二人の少女
その日の夜、俺はナツキ・パラクレスの言葉を思い出す。
『あなたがすべてを変えた』
『あなたが望めば、運命は変えられる』
どういう意味なのだろうか。
俺がすべてを変えた、とは。
よくわからない。けれど、自然な笑みを浮かべたナツキの顔が浮かぶ。
彼女は、メリダと違い、最初から自然に笑えていた。それは彼女が今まで過ごした経験からなのだろう。
それでも、俺は彼女の笑みにメリダの面影を感じずにはいられない。
やはり、彼女はメリダのことを知っているのではないか?だから、俺に接触してきたのか。
よく、わからない。
俺は仰向けになり、自分の部屋の天井を胡乱な瞳で見つめる。
「俺が望めば、か」
運命を変えられる。そう言うのならば、俺は、あの夏の時間を取り戻したい。
あの約束を、彼女とともに。
「メリダ」
愛おしい彼女の名は、静かな夜の闇の中に溶け込んでいく。
日々は慌ただしく過ぎていく。
始業式後はクラスでの自己紹介や行事の説明、委員会決め、部活動勧誘などで最初の一週間は潰れた。
とはいえ、俺は部活も委員会も全く関与しなかった。俺は、同世代の無知な少年たちをある種見下し、その輪に入ることを拒絶していた。
そうやって、俺は人と触れ合うことを恐れているのかもしれない。
いつか、人は独りになる。永遠の絆も、思いも存在しない。
俺の中にあるメリダの記憶も、思いも、時間とともに風化していく気がしてならない。
俺はそれが怖い。
『メリダ!』
幼いころから、幾度と見た夢。彼女は、後ろを振り向かずに、僕の前から去っていく。
『メリダ、僕を、僕は・・・・・・・・・・君を』
その言葉を言い終える前に、彼女は光の向こうに消えていく。
高校が始まり、二週間目に入ると、普通の時間割となる。
俺は窓際の一番後ろの席だから、窓の外をよく見る。退屈な教師の言葉を聞き流し、どこまでも続く空を見る。
この空の下に、彼女はいるのだろうか?
「西暦2056年に起きた第三次大戦により、地球の環境は激変し、人類は地球の危機のために戦争を辞め・・・・・・・・・」
社会科教師の言葉が聞こえる。
第三次大戦。それは俺たちが生まれる前に起こった世界規模の対戦。原因は未だはっきりしていない。
米中露、それに中東の国での核開発競争が激化し、核戦争に突入。中東の国が核ミサイルを三国に発射。
その後、宣戦布告がされ、世界各国が参戦することとなった。日本も、例外ではない。
日本は米国を中心とした国々に属し、中東連合、中華帝国、ロシア帝国と泥沼の戦争に突入。
大戦は二十年にも渡り、2076年、中東連合崩壊と各国の疲弊から講和が成立。大戦は終結となった。
地球環境は激変し、北極圏は人の住めぬ環境になり、中華帝国が内部崩壊。ロシア帝国の領土として吸収。
これが、教科書に載る大まかな歴史だ。
現在は2112年。火星移住計画による移民により、人類の居住圏は地球外まで及ぶようになった。
地球環境再生も進められてはいるが、遅々としているのは確かだ。
数年前まで、中東での大規模紛争があり、そこで猟甲機兵が登場、と言うわけになるわけだ。
人類の革新。それを説いた21世紀の学者やノーベル平和賞受賞者。それに、人の性質は善であると説いた偉人たち。彼らが今の地球を視たら、どういうのだろう?
俺たちは、俺たちの星を汚染し続ける。
ふと、外を見ると、一年生の体育が行われているようだった。毎年恒例の体力測定で、1500メートル走をやっているらしい。一年生の男子が今は走っている。
体力自慢のやつもいれば、一週目でへばっているのもいる。
見学している女子の中に、俺は彼女を見つける。
ナツキ・パラクレス。
ジャージ姿の彼女は、無表情に座ってそれを見ていたが、ふとこちらを見て、ほほ笑んだ。
俺は食堂で飯を食べる。
教室で弁当やパンを食べる、というのも妙に気まずい。俺は毎度ここを利用している。
学食ということで、値段もリーズナブルだ。量もそこそこ。味はそれほどではないが。
そこそこの利用者がいる。俺は空いている席を見つけると、そこにトレーを置いて座る。
今日は無難にカレーライスを選んだ。一昨日、家で食べたばかりだが、まあ、文句は言ってられまい。
俺はスプーンを掴み、カレーライスを食べ始める。
「隣、大丈夫ですか?」
「ん、あぁ」
俺は聞かれて相手の顔を視ずに言う。やや低温の女性の声。がたり、と椅子を引く音がして、彼女は座る。
「・・・・・・吉田幹彦、先輩ですよね?」
「・・・・・・・・・そうだが」
俺はカレーを食べる手を止め、隣の相手を見る。
隣には、学校指定のブレザーではなく、ワイシャツにスカート姿の金髪の少女がいた。
日本人しかいないこの学校で、金髪の少女など限られている。
それに、彼女の特徴的な蒼い目は、人間のそれではない。
猟甲機兵の目だ。
「君はナターシャ・ベルマフ、か」
俺は確認するように言うと、ナターシャはにやりと、悪戯っぽく笑う。
「その通り」
そう言う彼女。
猟甲機兵は食事を必要としない。彼女たちはあるエネルギーを定期的、それも一年に一度補給するだけで身体の器官を維持できる。人間と違い、食べることも飲むことも必要としない。
兵器である彼女たちはそのような身体にできている。
「食事、必要ないだろ?」
「それでも、食事の風景を見るのが私は好きなのさ」
ナターシャはそう言うと、俺を見る。食べていいよ、と彼女は身振りで言う。もとよりそのつもりだ、と俺はカレーを食べ始める。
それにしても、と俺は思い、ナターシャを見る。
「ずいぶん、人間らしいな」
「ふふん」
俺の言い方は、少しまずかったかな、と思ったが、彼女は気にせずに笑う。
「そりゃあ、元は人間ですから」
まあ、感情やらなんやら人間的なものは、消されちゃったけど、とおちゃらけて言う。
「今の私の行動もすべて、プログラムに過ぎない、って言ったら、信じます?」
「・・・・・・・・・・・」
俺はその質問にすぐには答えられなかった。
だって、俺は知っているのだ。彼女たちにも、感情があるということを。
たとえ、それがプログラムゆえの行動だとしても、俺はそれを肯定するわけにはいかない。
「いいや、俺は信じない。君たちは、ちゃんとした感情を持っているって知っているから」
「へえ、それはやっぱり、メリダ先輩のことで?」
「・・・・・・・!?」
俺は驚き、ナターシャを見る。
「メリダを、知っているのか?」
「そりゃあ、もちろん」
そう言ったナターシャの肩を俺は掴み、いつもより大きな声で言った。
「何を知っている?教えてくれ、メリダは、彼女は・・・・・・・・・」
だが、俺の言葉を遮り、ナターシャとの間に入る者がいた。
いつの間にか現れた、水色の髪の少女。最後の機女、クレア・ウィンターズ。
彼女は、冷ややかな目でナターシャを見る。
「ナターシャ、それ以上は」
「あ、ごめん」
ナターシャが「悪い悪い」と言い、彼女を見返す。
俺はクレアを見る。
「メリダを知っているんだな」
「それは機密事項に当たります」
クレアは機械的に、冷ややかに言う。
「私にはそれをあなたに話す権限がありません」
「・・・・・・・・・・・」
俺はナターシャを見る。彼女はばつが悪そうに顔をそむける。
何かを彼女たちは知っている。メリダについて。
俺は周囲の奇異な目を受けながらも、聞かずにはいられない。
「彼女は生きているのか?」
「答える義務はありません」
ツン、とクレアは答える。
「行きますよ、ナターシャ」
「了解、クレア」
そう言い、ナターシャは幾分背の小さいクレアの後ろについて行く。彼女は俺と目を交えようとしなかった。
「なんなんだよ」
俺の呟きは、誰に聞かれるわけでもなく、消えていった。
消えた彼女。
今になって現れた別の少女たち。
俺は何がどうなっているのかがわからなかった。
そして、これから待つ、俺の未来など、到底想像し得ないのだった。