第26話
く~ろ~ま~く~。
◇聖王歴1339年風ノ月11ノ日
剣を構え、呼気と共に振り抜く。ぴたりと虚空で剣先を止め、汗に濡れた金糸の髪から雫が飛び散る。地面を濡らす水滴を、気にすることなく腕を引く。
剣を構え、呼気と共に振り抜く。養父より教わった技の型を、一つ一つとなぞるように。何度も何度も繰り返す。息を荒げ、滝のように汗を流し、腕の感覚を失っても。
「はぁ、はぁ、はぁ」
剣を構え、呼気と共に振り抜く。人気のない夜の浜辺で、少女は剣を振っている。その華奢な体より巨大な剣を、振り続けている。
何も為せずに敗北し、意識を失ったあの戦いの後。意識を取り戻して直ぐに、町から離れた場所へと歩を進めた。一分一秒でも、無駄にしたくはないと思ったから。
けれど――
「これじゃ、駄目だ。アイツには、届かない」
瞳に焼き付いた亜人の動きに、まるで追いついていないと自覚する。どれ程に剣を振るっても、追いつけないと思えてしまう。
本物の実力者と相対して、それが痛い程に分かってしまった。アンジュ・イベールでは、届かないのだと。
「くそっ、私は……」
アンジュと言う少女には、戦士としての才がない。それは彼女が関わった、実力者達が口を揃えて示して来た事実。
実父とは真逆だ。鍛冶師としては天才的でも、戦う者としては平凡以下。アンジュビュルジュ・レーヌ・ルゥセーブル・ロスとしてはそれで良くとも、アンジュ・イベールとしては歯噛みする他ない資質。
――貴女の才では、強くなるのは難しいでしょうね。何かを犠牲にする、では届かない。何もかもを捨てて、それで漸くと言った所。……だから、違う道を探すことを勧めます。
優しい姉弟子は、嘗てアンジュにそう言った。言い辛そうに表情を顰めながら、必要以上に傷付けないよう言葉を選んで、シャルロット・ブラン=シュヴァリエは言ったのだ。
無理に強くならなくて良い。自分自身に納得できる道を探したいのなら手伝うからと、そんな気遣いの言葉にアンジュは何も返せなかった。何かを捨てることが、きっと怖かったから。
――甘ったれが、師もシャルの奴も貴様に甘い。貴様は私よりはマシだが、戦士の才と言うものが欠けている人種だ。そんな輩が英雄の頂を目指そうと言うのなら、鍛錬の量と密度を上げる他に術はない。才ある者が十の修練を行う間に、千でも万でも重ねねば届かん。泣き言を口にする暇があれば、剣を振るえよ愚か者。それが出来んと言うのなら、こんな道など捨ててしまえ。
厳しい姉弟子は、嘗てアンジュにそう言った。痛み止めの効果を有する煙草を咥えたまま、顰め面で吐き捨てるように、オードレ・アルマ・カイ・ダグラス=サングフワーは言ったのだ。
師も姉弟子達も認める程に、才のないアンジュ。そんな彼女より、更に才がなかったオードレ。アンジュの剣才が平凡ならば、オードレは剣才は無能の域にあった。
けれどそんな彼女が今では、十三使徒の武闘派が一人。英雄の領域に居る、雷将を超えたとも噂される女傑となった。
彼女が其処に至った理由は、偏に常軌を逸した鍛錬の量と質。その為に、女は多くを捨て去った。
アンジュ・イベールならば、彼女程に捨てずとも至れただろう。けれどやはり、人並みの幸福は諦めるしかなかっただろう。
それを養父も姉弟子も望んでいなかったから、そんな理由でアンジュは捨て切れなかったのだ。いいや、そんな理由に逃げただけ。選ぶことさえ、怖かったから。
「私は……」
復讐心を捨てることは出来なかった。しかし、復讐に徹することもまた出来なかった。中途半端だ。どっちつかずを続けていて、結果がここにこの今に。
強くなった気になっていた。冒険者として成功して、異名をギルドから与えられて、それで強くなった気になっていたのだ。
気がしていたと、それだけだった事実にも気付かずに。
「私は……」
剣を構え、呼気と共に振り抜く。ぴたりと虚空で剣先を止め、汗に濡れた金糸の髪から雫が飛び散る。地面を濡らす水滴を、気にすることなく腕を引く。
繰り返す斬撃に、意味などないと分かっている。天分の才を有する者らと異なって、アンジュ・イベールでは数日鍛えた程度で爆発的に強くなれる訳がない。
凡人にとって重要なのは積み重ねで、そんな時間なんてもう残ってはいないのだから。
――貴女は逃げなさい、アンジュ。彼らとの戦いは、私でも足手纏いになる程のもの。貴女では、勝機どころか生存さえも怪しいでしょう。
六武衆が立ち去った後、意識を取り戻したアンジュにシャルロットはそう言った。優しくて残酷な姉弟子は、全てを捨てて逃げろとアンジュに言ったのだ。
「弱いだなんて、分かってるんだ」
アンジュ・イベールは足手纏いだ。強くなれる時間はなくて、弱いままでは戦いの場に立つ資格さえない。
己よりも一回り以上強い姉弟子でも生存出来るか怪しい戦場で、一体彼女に何が出来ると言う。
何も出来ない。出来やしない。誰に言われなくとも、そんなことは分かっていた。
――アーちゃんは、気にしないで良いさ。おじさんたちがまあ、何とかするさね。
意識を取り戻したアンジュに向かって、養父のクリスは苦笑交じりにそう言った。自身も傷だらけだったろうに、剣や鎧を返せとすらも言わずに微笑んで。
「気にしないなんて、無理に決まってんだろ」
そんな人たちが、自分たちを置いていけと語るのだ。気にするな、と。剣を返せと言わなかったのは、それを取り上げればアンジュの未来が不安になるから。
Bランクの冒険者になった。Aランクへの昇格も、功績さえ稼げば得られる。けれどそれは、雷将の剣と鎧の恩恵があればこそ。それらを無くせば、Bランクに留まることさえ難しくなる。そう判断されたから、返せと彼らは言わなかったのだろう。
その結果、自らの敗北が確定するのだとしても。雷招剣も白銀の鎧もなく、六武衆と戦うのが自殺行為だと分かっていても。クリスは気にするなと微笑んで、迷わずその道を選ぶのだ。シャルロットもまた、そんな彼と共に殉じようとしている。
そうと分かって、それが気に入らなくて、ああ、だけど、しかし――
「だけど、なら、何が出来るんだよ。こんな私に」
何も出来ない。それが答え。そんな答え。剣を振りながらも自問自答を繰り返し、結局その解答しか出せずに居る。
そんな自分が悔しくて、そんな自分が悲しくて、どうしようもなく涙が溢れそうになって、せめて泣きたくはないのだと顔を上げたその瞬間――
赤い、誰かが其処に居た。
「バァ」
「――っっっ!?」
目と鼻の先、息が掛かる程の距離に、唇が触れそうな位置に、その赤は浮かんでいる。その黄金が見詰めている。
そうと気付いた瞬間に、アンジュは恐怖から大きく後退していた。
「アリス・キテラは偽りだらけ♪」
歌が聞こえる。唄を謡っている。慌てて距離を取ったアンジュの挙動を気にすることなく、その誰かは歌い出す。赤いリップが紡ぐのは、不吉な呪いに満ちた音。
「ドゥルジ・ナスは噓吐き魔女よ♪」
空中に浮かんだまま、両手を広げてクルクル回る。急に歌い出したその姿は、小さく幼い童女のそれ。
魔法使いが着るような赤いローブに、血のように真っ赤な髪。黄金の瞳をした幼子が、毒々しい色の口紅を塗った唇を歪めていた。
「教えてあげるわ、その嘘本当♪」
ケラケラと、ケタケタと、彼女は宙を転がり笑っている。悪意なく、邪気もなく、善意も思いやりも何もなく、唯々子どものように笑っている。
その姿が兎に角不気味で、その姿は何よりも不吉で、背に冷たさを感じながらもアンジュは構える。そんな姿さえも楽しいのか、童女の笑い声は止まらない。
「アリス。驚かすのも、程々にね」
「ママ」
警戒から、動けぬアンジュ。そんな彼女の背後から、女の声が周囲に響く。一体今度は誰だと慌てて振り返ったアンジュの横を、笑顔ですり抜けていく赤い童女。
童女は佇んでいた女に飛び付くと、その腕の中に収まり猫が甘えるように目を細めて頭を擦り付ける。そんな童女を撫でながら、女は嘲るような表情を浮かべていた。
「アリス……第三魔王っ! 大魔女っ! アリス・キテラ=ドゥルジ・ナスかっっっ!!」
「ええ、そうよ。この子はアリス。私の愚鈍で無能な馬鹿娘」
童女の正体。彼女の歌と女の言葉から、その世に知られた名をアンジュは理解する。嘗て聖都を襲った魔王の一角、第三魔王アリス・キテラ=ドゥルジ・ナス。
こんな時に最悪だと、焦りの表情を隠せぬアンジュ。そして疑問も生まれて来る。甘える童女の形をした恐ろしい怪物を抱いて、嘲笑い見下している黒髪の女。病的な程に白い肌と、童女と同じ赤い口紅が特徴的な彼女は一体何者なのかと。
「……で、テメェは何だ。私に何の用があるっ!」
「ふふっ、ここで問いを投げるの? 少しは自分で考えることが出来ないのかしら?」
くすりと妙齢の女は嗤う。黒いナイトドレスの上から羽織った、白いケープを風に揺らして悠然と。下賤な者と他者を見下し侮蔑している、そんな態度を隠しもしない。
いいや、敢えて見せ付けているのだ。苛立ち反発するアンジュの顔を見るのが、唯単純に愉しいから。そんな悪趣味な女はアンジュの反応を僅か愛でた後、馬鹿にするような口調のまま答えを示した。
「まあ、良いわ。折角ですし、名乗りましょう。私はディアナ。ディアナ・プロセルピナ。とある宗教で、教主をさせて貰っているわ」
「――っ! 邪教のトップっ! テロリスト共の首魁じゃねぇかっ!?」
アンジュ・イベールも中央出身、邪教集団の悪名高さはよく知っている。古くは七百年前の記録において、教団の幹部が魔王の影を降臨させ三百年という長さの暗黒期を齎した。
それが邪教が世に知られるようになった発端で、以降も度々歴史の表裏を問わず蠢いてきた。
十六代目の聖王を唆して世界規模の戦乱を引き起こしたこともあれば、大魔女事変においても先触れとして数々の村落を焼き滅ぼした。
この世界における癌と言い切っても良い、悪辣が過ぎるテロリスト達。それが邪教集団だ。
「酷い言い草。私達は、同じ思いを抱いた同志に成れると思うのだけど」
「は、何を言いやがる。私と、アンタが、同志に成れるって!?」
「ええ、だって憎いでしょう。貴女」
邪教の教主と、魔王の一角。考え得る限り、最悪の組み合わせを前に胆を冷やすアンジュ。
緊張しながらも如何にか憎まれ口を叩く少女の背伸びを、嗤って見下しディアナは告げる。その内にある、傷を切開する為の言葉を。
「ロス家を滅ぼした聖王国の指導者達が、実父を殺した雷将と呼ばれる裏切り者が、何より何も出来ない貴女自身が、許せない程に憎いのでしょう?」
「な――っ」
くすくすと嗤う、見下す笑み。抱かれた童女が釣られるように浮かべた無垢なるそれとは異なって、何処までも悪辣な趣味と諧謔に満ちたもの。そんな笑みを浮かべたディアナは、傷を開いてそこに塩を塗り付けようと音と言う毒を紡ぐ。
「酷い話。本当に酷い話。オリヴィエ・ロスがどうして、反逆なんてしなくちゃいけなかったの? だって彼は当時の王の義理の兄。実父は貴族院の頂点で、本人は王国軍の将軍位。更には姫に次ぐ王位継承権の持ち主で、そして娘の貴方は第三位の継承者。黙っていても栄華は約束されていたのだから、反逆する理由なんて何処にもなかったじゃない」
よく通る、澄んだ声。暗くなった静かな浜辺に、鈴の音のような語りが響く。女が口にした音は、少女も確かに考えたことがある理屈。
いいや、少女だけではない。当時の事情を知る者は、多くがそう疑問視した筈だ。どうして、刀将はクーデターを起こそうとしたのかと。
「酷い話。本当に酷い話。ねぇ、知ってたかしら? クリストフ・ヒュジ・イベールは元々、オリヴィエ・ロスの従者で乳母兄弟だったの。イベール家は代々、ロスに仕えていた家柄でね。本来なら飼い殺しにも出来たのに、オリヴィエ・ロスは友の栄達を願ってクリストフを自由にした。出世の後押しだって彼がしたのよ。結果、その手で殺されるとも知らずにね」
ディアナが紡いだその毒を、アンジュは今まで知らなかった。実父と養父の関係は、親友だったとだけ聞いていた。それだけでも、養父にとっては重い選択だったであろう。
友を手に掛ける。養父の性根は実直なままだと知ればこそ、それがどれ程に心を傷付けたことか察しが付いた。だからアンジュは、クリスを恨めなくなってしまったと言うのに。
其処に主従と恩義の情も混じっていたと言うのなら、その傷はどれ程に深かったことか。或いはアンジュが居なければ、彼は自死を選んでいたかもしれない程に。
「そんな事実を知ったとしても、何も出来ない無能な貴女。可哀そう可哀そう可哀そう。とっても可哀そうで酷い話ね」
「可哀そう? かわ居そう? カワ革河側可愛いね♪」
「ええ、そう。可哀想で可愛いわね、アリス。だから、そんな可哀想うで可愛そうなアンジュちゃんに、とても良い提案をしてあげましょう」
至った答えに、何も言えなくなって硬直する。そんなアンジュへ侮蔑するような視線を向けながら、首に抱き着いていた童女を優しい手付きで移動させる。
軽く曲げた左の腕で小さなアリスを抱えて、右手を自由に。見下し馬鹿にするような表情を隠さないまま、ディアナ・プロセルピナはその右手を少女に向かって差し出した。
「私の手を取りなさい。私に縋り求めなさい。そうすれば、貴女の願いを叶えてあげる」
女の声は、悪徳を隠さぬ悍ましいものではあったが、しかし同時に酷く蠱惑的なものでもあった。
「力が欲しい? なら与えましょう。とてもとても強い力を」
アンジュ・イベールは力が欲しい。復讐を為せるだけの力が。無力感にもう苛まれることがないだけの力が。
「過去の優しい時間に戻りたい? なら与えましょう。父母の死も家の破滅も、全部なかったことにしちゃいましょう」
「出来るの?」
「この子なら出来る。アリスなら出来るわ。第三魔王の権能は、嘘と本当を入れ替えることだから」
「出来るの♪」
アンジュビュルジュ・レーヌ・ルゥセーブル・ロスは過去に帰りたい。暖かで裕福だったあの日々に、戻りたくないと言えば嘘になる。口が裂けても、望んでないと言えはしない。
「アリスが嘘と言ったなら、あらゆる全てが嘘になる。貴女の父の死も、貴女の母の死も、貴女が失った全てのものも」
その願いの全てを、アリス・キテラは叶えてしまえる。童女の望んだ嘘は本当に、童女の拒んだ本当は嘘に、全てをひっくり返してしまえるから。
唯一言、アリスが口にするだけで叶うのだ。“貴女の願いが、叶わないなんて嘘”そう口にするだけで、アリス・キテラはあらゆる願いを叶える存在となれてしまう。
「アリスが本当と言ったなら、あらゆる全てが手に入る。絶対無敵の力も、永久不滅の肉体も、望んだ全てが叶うのよ」
最悪とまで謳われた邪教集団が、未だ壊滅していない理由も此処にある。人心が荒れ、世が荒廃すればする程に、童女の救いを求める声は多くなるから。
アリスに縋り、アリスを求め、アリスに捧げる。それだけで死んだ人が戻って来る。それだけで優しい時間を取り戻せる。それだけで憎い仇が居なくなる。
邪教の教祖は、縋る者らに教え導く。何をすれば、無垢なる子どもが喜ぶのかを。アリス・キテラを楽しませる為に、人を殺し国を荒らし世を混沌で満たすのだと彼らに伝えた。
故にアリス・キテラ=ドゥルジ・ナスと言う偶像を崇拝し、彼女を喜ばせる為に惨劇を撒き散らす集団が生まれた。嘆きの果てに、己の願いを叶えて貰おうとする負け犬達。それこそが、邪教なのである。
「さあ、この手を取りなさい。アンジュビュルジュ・レーヌ・ルゥセーブル・ロス。弱くて無能で可哀想な愚か者。私が貴女を、教え導き救ってあげるわ」
無論、団員全てがアリスの信奉者と言う訳ではない。中核となる幹部達は、その殆どが実態を知るが故に信奉者足り得ない。
アリス・キテラは偶像であり傀儡だ。童女に悪趣味を吹き込んで、己が意のままに操る女。邪教を邪教たらしめる、この邪悪な教主こそ全ての元凶だから。
「……私、は」
されどアリスの力は確かなものであり、だからこそディアナの声には毒がある。ディアナは従う者には、相応の褒賞を恵む女だ。アリスが気紛れに、縋る声を聞き届けることもある。
だから、そう。彼ら邪教集団に与すれば、願いは確かに叶うのだろう。教団に属する信者の中には、願いを叶えて貰ったが故に狂信を向ける者も居る。
だから、その手と声は酷く蠱惑的に聞こえて――
「アンタに頼る程っ、落ちぶれてなんてねぇっっっ!!」
だからこそ、アンジュは剣を以って返答とする。迷ってしまった己に対し怒りを燃やしながら、雷光となって駆け抜けた。
「あら、残念」
「ちっ!? 躱された!? いや、これは――」
雷光の一迅は、何も奪わず空を切った。躱されたのかと問えば否。外したのかと言えば、それもまた否。
振り抜いて、当たった筈なのに、切り裂けずに擦り抜けていたのだ。
「あらららららら♪」
「……これが、嘘にされるって感覚かよ。厄介な」
アリスが嘘にすると分かっていたから、迫る銀閃など脅威ではなかった。故にディアナは躱す素振りを見せることはなく、迸った雷光が齎した結果は彼我の距離が近付いたことだけ。
流れる汗を冷たく感じながら、アンジュは理解した直後に大地を蹴って遠ざかる。魔王がその心算ならば意味のない行為ではあるが、果たして慢心によるものか、追撃の類は何もなかった。
(やべぇな、この状況。さっきのは当たったって結果を嘘にされただけだが、あの魔王が対象を私自身にしてたなら。生き物を嘘に出来ないなんて、そんな保証はない。いいや、死をなかったことに出来るなら、生をなかったことにも出来るのは妥当だ。あのガキんちょは、言葉一つで私を殺せる。そう考えて…………それって、どう動けば良いんだよっ!?)
雷の光が瞬く度にきゃっきゃっと笑う童女と、その子を片手に抱きながら見下し嗤う悪趣味な女。彼女達に対する術を、アンジュは一切有していない。
唾を飲んで、機先を制しようとするのではなく、一度は話に乗った振りをするべきだったかと自問する。すぐさま出せた自答は否。下手に踏み込めば、利用されて終わるだけだろう。
「ふふ、親不孝者ね。両親や家の復興を望まないなんて、本当に本当に酷い娘」
「どうせ、何か裏があるんだろっ! お決まりのパターンだぜ、テメェら邪教の連中のなっ!」
「ばればればればればれちゃった♪」
「ええ、ばれてしまったわ。仕方ないから、全部暴露してしまいましょう」
その懸念は、確かに正しい。下手に頷いていたのなら、呪詛や契約に縛られ骨の髄まで使い潰されていたであろう。
だがしかし、だからと言って今の選択肢も正しくはない。否、正しい選択など既になかった。相対した時点で、何を選ぼうが詰んでいたのだから。
「反逆者の汚名を被った哀れなオリヴィエ。裏切者と成った愚かなクリストフ。一体誰が、彼らを罠に掛けて苦しめたのか?」
「酷いね酷いね楽しいね♪ 嬉しい悲しい悲しいわ♪ 一体全体奇々怪々♪ 誰の所為なの私の所為なの貴女の所為なの誰かの所為ね♪ 知らない見えない分からない♪」
「ふふっ。まぁ、ぶっちゃけてしまうと――全部私の所為なんだけど」
「…………は?」
邪教の教祖は悪辣だ。相対した犠牲者が何を選択しようとも、彼女にとって都合の良い結果になるよう全て仕組んでしまっている。
アンジュ・イベールが素直に従わないのなら、程良く壊して使い捨ての駒にしてしまえば良いだけだから。そのために、此処に全てを暴露しよう。
「簡単な話よ。ロス家に謀反の兆候ありと、政府を介して軍に流した。これが例え誤報なのだとしても、軍部としては確かめる為に動くしかなかった。実際、誤報ならそのまま何もしないで戻れば良いだけの話だもの。担当した雷将さんは、その時点では疑う余地もなかったようね。本当、哀れで無能なお馬鹿さん」
現在の宰相、ダリウス・ローガン。当時は政府の一文官でしかない男に接触し、ディアナは彼の野心を煽って利用した。
ダリウスの敵を排除する代わりに、邪教に便宜を図って貰うと言う関係を構築したのだ。そして、そんな共犯者は、ダリウス個人だけでもなかった。
聖王国内の中枢に数人。時に餌を与えて、時に脅して、邪教の都合が良いように動いて貰う。その一環として流したのが、ロス家に対する風評被害。
国内でも最も影響力の強い貴族を弱体化させる為だと言えば、協力する者達は多く居た。実に馬鹿な奴らだと内心で嘲笑いながら、ディアナは国を動かした。
「後はオリヴィエ・ロスの手に、これを握らせただけ。ふふっ、元々貴女達が作った物でしょう。ちゃんと持ち主に返してあげないとね」
「それ、は……ロスの、魔剣」
「ええ、使い手を魔物に変えてしまう。とっても素敵な魔性の剣」
そうして実のない悪評を確かめる為に軍が動いた後、ロス家に忍び込んで当主に魔剣を握らせたのだ。嘗て初代ロスが鍛え上げた欠陥品、使えば使う程に魔物に近付くその剣を。
後は軍が到着するタイミングで丁度良く成り果てるように、程良い量の瘴気を流し込んだ当主を呪詛で縛って行動不能にしておけば良い。それだけで、後始末は全て野心溢れる人間たちが勝手にしてくれる。
ディアナが描いた絵図面は、彼女の期待通りに推移した。腹を抱えて嗤って見ていた彼女の存在に気付くこともないままに、刀将は死に雷将も以降は前線を退いた。聖王国は三将軍と言う最大の武力を、一夜で二人も失ったのだ。
「友人に殺してくれと頼む貴女の実父も、友人を手に掛けて泣き喚いていた貴女の養父も、どっちもとっても見苦しかったわ」
「お、お前ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!」
地面に映った己の影から取り出した片刃の剣を、ペンを回すように右手で弄びながらに語るディアナ。実に愉しかったと満面の笑みで告げる女に、少女の怒りが爆発する。
己の家族を奪った者。己の幸福を台無しにした者。そしてそれをこの今も、侮蔑し罵倒し嗤っている者。恨んではならない理由はなく、殺すべき理由ばかりがある女。この女こそが、仇敵なのだとアンジュは理解し大地を蹴った。
「お前がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
「ふふっ、随分と必死な形相ね。アンジュビュルジュ」
「怒ったわ、嬉しいね♪ 泣いてるの、楽しいね♪ どうしてどうして何ででしょう♪ とってもとっても哀しいわ♪」
「それはね、アリス。この子がとっても哀れだから。弱くて愚かで無様な生き物は、見ていて悲しくなるものよ」
「あららららら♪」
「くそっ、こいつらぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
切り込み剣を振り抜いても、全てが嘘になって届かない。激高のままに振るう疾風怒涛の連撃は、間違いなくアンジュ・イベールの生涯でも最上級のもの。
だと言うのに、まるで日向で談笑しているかのように、アリスもディアナも身動ぎ一つしてはくれない。脅威とすらも、思われてはいなかった。
「無様な白百合姫で、このまま遊んでいるのも良いのだけど。そろそろ時間ね。第五の王に、挨拶しに行かないと」
「知っているわ、第五の王♪ 一体誰なの、悪竜王♪ とってもとっても楽しみね♪ とってもとっても不安だわ♪ 仲良く出来ると寂しいわ♪ 喧嘩をするとお腹が空くの♪ 背中とお腹がくっついた♪」
「ええ、きっと仲良く出来るわよ。互いに殺し合える程にね、アリス」
「くそっ! くそっ! どいつも、こいつも、舐めやがってぇぇぇぇぇっ!!」
邪悪な教主は分かって敢えて馬鹿にするように、無邪気な童女は何故怒っているかも分からず首を傾げているばかり。
届かぬ剣を振りながら吠える少女の心に、積もり溢れるのは無力感。東の武人に敗れたばかりの心は、悪意を前に砕けそうになっていた。
「舐められる方が悪いのよ、アンジュちゃん。頭が悪くて力もなくて、とても可哀想な貴女にこれはあげるわ」
「――っ! そんな見え見えの動きにっ!」
ディアナが右手に握った魔剣を、ダーツを投げるように放つ。
実態は高位の魔物ではあっても、ディアナ自身の実力は最上位には僅か劣る。大魔獣や接触禁忌と称される巨大な魔物程ではない。
そんな女が力も入れずに、雑に放った投擲だ。雷光を纏って駆け抜けることが出来るアンジュならば、至近距離からでも回避が出来る。故に当然、彼女は大地を蹴って。
「ウゴイチャダメ」
「が――っ!?」
魔王の嘘に絡め捕られる。作った距離は一瞬で嘘になり、躱した筈の刃が臓腑に突き刺さる。
心の臓を抉るように、片刃の刃が少女の身を正面から背後へと真っ直ぐ貫いてしまっていた。
「アリス。彼女に、最後の贈り物をあげましょう」
「プレゼント♪ プレゼント♪ とっても素敵な贈り物♪ サンタさんも大満足♪ なぜなぜどうして満足するの♪ それはとっても簡単よ♪ だって最期のプレゼント♪ お仕事なんて、もうおしまい♪」
黒い刀身を滴り落ちる赤い流血。息も出来ずに硬直したアンジュを見下したまま、ディアナはアリスを地面に下ろす。
地に降りた童女はスキップしながら近付いて、動けぬアンジュの頬を両手で挟むと瞳を見上げるように覗き込む。
そうして、数秒。息が掛かる程の距離で、その掌から悍ましい力を少女へと注ぎ込んだ。
「あ、げ、ぎっっっ!?」
流れ込む悪意に、童女を突き飛ばして遠ざけたアンジュの体が跳ねる。黒く染まった血を吐きながら蹲った少女の体が、歪な形へと変わり始める。
大量に注がれた瘴気が、心臓を貫いた魔剣を動かす。血肉の一片、細胞の全てが魔物のそれに作り替えられてしまう。
果てに至った姿はまるで、黒い甲冑で全身を隠した騎士にも見えた。
【Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!】
下弦の月に向かって吠える、硬質で鋭角を有する鎧型の新たな魔物。中途半端に残った生体部分が、薄気味悪さを引き立たせる。
そんな化け物は一頻り吠えた後、喰らうべき生命を求めて走り出す。
目指すは一路、臨海都市コートフォール。人であった頃の彼女が、愛し育った町である。
「さて、哀れな娘は、実父と同じ運命を辿るのか。理性なき魔物に成り果てて、雷将の手で討ち取られる。実に無様な結末だけど、さてさて、ふふふ」
遠ざかる化け物の背に、ディアナは嘲笑の言葉を投げる。女の悪意が齎す結末が、果たして誰に変えられるのか。
誰にも変えれぬと言うのならば、哀れな少女は哀れなままに果てるであろう。
ロス家はハプスブルグしてたので、オリヴィエが王の義理の兄なのに第二王位継承者とか言う無茶が出来ていた。
近親婚繰り返して異常がなかったのは、初代聖王の超人体質を程良く継承していたのも理由。
そんなロス家の虐殺は黒幕さんの悪意が切っ掛けではありますが、黒幕さんはあくまで切っ掛けになっただけ。
大部分は欲望や野心に突き動かされた聖王国の連中が、ピタゴラスイッチした結果起きた惨劇だったりします。




