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恋愛ゲーム、ですよね?  作者: 雪屋なぎ
中学生 編
39/503

伊賀崎花音2

暴力的表現があります。

凶器や殺気も出ます。

気分を害されましたら、すみません。

 いや、違う、息を呑んだだけだ。

 落ち着こう、ここは私の家じゃない。愛梨ちゃんが前にいる。

 落ち着こう。

 落ち着こう。

 落ち着こう。


「ごめん、そろそろ帰るね」


 今、どんな表情を浮かべているかわからない。

 頭の中に色んな情報がぐるぐると回っているけど、何も受け止められなかった。いや、まだ受け止めては駄目。

 『帰る』。

 その事だけを考えよう。

 ああ、なんだろう、周りが遠い。視線が狭まったような気がする。


「花音ちゃん?」


 心配そうな愛梨ちゃんの顔さえ、ガラス越しに見えた。世界が白い。


「また、明日ね」


 定番のセリフを自動的に話しながら、ソファーから立ち上がった。歩き、部屋から出ようとすると、彼女が追いかけてくる。


「どうしたの? 大丈夫?」

「うん。ドタバタしてごめんね」


 言葉少ない会話を交わしながら、門の所まで送ってくれた。


「あの、車で送ります。待ってて、花音ちゃん」

「大丈夫、まだそんなに遅くないもの。空も明るいわ」


 彼女の好意を断り、敷地の外へ出る。


「今日はありがとう、お茶美味しかった」

「あの、花音ちゃん……」

「また明日」


 顔に力を入れて笑顔を作る。


「でも」


 手を振り、彼女から逃げ出すように走り出す。

 愛梨ちゃんはまだ何か言いたかったと思う。でも、私が耐えられなかった。自分の失策に。思いっきり走って、走って、走りまくった。


 駅を通り抜け、行き着いた先は、海だ。


 天ヶ瀬司と会った場所に着く。

 なぜここに来たのかは、わからない。ただ、ここに着いただけ、そんな気がする。ペース配分を考えずにがむしゃらに走った所為か、息が乱れていた。

 苦しい。堤防に寄りかかり、息を整えようと何度も呼吸を繰り返す。

 体が苦しがったけど、心がもっと苦しかった。

 どうしてこんな事になったんだろう。知っていたのに、彼女がどんな目に遭うか知っていたのに。手遅れだなんて、どうして、どうして。

 彼女への謝罪を何度も思うけど、愛梨ちゃんの顔も浮かんだ。

 突然出て行って困っただろう。

 行動しなかったこと、行動したこと、全てに後悔を感じた。


「どうしよう、どうしよう」


 どこか冷静な自分がいて、何も出来ないと判断を下している。でもそれを飲み込めずにいた、認めたくないから。堂々巡りの考えに何も出来ずにいると、胸が温かくなる。

 そこにはお守りがあった。

 お守りが私に教えてくれる事、それは警告。痴漢か変態が、私に近づいてきていると教えてくれるのだ。

 あいつらだ。

 こめかみがちりちりと痛むが、息を整えて逃げずにそのまま待つ。ちらりと目で辺りを伺えば、トレンチコートの男がいた。

 1人。

 通りすがりかもしれないと思ったが、どうやらこちらを見据えているので、私が狙いなようだ。痴漢か、変態か……、今の私にはどうでも良かった。

 侮蔑と呆れと哀れみの目で見つめる。

 その男は40前後だろうか。近づかれると、コートのくたびれ具合が伺えた。顔はにやけ、息が荒い。


「こんばんは、お嬢ちゃん」


 声を掛けられて、先程までぐちゃぐちゃな感情で纏まらなかった思考が1つに纏まった。

 なんだ、そういう事か。単純に私は、こいつらが、憎いんだ。

 氷室のゲームが、憎いんだ。何も出来ない、私が大嫌いなんだ。


「なんの用」


 こいつも。


「こんな遅くに危ないよ」


 こいつも憎い。


「家は近くなのかい?」


 じわりと近づいてくる。

 コートを着ていたから、変態かと思えば、痴漢かもしれない。


「可愛い子に悪戯しちゃう、いけないおじさんに狙われちゃうよ」


 少しコートの前がはだけた。見えたのは、男性器。ズボンのチャックが降ろされ、それだけを出していた。

 私を心配した大人じゃない、立派な犯罪者がそこにいる。残念なような、安心したような気持ちで溜息をつく。


「お前みたいな?」


 怯えるわけでもなく、聞き返し一瞥すると男はにやりと笑った。

 何を感じて笑ったのかは分からないし、理解したくない。ただ、私のやる事は1つ。

 自分でも何かおかしいと思う気持ちはある。頭の中から気持ちが溢れて、上手く制御出来ない。でもこれは、そう、これは正当防衛なのだから。

 バッグから細身のカッターを取り出すと、チキチキと少し出す。

 全部出しては歯が折れる。少しだから、折れにくい。私はその事を、『体験』した事があるから知っている。そう使った遠い記憶があるから。


「私を放っておいてよ」


 警告のつもりで囁く。凶器を持つ私に警戒したのか、痴漢が動揺した。


「危ないじゃないか、さ、歯を戻して私に渡しなさい」


 急に礼儀正しくなるから、笑ってしまう。情けないモノを出して、大人ぶるのだから。


「私に近づかなければ、大丈夫」


 私は痴漢を見据える。


「このまま消えればいい。それとも近づく?」


 少し構えた痴漢に、喜ぼうとしている自分がいた。逃げない犯罪者に出来ることがある、と。


「消えないの。そう……でも、いいよね? 私は被害者なんだから」


 右手にカッターを持ち、構えながらポケットに手を入れた。

 取り出したのは、マイナスドライバー。長いと攻撃しにくいから、持ち運び用の短い20cmのものだ。


「あなた、独り身?」

「……」

「会社も行っていない、家族もいない、恋人もいない」

「……」

「失う物が命だけだから、リスクを背負えるんだね」

「……ぅ」

「じゃあ、ここで何が起こっても大丈夫だよね?」


 なぜか涙が頬を伝う。感情が爆発しているのは分かる、でも理性がその上に座っているかのようで冷静に動けた。

 周りがとても静かで、私の手は全くぶれていない。

 頭の中で、脈打つ鼓動だけが、煩いだけ。


「……ぅぁあ」


 痴漢が頭を抱え始めた。演技かもしれないので、近づかず、いつでも攻撃できるように見守る。相手の心配など必要ない。ある意味こいつらは人殺しだ。人の体と共に心を壊そうとする奴に、なぜ優しくならなければならない。


「違う、俺は、違う」


 何が違うというんだ。


「私を壊そうとしたんじゃない。楽しそうに、嬉しそうに」

「違う、したいんじゃない、そんな事したくない」


 ブツブツと頭を振りながら、嘆く。


「卑怯じゃないか、そうやって逃げるの?」


 胸が熱い。まるで火傷しそうだ。


「違う、違う、俺には大事な家族が……」

「家族を犠牲にしてまで、したいことなんでしょう?」

「失いたくない!」

「失うリスクを掛けて痴漢を楽しんで、いざとなったらリスクを背負わずに逃げるの?」

「言わないでくれ、頼む、見逃してくれ、お願いだ、もうしない、絶対に!」


 みっともなく土下座された。でも一欠けらも同情できない。


「成功したら、続けるくせに」


 そして私は、『絶対』を信用していない。

 殺そう。

 真剣にそう考えていた。私は殺されそうになったのだ。愛梨ちゃんは、昔心を殺された。宇留間さんもそうなった。

 心をずたずたに引き裂かれ、殺されたんだ。

 こいつがやったわけじゃない、でも同じだ。こいつも誰かの心を殺していく。

 カッターを持つ手に力を入れると胸に物凄く熱さを感じ、悲鳴を上げた。


「あつっ!!」


 ものすごい熱を感じて痛い。何か燃えたんじゃないかと疑うほどに。

 急いで首から提げているお守りの紐を引っ張ると、熱さが移動した。やっぱりお守りが熱を放っている。思いっきり紐を引っ張れば、胸元からお守りの袋が飛び出した。

 赤い光が目を射す。

 強い光が、袋の中から漏れていた。こんなに強い光は初めてだ。一体何が起きたんだろう? 大勢の痴漢や変態が来るとでもいうのだろうか。

 驚いていると、痴漢が絶叫した。


「俺は、俺は!」


 そしていきなり立ち上がると、私を置いて走っていく。


「………」


 走り去る痴漢を、私はただ見つめていた。

 逃げられちゃった、と頭の端で認識しながらぼんやりと立ち尽くす。しばらくそのままでいると、陽が落ち始め、空の色が紺へ変わった。


「帰らなきゃ」


 カッターの歯を収め、ドライバーもポケットに入れる。バッグを拾うと、家に向かって歩き始めた。

 気分は、なんだか靄の中を歩いているようだ。

 光に殺気を削がれ、先程まで寄り添っていた怒りが消えている。酷く疲れたからなのかもしれない。喉が渇き、涙も乾いていた。どうしよう、それだけが頭を占めている。

 ふらふらと家の前に着くと、ぼんやりと見上げた。

 どこからどうみても、私が14年間住んでいる場所で、全て現実にしか見えない。家の塀に頭をぶつけてみれば、痛かった。痛みが嘘には思えない。

 ゲームなんかじゃない、ここは現実リアルだ。

 怪我すれば血が出るし、痛い。


「花音、どうした!」


 その声が耳に届き、私は安堵して涙が出そうになる。

 一人よがりな涙を。

 顔を上げて声の方向を見れば、私の味方がいる。ゲームでお世話になる、頼もしい仲間が。今からしようとしている事は、彼の人生を巻き込む事だ。貴重な青春を、『協力』という強制力で利用される。

 1人で頑張るにも、手遅れでは駄目なのよ。『協力』がどうしても必要なの。だから、身勝手な私を許して。搾り出すような声で、彼にお願いした。


「要……助けて……」



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