始まり
僕が彼女たちを初めて見たのは、小学校三年の時だった。
その時の僕にとって、彼女たちはブラウン管の中の存在でしかなかった。
現実の延長として存在するのではなく、僕とは違う世界にいる。その程度の認識で僕は考えていた。
だってそうだろう?彼女たちは戦争のために生み出されて、僕たちの知らないところで戦っているんだから。それをリアルとして受け止めていた人間なんて、誰もいなかったんだ。
僕も、父さんも、母さんも、皆。
でも、そんな戦争が終わった、とニュースで聞いたのは春先のことだった。
なんでも、敵国がついに降伏したらしい。愚かな軍と政府高官に対する反逆により、何十年も続いた戦争は終わった。
日本に住む僕らに、その戦争はあまり関係なかった。
僕らはただ、傍観者としてテレビから状況を観戦していたんだ。アニメやドラマのように。そこに広がる現実を、僕たちは現実とは認識していなかったんだ。
戦争の終了により、海外に派遣されていた日本軍の猟甲機兵部隊も帰ってきたらしい。
テレビで大々的なパレードが映し出され、笑顔の米軍の人たちが映る。彼らの後ろの街宣車には、人形のような少女たちが無表情に敬礼している。
彼女たちが、猟甲機兵。
脆弱な人の身体を捨てて、機械化した少女たち。
高性能戦車やパワードスーツは地上戦の主力となり、戦争はより激しくなった。
そんな兵器に対抗するため、日本と米国が協力して作ったのが彼女たち。
戦車やスーツの関節や弱い部分を見極め、破壊する。小柄だから、小回りも効いて、かつ人間以上の身体能力を誇るため、戦車やスーツの攻撃でも死なない。
兵器である彼女たちに人権なんてない。人権を持つ兵士よりも、人権のない彼女たちを使用したほうが、国民感情を刺激しない。
国民なんて、結局自分たちに害さえなければそれでいいのだから。
だが、そんな彼女たちの人権を主張する声が戦争終結によって強くなった。
凱旋する少女たちの顔を、テレビを通してみる。
彼女たちが僕と同じ人間とは思えなかった。
最新技術で作られた限りなく人に近い皮膚。だが、その表情は機械のようで。
その瞳の色は、なんの生も映していなかった。
僕は、彼女たちを人間として見ることはできなかった。
彼女たちは所詮、兵器なんだ。
とはいえ、僕には関係がない。
こんな都会から離れた田舎に、彼女たちが来ることはない。僕には一生縁のないことと、僕は思っていた。
四月。桜が散って、学校が始まる。
三年生になった僕は、始業式、校長先生の話を聞いていた。
いつものような話の後、校長はこほんと咳をして、壇上の机に両手をつく。
「さて、今年度から、皆に新しいお友達ができます」
禿げた頭に油をみなぎらせた校長はそう大々的に言い、壇上右に手を差し出す。
幕の中から、一人の少女が現れる。
体育館の中が、がやがやと騒がしくなる。言うもなら注意する先生たちも、どこかそわそわしていた。
「さ、こっちへ」
校長の手招きに少女は答える。機械のように、決められた動きで歩いてくる少女。
僕は確信していた。
彼女は、猟甲機兵なんだ、と。
校長はなにやらまた話し出す。
国の政策の一環、人道に基づいた措置、など、いろいろと言っていたが、そんなこと僕の頭の中に入らなかった。
僕はただ、彼女を見ていた。
普通の少女のように見える彼女。色素の薄い茶髪と、光る蒼い目。僕は知っている。彼女の目は、僕たちのモノとは違うと。
遠くを見ることができて、夜にも昼と同じように見れる。どんな小さな字でも拡大できるし、本当になんだってできるってことを。
綺麗だとは思う。けど、その綺麗は人形や芸術品に思う「綺麗」であって、決して人間に抱く感情ではなかった。
校長は彼女が僕のいる三年に組に入ることを告げ、仲よくするように言った。
それで、始業式は終わった。
「メリダ・サルバトーレちゃんです。みんな、仲よくしてあげてね」
女担任は、苦笑いしながら言う。頬がこわばっている。どうやら、校長に無理やり押し付けられたらしい。
気の毒に思う僕は、ぺこりと頭を下げた少女を見る。
やはり、彼女が同じ人間とは、どうしても見えなかった。
皆、メリダのことは遠巻きに見ているだけだった。
メリダは黙って座っていた。窓の外を見るわけでもなく、本を読むわけでなく、ただじっと一点のみを。
そんなメリダのことが、みんな怖かった。興味本位で彼女を見に来た他学年の日とも、決して話しかけようとはしなかった。
数週間が経ち、その間、何人かの猛者が彼女に話しかけた。
だが、彼女は表面的な返事しかせず、また一点を見始める。話しかけた女子たちは、粘ってみたが、メリダからは何の反応も引き出せなかった。
他学年の男子が、戦争について聞くと、彼女はじろりと見て、何も答えなかった。その様子に怖気づいてその男子は足早に去っていった。
こうして、メリダに話しかける者は誰もいなくなった。教師でさえ、彼女と話すことは必要最低限であった。
誰もがメリダを避けていた。彼女は兵器であって、同じ人間ではないんだから。
6月。梅雨の季節。雨が降り、学校に行くのが億劫な季節になった。
僕はその日、傘をさして学校に行った。歩いて十数分の学校。その間に、上り坂があって、雨の日はすべって危険だ。
多少遠回りになるが、違う道を通ろう、と僕は思い、いつもの通学路を離れ、裏路地に入る。
急がないと遅刻だ。そう思う僕は急ぎ足で傘をさして歩く。
そんな僕はふと、狭い公園のブランコ近くにしゃがむ人影を見つけた。
それは僕と変わらない年齢の少女で傘をさしていない。なぜか傘は地面に落ちている。
ひょっとして、何かあったのかな、と思った僕は少女の方に向かっていく。
「おおい、君、どうかしたの?」
僕が声をかけると、少女はゆっくりと振り返る。僕は彼女の顔を見て、ギクリとする。
雨にぬれる少女の顔は、僕がよく知るメリダ・サルバトーレのものだったから。
メリダは僕を見ると、静かにポツリと言った。
「猫が・・・・・・・・・・・」
「猫?」
首をかしげる僕に、彼女は傘を指さす。青い水玉の傘の下には、段ボールに入った仔猫がいた。
箱の前には、小さな皿に注がれたミルクがあった。
僕は猫を見て、メリダを見る。
メリダは何時も、遅刻ギリギリに学校に登校する。
それを疑問に思ったことなんて一度もなかった。彼女は機械だから、正確に時間に来られる。遅刻なんてするわけがない。だってそうプログラムされているんだから。その程度にしか考えていなかった。
でも、それは違うんじゃないか、と僕は思った。
メリダは、無表情に仔猫に自身の指を突き出す。猫は甘えるように、その指をぺろぺろ舐める。
メリダは猫を見て、僕に言った。
「学校」
「え?」
「遅れるわよ」
そう言うと、少女は立ち上がる。傘は拾わず、雨に当たったまま、彼女は歩き出す。
彼女の長いスカートとシャツが雨で濡れるが、メリダは気にもかけない。
僕は猫と傘を見て、そして淡々と歩き去る彼女を見て、彼女を追いかけた。
沈黙の中、僕たちは歩く。僕はなんとなく、メリダを傘の中に入れた。そのままにしておくのも、どうかな、と思ったからだ。
同時に、僕は戸惑っていた。
彼女にも人間らしいところがあったから。
僕は自分を恥じていた。彼女は完全な機械、なんて見ていた自分を。
猫の様子を見て分かった。メリダは、あの仔猫の世話を長い間しているのだ、と。
「あの、さ」
「・・・・・・・・・・・」
「あの猫、君の猫?」
「違うわ」
「そ、そうだよね」
彼女の猫なら、家かどこかに連れていけばいい。僕は馬鹿か、と自分を罵る。
「あ、あの猫、名前は?」
「・・・・・・・・・・・」
メリダは首をかしげる。
「名前?」
「そう、名前」
「考えたことないわ」
「かわいそうだよ、それは」
「かわいそう?」
メリダは再び首をかしげた。
「そうだよ、メリダだって、名前を呼ばれれば、うれしいだろう?」
「名前なんて、個体を識別するための手段にすぎない。そのように感じたことはない」
その答えに、僕は絶句する。彼女はやはり平気でしかないのだろうか、と。
だが、彼女は遠い目で前方を見る。前に学校が見え始めてきた。
「そうか、名前、か」
彼女はそう呟く。
学校について、僕は急いで教室に向かう。彼女はおいていった。一緒に居たら、なんて言われるか。
そんな彼女を、一度だけ振り返る。彼女は何事もなかったかのように、濡れた服のまま、靴を履きかえていた。
変なやつ。
梅雨が明け、熱くなり始めた。
僕はあれ以降、毎日、あの公園の前に行く。
朝、放課後、休日。いつも行った。そして、彼女は何時もそこにいた。
メリダは猫に名前を付けたらしい。メスの仔猫だというのに、イェーガーとかいう仰々しい名前を付けていた。それでも猫は彼女に鼻を摺り寄せ、甘えていた。
メリダの表情はいつもと同じ無表情だったが、それでも僕にはいつもとは違う何かに見えていた。
毎日、メリダは僕を見つけると、小さく会釈をするようになった。視界に入る人など、まるで見えていないかのようにいたメリダが、である。
そう言うこともあってか、僕はメリダとぽつぽつ会話をするようになった。
会話はほとんど僕が一方的に話すだけであり、時折相槌がはいるくらい。彼女はただ、僕の他愛ない話を聞くだけ。
それでも、僕はそんな時間が、なぜか愛おしくなっていたんだ。
7月。
彼女は白いワンピースを着てそこにいた。そして、僕にぎこちない笑みを浮かべた。
本当にぎこちない、おかしな笑顔。でも、僕はそれを見て、うれしかった。
このころには、彼女に対する僕の認識は変わっていた。
彼女は人間と同じなんだ、ただ、不器用なだけなんだ、と。
彼女たちは戦争のために造られたから、それ以外のことがただわからないだけで、感情が皆無なのではない。
僕は毎日、彼女と短い時間だが、時を交わした。
一方的だった僕の会話も、次第に変わっていった。
「イェーガーがね」
「へぇ」
「それで・・・・・・・・・・」
僕はにこにこ笑って彼女と話す。彼女も、最初よりも滑らかになった顔で僕に笑いかける。
思えば、僕はこのころには彼女に恋をしていたのだろう。
毎日、彼女のことを考え、彼女の顔を思い出した。
早く明日が来ればいい、そう思って、僕はうずうずしながらベッドの中に入ったものだった。
8月のある日。
僕はメリダに明日の花火大会を一緒に見に行こう、と言った。彼女は驚いて僕を見る。
「私、と?」
「そう」
「でも、私浴衣なんてないし」
「大丈夫だって!」
「それに、さ」
もじもじと、メリダはスカートの端を握る。
「私と一緒に居たら、君に迷惑が」
メリダは僕を気にしているらしい。学校でもメリダをかまう変人として認識される僕。これ以上、僕に変な噂がついたら、と彼女は思っているらしい。
でも、僕はそんなこと気にはしない。
「メリダ。僕は君が好きだ」
「・・・・・・・・・・」
メリダの頬が赤くなる。すごいな、と僕は感心する。頬まで赤くなるなんてすごい技術だ、と。的外れな考えを浮かべて、胸の動悸をごまかす。どくりと、大きく鼓動をする心臓。
「僕は君と一緒に、生きたいんだ」
僕の目を見るメリダ。蒼い瞳が、僕を映す。
胸の動悸はもう、止まらない。
「・・・・・・・・・・・っ」
メリダの瞳から、涙が零れた、ように見えた。
幻かな、と思った僕の前で、メリダはニコリと笑う。
それは、今まで見た中で最高の笑顔だった。
「私も、君が好きだ」
「じゃあ」
「うん、一緒に行こう、花火大会」
そう言って、メリダが笑う。足元で仔猫がニャー、と元気に笑う。
「わかったよ、お前も一緒に行こう、イェーガー」
猫を抱き上げて言う彼女。
「それじゃあ、明日の夕方六時に、ここでね!」
僕はそう言いい、メリダを見る。彼女はしっかりとうなずく。
門限が近いから、もう帰らないといけないのがもどかしい。
帰り道、僕は叫んだ。
「ひゃっほぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーーうぅ!!」
翌日。
わくわくする僕は、いつもの公園で彼女を待つ。イェーガーを膝に抱き、僕は彼女を待つ。
約束の時間は、刻一刻と近づく。わくわくと、僕は待つ。
だが、時間になっても彼女は来なかった。
三十分、一時間が過ぎても、彼女は来なかった。
頭上で花火が上がる。色とりどりの光。だが、僕はそんなもの、目に映らなかった。
彼女が、いないから。
僕とイェーガーは待ち続けた。いつまでも。花火が鳴りやみ、街を暗闇が覆っても。
それでも、彼女は来なかった。
そして、彼女は、メリダは僕の前からその存在を完全に消してしまった。
それから、数年の時が経った。