ひねくれ勇者と僕のドラゴン退治
ドラゴンは勇者に倒してもらうしかない、というのが村人たちの間で囁かれていた。
「肝心なところで人任せなのかよ。臆病者ばかりか、この村の大人たちは」
そう村の少年ギョームは毒づいた。ドラゴンの討伐なんて簡単だろ。炎を吐く前の隙に剣で喉を刺す、たったそれだけだ。僕が紙の擦り切れるまで読んだ本、「勇者ジークフリートの冒険」にもそう書いてあるのだから。しかし、憧れの勇者と凡庸な大人たちの差に落胆する一方で、ギョームは勇者の活躍をこの目で見てみたいと思う。飛び上がった勇者が大人の背丈ほどもありそうな大剣を振るい、ドラゴンの首をその分厚い鱗ごと一刀両断するのだ。
だから、僕が説得しなければならない。そうしてギョームは村の酒場に入っていった。二日前この村にやってきた勇者は、いつもきまってここにいる。店内はがらんとしているが、それは皆外で働いているからなのだ。
「今日も来たのか」
と、勇者はぶっきらぼうに言った。
「頼むからドラゴンを倒してくれよ。お願いだ」
「村の大人を頼りな。私がいなくとも問題ない」
「その大人が人任せなんだよ。さっきそう話してるのを聞いたんだ」
少し考えてから勇者は答えた。
「そうだな、まだ正式な決定ではないのだろう。もし頼まれたらきちんと引き受けるさ」
ああ、彼のほうがよっぽど大人なんだ。やはり英雄というのはどんと構えていて、鷹揚でなくちゃ。ギョームは跳ねるように酒場の外に飛び出した。高く昇った陽の光の下で、通りを駆けてゆく。
騒がしい子どもがいなくなったあと、酒場はまた静けさを取り戻していた。
「いいんですか。あんな簡単に返事しちゃって」
先ほどまで沈黙を保っていた店の主人が口を開いた。趣味の悪いことをする。そういった苛立ちを喉の奥に抑え込んで、ジークフリートは答えた。
「構わない。私にはたやすいことだ」
それは嘘ではなかった。私は魔王を倒し世界を救った勇者だ。野生のドラゴンを討伐することなどわけないのである。それでも。そうだとしてもやる気になれないのは、別な理由があるからであった。御上は質問を続けた。
「受けていただけるんです。もし頼まれたら」
「わからない。だいたい君たちはドラゴン退治がどれだけの手間か理解しているのか。まず獲物の居場所を割り出さないといけない。殺したドラゴンをどう処分するかも考えなければならないな。そもそも君たちは報酬を払えるのかい。ともかく、素人には考えもつかないことが色々あるのだよ」
自分でもえらく饒舌だったな、とジークフリートは水を流し込む。水が喉に突っかかったような心地がするが、言ってやったという快感もあったのは事実だ。大体私が退治してやる理由はない。私はもう、人助けは辞めたのだ。
「思ったより小さい人なんですね。あの子が知ったら幻滅しますよ」
「……新しい酒を持ってきてくれ」
だから何だというのだ。子ども一人に失望されて、何の不都合がある。彼も私に裏切られて、人に期待することの愚かしさを学ぶだろう。そうやって切り捨てられるはずなのに、ジークフリートは否定の言葉を失くしていた。
こんなときは飲むに限る。そうして酔いの沼に沈んでいく。これもまた、いつものことだった。
翌朝もギョーム少年は酒場に現れた。だが、いつもの場所にジークフリートはいない。
「勇者サマは出ていったわ、ギョーム」
店の主人が俯きながら言った。普段意識しないところから声がしたので、ギョームはハッとする。
「どこに行ったんだよ」
「さあね。彼のことならギョーム、あなたのほうが詳しいのではなくって」
村人の中で最もジークフリートと話しているであろうギョームだが、彼が酒場以外にいるのは見たことがない。それに、彼が他に行きそうなところも見当がつかない。勇者ジークフリートは自分のことを語りたがらない男だったのだ。
「まだ出ていってそう時間が経っていないから、近くにいるかもしれないわよ。外で人に聞いてみたら」
「わかった」
それだけ言うと、ギョームは通りに飛び出していた。本当は酒場の中で待っていれば戻ってくるのだろうが、あんな言い方をされれば留まるのも気分が悪い。それにギョームは興奮していた。なにせ酒を呑むばかりだった勇者が重い腰を上げたのだ。何か凄いことを始めたに違いない。もしかしたら、もうドラゴン退治に出発したのかも。そうなれば行くべき場所は一つだけだった。
朝の山道は静寂に包まれ、山の厳かな空気を演出していた。まだ淡い木漏れ日が行く先を照らし、目覚めたばかりの小鳥たちがさえずり、少年を歓迎しているような気がする。ギョームの推察は当たっており、まだ新しい足跡が一つ、道の真ん中にくっきりと残っていた。かつては隣町への往来が絶えなかった山道も、山にドラゴンが棲みついてからは人っ子一人いない。だから、この足跡はジークフリートのもので間違いないのである。やっぱりドラゴンを討伐しに向かったのだ。そう思うと興奮は抑えられず、胸のあたりが軽くなって空に浮き上がっていくような感じだ。段々と大きくなってゆく傾斜など物ともせず、ギョームはズンズンと奥へ入っていった。
しばらく山道を進んでいくと、あたりが暗くなっているではないか。なるほど、先程から坂を下っていたが、ここは谷でちょうど影になっているのだ。そのときギョームは深刻な事態に気がついた。なんと足元からあの足跡が消えているではないか。浮かれていて足元など見ていないかったギョームは狼狽する。しかし、幸運なことに後方を振り向くと、勇者の足跡は道を外れて谷底の方へ続いていた。
もしや、ドラゴンの塒を見つけたのか。危ないとはわかっていながらも、ギョームは後を追って谷を降りて行った。谷底が近づくにつれ、ギョームの足は速くなる。終わりが見えてきたところで、突如としてギョームの体は宙に放り出された。草花によって隠れていた石に足を滑らせてしまったのだ。再び地面に吸い込まれると、少年の体は谷底に転がっていった。
ギョームが目を覚ますと、そこは河原だった。辺りにはあまり木が生えていないので、少し明るい。こんな場所があったのか。知らなかった。
「ハハッ。本当に付いてきたのか」
そう軽口を叩きながら近づいてくるのは勇者ジークフリートだ。
「派手に転んだな。立てるか」
こけた姿をこれ以上見られたくなかったギョームは、差し出された手は取らずに立ち上がった。膝を擦りむいたのか、足に痛みが走る。
「これくらい大丈夫さ。それより見つけたのか、ドラ……」
そこまで言いかけてギョームは啞然とした。勇者が鷲掴みにしていたモノのせいだ。
「そ……その、それは何なんだよ」
「わからないか、兎だ。以前ここに来たとき罠を仕掛けておいた」
「そんなことわかってるよっ」
語気が強くなってしまったとギョームは気がついたが、反省より先に口が出ていた。
「そんなの格好悪いじゃないか。コソコソ罠なんて張って、兎なんかのためにさ」
勇者なんだろ。強いんだろ。ドラゴンなんて簡単にやっつけられるんじゃなかったのか。
「そう言うな。これもドラゴン討伐には必要なことだ」
「な、なんでさ」
「ギョーム、子どもの君には分からないことさ」
ジークフリートの秘密主義にはやきもきさせられる一方で、その余裕がある態度に安心する。そうか、そうか。きっと兎はドラゴンを誘い出すのに必要なんだ。よく考えれば簡単なことだったのに、どうして分からなかったのだろう。そう早合点すると、ギョームは気を取り直して勇者の作業を手伝い始めた。
作業を終えた二人は転がっていた倒木に並んで座って、川の流れを眺めていた。
「なんで、剣を使わないのさ」
「獣を捕らえるのに剣は必要ない」
ジークフリートはいつもの調子だ。
「必要なくても、僕は見たいんだよ。剣は勇気の証だろ。神様から授けられたものだって聞いたぞ」
「あれは人の作り話だ。それに、剣はそう良いものではない」
剣が良いものではないとは、どういうことだろうか。自分はそれをずっと使ってきたというのに。
「どうしても戦いたいなら、剣ではなく、槍を鍛えたほうが良かろう。私はそれも勧めないが」
ジークフリートはもう剣を振るうつもりがないのだろうか。槍使いにでも転向するのか。僕は説明を求めたが、彼ははぐらかしてまともには答えなかった。
会話が途切れてからも暫く二人は座っていた。しかし、川の音にも聞き飽きると帰路につく。道中、ギョームは勇者の大きな背中を見つめていた。村に辿り着くまでジークフリートが振り向くことは一度もなかった。
村に帰ったギョームは村人たちからしこたま説教された。本来朝から農作業をしていなければならなかったのに、すっぽかしていたからである。結局ギョームは日没まで働かされる羽目になった。だが、少しも不満には思わない。この程度の罰ならばいくらでも受けてやるさ。僕は伝説の男と一緒に出掛けていたんだぞ。ギョームは鼻高々だった。
労働を終えたギョームは教会の神父から呼び出されていた。とはいえ、上から高慢に怒鳴り散らす、村の大人のやり方とは違う。ここでは「ゆるし」が肝要だからである。
「ではギョーム。昼まで何をしていたのか、教えてください」
「別に、ただ山の方まで散歩していただけ」
「なぜ急にそんなことを」
「理由なんてない。そういう気分だった」
口止めされていたわけではないが、ジークフリートを探していたこと、彼と会ったことは秘密にしておきたかった。神父様に嘘をついて、なんだか申し訳ないと思う。
「まあいいでしょう。悩みがあるのなら聞きますよ」
「また、それか。心配しなくて平気さ」
追及を止めてくれたのはいいのだが、こうして心配ばかりするのが玉に瑕だ。
「いいえ、ギョーム。貴方の心の傷はまだ癒えていません」
「なんで、そんなことがわかるんだ」
「大方先ほどは勇者様と一緒にいたのでしょう」
「…………」
「あなたは彼にイマージュを抱いているのです。痛みを受け入れられていないから、そうするのです」
ギョームには神父の言っていることはほとんど理解できなかった。しかし、心の奥底で燻っていたものを擽られて、筆舌に尽くしがたい苦しさだ。
「今はまだわからないかもしれません。しかし、それを乗り越えない限り、貴方は大人にはなれませんよ」
「…………」
ギョームはもう言い返す言葉がなかった。自分の喪失と、勇者ジークフリートとの間にいったい何の関係があるというのか。
「続きはまたにしましょうか。今日はもう遅い。貴方ももう戻りなさい」
そうして宙に浮いたまま、気がついたときには闇の中だった。教会は小高い丘の上にあるので、ギョームの家までの道のりは下り坂である。
いつもと違うのはある一棟が光輝いていることと、ざわめきが聞こえてくることだ。近づいてくると、その出所があの酒場であるとわかった。中では村の大人たちの議論が紛糾しているようだ。
「勇者様にすべて任せればそれでいいでしょう。なぜそう頑ななのです」
そう声を張り上げるのは村一の商人エマヌエルだ。彼は勇者が村にやって来るやいなや、ドラゴン退治をやらせようと村中に触れ回っていた。
「何度も言っとるだろう。余所者にやらせるわけにはいかんと」
一方、こちらは反対派の先鋒ロドリグか。守備隊を率いる村の老人である。
どうやら、この二人が派閥をつくり争っていたようである。ギョームは話の内容が気になって、窓の外から中の様子を窺っていた。
「大体お前たちに誇りはないのか。自分たちで村を守ろうという気概が…………」
「おいおい、ロドリグの爺さん。そもそもあんたらの腰が重すぎるせいでもあるんだぜ」
そうエマヌエルに加勢するのは狩人のルッジェーロだ。守備隊の一員なのにロドリグに楯突くのは、彼が「ヨソモノ」だからだろう。
「ドラゴンが近くに棲みつきだしてからもう二月だ。その間名案も何も出てこないじゃねえか」
「…………」
目線を合わせることもせず、老人は黙りこくっている。幼稚だ。と、ギョームは再び毒づいた。だが、もう前のように素直には言えない。何か引っかかるモノが、ある。
「ふん、今回勇者にやらせたとして次はどうする。また救世主の登場を待つつもりか。馬鹿馬鹿しい」
「そう頑強にこだわらなくてもいいでしょう。今回勇者様に手本を見せてもらって、次から私たちで一緒にやりましょうよ」
エマヌエルは諭すようにそう言った。しかし、外で盗み聞きしているギョームの苛立ちは爆発寸前だ。ふざけるな。凡人に英雄の真似事などできるはずもないだろうが。こちらはこちらで調子に乗りすぎだ。
「しかしなあエマヌエル。そうは言ってもやはり部外者であるからにはなぁ」
「うるさい」
それはエマヌエルが温厚の仮面を棄てた合図だった。そもそも、こう強情でなければ商売はできないものだ。
「結局守備隊隊長のあなたが、立場を侵されたくないだけだろう。悪いが私たちはこれ以上待っていられない。一刻も早く、街道を復旧させなければならん。村全体の利益を損ねているのは、あんただ」
「そうだぜ。はっきり言うが、守備隊は役立たずなのさ。いい加減現実見ろよ」
そうルッジェーロは追撃するが、これは悪手だった。ただでさえ巨岩のように動かない老人である。この手合いは、追い詰めすぎると逆上されること必至なのだ。
「商売の都合もお前さんの個人的な都合、村のことを考えていないのはどっちだ。その信奉する勇者の力も疑わしいわ。いつも朝っぱらから呑んだくれとるだけ、皆あの偽物に騙されとる」
皆それは見ないようにしていたのだ。目を覚まさせられて、村の衆は水を打ったように静まり返った。ただ一人を除いて。
「ジークフリートは偽物なんかじゃないっ」
我慢ができず、ギョームはそう声を荒げた。酒場中の視線が窓の外の一点に集まった。だが、そこにはすでに誰もいない。ギョームは靴音を鳴らしながら酒場に入って行く。
「僕は見たんだ。ジークフリートはちゃんと準備を進めてる。ここで足踏みしているお前らと違ってな」
「ヘハハッ。子供のくせに何偉そうにしてるんだ、ギョーム」
ルッジェーロが小馬鹿にすると、笑い声が両陣営から上がった。何だ、お前ら。ついさっきまで争っていたくせに。こういうときだけ団結するなんて、みっともないぞ。
「関係ないだろ、そんなの。今に見てろ。勇者の大活躍を見逃しても知らないからな」
そう言い返してもルッジェーロたちはヘラヘラと笑い続ける。だから子供だっていうんだよ、ハハハ。そんな折に仮面を被りなおしたエマヌエルが助け舟を出した。
「まあまあ、彼の勇敢さを称えましょうよ。皆さん、ここはひとつ勇者様の力をお借りしませんか。ギョーム君がここまで言ってくれていることですし、ね」
その言い方にギョームはいささか不満だったが、場の空気を変えることには成功した。そうだ、そうだ。勇者様に任せるのがいいや。なんたって魔王を倒したんだぞ。ドラゴンなんて余裕に決まっているさ。
議論の趨勢は決した。しかし、とりわけ居心地悪くしている男が一人、いる。
「もう勝手にしろ。あんなボンクラを当てにして、後悔しても知らんぞ」
そう吐き捨てると、老人は夜の闇に消えていった。用はなくなったので、ギョームも酒場を後にした。
空を見上げると、半分欠けた月が西の空に浮かんでいた。月光が少年の顔を照らす。ギョームは勝ち誇っていた。英雄の名誉を守ること、それもまた誉れある行いだ。僕は使命を果たしたのだ。
翌朝ギョームが目覚めると、村全体が騒々しかった。昨晩議論が白熱していたときとは訳が違う。村中に漂う嫌な臭いは…………血か。聞こえてくるのは鉄の音なのか。
外に出るとルッジェーロが通りを駆けて行った。角笛を吹いて村中を走り回っているようだ。ギョームに気がついて彼は立ち止まった。
「ギョームか、お前も戦列に加われ」
「な、何があったんだよ」
「襲撃だ。たぶん、野盗の一団だろうな」
詳しくはロドリグ爺に聞きな。そう言い残すと、ルッジェーロは走り去ってゆく。形容しがたい不安がギョームの足を引っ張る。――――駄目だ。そこへ行ってはいけない。君の心は壊れてしまうよ。
行かないわけにはいかないだろ。僕は戦士なんだ。何のため、今まで訓練してきたと思っている。
指差された方へ向かうとそちらは農場である。狙われたのは収穫前の穀物か。
「遅いぞ、小僧」
昨日の諍いなどなかったかのような尊大な態度だ。嫌味な老人はさらに続けた。
「何のために勇者の真似事などしとったんだ。剣など振るったところで大して役に立たんわ」
さっさと戦いに行けばいいんだろ。ギョームは差し出された槍をひったくった。
戦況は著しいとは言えなかった。盗賊は思いの外大所帯で、守備隊はじりじりと後退させられていたのである。
近くにあった荷車を横にして狭い通路にはめ込むと即席のバリケードの完成である。とは言え、これは最後の手段だ。一団が畑を踏み越えてここに殺到するまでに片を付けなくてはならない。
前線に向かうと、ギョームは味方の間隙を縫うようにして戦列に加わった。さっそく味方と戦う敵の脇腹目がけて槍を突く。虚をつかれた賊は背中から地面に倒れ込んだ。いいぞ、いいぞ。僕は戦えている。
今こそ剣を使うときだ。ギョームは遠くの敵へ槍を投げつける。子供の膂力では届くはずもなく、槍は中途で勢いを失い地に落ちる。だがそんなことはもうどうでもいいのだ。この剣は勇気の証なんだぞ。死ぬことなんか、怖くない。
そう自分を奮い立たせると、ギョームは賊の中に突撃していく。敵に近づくことに怯えていては、剣の力は発揮できない。だからこうして前に踏みこんでやるのだ。逆に怖気づいた敵の懐に飛び込んで、その胸に剣を叩きつけてやれ。子供の力とはいえ、相手は軽装だ。まともに受ければ一溜まりもない。よし、次だ次。いくらでもかかってこい。
しかし、斬り続けても終わりは見えない。それどころかどんどん僕の周囲に敵が集まってきている気がする。
「突出しすぎだ、ギョーム君。もっと下がりなさい」
近くで戦っていたらしいエマヌエルが声をかけてきた。昨晩はあんなことをのたまっていたくせして、あんたも戦っていたのか。そういう驚きもかき消されるほどの事実に、冷静になったギョームは気がついた。
――――他の誰も前に出ていない。いや、むしろ最初より後退しているんじゃないか。僕ばかり攻撃されるのも突出していて敵に囲われているからなのだ。また、これか。僕が活躍したって、臆病者が足を引っ張るのか。そうやって憤っても、現実は非情である。ギョームの前から賊がいなくなった瞬間、体が後方に強く引っ張られた。
「下がれと言っとるだろう。皆に合わせんか」
こういう雑な真似をするのはロドリグだ。またあんたか。いつも僕の邪魔をする。
「なんで攻撃しないのさ。まさか、怯えているのかよ」
「子供は黙っていろ。別に逃げるわけではない。ただ下がるだけだ」
何が違うっていうのさ。ギョームの抗議も空しくどんどん前線から下げられてしまう。やめろ。やめるんだ。僕はまだ戦える。それに、何かまずい気がする。何かただならぬことが起こっている気がする。しかし、戦線はみるみるうちに遠くなってゆき、ギョームは最初の荷馬車のあたりまで戻されてしまった。
ギョームが下げられてからも、守備隊は後退を続けていた。意気地なしの村人たちには辟易とさせられる。しかし、彼が腑に落ちないのはもう一方のこと、すなわち敵方についてである。
なぜ、逃げない。なぜまだ戦うのか。こちらには勇者がいるんだぞ。たかが盗賊ごときが勝てる相手ではない。
――――いないのか。勇者ジークフリートは戦っていない。逃げたんだ。最初から村を守るつもりなんてなかった。僕は裏切られていたのだ。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか。そう感情の整理がつかないギョームを覚醒させたのは笛の音だ。
「反撃だ。盗人どもを蹴散らせ」
ロドリグが命令を下すと、後退していた村人たちは反転し攻勢に出た。それだけではない。側方にある斜面の反対側から騎兵隊が現れた。率いているのはルッジェーロだ。わずか十数騎ばかりであっても、突撃の破壊力は絶大である。
盗賊も一連の攻撃で疲弊していたらしい。正面からの反撃を受け、側背を衝かれたことでたちまち散り散りになった。
勝利を挙げたものの、村人たちの顔は明るくない。踏み荒らされた畑が血を飲み込んで、空に向かって泣いているようだった。
ギョームの予想通りジークフリートは兎狩りのため山へ向かっていたようだった。籠いっぱいに入った獣を背負って帰ってきたジークフリートを捕まえて、憤怒に駆られた少年は止まらない。
「村が盗賊に襲われたんだぞ」
「そうか。君は無事なようだな」
その落ち着き払った態度が今は腹立たしい。そうじゃないだろ。
「村の危機に戦わなくて、何が勇者だ。肝心なときに役に立たなくてどうするんだよ」
「悪かったな、間に合わなくて」
「本当さ。大体それもドラゴンと全然関係ないじゃないか」
もう騙されないぞ。その兎はただ自分が食べるだけのものだ。こんな簡単なことになぜ気がつかなかったのだ。
「あんたは最初から、ドラゴンを倒すつもりなんてなかったのさ。そして皆を弄んでたんだ」
もうジークフリートは何も言い返さない。
「ジークフリートなんて大嫌いだ」
呆然と立ち尽くす勇者を尻目にギョームは歩き出した。死体に鞭打つようで早く離れたかったからだ。
もう誰も信用ならない。ドラゴンは、この俺が倒す。
ジークフリートは無人の教会で雨音を聞いていた。窓辺に座っていると、単調な音も皆同じではないのだと気がつく。雨粒が水溜りに落ちる音と、それが窓を打つ音は違うのだ。
こんなことをやりたくなるのは、決まって憂鬱なときである。耕作をしないジークフリートにとって、雨は不快なものだ。自分の都合だけ考えるなら、雨など降らなければよい。そう考えたことも、何度かある。
だからといって、ジークフリートが教会に滞在しているのは雨宿りのためではない。もう村には戻れないからだ。私を見限ったのは少年だけではないのだろう。他の村人にとっても、もう私を置いておく理由はない。
しばらく雨音に聞き入っていると、神父が教会に帰ってきた。
「すまない。勝手に入ったりして」
「構いませんよ。勇者様がいらっしゃったのは初めてですね」
「…………」
そう言われると申し訳ない。私がずっと酒場にいたので、彼は会いに行くこともできなかったのだ。
「ただ雨宿りのために立ち寄られたわけではないのでしょう」
「ああ…………。少し私の話を聞いていただけますか神父様」
「もちろんです。勇者様であっても、ここでは悩める一人の信徒。さあ話してください」
ジークフリートは自分の過去を告白することにした。窓の外では雨が激しさを増していた。
魔王を倒した勇者が帰還すると、帝都は熱狂に包まれた。
「勇者様ばんざい。勇者様ばんざい」
私が通りに出るたび、いつもこれだった。だが持ち上げられることに慣れて、私も酔っていたのだろう。そして、それは王侯も同じのようだった。
最初私が皇帝に謁見したとき、褒美として提示されたのは爵位と領地だった。貴いとはいえない生まれを考えれば、これは破格の恩賞であった。しかし、当時の私はそれを当然のこととして、謙遜することもなかった。
歯車が狂い始めたのは、再び城に招かれた数日後のことだ。次に私の前にぶら下げられたのは、皇女との結婚だった。
「時代の寵児たる英傑と、伝統ある権威の交わりが帝国の平和には必要なのだ。それに、娘も君のことを慕っているようだぞ」
皇帝の言葉が私の頭の中で何度も再生されていた。もしそうなれば、ジークフリートは皇帝一族に仲間入りというわけである。私は有頂天で、愚かだった。敵を倒すだけの人生を送ってきた私は、自分が味方からどう見られているかに無頓着だったのだ。
そこからの数日間、私は町に出て遊び歩く毎日を送っていた。時には部屋に帰らずに飲み明かした日もあった。だが、何もしなければいつかはツケが回ってくるものだ。
結婚の申し出から一週間ばかり経った日、私は城に召喚された。城に入るやいなやジークフリートの周囲を諸侯が取り囲んだ。
「初めまして。ジークフリート殿」
呼び出したのは皇帝ではなく皇子であった。挨拶は歓迎といった調子ではなく、四方八方から向けられた視線は凍えるように冷たい。
「残念なことに、あなたには反逆の嫌疑がかかっています」
「何だと」
意味がわからない。私が何をしたというのか。驚くジークフリートをよそ目に皇子は淡々と続ける。
「あなたの治めるシュヴェリオール伯領で、帝国に対する反乱の企てがありました。計画は軍により未然に防がれましたが、あなたが加担していた証拠が見つかったのです」
「ありえない。私は領地を貰ってから一度もシュヴェリオールへ出向いていない。これは罠だ」
私は陥れられたのだ。しかし、一体誰が。
「見苦しいですな。証拠も抑えてあるのです、白状されるのが身のためですぞ」
もちろん、そんな証拠はでっち上げである。ああ、お前たちだったのか。そう気がついたが、私にできることは何もなかった。
「ジークフリート殿、分不相応なことをするからいけないのだ。私の地位を脅かしたりしなければよかったものを」
当初はジークフリートに好意的だった皇帝も、諸侯の反対に遭っては私をかばうことはしなかった。領地も、結婚の話も、すべて立ち消えになった。
幸いにも、私の身体に刑は科されなかった。流石に勇者を牢につないだり殺したりすれば領民からの反発は避けられないからであろう。
「これが事の顛末です。そこからは、各地を漂泊して歩いていました」
「そうだったのですね。勇者様が自ら褒賞を断られたと聞きましたが、実際は…………」
「ええ。そういうことです」
しばし二人の間に沈黙が流れた。雨が硝子窓を振るわせる音だけが教会の中で反響する。そうだ、私は無欲な人間などでは全くない。
私は元々人助けが好きな人間だった。正確に言うと人から感謝されるのが好きな人間だった。しかし、あの一件以来私は変わってしまったのだ。
「私が傷ついたのは奪われたことではありません。自分は感謝されて当然、褒め称えられて当然と思っていた傲慢さに気がついたからです」
「…………」
「以来私は、他人も、自分でさえも信じられなくなりました。そうして放縦するうち、この村にたどり着いたというわけです」
そう告白しつつも、ジークフリートは不思議な心地だった。あきらめた、もう信じない。ならばこの感情は一体何なのか。心の奥底で揺らめくものは…………。
「嘘ですね」
神父ははっきりと言い切った。
「勇者様は人間不信でも世捨て人でもありません。あなたが飲酒で抑え込んでいる衝動が答えです」
そうだ、そうだったのか。私が捨てられなかったもの、無駄だと言って切り捨てても残ったものがこれだったのだ。力を正しく使うこと。
「…………謝らなければならないな」
目が覚めた今、最初に口からこぼれ出た。
「そうですね、行ってあげてください」
「ええ。ありがとうございます、神父様。おかげで大切なことを思い出せました」
さあ、私は戦わなければならない。責任を果たさなければならない。まだ雨が降り続く外に、ジークフリートは駆け出して行った。
「私はここで祈ることしかできません。頼みます」
小さくなっていく背中に向けて、神父は呟く。自分に果たせなかった役割を彼に期待するなんて。それでも、弱き者はただ天に任せるほかないのであった。
雷が轟々と鳴る空の下で、山は侵入者を拒まんと聳え立っている。いつかの山道を登るギョームには、この山全体が主の怒りを体現しているかのように感じられた。それでも、僕は独りで進まなければならないのだ。ジークフリートは当てにできない。それが悲しい現実なのだ。僕の進む先には、もう誰一人歩いてはいない。
ギョームの父親は兵士であった。正確には、「兵士でもあった」のだがギョームにはそちらの姿の方が印象に残っている。
勇者によって魔王が倒されるまでは、魔物が大挙して都市に攻め入ることは日常茶飯事だった。その度に近隣の村々から人が集められ、敵を追い返していたのである。
ギョームはそうやって人々を守ってきた父のことを誇りに思っていたし、村の人々も彼のことを尊敬していた。
しかし、最期はあっけないものだった。ある日招集された父は帰ってこなかった。劇的な死というわけでもなく、急にいなくなってしまったのだ。
その頃から、魔物をたった一人で討伐してまわる青年の話を聞くようになった。彼のように圧倒的な力があれば…………。ギョームはたちまち夢中になった。
「なぜ、今さらこんなことを…………」
ふと、ギョームは口にしていた。過去のことは、関係ない。もう、どうでもいいことなのだ。そう思い直すと、ギョームは進み続ける。
僕は幸運だな。ギョームは道の中途に血痕を見つけた。横を見ると、巨大な穴があけられたように、木々が捻じ曲げられ、所々折れている。これはドラゴンのものだ。それしかありえない、とギョームは確信する。
山に入ったときから感じていた威圧感が段々と大きくなってくる。ドラゴンの巣が近いのだ。
漸進するにつれてギョームの足は重くなる。僕は行かなくてはならないのに。邪魔をするのは、誰だ。僕ではドラゴンに敵わないとでも。ふざけるな。僕はもう弱くない。もし、倒せなくても何だという。僕は死なぞ恐れない。だから、もう誰にも止められない。
道を外れて山の奥深くに進んだ先に、奴はいた。聳え立つ岸壁を前に、ドラゴンは背を向けて餌を貪り食っていた。血痕のあった場所から、ここまで運んできたのだろう。
…………今なら殺れる。餌を食べている隙に、崖上から飛び降りて串刺しにしてやる。
ドラゴンに気が付かれないよう、少し離れて崖を登る。地面が遠くなるにつれて、ギョームの心を興奮と恐怖が占めていった。殺すか、落ちて死ぬか。一か八かの大博打である。
崖を登りきったギョームは、音を殺してドラゴンの真上を目指す。崖下の獲物はまだ食事に夢中である。いける。そう足を踏み出そうとした刹那、足元から鈍い音がした。
パキン。それは靴が枝を折ってしまった音だった。それだけなら、何も問題はなかった。それまでずっと張り詰めていたギョームは、驚いて足を滑らせてしまったのだ。蹴とばした枝きれは崖下に消えてゆく。
ギョームは一線を越えてしまったことを即座に理解した。耳をつんざくような咆哮がしたかと思うと、ドラゴンがその姿を現した。巨木のような腕が伸びてきてギョームを捕らえんとする。間一髪で躱したものの、馬鹿力で崖が崩れてしまう。ギョームも崖下にずり落ちていく。
本来なら落ちた時点でトドメを刺されていただろう。運よく岩なだれでドラゴンが怯んだので、少年の命は繋がれた。
その間に、ギョームは壁に空いた横穴に滑り込むことができた。ここならドラゴンは入ってくることはできまい。中に入れないと悟ると、ドラゴンは一度突っ込んだ頭を引き抜いた。危なかった。あとはドラゴンが立ち去るのを待つだけだ。
だがドラゴンは穴の中に前脚を伸ばしてきた。ふざけるな。なんてあきらめの悪い奴だ。三つの鋭い鉤爪が迫ってくる。爪がギョームの周囲の岩石をガリガリと削り取っていく。僕はただ、奥の壁にへばりついているしかなかった。位置が割れていないのが幸いだが、いつかはあの爪にかっさばかれてしまうのだ。
あまりの恐怖に少年が目を閉じた一瞬、体がグイと引っ張られた。腰に着けたポケットに鉤爪が突き刺さっていたのだ。指一本分でもずれていれば…………。そう考えるとゾッとする。ポケットは引きちぎられ、外の世界にすっ飛んでいった。まずい。今ので僕の位置がばれた。次は僕の体が引きずりだされてしまうんだ。
その瞬間、洞穴に響き渡ったのは少年の悲鳴ではなくドラゴンの咆哮であった。切り捨てられたドラゴンの腕の表面に外界から差し込む光が反射して輝いている。勇者が少年の肩を掴んで言った。
「後は任せろ、小さき勇者よ」
僕はただ頷くだけだった。横穴から出てきた仇の姿を眼に捉えると、ドラゴンは激昂した。怒ると冷静な判断ができなくなるのはドラゴンも同じらしい。だが勇者は冷静だった。ドラゴンが炎を吐くため息を吸い込み、顎を上げた瞬間、勇者は飛び上がって喉を一閃した。剣は鱗を突き破り、ドラゴンは地に伏した。
ギョームには勇者に後光が差しているように見えた。その姿は伝説上の怪物を討伐した英雄そのものだった。
差し出されたジークフリートの手を取って、ギョームも洞穴の外へ出た。
「まったく、馬鹿なことをする。少しでも遅れていたら死んでいたぞ」
「うん…………」
言葉とは裏腹に、ギョームの顔に反省の色がないことは自分でもわかっていた。もっと別の感情が沸き上がってきていたからである。
「いや、君には悪いことをした。すまない。君のおかげで本文を思い出すことができた」
謝らないでくれ。悪いのは僕なんだ。僕が何もわかってなかったからなのに。
「でも嘘じゃなかった。本当に一撃必殺だった」
「ああ、倒すことはわけない。だが、見つけられたのは君のおかげだ」
ギョームは初めて、ジークフリートの笑顔を見た。いつの間にか雨は上がり、水溜りに光が反射している。しかし、ギョームには彼の方がよっぽど輝いているように思われた。
ジークフリートは布袋を取り出し、ギョームに手渡した。
「これはツケだ。酒場に行って、払ってきてくれ。残りは君が貰ってくれていいから」
「なぜ自分で行かないの」
ドラゴンを倒したのだから、皆許してくれるさ。だから、帰ろうよ。
「私は勇者だからだ。次の助けを求める人のところへ行かなくては」
ギョームは悲しかった。しかし涙は流れない。乾いた目はジークフリートのことを見つめ続ける。
「そんな顔をするな。これからはギョーム、君が村を守ってくれ」
そう言うと、ジークフリートは踵を返し、歩き始めた。
「そうだ。盗賊がまた襲ってくるかもしれないんだよ、だから…………」
勇者は振り向くことなく去っていく。ああ、そうか。これは僕が望んだことだからだ。
「さようなら、ジークフリート。ありがとう」
今度は後ろを向いたまま、手を振って答えた。ギョームはその場に立ち尽くして、ジークフリートの背中が小さくなるのを見ていた。
陽はすでに傾き始めていた。長く伸びる影を振り切るように、ギョームは帰り道を駆けていく。




