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十二月『雪だるま』

「あたたかい雪」

私の彼氏は、雪だるまだ。


……いや、比喩だけどね? もし、本当にそうだったら、常に零度を保たないといけないことになってしまう。それに、雪だるまと付き合うってどうなんだ。転がしてデートにでも行けというのか。残念ながら、それはただの運動会だ。


「どうしたんだい、小春?」


「んー? いや、なんでもないよー」


 私の想像を察してか察してないのかはわからないが、彼氏、雪は私の顔を覗き込んでくる。私よりも随分背の高い雪には、私の顔を覗き込むことは重労働だろう。それに、「雪って雪だるまみたいだよね」って素直に言ったら何だか傷つかれそうな気がするので、それは自重しようと決意する。


 雪だるまだ、と言っても別に体系がお団子型とか、手足が木の枝だ、とか言うんじゃない。体系はスリムだし、手足も頼りがいのある程度の太さは保っている。それに、かっこいい。……うるさい、のろけてなんかないぞ。


 唯一見た目が雪だるまに似ているところと言えば、髪の毛が白髪なことだろうか。昔、気になって聞いてみたところそれは極端な若白髪ではなく、生まれつきの地毛らしい。本人談なので、本当は白髪の可能性もあるのだが、黒髪やら茶髪が混じっているところを見たことがないので、まぁ、本当なのだろう。


「今日も寒いねー」


「……その恰好でよく言うね、雪」


 あぁ、これが雪だるまみたいと私が言っている一つの理由だ。私が紹介する前に、自分から露呈してくれた。誰に紹介してるのか、そう言えば不明だが。


 雪は、寒さに果てしなく強いのだ。


 実際今も、気温は確実に一桁台なのに、Tシャツに薄手の上着を羽織っただけの恰好で私の手を引いている。その体温は、ミトンの手袋越しにでもわかるぐらい、冷たい。まるで、氷に触れているようなのだが、全然寒くないらしい。この格好で、平気な顔をして「アイス食べようか?」とか提案してくるので、人間の神秘を感じざるを負えないというものだ。寒がりな私の身にもなってほしい。


「十分寒がってる方だと思うよ? 僕は暑いのが苦手なんだよー」


「うん、まぁ、知ってるけど……」


 この苦手、というのもまた並の人間の苦手の幅では計りきれない。夏に会う際には、日差しの元を歩くことを極端に嫌い、五分歩くと「クーラーが恋しいよー」と子供のように駄々をこねる。その額から流れ落ちる滂沱の汗を見れば、その駄々に従うしかないのだが。たまに雪の部屋にも行ったりしたのだが、「あれ、ここだけ季節違うんじゃない?」と、少しの間外と中を行き来しなければ季節感さえも失ってしまうほどにクーラーをガンガンにつけて、それでいて氷水に足をつけていたりする。その姿は、罰ゲームをうけている様にしか見えない。


「今日はどこに行こーかー?」


「あのね……、雪。バイトに行く途中でしょ、私たち。デートじゃないのー」


「あ、そうだったね」


 雪は爽やかに笑いながら、自分の頭を撫でた。純白の白髪が、寒風にと靡く。本当に忘れてたのか、それともふざけただけか……、いや、これは多分素で間違えたのだろう。雪とはそういうやつだ。幼稚園のころに出会って、高校三年生のころから付き合い始めて、三年間で、そのことは十二分にわかっている。この呑気さも、私が雪のことを雪だるまだと称する理由の一つだ。


「じゃあ、もう少しで着くね」


「そうだね……、店内は暖かいし、少しはマシかな……」


「僕としては、外の方が心地よかったりするんだけどね?」


「あんたの意見は聞いてませんっ」


「……だろうと思ったよ」


 横に並んだ雪が、真っ白な歯を見せてにこっと笑った。私もそれにつられて、笑顔を零す。雪の笑顔は、周りを笑顔にさせる柔和な何かを孕んでいる。


 その体は冷たいのに、見ている人たちに微笑みを与える。


 そんな点に関しても、雪は、雪だるまみたいだ。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


「よりによって冷凍室の整理を任されるなんて……。最悪」


「そうかい? 店内の暖房が利きすぎだから、涼しいと思うよー?」


 冷凍室に暖房が効いていると思っているのか、こいつは。


 店長の言いつけが理不尽だったので、思わずついてしまった悪態に、雪が自分の感性を着色しまくって反応してきたもんだから、なんだか私が間違っているのか少し不安に思ったが、冷凍庫の扉が電気の力によって開かれる様を見ている間に、私の意見の勝利を確信する。……しかし、これが全く嬉しくない。


「ほーら、涼しいじゃん?」


「……さっさと終わらせよーっと」


 店から支給されている制服に、上着を一枚羽織り、厚手の手袋を装着しただけという格好で冷凍室に潜入する。整理とは言ったが、不必要な在庫を確かめるだけなので、すぐに終わる仕事だ。その間に凍え死ぬことは、まずありえないだろう。


「雪はそっちお願い。私はこっちから行くからー」


「OK、任せてー」


 少し元気そうな顔になった雪に、背の高い棚が立ち並ぶ方を指さして、指示をする。雪は何の抵抗も見せることなく、むしろ嬉々として棚の方に駆けて行った。私は大きくため息をついて、自分の取り分を終わらせるために、歩き出す。


「あ……扉」


 と、そこで冷凍庫の扉を開け放していることに気が付いた。すぐに終わる仕事とはいえ、冷気が店内に漏れるのはいささか申し訳ないので、電動で開閉するための起動装置であるボタンを押して、扉が閉まったことを確認してから、私も自分の分の仕事に取り掛かった。 


 あらかじめリストアップされている在庫の名前を見つけ出し、棚から降ろす。人気のない冷凍食品や、季節感にそぐわないアイスクリーム等が主だ。そのついでと言って、店長に店頭に並べる商品を外に出すことも命令されているので、「冷めてもおいしい!」が謳い文句のオムレツの冷凍食品を棚から降ろして、廃棄処分の物とは別の場所へ積む。こういうところにいる時ぐらい、暖かい一言でもかけてほしいものだ、という無理難題は胸に押し込んでおいた。


「雪ー、終わったー?」


 大きな声を出した反動で、かなりの量の冷え切った空気が肺に雪崩れ込んできた。それに体が順応できず一瞬呼吸困難に陥ったものの、人間の順応力は高いようで、冷たい空気を呼吸のための糧として体に取り込むことを許容する。非常に寛大な肺に、感謝。……寒さで少し頭がおかしくなっているような気がしないでもない。


「よいしょ……、終わったよー。小春はー?」


「終わったー、戻ろうかー」


 積み上げた品々を運搬用の台車に乗せて、雪の声がした方へと歩く。車輪の一つの働きが緩慢な台車は、真っ直ぐ動くことに否定的だ。私のこと嫌いなのかな、と疑いたくもなるぐらい左に曲がろうと躍起になっている。


「もう少しここにいてもいいと思わない?」


「……私が死んでもいいならね?」


「……それは好ましくないから、帰ろうか」


 苦心して辿り着いた先でそんな出迎えを受けたので、自虐的な嫌味で対抗の意を示したら、雪は苦々しい顔をして私の提案を承諾した。死を持ち出すのは、不謹慎かな……。と言った後に後悔したが、ここに長居すると死んでしまうのは事実だ。なのでノット不謹慎。否定に否定が重なっているのは、気にしないで。


「本気で寒くないの……、雪は?」


「まぁねー。これぐらいが適温だといっても過言ではないよ?」


「なんでドヤ顔なのよ……」


 雪の荷物を積んでいる間に、そんな会話が繰り広げられた。氷点下の中で話している会話だとは決して思えないのは私だけだろうか。きっとそうではないはずだよね、ね? 雪といると、たまに私が間違ってるのかなって思うこともあるぐらい温度についてのギャップが激しいから、誰かに私を肯定してほしいのだ。


 荷物を増やすと、さらに反抗期に磨きがかかった台車は、左へ左へと私たちを導いて行く。そんなに左に行く理由はなんだ、と激しく問い詰めたい気分なので「……代わろうか?」と控えめに提案してきた雪に教育を一任することにした。さすがに本当に問い詰めるほど私はバカじゃない。


 そうこうしている間に出入り口に辿り着いた。小さいデパートの狭い冷凍室なので、普通に歩けば往路一分かかるか、かからないかなのだが、私が台車に手を焼いている間に二、三分ほど無駄にしてしまい、ついでにその分体力も浪費してしまい、ついでに薄着できたことを激しく後悔する羽目になってしまっている。これは、早々に暖房の効いた部屋に戻ってしまいたいところだ。


 出入り口の分厚い扉の横に取り付けられている、「開」と激しく自己主張を押し出してくる赤色のボタンに手をか急に目の前が真っ暗になった。


 ……え?


「……停電、かな?」


 私の少し後方に立っている雪が、周りの状況を冷静に判断して、そう口にした。なるほど、だから周りがいきなり急に暗くなったのか、と今更になって私も理解する。備え付けられている白色蛍光灯以外に照明器具が一切ない冷凍室の中は、完全な闇に包まれてしまっていて、まさに一寸先も闇状態だ。ただ、扉を開けるボタンに私は今指先を密着させている状態なので、この暗くて寒いという最悪の状態からは脱出できそうである。雪はこっちの方が、好きそうだけど。


 指先に軽く力を入れると、ボタンは窪みにめり込んで、カチッという小気味の良い音とともに、横にある重厚な作りの扉が開かない。あれ、押し損ねただろうか。もう一度同じ動作を繰り返すが、先ほどと一言一句変わらぬ出来事が起こった。つまり、扉が開かない。暗くて扉が開いたか開いていないかわからないだけではないだろうかと、手探りで扉の開閉を確かめてみたが、確実に重厚な扉は私の行く手を阻み、ぴくりとも動こうとしない。一体、どうしたというのだろう……?


「小春……、停電なら、電動のボタンは機能しないじゃないかな?」


「……あぁ、なるほど」


 寒さからか、思考が甘くなっている私を雪が指摘する。さすが寒さに強いだけある、冷静な判断だ。私なんか錯乱しすぎて、「開」のボタンを怒涛の早さで連打していたところだ。そして「そこまで自己主張激しいんだから、開けて見せろよぉぉぉぉぉ!」と叫びそうになった。その寸前のところだったので、私は変人にならなくてすんだわけだ。いつもはのんびりとしている雪を、少し見直す。その見直し方はどうなんだろうと思わないでもない。


 そうかー……、停電かー。なら開くわけないよねー。と、心の中で罵倒してしまった「開」ボタンにこれまた心の中で謝罪する。そうだね、お前が悪くて扉が開かないわけじゃないんだよね。悪かったよ……、って、え?


「扉……、開かないの?」


「みたい……だね」


 頭が凍りついて呆然としていただけの私よりも先に、寒さにはめっぽう強い雪が手動で扉を開こうと試みてみたが、駄目だったようで頭を横に振ったのが暗闇の中に見えた。どうやら目は闇に慣れつつあるらしい。私が全く状況に馴染めていないというのに。


「え、いつ復旧するのかな……?」


「わからない……、けど、このままじゃまずいよね、小春は」


「そりゃそうよ……。こんな寒いとこに……」


 雪はともかくとして、普通の人間である(注※雪も普通の人間です)私にはこの寒さはまずい。甘く見て、薄着で来ていることが痛恨の極みだ。


「ブレーカーが落ちただけかもしれないから……、すぐ治るかもしれないよ?」


「そうだと、いいけどね……」


 デパートのブレーカーが落ちるって、一体どういう状況なのかは謎だが、その可能性にかけることにしてみた。そうじゃないと、電線が切れたーとか、雷の直撃がーとかだったら洒落にならない。全然笑えない。笑う前に横に積み重なっている冷凍食品の仲間入りを果たすことになる。冷凍食品と違うところがあるとしたら、解凍してもふっくらおいしくはならないことだ。誰にも需要がない。


 ……冗談は、やめとしてだ。


「他に出口……、ないかな?」


「うーん……、探してはみてるんだけどね……」


 いつの間にか私の傍らを離れて、天井やら壁やらを物色していた雪から、遠まわしに悲報が告げられる。その言葉を聞いたと同時に、寒さからか恐怖からかわからないような体の震えが起こって、私を凍りつかせた。


「冷気は止まってるみたいだから……、しばらくしたらマシになるかもだけど……?」


「そんなに長居したくない……」


「だよねー……」


 戻ってきた雪が、微妙な笑みを浮かべたまま、励まそうとしたのかそんな言葉をかけてきた。しかしそれが全く励ましになっていないので、私の気分はさらに凍てついていく。それに気付いたらしい雪が、戸惑いながらも私に自分の分の上着を放ってきた。


「ありがとう……、でも、雪が……?」


「僕が寒いのに強いのは、知ってるよね」


「そ、そうだけど……」


「だから、安心して着ててよ。僕は、もう少し足掻いてみるから」


 そう言って雪は笑顔で冷凍室の奥へと歩いて行った。私は黙ってその後ろ姿を見送りながら、雪の上着を羽織る。動いて体でも温めようかと思ったが、こんな場所でそんなことをしたら体力が尽き、余計に体が冷たくなってしまうだけだと気づいて、結局どうしようもなくてその場に座り込んでしまった。感覚のなくなった末端神経には、最早寒さという概念はなく、痛みだけが脳に伝えられて、私の体を包んでいく。


 そんな中でも、私は。


「あー……、かっこいいなー。雪」


 そんなことを、言っていた。


 我ながら、呑気なのか、馬鹿なのか。


 わっかんないわー。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


 閉じ込められて、どれくらいの時が経過したのだろう。普段携帯電話で確認するのだが、冷凍室に持ってはいるわけにもいかず、外に置いてきてしまった。携帯電話を持ち運んでいれば、この状況もなんとかできたのに……、と、しばらく前の私に悪態をつく。


「大丈夫、小春?」


 優しく話しかけてくれる雪の言葉に反応することもできずに、自分から吐き出される白い息を見つめていた。時間が経って、少しは寒さが緩和されたのかもしれないが、最早それを察知するような感性を、私は持ち合わせていない。というか、全て、凍りついてしまった。


「電気……、戻らないね」


 頭上でカチッと、場に似合わない小気味の良い音がする。しかし、それに伴って鳴るはずの、重厚な扉が開く音が伴わない。つまり、まだ電機は復旧していなかった。ため息をつく元気もなく、雪のズボンを握る私の手は、それを目視していないと何をやっているのかわからないほどの役立たずになり果てている。雪だるまの、木製の腕の方が幾分かましだ。と、自嘲交じりに笑ってみようとしたが、無理だった。冗談でも、笑える状況ではない。


「小春、本当に大丈夫?」


 雪がしゃがんで、私に目線を合わせてくる。やっとの思いでその姿を見返すことに成功した私は、震える唇で、言葉を紡いだ。


「寒い……よ、雪ぃ……」


「……ごめん、僕が不甲斐ないせいで……」


 俯きがちにそう言って、雪は私の手を握る。その手から伝わってくる体温で、私の手がちりちりと痛んだ。雪の冷たい体温でもその現象が起こるということは、私の体温がそれよりも低下している証拠でもある。今度は口の端だけ吊り上げることに成功した。そんな不細工な笑いを見つめながら、雪は少し考える様な顔を見せた後、


 そっと、


 優しく、


 私を抱きしめた。


「へ……? え……? 雪?」


「ごめん……、小春。嫌かもしれないけど……、少しだけ我慢して、そして、僕の話を聞いて?」


 雪の咄嗟の行動に、理解が追い付かず当惑する私をよそ目に、雪は話を始めた。


「僕は……、雪なんだ」


「……知ってる、よ?」


 急に自己紹介されたので、余計に困惑が積み重なってしまう。雪はそんな私の様子に気づいたようで、急いで首を横に振った。


「えーと……、そうじゃないんだよ。名前もだけど、僕は本当に雪なんだ。雪だるまなんだよ。小春」


「……ふぇ?」


 それは私が、今朝考えていた絵空事ではないか。思考を読み取る能力でも、雪は備えているのだろうかと、これまたわけのわからない絵空事を脳に描いてみた。


「僕は、君が作った雪だるまなんだよ。小春。君は覚えていないかもだけど、ね」


 私の頭の中には疑問符しか増えていかない。それと雪から伝わってくる体温が、心なしか徐々に熱を増してきているような気がする。


 あと……、雪の顔から、汗が、垂れてきてるんだけど……?


「溶けかけてた時、神様……、死神、って言ってたっけ、が僕に、人間の体を与えてくれたんだ」


 私が疑問符の製造に労力を費やしている間にも、雪のお伽話は続いていく。死神に体を与えられたというのも、また現実味のない話だ。と、こんな中でも冷静に判断している私がいることに少し驚く。


「それと、その、死神? は僕に人間としての立場を与えてくれた。だから僕は『松風 雪』として生きてこれたんだ。『戸塚 小春』。君に想いを伝えたくて、ね」


 そう言う雪の顔は、とても穏やかで、でも、汗をかいていて、涙も流していて、よくわからない状態になっている。私はその涙を、必死に上げた指で拭う。雪はそれを見て微笑み、また口を開く。


「でも……、僕のこの体には条件があるのさ。体の中にある僕の本体君が作った雪だるま、それが溶けきった時に、僕の体は雪となって、溶けだす。それが、死神が僕に与えた条件だった」


 それで、雪は、暑さを嫌っていたのだろうか……。雪の話すお時話に少し心当たりが芽生えてきた。けども、そんな、寒さで頭をやられたような非現実をあっさり受け入れてしまうほど、私は頭をまだやられていないようだ。


「だから、僕は、今まで暑さを避けて生きてきた。……だけど、ね」


 雪が、私を抱きしめる力をより一層強くする。それと同時に、雪の体温が明らかに高くなっていくのが分かった。そんなこと、普通の人間ではありえない。雪の体温のおかげで、少しだけ正常を取り戻した脳がそう判断する。


「だけどー、僕は、君を助けるよ」


「ゆ……き?」


 私は呆然と雪の名前を呟いた。そうすることしか、できなかった。


 雪の体が、溶け出していく。そんな様子を、見ている中では。


「雪……? 雪……!?」


「暖かい? 小春?」


 雪は微笑んだまま、私に問うてくる。溶け出した雪は、雫となって床と私を濡らした。


 それはとても暖かく、優しい。


「ここまで渋っていた自分を、ぶん殴りたい気持ちだよ……。ごめんね、小春」


「うぇ、ゆ、雪! か、体が……、嘘、嘘、嘘、だよね? 嘘って言って、ねぇ? そんな、お伽話みたいなこと、ない、よね!?」


「……僕は、君が四歳の時に作った雪だるま。全部、本当のことさ」


 雪が、溶けて、いく。


 文章的には合っているはずなのに。


その現実はとても非現実的で、


 でも、この暖かさは現実で。


 もう、わけが、わからなかった。


「なんで……、そんな、ありえるわけ……」


「ありえる、ありえないんじゃないんだよ。小春。実際僕は、ここまで君と一緒に成長してきたじゃないか」


 そう言って、幼馴染でもある雪は笑って見せた。確か、初めて雪に出会ったのは……、私が、


 そうか、私が、四歳の時だ。


「お金とか……、成長に必要なものは、全部死神さんが用意してくれてね……。おかげで僕は、君とこうやって付き合うことができたわけさ……。彼には、とても感謝しているよ」


 雪の体が崩れていく。というか、どんどん小さくなっていく。いつの間にか二回りほど小さくなった雪の体は、私と同じぐらいの大きさとなってしまっている。


「体の維持も……、そろそろ限界かな。腕とかなくなっちゃうから、見ない方がいいかも……」


「や、やめてよ雪! もう、いいから! もう十分だから……。もう、やめてよ……」


 泣きじゃくる私の頬に雪の指が触れた。その瞬間に、その指が溶けて、昇華していった。雪はそれを見て苦笑いを漏らしながらも、もう片方の手で私を強く抱きしめる。


「いいんだよ……、小春。どうせ……、僕はあの時溶けてなくなるはずだったんだ。だから……、そんな命で君を救えたんなら、僕は本望だよ」


 雪の足が、肩が、どんどん水になって床に零れ落ちていく。私はどうにかしようとしたが、そんなもんでどうにかなるはずもなく、雪は、溶けていく。


「雪……、ゆきぃ……」


「泣かないで小春……。あぁ、でも、もう、終わりが近いみたいだよ」


 雪は私から手を離した。というか、雪の腕が溶けて、私を抱きしめられなくなったのだ。もう、雪には胴体の一部と、頭しか残されていない。その表情はとても弱々しく、しかし、それでいて優しい。雪の熱で元気を取り戻した私は、床に倒れる雪に覆いかぶさるような形で、雪を抱きしめる。その体は非常に軽く、簡単に、持ち上げられるほどとなってしまった。


「ねぇ……、小春。今まで黙ってて、ごめんね」


「ううん……いいの、雪。あなたは……、そうやって、いつも私を……」


 近所の犬に吠えられて私が泣いた時も、

 小学校の頃、乱暴な同級生に私が泣かされた時も、

 中学生になって、私が部活の試合に負けた時も、

 高校生の時、私が勉強に困っていた時も、

 

 どんな時でも、

 

 私の大好きな、雪の優しい微笑みは、傍にあった。


 そして、いつも私を助けてくれた。


「ありがとう……、人間になってくれて……。ありがとう、私の、傍を、選んでくれて……」


「当り前じゃないか……、だって、僕は、君のこと……」


 雪の声が、途絶えた。


 床に、水滴が零れ落ちる音だけが、耳をうつ。


 床に落ちた水は、いつしか冷凍室の温度で凍っていきつつあった。


 でも、それは、二度と雪には戻らない。


 私を、助けてくれた、笑顔に、させてくれた、


 あの、暖かい雪には、もう、二度と。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


「……寒い」


 私は一人呟いて、空にため息を吐き出した。ため息まで丁寧に白く飾り付けてくれる寒さに、苦笑という褒美を与えてやる。きっと全く嬉しくないだろうな。


 枯れた樹木と、むき出しの地面に囲まれたベンチに座って、久方ぶりの息を吸い込む。それにはいつかの冷凍室の様な冷たさが孕まれていた。寒さに対するトラウマみたいなものは、ないらしい。むしろ暖房の効いた病室にずっといたので、懐かしささえ感じてしまうぐらいだ。


 あの、冷凍室での事件から、一週間。


 私は、元気に生きていた。


 雪が溶けて、数分後。電気は復旧して、冷凍室の中で一人泣きじゃくっていた私は救出された。停電の原因は、どうやら電気系統のトラブルで、店内の電気回線が通常に運転していなかったことらしい。ちゃんとした原因や、改善案も話された気もするが、全然頭に残っていなかった。


 私を助けに来た店長は、雪の姿がいないことに、相当焦っていた。私は、焦る店長に、何も言わなかった。よって、雪は密室の冷凍室の中で行方不明ということにされた。もう、滅茶苦茶だ。


 そして、全身凍傷になりかけだった私は病院に運び込まれ、治療されて。

 すぐに、親族が駆けつけて、泣かれて。

 店長が駆けつけて、謝られて。

 でも、雪は、私の前に姿を現さなかった。


「あたり……、まえか」


 誰もいないことをいいことに、私は再び言葉を空に向かって投げかけた。応答は求めていないので、一切空に期待することなく、病院の外にある庭の様子を見渡す。一週間渋られた外出許可を、存分に楽しもうと思った。


「あ……」


 そこで私は、庭の隅で何かを見つける。私は急いで駆け寄り、それの近くに座り込んだ。


「雪……だ」


 いつ、積もったのだろう。病室で強制引きこもりになり果てていた私にはわからないが、少量の雪が陰になっている部分に残っていた。真っ白なそれは、私の彼氏の髪の色によく似ている。


「……」


 私は、無言でその雪の中に手を突っ込んだ。肌を刺すような冷たさに身が縮こまったものの、我慢してそれを救い上げ、必死になって球状にすることに努める。


 この作業をするのは、四歳の時以来だ。


「でき、たー……」


 そうすること、数分。とても小さな雪だるまが完成した。震える手で作ったそれは、形がとても歪で、決して可愛らしいとは言えない不格好なもの。雪の美貌には、到底及ばない。


「……私の彼氏は、もっとかっこいいからね?」


 じゃあ、もっと私がちゃんと作ればよい話なのだが、そこは突っ込まないでおくとしてだ。


「私の彼氏は、雪だるまだ」


 今度は、比喩でもなく、想像でもなく、口に出してその事実を口にした。


「だから……、雪」


 また、次の冬に、会えるよね。


 最後の言葉は口に出さずに、飲み込んで、噛みしめることにした。


 目の前に佇む小さな雪だるまが、少しだけ、傾いて、


 なんだか、笑っているように、見えるのだった。

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