伊賀崎家
いつもの家のいつものお風呂場。
一先ず、これでもかと言う程ボディソープを泡立てて体を洗った。何かのドラマのように必死になって肌を洗うような事はしない。自分の体を嫌悪して泣いたりしない。
それは、愛梨ちゃんのお蔭かも。
二人でたくさん泣いて、気持ちの整理が着いたからかもしれない。悲しい過去を持っている彼女は、私の為に頑張ってくれた。私は何があっても彼女の味方でいようと誓う。
首筋だけ気になったけど、明智くんの力強い拭い方が記憶に強い。正直肌が赤くなったんじゃないかな……拭ってくれて嬉しかったけど痛かった。今も泡が触れるとひりひりする。もしかして、皮膚破れてない? つい笑ってしまう。熱いシャワーで泡を流すとすごく気持ちが良かった。
やっぱり首筋は少し痛いけど。
「……」
お風呂場は窓から入ってくる朝の光でとても明るい。
やっと一息つけた気がする。私はもう大丈夫。私はみんなに助けられた。私は不運なんかじゃない、運が良かったのだ、感謝しよう。
でもどうやって帰ってきたんだろう。私って今どんな状況? 被害者候補だってばれてる? ゲームの中でこんな話あった?
……知ってる人いないかなぁ。一番の問題は、親がどこまで知ってるかだ。服を着替えさせたのが両親ならあざに気付かれたと思う。
どんな顔をすればいいかな。今も心配させているかもしれない。お母さんは大事な時期だから、なるべく不安な気持ちにさせないようにしなきゃ。まずは今日学校に行こう。情報収集しなきゃ。私が変に喋って、みんなの気持ちを無駄にしたら申し訳ない。そう決意してお風呂を出た。
なるべくいつもの調子で居間に入る。お母さんが台所にいて、お父さんはソファーに座っていた。
「おはよう」
声を掛けると、お父さんの肩がびくりと動いた。動揺しているのバレバレな態度だ。これは、どうしよう。
「お母さん手伝うよ」
台所へ行けば、口を『へ』の形にして目に涙を一杯浮かべたお母さんが。
あ、泣きそう。
何か喋ったらきっと泣く、絶対泣かれるぞ……。もしかしてお父さんがこちらを向かないのも泣くのを我慢してるんじゃ。タイミングミスったか! 要助けて、今来てくれないかな。どう対応していいか困惑してしまう。何か、誰か……。
インターホンが鳴った。
「あ、誰かな? ちょっと見てくる」
逃げるように玄関へ向かう。
どうしよう、本当にどうしよう。下手に喋れないし、喋らなかったら憶測されてしまうし。考えならが玄関の扉を開ける。
「はい、どなたですか?」
「伊賀崎、相手の確認をせずに扉を開けてはいけない」
突然明智くんに注意された。
「……ゴメンナサイ」
何故に? 彼の後ろに江里口くんもいた。
「おはよう、伊賀崎さん。朝早くにごめんね」
「どうしたの? 今日学校は?」
「休校だ」
明智くんが答えた。でも二人とも制服を着ている。聞きたいことが山ほどあり過ぎて、何から聞きたいか困ってしまう。
「????」
「ご両親に会わせてくれ、話がある」
「え?」
「明智くん、なんだかそのセリフ……」
私の代わりに江里口くんがツッコミを入れる。
「なんだ?」
別の意味に取れそうな言葉なんだけど、彼は気が付いてないようだ。彼の将来を案じてしまう……何かと誤解を招かないといいね。
「ちょっと聞いてくるから、待っててね」
いったん扉を閉めようとしたら、明智くんから阻止される。
「昨日の事を代わりに俺達が両親へ喋る。お前はそれで今置かれた状況を理解するんだ」
「……わかった」
彼の言わんとした事を理解して居間に戻る。台所からお父さんの所まで移動したお母さんは、ゴソゴソと顔を拭いていた。やっぱり泣いちゃったか……ごめんなさい、お母さん。
「お父さん、お母さん。友達が会いたいって」
「お前は病み上がりなんだ、遠慮してもらえ」
お父さんが思いつめた声で答える。そうだよね、そう言うよね。なんとか話を聞いてもらえないかな……。少し考えていると、玄関の戸が閉まる音が聞こえた。
「勝手に失礼します」
「ちょ、明智くん」
玄関から声が聞こえて二人が上がってくる。江里口くんも止めながらついて来た。私が驚いていると、江里口くんがごめんと両手を合わせる。明智くんは居間の入り口に正座をすると、頭を下げた。
「初めまして、伊賀崎花音さんと同じクラスの明智と言います」
「江里口です」
江里口くんも慌てて彼に倣い、隣に座る。
「当時彼女は熱があり、キャンプ場での正確な記憶を持っていないと思い、説明に来ました。お話を聞いていただけませんか?」
お父さんが振り返った。目と鼻が赤い。お母さんはティッシュで目元を押さえている。
「あの、僕ら一緒にいたので色んな事について説明が出来ると思うんです」
江里口くんがフォローするように話す。
「あの問題で学校行事は中止になり、テレビでも色々取り沙汰されています。でも正確な話が分からないとあらぬ誤解を受けかねないと判断して先生に許可を取り、朝早くからお邪魔しました」
先生のお墨付き。じゃあ今から話すのが、公式に起こった事になるんだ。
「そこでは話しにくいでしょう。こちらに来てもらえますか?」
お父さんがソファーへどうぞと勧める。お母さんがお茶をと立ち上がったので、私がと座らせた。台所へ向かい、やかんに火をかける。急須と湯のみを用意して、私も話に耳を傾けた。ソファーに座ると、江里口くんが喋り始める。
「今からお話しする事は、先生から了承を得ています。ですがあらぬ誤解を防ぐ為に、ここだけの話にしてほしいのです」
「……それはどういう意味なんでしょうか?」
お母さん声が震えている。
「もし少しでもテレビで報道されている被疑者と係わった事が知られると、花音さんに対して良くないからです」
「係わった?」
お父さんが重い声で復唱する。江里口くんは落ち着いてください、と両親を宥めた。
「ほんの少しでも接触したと知られたら、誤解を招きますので」
「誤解!?」
今度はお母さんが両手を握り締める。妊婦は感情的だと本に書いてあったけど、まさに今お母さんは情緒不安定なのでは……大丈夫かな。
「担任と話し合って、倒れていた男を介抱中に不審な物を見つけてしまった……これが僕たちの公式でのスタンスです」
間違えないようちゃんと認識しておく。たまたま見つけた人が不審者だった。これが真実。思い込まなきゃ。話をよく吟味して飲み込んでいると、江里口くんが改まって姿勢を正す。
「本当にあった事はこれからお話します。……花音さんはオリエンテーリング二日目の朝、散歩をしていたんです」
「散歩?」
「はい、6時半過ぎだったと思います」
「起床は6時半ですが、集合時間が7時までなのでそれまで自由なのです」
江里口くんの話に補足するよう明智くんがスケジュールの詳細を伝えた。
「それは花音だけが散歩を?」
お父さんが確認の為に聞く。江里口くんがその質問に頷いて、話を引き継いだ。
「はい。遠くに彼女が見えたので、これから始まるオリエンテーリングの件で話し合おうと班員で向かいました」
お湯が沸いた。私は火を止めて、お茶を入れる準備にかかった。
「すると、突然彼女が消えて倒れたように見えました」
ここからが本題か。
「実はキャンプ場と駐車場の間には常緑樹が等間隔に植えられてまして、見通しは良くないのです」
「っ……」
お母さんがティッシュを取って顔を伏せる。
「倒れたと思った明智くんが走って見に行くと、花音さんがサングラスを着けた男に両腕を掴まれ引きずられていたんです」
そうくるのか……。私は注いだお茶をお盆に載せて、ソファーに向かう。
「男は僕らに気付き、急いで花音さんを車へ連れて行こうとしましたが、全員で上手く助けることが出来ました」
テーブルに着くとお盆からお茶を下ろしていく。全員に配り終わると、そのままそこに座った。
「男はそのまま気絶しましたので、花音さんは明智くんと一緒に担任を呼びに行ってもらい、その後保険医の所に行ったのですが熱で倒れました」
これはもしかして本当に先生と何か打ち合わせたのかな? うちの両親だけ騙してもその後がありそうだから、そこらへんも含めて内容をすり合わせしておきたい。
「あの、私はどうやって帰ってきたの?」
「頼元さんだよ」
「え」
「実は彼女、携帯を持っていてね、家に連絡を取ったんだ」
携帯を持ち歩く理由は分かる。もし事情を学校側が知っているのであれば、許可されているだろう。
「伊賀崎さんはお迎えの車に一緒に乗って帰ったよ」
「そうなの? お母さん」
私を心配し続けてきたお母さんがやっと笑いながら答えてくれた。
「ええ、そうよ。花音のお友達です、ってずっとあなたを心配してたわ」
愛梨ちゃん、号泣してないといいけど。電話番号を聞いておけば良かった……。お礼を言いたい。
「伊賀崎さん、これ」
「なに?」
「頼元さんの携帯番号」
江里口くんが心を読んだのでは? というタイミングでポケットからメモ帳を出す。
「本当!?」
「多分連絡取りたいだろうなと思って」
「さすが学級委員、ありがとう!」
「学級委員って……本当は彼女も今日来たかったんだけど、かなり動揺してて……」
ああ、愛梨ちゃんのトラウマが……。私は江里口くんの意を理解して頷く。後で電話しよう。
「伊賀崎さんと頼元さんが帰った後、キャンプ場に生徒全員集合してバスに乗って帰ったんだ」
「そんないきなり?」
私が驚くと、明智くんが重い口を開いた。
「あの時、ビデオカメラを拾っただろ? 氷室が男のポケットから数枚のSDカードを見つけて、中身を見てしまったんだ」
「それで警察に即受け渡しになったんだ。だから中止になったんだよ」
ソフトに江里口くんが話す。嫌な予感がするが、この場でいう事じゃない。でも聞かない方がいいような気がする。
「説明は以上です」
江里口くんの言葉に、お母さんはそうだったのねとホッとしていた。良かった、不安が解消されて。
「花音」
「なに?」
お父さんに呼ばれた。お父さんを見ると、真っ直ぐに見つめられる。
「彼らの言っている事は本当なんだな」
嘘偽りは許さない、私の身を心から心配する視線だった。
ごめんなさい、お父さん。私は動揺して視線を逸らしたり、何もいえなくなる子供じゃないんだ。罪悪感があっても、表面上取り繕える子供なの。
真実を言えないより、むしろそちらの方が申し訳ない。
「どうやって帰ったかは覚えてないけど、大幅そうだと思う。腕が痛いし」
全てが全て、正直に話さなくていいと思う、私は無事なんだから。
すると突然明智くんがソファから立ち上がった。
「男を倒すとき、花音さんにも怪我をさせてしまったかもしれません。すみませんでした」
そして床に正座すると、お父さんに深く頭を下げた。私は慌てた。本当に臭かったんだ、あの体臭。口臭もだけど。
「何を言ってるの、私には当たらなかったよ? すぐに引き剥がしてくれてむしろ嬉しかったよ」
「頭を上げなさい。明智くん。君は段持ちか?」
お父さんが聞く。
「いいえ。身内から独学で習っていますので、段位はありません」
「お父さん、正当防衛だったんだよ」
明智くんはお祖父さんに習っているんだから、無茶を言わないでほしい。だが、お父さんは一歩も引かなかった。
「花音、お前がしたのなら正当防衛だ。だが、彼なら違う。しかも段位が無いならば、師が悪い事になる」
空手の師範代だから、そこらへんが面倒なのかも。
「違う、明智くんは簡単に暴力なんか振るわない。むしろ避けてる方だよ」
むしろ氷室くんの方が色々やりそうだ。肩を外そうとか、蹴飛ばしたり踏んだりしていたし。
「人としての心得は、いまだ未熟ですが勉強させてもらっています」
明智くん、立派だよ、13歳に見えない時があるよ。しばらくお父さんと明智くんは目を……というか、顔を合わせていたが、お父さんが折れた。
「話をしに来てくれてありがとう、詳しい事情が分かって助かった」
「こちらこそ朝早くに話を聞いてくださり、ありがとうございました」
江里口くんが軽く頭を下げる。
「今日は学校が休校ですが、明日は通常の授業が行われるはずです」
やっぱり休校なのか……でも、ならどうして制服を? 聞いてみることにした。
「なんで制服なの?」
「さっき学校に行ったから」
「こんな朝早くから学校に?」
先生との打ち合わせの為だろうか。でもあの加々良先生はぎりぎり登校するイメージがある。
「先生たちは徹夜だったんだ」
「そうなんだ……」
そうだよね、大事件だよね。あのちゃらんぽらんな先生も頑張って教師をしているのかな。そう思うと少しだけ尊敬してもいいかなと思う。
「ではそろそろ失礼します」
「もう帰るの?」
実は私の部屋に寄ってもらって詳しい話を聞きたいのに。
「また学校で会える」
「そうだけど」
「花音、見送ってきたら?」
お母さんの言葉に頷き、一緒に玄関へ向かった。
荷物は玄関に置いていたのか、それぞれ手にとって靴を履く。
「失礼します」
二人が扉を出たので、ついていこうとしたら押し留められる。
「伊賀崎、玄関から出るな」
「だって」
「まぁまぁ、後でね」
江里口くんが出て行く。
「……まだ分からない事もあるから、後で色々聞かせてね」
私が仕方なく了承すると、明智くんが振り返った。カバンから何か取り出す。
「預かっていてくれ」
「何? 何?」
私の手を掴み、茶巾袋を押し付ける。純和風な巾着袋はとても上品なものに見えた。
「じゃ」
「え」
いきなり別れの言葉を言われて顔を上げ、いなくなる二人を見送った。あまりの速さにちょっと寂しくなりながら玄関の扉を閉める。
慰めに手の中にある巾着袋を少し覗いたら、金平糖が入っていた。もしかして、お見舞いの品? ちょっと重さがあるけど、別のお菓子も入っているのかもしれない。
「お母さん、お菓子貰っちゃった」
「良かったわねぇ」
お母さんが片付けながら笑顔で頷く。
良かった、本当に良かった、うちが通常に戻った。二人には感謝だ。
「じゃ、俺は会社に行ってくる」
「あら、今日は休むんじゃなかったの?」
「花音が元気なら、俺も頑張らなきゃな!」
お父さんの顔にも笑みが、朝の動揺していた姿は微塵にも感じられない。
「やばい、遅刻する」
会社で遅刻はやばいよね。まだ電話してなかったのかな? お父さんは急いでスーツに着替えると、走るように出て行った。ドタバタだ。
……私の為だよね、ごめんね、そしてありがとう、お父さん。
私は背伸びすると、今日のスケジュールを考えた。
「はぁ……今日は学校休みかぁ。なら久しぶりに図書館にでも」
「だめよ」
速攻で却下される。
「あなたは昨日熱で休んでたのよ、今日は大人しくおうちで休むの」
「……ハイ」
たくさん心配してたくさん泣いたお母さんの顔を見ると、反論できなかった。でも、それも嬉しかった。幸せ者だな、私って。
大人しく部屋に戻ると机に座った。
そして明智くんから貰った巾着袋を開けると、美味しそうなお菓子を見て気分が浮上する。
簡単だよね、私。どこのお菓子かな? 机に置いて、驚く。
金平糖の下には携帯が入っていた。




