四月『花見』
「雪降る桜の山」
ピンクの花弁が、空を舞う。その光景を見ながら私は冬が終わったことを改めて認識して、ため息をついた。少し前まで白く染まっていた私の吐息は全く色づくことなく、誰にも知られずに霧散していく。
「お姉ちゃん、掃除手伝ってくれないかな……」
背後から夏樹の呆れたような声が聞こえてきた。私はその言葉に生返事だけ返して、外を見ることに専念する。つまり無視を決め込んだというわけだ。夏樹はその様子を見てため息をついたようだが、また忙しなく動き出す。後ろを一切振り向いていないので、全く何をしているかわからないので、描写はカットさせてもらうとしよう。
「……ねー、夏樹」
「何?」
「雪ってもう、ふらないのかな」
「北国でも行けば?」
「……そーねー」
不機嫌そうな、というか不機嫌な夏樹の返答に、私はどうとも返事をすることができなかったので、再び生返事を返すことにした。夏樹はわざとらしく大きな音をたてて苛立ちを示したが、沈黙は金なりとはよくいうものなので、ことわざに従って生きることを決め込んだ。使うところ、間違ってるかな。
窓の外ではそんな私たちの小さな喧嘩なんかまったく気にする様子もなく、桜の花びらが舞っている。近くにある大きな公園の桜の様子が、この窓からは見えるのだ。その桜の木の下には、大勢の花見客が大いに盛り上がっている。さすがにその喧噪まではここまで届いてこないが、いかにも楽しそうな雰囲気は伝わってくる。私も平常であれば、その騒ぎの中に夏樹を引きつれて向かうところなのであるが、今の私はどうもそんな気分にはなれない。
「結局雪、ふらなかったな……」
「何か言った?」
「いーやー」
私が入院している間にふった雪が、今年最後の雪となってしまった。退院してからもずっと雪がふることを待っていたのだが、それより先に桜の舞う季節が訪れた。
私の名前の一文字に、春、という文字がつかわれている。そのことからか、私は子供のころから春が好きだった。でも、今年はそんな春の訪れがあまり嬉しくない。それどころか、悲しみまで覚えてしまう。
それも、これも、みんな、
「……雪の、せいだからね」
私は私の元を去った彼氏に、未練たらたらなのだ。私の前から、いや、この世から、溶けていなくなった、彼氏のことを。私は四か月ほどたった今でも、まだ。さばさばした性格が私の自慢なのだが、それがどこへいったのやら。
確かに雪のおかげで、私は今こうやって生きていけてるのかもしれない。
でも、この心に残った空白はどうすればいいの?
教えてよ……。
雪。
○ ● ○ ● ○
さすがにまだ薄着は寒かった。そう後悔したが、弟に家を追い出されてしまった手前家に戻っても簡単には中に入れてくれないだろう。白色のショールにくるまりながら、私はあてもなく外を歩き続けた。先ほども二階から除いていた家の周りの景色だ、別に目新しくもなんともない。唯一、いつもと違う景色と言えば、
「……桜」
でも、やっぱりさっき見たからやはり目新しくない。春は、好きなんだけど、な。さっきも思ったことを思い返して、また憂鬱な雰囲気な引き戻される。弟も、最近私が気落ちしていることは知っているだろうから、気分転換に外に出させたのだろうが、こんなの逆効果だ。
「夏樹、ねぇ……」
あいつは我が弟ながら、ひねくれすぎではないかと思う。この前も、正月に彼女と二人で朝帰りを果たしやがったし。私が入院している間一人暮らしだからって調子にのりやがって。まだ今年で小六になったばかりの若造が。私だって朝帰りなんてしたことないぞ、ちくしょう。
桜の並木道が続いている川辺の道には、予想外にも人がいない。桜が整然と並んでいるので、下の河川敷に花見客の団体が数個並んでいてもおかしくないと思うのだけれども。桜を一人占めしているので、多少気分がよいのだが、何だか静かすぎて不気味な感もある。この辺も桜がきれいなことで知られているスポットなので、こんなに人がいないのはおかしいのではないだろうか。
ぎゃぁぁぁ
「……何? カラス、かな?」
桜の木の上の方から、人の悲鳴のような声が聞こえてきた。ただでさえ不気味な雰囲気だなと思っていたのに、そんな追い打ちをかけるように不気味な出来事が起こっちゃうもんだから、歩いている意味さえも分からなくなってしまう。気分転換に外に出たというのに、こんなのただのホラーゲームだ。それなら家の中をためいきと私の暗い気持ちで湿らせて、カビを生えさせているほうがましだった。夏樹にはいい迷惑だが。
ばさばさっ
大きな羽の音をたてて、それに見合った大きさのカラスが見上げていた桜の木から飛び立っていった。悲鳴じゃなくてよかったなと安心した裏で、やはり不吉だと自分の肩を抱く。何だか少し、気温も下がったような気もしてきた。
カラスが飛び上がった後、再び辺りは沈黙に包まれた。吹き付ける風で木の葉が揺れる音だけが、私の耳を震わせた。……今日は、本当に何かいやな日だ。何か私の身に悪いことが起こったわけではないけれども、雰囲気が、いやだ。何だか息苦しいというか、足が重たいというか。近所の道を歩いているとは思えない。
夏樹に怒られても、早く帰ろう……。
そう決意して、私が来た道を振り返る。
「……?」
そこに、一人の少女が立っていた。真っ黒いワンピースを着た、真っ黒のツインテールを横に垂らしている。遠いので顔までは判断できないが、この時点で少女ということはわかった。その特徴で、少年だったら少しいやだから。
いつの間にそこに立っていたのだろう。全く気付かずに、大学生にもなってカラスにおびえている姿を見せてしまったかもしれない。それは少し恥ずかしいな、と思いながらその横を通り過ぎようと少し急ぎ足で桜を横切っていく。
「ねーねー、お姉ちゃん」
その、すれ違い際。黒い少女が私に声をかけてきた。違う人ではないかと周りを見渡してみたが、自他ともに認めるほどの人のいなさなので、完全に私のことではないかと理解する。少し先を言っていた私は少女の方を振り返って、言葉の続きを待った。
その少女の周りには、何故かカラスの羽が落ちている。
「もう一度会いたい人って、いる?」
○ ● ○ ● ○
「……どういう、こと?」
少女はこちらを振り返るわけではなく片目でこちらを見ながら、私に意味深な発言をしてきた。立ち去ろうとしていた私だったが、その発言の真意が気になり、足をぴたりとそこで止めてしまう。舞い散る桜が私に何かを伝えようとして目の前を横切っていくが、それを無視して私はそこで足を止めつづける。
「その言葉の通りだよよ、おねーちゃん」
少女はそう言いながら、完全に私の方に体を向けた。髪をくくっている赤色のリボンが、真っ黒な容姿の中でやけに目立っている。
「会いたい人は、いる?」
そして少女と私の、目が合う。
少女の片目は、黒い包帯で覆われていた。
「……いる、けど」
今日は不気味なものにしか出会わないな……、と悲観しながらも少女の話から耳を離すことはできない。
私には、どうやっても会いたい、会わなければならない人がいる、から。
「じゃあ、もうちょっと私とお花見しないー? そーしたら、会えるかもしれないから」
「……何の根拠があって、そんな」
「桜の木は、もっともあの世に近いって、言われてるんだよ?」
「え……?」
「おねーちゃんが会いたい人は、死んだ人だよね?」
そう言って少女はその場でくるりとまわった。そこで気付いたのだが、黒い少女は靴を履いていない。病的に白い素足で、地面の上を優雅に回っている。ワンピースから伸びた細い足は、ふれたら折れてしまいそうなほどに、細い。
「……死んだ、人、じゃない」
「ん……? そうなの? 零と聞いた話と違うけど……」
少女は何やら独り言をつぶやきながら空を見上げた。私もその動作につられて空を見上げてみると、先ほどまで広がっていた青空が、何故か少しだけピンク色に色づいている。桜が周りで咲き誇っているからであろうか。そんなはず、あるわけないのだけれども。
「私が会いたいのは、雪、だから」
「雪……、snow? へー……、そーだったん、だね。まぁ、いいわー」
少しだけ面倒そうに少女は髪をかきあげて、目を細めた。その動作は、あまり少女らしい動作とは言えない。私ぐらいの年、もしくは少し下の、高校生ぐらいまでに成長した女性の動作だ。風貌と言い、仕草と言い、この少女は何なんだろう。私にはなにもわからないが、不気味であるというところだけは判断がつく。
「命があったものは、何であろうと必ずあの世にいく」
何であろうと。命のあったものは。
少女の言った言葉を心の中で反芻して、噛みしめる。
それなら、雪は、
命を与えられた雪だるまは、
ちゃんと、あの世に、
行けるのかな?
「さっきも言ったように、桜の木はあの世にもっとも近い存在なの」
それなら、もしか、すると、
「会えるかも、しれないよ?」
私の、大切な、人に。
● ○ ● ○ ●
「私は如月 弥生、よろしくね!」
桜並木を歩いているだけなのに、何をよろしくしろというのだろうか。私はわからないまま、自分の下の名前だけを弥生と名乗った黒い少女に告げて、家に帰ることをあきらめて先の方へと進んでいった。あまりこの並木道は通ったことがないので、この先に何があるかはわからないが、弥生曰くこの先でもしかしたら会えるかもしれないとのことだ。何を根拠にそう言っているのかは皆目見当もつかないが、私はどんな小さな可能性でも、逃すわけにはいかない。
「小春おねーちゃんは、あの世って信じる?」
「……信じないことは、ないわ」
「曖昧ー」
弥生はふてくされるように両方の頬を膨らませる。しかしすぐにその仕草をやめて、照れるように一度笑った。あまり少女らしくないところが散見されるが、どう見ても体格が私より十歳は下だ。
「なんか、あれよ。あまりに、現実的じゃないから」
「それなのにおねーちゃんは私を信じるの?」
「……それは」
「まぁ、どっちでもいいけどー」
弥生はまた前に向き直って、歩き続ける。私もそれにならって、静かにその後を着いて行った。傍から見ると、妹に連れられて花見に出た大学生(独身)のようであるが、そもそもそんな傍から見てくるような人影さえない。近くは住宅街であるというのに、本当に珍しいこともあるものだ。そしてその補足説明うざいからやめろ。
「彼氏が雪だるまだった、っていうのは信じるんだ?」
「……」
目の前で人間がそう説明しながら溶けて言ったら、それを肯定するしかないだろう。でないと、目の前で起きている状況が理解できなかった。あれがもし、種と仕掛けのあるマジックショーの一環だったなら、一度だけビンタして終わらしてあげるのに。
だから、顔の一つや二つ、合わせてくれればいいのにね。
ちゃんと手加減、してあげるから。
「当り前、でしょ」
「ふーん……、じゃあ、おねーちゃん」
「……何?」
桜並木が続くだけだった道の先に、小さな山が見えてきた。あんなものうちの近所にあっただろうか。そう一瞬疑問に思ったが、それ以前にこんなに長い距離桜が続いているなんておかしい。空の色のピンク色も、いつの間にか濃くなっていた。
「死神って、信じる?」
「しに、がみ……?」
あまりに突拍子のない発言が飛び出したので、思わず聞き返してしまった。そういえば、雪も別れ際にそんなことを言ってたような気がする。
「死神に願いをかなえられた人間は、死後の世界にいけないんだよ?」
本当に、突然何を言い出すのだろう。私は理解が追い付かぬまま、返事もろくに返すことができない。そんな中、弥生は楽しそうに跳ねながら、先に進んでいる。その方向は、どう考えても山の方を向いていた。
「おねーちゃんが会いたい人は、死神に願いをかなえてもらって、そして、死んだ」
雪の、願い。それは、雪が人間として生きていたことだろうか。私と生きるために、望んでくれたこと。それをかなえるために、雪は、死神に頼ったのだろうか。
「だから、おねーちゃんの会いたい人は、死後の世界にはいない」
弥生は大きく腕を広げて見せた。それと同時に、黒い羽根が弥生の背中に現れる。それは、先ほど見たカラスのものと、ほぼ相違ない。それはとても信じられないような光景だが、私はもう驚かない。
何故なら私の彼氏は、
雪だるまだから。
「だからきっと、この先にいるから」
● ○ ● ○ ●
「この先は、この世とあの世が混在する世界なの」
黒い翼をはやしたまま、弥生はそう言った。歩くのに邪魔ではないだろうか、という呑気な感想しか湧いてこないが、本当にこの娘は何者なのだろう。というか、ここはどこだろう。私の知っている近所の河原の道は、こんなに長く続いていない。今は山を登っているのだけど、こんな山、うちの近所には絶対ない。鈴音山が近くにあるが、この山とは逆方向だ。そちらの方を振り返ってみても、わからないぐらいに。かなりの遠さまで来てしまったなとそこでようやく理解する。歩いてきた時間を考えると、当たり前か。
「だから、ここではこの世の常識は通じない」
「……? どういう、って、寒い……」
そう弥生が言った瞬間に、急激な寒さが私を襲ってきた。さっきまでも十分肌寒かったのだが、薄着の私には最早痛みとさえ呼んでもいいほどの寒さである。それなのに、周りには桜が美しく咲き誇っているという、常識に反した不可思議な光景が目の前には広がっていた。
「おねーちゃんが会いたい人は、雪だるまなんでしょ? そりゃ、寒いに決まってるよね」
翼にくるまるような姿をした弥生が、にやけたまま呟く。その言葉の通りを理解したとするなら、
するなら、ば。
「この先に、雪がいるの……?」
目の前には桜の木が数多く広がっているだけで、まだその姿は見えないが、私はカラスの翼をはやし
た、得体の知れない少女の言葉を信用して、この先に雪がいるのだと確信する。そう勝手に思い込んだ瞬間に、寒さなどどうでもよくなってきていた。
「そうかも、しれないわね」
弥生の言葉がまた大人っぽくなったことなど気にせずに、私は走り出していた。きっと弥生は呆れた目で私の背中を見つめているのだろうが、それも無視して。宛なんかない。ただ、そこに雪がいるって、そう感じたから、私はがむしゃらに走り続けた。寒さに耐えかねた体は悲鳴を上げているが、心の中はとても熱く、並みの氷なら溶かしてしまいそうだ。
「雪……雪……」
切れる息の中で、呼吸器系を酷使して雪の名前を呼ぶ。返事何て、きっと返ってこない。そんなこと、私にだってわかっている。でも、私は呼び続けた。
「雪……雪……雪……!」
足を土にからめとられて、その場に倒れてしまいそうになる。かろうじて逆の足を前に出してとどまり、体勢を立て直す。何故だか、頭上には雪が降っている。咲き誇った桜に雪が積もるという謎の事象が目の前に広がっているが、そんなことどうでもいい。本当に、どうでもいい。
「雪! 雪ぃ!」
木をかき分けて、かき分けて、そして、叫んで。
そして、突然、何の前触れもなく、
「ゆきぃぃぃぃぃ!!」
泣きじゃくる私の前に、開けた場所が現れた。
「……来てしまったんだね、小春」
「……雪?」
懐かしい声が、耳をうつ。開けた場所の真ん中あたりに、その声の主は座っていた。
「雪……? なの?」
「そうだよ、久しぶりだね、小春」
雪は少し伸びた特徴的な白髪を凍える様な風になびかせながら、弱々しく笑った。体型も全体的に細くなっているような気がする。私はがむしゃらにその体に向かって走って、しがみついた。雪は少し体をゆらしながらも、私の体をしっかりと受け止める。
「来て、しまったんだね……。カラスの話を、聞かなかったのかい?」
「え……、カラス?」
「死神に願いをかなえられた人間は、死後の世界にいけない。そうとだけは伝えたわよ」
いつの間にか私に追いついていた弥生が、ふてぶてしくそういった。口調が完全に体型に見合っていない話し方になってしまっている。
「僕のところに連れてきた時点で、願いはかなえられたということなんだろ?」
「……それは、ちがうわ。あなたの元に連れてきたのは私。私はカラスであって、死神ではないから」
二人がわけのわからない会話を繰り替えす。私は懐かしい雪の肌の冷たさを感じながら、一応その話に耳を傾ける。なんだか、私に関係のある話っぽいし。
「おねーちゃんの願いは、あんたを生き返すことだから」
「……口調、気にしないのかい?」
「面倒だから……、零にあわせてただけだし」
「……そうかい。ねぇ、小春」
二人は知り合いだったらしく、世間話のように話を続けていく。そして、突然私の番が訪れた。話の流れが全く分かっていない、私の番が訪れてしまった。
「死神に頼めば、僕はまた君と過ごすことができるんだ」
「そう……なの?」
確かに私は、雪に会えるだけでも嬉しいが、それだけでは満足していない。また、昔みたいに雪と過ごしたいのが本音だ。ただ、それは実現可能だというのだろうか。雪が生きていたことさえ奇跡であるのに。
「その奇跡を起こした張本人がいるんだから、生き返すことぐらい簡単よ?」
「そうなんだけど、ね。小春、僕の話を聞いてくれない?」
「え……うん」
死後の世界にいけないとか何とか言ってたけど、雪とこの先の人生を生きていけるのなら、私は死んだあとのことなんてどうでもいい。そんなの、悩むまでもないじゃないか。
「人は、死んだあと、こことは違う場所でもう一度過ごすことができるんだ」
「あー……それは言っちゃいけないやつ。ま、いっか」
「でも小春。死神に願いをかなえてもらったら、そこにいるカラスみたいに、死神の使いとしてこの世をさまようことになるんだよ」
弥生が気まずそうに頭をかいた。弥生も、死神に願いをかなえてもらったということだろうか。話からすると、そういうことなんだろう。
「それでも、いいのかい?」
よく話がつかめないけど、人は死んだあとに、もう一度人生を送ることができるらしい。それはよくわからない原理であるけども、雪や、弥生の様子から見てそうなのだろう。私にはその原理が、全くわからない。だから、それを信じるしかないんだ。
で、そこで、そのわけのわからない話を信じたとして。
「いいに、決まってるじゃない」
私が断るわけ、ないじゃないか。
「じゃあ、君は雪だるまを生き返すんだね?」
「え……誰?」
不意に弥生の後ろから、金髪の少年が現れた。魔法使いの様な恰好をした少年は、弥生よりわずかに身長が低い。雪の積もった地面を裸足で歩くその姿は、いかにも寒そうだ。
「僕は君たちが気に入ってるから、ね。そのくらいの願いかなえてあげるよ。でも、弥生?」
「何?」
「少し話しすぎさ」
「自覚してる」
演技じみた口調の少年は、弥生と親しげに会話をした後、もう一度私たちの方を向いた。気に入られる意味が分からないが、願いをかなえてもらえるというなら、それでいい。私の死んだあとのことなんて、どうでもいいんだ。
だから、はやく、
「雪を、雪を、生き返してよ!」
「おっと……、待ってくれないんだね。いいともさ。すぐにでも生き返してあげよう」
少年が、空に向かって手を上げる。弥生はそれを見て、一瞬忌々しげな顔をしたが、翼を広げてどこかに飛んで行ってしまった。私を雪の元に連れてきてくれた得体の知れない少女。あの子は、一体なんだったのだろうか。
「死後に後悔しないことを、願ってるよ」
そして、少年の手から眩い光が放たれた。
● ○ ● ○ ●
「……ん」
「大丈夫かい、小春?」
目を開けると、優しい微笑みを浮かべた雪の顔がすぐそばにあった。どうやら、雪の膝の上で寝かされているらしい。心地よい冷たさが、後頭部に触れている感触がある。
「雪……?」
「そうだよ。僕は、雪だ」
少しだけ寂しそうな笑顔を見せた雪が、顔をあげて周りを見渡す。私もそれにつられて、少し体を起こして周りを見渡した。
「……あれ? 桜、は?」
そこに、もう、満開の桜と、降り積もる雪はなかった。名前もよくわからない雑木林だけが周りを取り囲んでいる。さっきとは全く場所のように感じられた。
「あれは零が……、死神が、創り出した空間だから」
「え……?」
「ここは、鈴音山だよ」
「そんな、え……?」
私は鈴音山と逆の方向に歩いていたはずではなかったのだろうか……? そう不審に思っていると、雪が私の体を起こしてくれて、その証拠を私に見せてきた。
雪の背後には、古びた神社がそびえたっている。
「鈴音神社……、ほんと、なんだね」
「なんだか、ここが、あの世と一番つながりが深いらしいよ……。それよりも、小春」
「な」
私が何かを言う前に、雪が私の体を抱きしめてきた。氷のように冷たい体が、私を包み込む。視界が急に阻まれて、息が苦しくなった。随分と久しぶりの感覚に、再び涙が溢れてくる。雪はそんな私の頭を撫でながら、言葉を続けた。
「いいのかい……? 君はこれで、死後の世界にいけなくなってしまうんだよ……?」
私が無理矢理顔をあげて雪の顔を見ると、とても悲しそうな顔をした雪と目があった。今にも涙を流してしまいそうなほどの表情である。
「小春にはわかんないかもしれないけど……」
「そんなの、どうでもいいじゃない」
「え……?」
呆気にとられている雪に笑いかけて、私は言葉を続けた。死後がどうなろうとどうでもいい。
私は今、嬉しいのだ。
「私は、今、雪と生きていければそれでいいの」
「……小春」
雪は一瞬戸惑いながらも、私と同じように微笑んだ。そして、どちらからともなく唇を重ねあわせる。思えばこれが私の人生において、初めてのキス……、ファーストキス、というやつなのだ。なんだかそう思うと、照れくさくなる。
「……お花見でも、しようか」
唇を離した後雪が頬を赤く染めながら、そう言った。優しいが、クールなのが特徴の雪にしては珍しい表情だ。何だかそんな表情をされてしまうと、こちらの頬の赤みも増してしまう。こうしていると、バカップルみたいじゃないか。
「そうだね」
桜なら、さっきまで散々見てたけど、
雪とみる桜なら、きっと、もっと美しいはずだ。
死後の世界とか、そういうことは、よくわかんないけど。
「じゃ、行こうか」
「うん」
雪の冷たい手を握る今は、幸せだ。
ならば、私はそれでいい。
特に、何の準備もしてないし、体ももう、ぼろぼろだけど。
今日は、良い花見に、なりそう。