。なんだかものすごく申し訳ないんですが。
「あの、もう私動けますから」
「少しは甘えて頂戴な」
「でも」
「もう服を着替えてようか。そろそろお母様も来られるでしょう?」
「あ……そうですね」
診察が終わった時に退院する時刻を告げられたから、お母さんに電話したのだ。小さな弟の為にぎりぎりの時刻に来てもらうことにした。なるべくお母さんの負担を軽くしたい。
「はい、これよね。どうぞ」
加納さんからベッドの脇に置いていた紙袋を渡される。昨日お母さんが持ってきてくれたものだ。中には私の着替えが入っている。もう退院は決まったので帰りの支度をしておいた方が確かにいい。
「ありがとうございます」
紙袋を受け取ると、座っていたソファーに置く。病院から借りていた服を脱ぎ始めると加納さんは窓の近くに行き、外を眺めた。
「そういえば、今日は冥加さんの近くにいなくていいんですか?」
「もう彼は大人ですもの。私がいなくても1人でやってもらわなくちゃ」
下着も入っていたので、ついでに着替える。ふと加納さんを見るとまだ外を見ていた。何か面白いものでも? と思ったけど、全く振り返らないのでわざと外を見てるんだと気が付く。
そうだよね、いくら同性でも着替えを見られたくないもんだ。
加納さんより過ごした日が多くて私の方が年上でも、彼女の方が場を弁えた態度を取れるのを見ると、まだまだ自分が未熟なんだと思い知る。
素敵な大人への道は遠く険しい。
そうだ、お金。ここの病室のお金の話を聞いておかないと。後でお金を渡せない。
「あの……病室に掛かったお金なんですが」
下着を身につけると、自然に胸へ目が行く。上から見るも貧相な胸だ、ため息が出てしまう。加納さんのような胸になるには、どれくらいの牛乳を飲んでキャベツを食べればいいんだろうか? 胸を揉むと大きくなると聞くけど、揉むことによって脂肪が消費されて更に無くなるとも聞いた。巨乳は諦める事ができても美乳くらいにはなりたい。
「いいのよ、貰っておきなさいな」
自分の身から出た錆……いや、自業自得? うーん、油断でこうなった訳なので、素直に受け取れない。責任は冥加さんに無いのだから。
「そんなわけには」
「なら4年後会ってやって。そしてやるべき事が出来てなかったら笑い飛ばしてちょうだいな」
面白そうに言われますけど、それはちょっと……。
今まで着用していた下着を紙袋に入れようとしたけど、直接入れるのは嫌なのでビニールを探す。手ごろな物が無いかな?
「そして出来れば、色々と忘れて欲しい事があるんですけど」
「あら、何を忘れて欲しいの?」
ベッドの脇にペットボトルが入ったビニール発見。朝に水を飲むのは健康にいいのよ! と加納さんが持ってきてくれた物だ。
そういえば加納さん、目覚めから側にいたのは驚いたけど面会時間とか大丈夫なんでしょうかね? それとも今日退院するのがほぼ決まっていたので、そういうのは関係ないのかな?
「そのですね、人が聞いたら……こいつ中二病なんじゃないの? と思われる話を」
産まれる前の記憶ありまーす、なんてどう考えても人に言いたくないし記録も記憶にも残して欲しくない。どう話しても嘘じゃないのに嘘くさく聞こえるから。
「それなんだけど、本当に記憶が?」
「ええ、まぁ」
そうですよね、疑うのは人として正しい。
「それは例の変態感知に関係あるの?」
つい手が滑ってペットボトルを落とす。かなり大きな音をたて床を転がっていく。
「どうしたの!?」
加納さんが振り返り、目が合った。
「な!服が無かったの?」
「いやぁ、そのぉ」
ついしゃがんでベッドにしがみつくように隠れた。といっても全然隠れてないけどね。みすぼらしい格好を見せてしまった。下着姿のままだなんて、驚きますよね。
「いえ、ちょっとビニールが欲しくて」
「あ……っと、見ちゃってごめんなさい」
もう一度加納さんは窓へ顔を向けると謝罪した。謝らないでください! 私が悪いんです。急いでソファーの側に行く。
「いえ、すみません。変なものを見せてしまって」
「変なものじゃないでしょ。どうしてそんなに自己評価が低いの……おかしな所なんて無かったわよ?」
ビニールに汚れ物を入れると、紙袋に入れた。服はちゃんと入っている。着替えてから動けばよかった。下着姿でうろうろするなんて、いい大人がするもんじゃ……1人暮らしをしていたときは、部屋でしてたかも。これは人として立ち振る舞いを普段から気にするべき?
紙袋から服を取り出したけど、時計を見て着るのを止めた。
「そうだ。制服は……」
「キャビネットの中にあるわ」
遅刻になってしまうけど、よかったらそのまま学校へ行きたい。期末が始まるのだ。テストの点数を確保してないと怖いと思うのは何故だろう。
「ありがとうございます」
キャビネットを開くと、制服がかかっていた。私の通う第三中学校の制服だ。きれいにアイロンがけしてある。
「あれ?」
「なぁに?」
「なんか新しいような……本当に私の制服なんですか?」
約一年半ちょっとお世話になった制服に見えない。
「いいえ、前のは処分させてもらったわ」
「処分!? え? え?」
「そうよ? ものすごく汚れていたし……って、まだ服を着てなかったの?」
振り返った加納さんが驚く。
「もう寒い時期なのよ? 早く着ないと風邪を引いちゃうわ」
少し怒ってソファーの椅子に置いていた服を掴むと、私に近寄った。
「ほらほら、腕を出して」
「このまま学校へ行きたいので制服に着替えようと」
「今日は安静でしょ?」
加納さんが少し怒る。
「でもそろそろ期末が」
「中学校のテストなんて、誰も気にしないわよ」
「私が気にしちゃいます」
「それより早く服を着ましょ?」
ブラウスを肩に掛けられる時、加納さんの手が温かかった。確かに体が冷えている。
「期末の為に授業を出るより、風邪を引いて期末テスト休むことになるほうが損失大きくないかしら?」
「……ごもっともです」
私はブラウスに手を入れて素直に従った。でも少し心配事がある。遥ちゃんと愛梨ちゃんだ。心配してないかな……遥ちゃんはきっと要が話していると思うから休みって分かるけど、愛梨ちゃんは……?
「ほらほら、次はスカートよ」
頭からジャンパースカートを被せられる。なんだか小さな子供になった気分。腕を通すと後ろのチャックを閉めてくれた。
「うん、可愛い。この時期の子供はこういう格好が似合うからいいわねぇ」
綺麗なお姉さんに褒められると、どうして嬉しいんだろう。頬が口の端がにやがってしまうのを止められない。
「ささ、次は靴下を履きましょうね~」
上機嫌になった加納さんは嬉しそうに紙袋から靴下を取り出した。
「今度私のコーディネートで花音ちゃんの服を選びたいな」
「そうですか?」
彼女から靴下を受け取ると、自分で履いた。
「本気よ? 可愛い服を着せて写真に撮りたいくらい」
「でも、胸も加納さんみたいにないし、貧相です」
今もジャンパースカートが私の絶壁に近い胸を証明している。か、カーディガンを着よう。そのカーディガンも少々上部のデコが激しい、それはまるで胸を……。
「胸なんてお飾りよ。意味なんて特に無いわ」
『それは持てる者の発言だな』という明智くんの言葉が甦りました。ほんとにそうですよ、持ってない人たちは悲しく端っこで泣いてるしかないんでしょうか。
「今自分に似合う服を着る。それが一番いいのよ」
大人の笑みを浮かべる彼女に、その当たり前が出来にくいんですよと言いたい。私のセンスは皆無だから、服は全部お母さんに任せてある。
「似合う服を見つけられないので、勉強します」
「あら、それは私が選んでいいって事なのかしら」
加納さんは櫛を手に取ると、私の髪を梳いてくれた。絡んだ髪も優しく解してくれる。
「絶対花音ちゃんは光るわ。私が保証する」
「ありがとうございます」
「それに、私の胸。脱いだらこんなに無いわよ?」
「へ」
衝撃な発言に一瞬、時が止まった気がした。
横から加納さんは極上の微笑を浮かべて手を軽く振る。
「だって…ええ?」
「あらぁ、花音ちゃん大人の女なんでしょ? 少しは分からないかしら」
矯正下着、胸パッド、整形……色んな言葉が頭の中を飛び交う。
「ふふ、こうした方がスタイル決まってるでしょ」
上から下まで、どこをどう見ても出来るカッコいい女!です。
「お姉さま!」
私は加納さんの手を掴んで、心から言葉が出ました。
「一生付いて行きます」
「大袈裟ねぇ。今は年齢に見合った服を着ましょ。今度デートしてね」
「はい! 宜しくお願いします」
ふと加納さんの手を見ると、少し固かった。肩幅もそれなりにある。……そういえば彼女が痴漢を退治したと聞いたな。冥加さんを守るために護身術を習っているのだろうか。
「加納さんって強いんですか?」
「まぁ、程ほどにね」
よく見れば爪は綺麗に切ってあり、薄いピンクのマニキュアだけのよう。
「私も強くなれますか? 走って逃げるだけじゃなくて強くなりたいんです」
「それは止めておいたほうがいいわ」
困った顔で止められる。まただ、いつもそう言われるのはゲームからの指示なの?
「どうしてですか」
「妙な筋肉の付き方をしたら、かなり苦労するわよ」
「え」
「肩幅と足は絶対にこれで大きくなったと思うもの。手だってこんなに綺麗で柔らかいのに……不恰好なゴツゴツとの戦いは激しいのよ? 花音ちゃんのそんな苦労する姿見たくないわ!」
「でも」
「せっかくそんな恵まれてるのに、柔らかな手をドブに捨てるような真似は止めて」
肩を掴まれて真剣にお願いされた。加納さんには加納さんの戦いがあったのかもしれない。やはり美女には美女なりの猛烈な努力があるんだ。磨かずに光る宝石なんて無いんだな。
「多少殴られたり、蹴られたりしても逃げられるように鍛えたかっただけなんです」
「そんなクズは潰していいわ。もう新吾様の所から花音ちゃんのところへ移動して、女性の敵を退治しまくりたい……」
壮絶な笑みを浮かべて握りこぶしを作る加納さん、紛れも無く武闘派ですね。きっとお強いんでしょう。冥加さんも強いのかな? 頭脳派といいましょうか参謀派に見えるので、勝手に体力なさそうと思ってますけど。だから彼女に守られてるんだろうなと。
本当に冥加さんの側を離れて大丈夫なんでしょうか? 心配になってきました。迷子とかなっていませんかね?
「頑張って脚力を鍛えるので、加納さんは冥加さんを守ってください」
「ふふ。ならデートの間は任せてね。ちゃんと家まで送り届けるわ」
本物の痴漢ならいいけど、ゲームに巻き込まれた一般痴漢の人は現れないようにしてください。私には祈るしか出来ません。
ノックが聞こえた。
「花音、準備出来てる?」
お母さんが部屋に入ってくる。おんぶ紐で馨が元気に動いていた。周りをきょろきょろ見回す彼は今日も愛らしい。
「お母さん、おはよう。あとは制服を紙袋に入れるだけ」
「あら、加納さん」
「おはようございます。近所に住んでいますので、お見舞いにお邪魔しておりました」
「それはありがとうございます」
「いいえ、それではそろそろ失礼いたします。それじゃ、またね、花音ちゃん」
「はい」
加納さんは笑顔で去って行った。さっきまであんなに楽しくおしゃべりしていたのに、すぐ行ってしまうなんてとちょっと寂しい。
「花音、加納さんとは?」
「え? なに?」
「ずいぶん親しげねぇ」
「私が寂しくないようにたくさんお話してくれたんだ。すごく楽しかったし面白かったよ? 色々手伝ってもくれた」
「そうなの? 今度お礼に伺いましょうね」
何か引っ掛かったのかな? お母さんは少し考えるような顔で荷物を詰めていた。
「お母さんは加納さんが嫌いなの?」
「えっ……そういう訳じゃないけど、年上の方じゃない?」
「年上だといけないの?」
「いけないとは言ってないわ。なんだか」
「親身に心配してくれただけだよ?」
「そうよね、どうしたのかしら……私」
「ごめんなさい。私が心配させたから」
そうだった、ここ最近お母さんやお父さんに心配ばかり掛けている。色々気にしてしまうのは仕方ないよね。
「違うわ、お母さん少し疲れてるみたいね、今日はみんなでお昼寝しましょうか」
「うん、ゆっくり休もう」
お母さんに近づくとそっと背中を擦った。毎回心配掛けてごめんなさい。馨が指をしゃぶりながら私の服を掴んでくる。
「馨もありがとうね」
笑って返事をしてくれたような気がした。少ししんみりしていると、ノックの音が聞こえる。誰だろう、看護師さんかな?
「はい、どうぞ」
「何度もすみません」
私が応えると見慣れた顔が現れた。加納さんが戻ってきたのだ。
「あれ?忘れ物ですか?」
部屋を見回すも、該当するものは見当たらない。イヤリングかピアスでも落としちゃったのかな?
「いえ、お母様はタクシーで来られたんですか?」
「はい。そうですが」
「では私、車で来てますのでご自宅までお送りします」
「いいえ! そこまで申し訳ないです」
「花音ちゃんとは仕事を抜きでお友達になったので、良かったら送らせてください。ね、花音ちゃん」
「あ、うん」
ここで違うと発言すれば、お母さんの不信感が膨れ上がってしまう。友達なんでしょうか? でも一生付いていきますって宣言しちゃったし、友達と思ってもいいのかな。
「私に妹がいるんですが、今は事情があって離れてまして……花音ちゃんがちょうど同じ歳なので、つい……すみません」
「そうなんですか」
同じ歳の妹さんがいるんですか!? きっと加納さんを中学生にしたような感じかな? 似てない兄弟かな? 写真とかないですか? 見てみたいです。
「なら、お言葉に甘えて」
お母さんが軽く頭を下げると、加納さんが恐縮する。
「そんな、私の我が儘のようなものですから、ついでだと思って気軽に乗ってください。赤ちゃんもいて大変でしょう? ボク、可愛いね」
そう、弟の馨は可愛いのだ。もう目に入れてもいいくらいに可愛い。テレビに出たって大丈夫なくらい可愛くてたまらない。彼も加納さんの魅力に気付いたのか、あうあうと手を伸ばし始めた。
加納さんクラスの美女を気軽に触れるチャンスは赤子のうちだけだからな、頑張れ。
「加納さん、お世話になります」
「もう花音ちゃんまで。元気になったらショッピング行きましょうね」
「はい!」
紙袋は加納さんが持ち、みんなで病室を出た。その階のナースステーションで軽く挨拶をして、ロビーで退院処理をするのだけれど、けっこう人が多い。退院の方はこちらへ書類を入れてくださいと書いてある場所に入れたけど……。ここの病院はかなり大きな総合病院だと気が付いた。
本当に個室代幾らなんだろうか? 一日なら、あまり高くないよね? 大丈夫だよね?
「伊賀崎さん、伊賀崎花音さん」
退院受付のお姉さんが声を上げた。
「お母さんが行って来るから、ここで待っていてね」
「うん」
加納さんに貰ったペットボトルのお水を飲みながら、素直に従う。あとで金額を見せてもらわなくては、部屋の代金が高額でありませんように。
「そうだ、花音ちゃんは試験の後、時間はあるかしら?」
「えっと……12月の最初の週末ですか? 空けときます」
「そう? 嬉しいな。ふふ、初デートね! 素敵な思い出にしてあげるわ」
少し心を強く持とう。ちょっと危ない世界に足を踏み入れそうな自分がいる。綺麗なお姉さんになら……って、何に加納さんを巻き込む気なんだ! 前世の記憶についてなら笑って流せるけど、変な恋愛なら流せないぞ? こびりついて危険な事になりかねない。引かれるどころじゃないぞ、線引きされちゃう。
そうなれば、加納さんに避けられる。……それは嫌だ。
「花音ちゃん?」
「は、はい」
「どうしたの? 俯いて悩み事?」
明智くん、君の鋼鉄の精神を私にください。少し心が揺れそうです。
「いえ、加納さんが綺麗過ぎて圧倒されただけです」
「嬉しい事言ってくれるわね、努力が認められるのは嬉しいわ」
周りの老若男女の視線をほぼ独り占めしてます、加納さん、あなたは紛れも無く美女です。新聞を開いてこっそり覗き見ている人もいるのですから、すごいですよ。
「お待たせ。もう帰れるわよ」
「では行きましょう」
加納さんは紙袋を持つと、ヒールを軽快に鳴らし歩いていく。
「本当に綺麗な人ね。テレビの人みたい」
お母さんがこっそり私に話す。なぜだかそれが自分の事みたいに嬉しくなるのは何故でしょうかね。
「うん、頑張って綺麗になったんだって。すごいね」
私も彼女みたいに頑張って、ゲームの主人公を立派に勤め上げる事が出来ればいいんですが…。ここは少し努力すべきですかね。
「私も頑張ってみようかな」
「なれるわよ。花音は私の娘ですから」
なんだかおかしくて、お母さんと一緒に笑ってしまった。




