第25話
戦後処理。
◇聖王歴1339年風ノ月11ノ日
傾く夕日が白亜を染める。崩れ落ちた城門は瓦礫だけが撤去され、寒々しい景色を露わとしている。
荒れた大地を、整地しているような余裕はない。東国の男女が齎した傷は、一昼夜で治る程には浅くなかった。
城内を慌ただしく駆け回る生き残った兵士達。矢継ぎ早に来る彼らの報告を聞きながら、シャルロットは机に向かってペンを走らせる。
被害の復旧指示と今後への備え。それに並行して、領主代行としての内政業務も存在する。頭を抱えたくもなる仕事量に、泣き言を漏らしたい程だ。
それでも辛いのは、自分だけではない。それでも師よりは、精神的にマシだろう。そんな風に言い聞かせながら、シャルロットは執務を続ける。
「ただいまー。いやぁ、久しぶりの正装は肩凝るねぇ。あ、シャルちゃんもお酒飲む?」
「おかえりなさい、先生。お疲れ様です。けど、お酒はまだ駄目ですよ。仕事は山積みですし、傷に良くありません」
「だろうねぇ。けど、根を詰め過ぎてもいけないんじゃないかな。昨日から休んでないでしょ、お互いに。だからさ、飲もうよ」
そんな中、執務室の扉が開く。入って来たのは、この北方の領主クリストフ。彼が好むラフな着流し姿ではなく、着崩しているとは言え軍の正装を纏っている。
家紋があしらわれたマントを椅子に投げ、腰を掛けると手にした酒瓶を持ち上げて笑う。そんな彼の姿に少し考えた後で、シャルロットは酒瓶を掏り取る。代わりに机の上にあったティーカップへ、ポッドの中身を注いでから手渡した。
「シャルちゃん?」
「喫緊の物は少ないですし、一端休むのは良いと思います。ですが、お酒は駄目です。内臓が傷付いたままでしょう、ご自愛ください」
「これ、紅茶? ブランデーとか、少しくらい足して良い?」
「駄目です」
「……はい」
北方政府も大きな組織だ。構成員は当然前衛の騎士だけではなく、魔術師や精霊術師と言った者らもそれなりに所属している。故に治療を行うことも出来るのだが、魔術や精霊術による治癒も万能と言う訳ではない。
自然から力を分けて貰う精霊術は、実は大きな傷を治すのには向いていない。精霊術の治療は主に、治癒能力の促進や自然のエネルギーを注ぐことで体力や生命力を活性化させる行為である。
テープを巻き戻しにするような異様な再生復元のようなことは出来ず、手足の欠損や既に治った古傷などは癒せないのだ。回復系の精霊術は優れた術者でも、瞬間的に大きな効果を発揮させることは出来ないものだ。
ならば魔術はどうかと言えば、出来るが問題ありと言う結論となる。本質的に他者を助けることには向かない技術であるから、当然人を救えば其処には幾らかの陥穽が生じてしまう。
軽い擦り傷切り傷程度なら、頭痛や吐き気と言った軽度の症状が代償として残る程度。だが欠損を治す程の魔力を注げば、最悪は堕落現象を引き起こして治療対象が魔物となってしまう。その代償を上手く踏み倒したり、小分けに支払えるようにする技術を持つのが優れた治療系の魔術師である。
国に雇われる魔術師なのだから、当然北方には一流の術師が揃ってはいる。それでも、そんな彼らでも二人の傷を完治させることは出来ていない。それ程に、両者の傷は重かったのだ。
残る治療手段として神聖術と言うものもあるが、こちらにおいても重傷の治療は高等技術。神聖術師はその殆どが聖教に直接管理されていると言うのもあって、現状の北方には都合の付く人物がいなかった。
故にクリストフは内臓にダメージが残っている状態で、シャルロットも包帯の下の傷口から時折血が滲む状態のまま。これ以降は精霊術を併用しながら、時間を掛けて治していくしかない訳である。
「それで、先生。遺族の方達は」
「こっちに来てる人達は、覚悟が違うからさ。……責められないってのは、かえって辛い話だよね」
新しいカップを取り出して、紅茶を注いでから椅子を寄せる。向き合って腰掛けながら、話題を探したシャルロットが問い掛けたのはそんなこと。
仕事の話題しか出せないのかと、頭を抱える女に苦笑を返してからクリスは言う。揺れる水面を見詰める瞳に、映るは重い感情を隠したような色。らしくないな、とまた男は苦笑した。
「代わりましょうか。先生が態々、出向く必要はないかと」
「駄目だよ、シャルちゃん。僕がここじゃ、一番偉いんだからさ。せめて誠意だけは見せないと駄目だ」
泣き崩れた遺族は、それでも男を責めはしなかった。北方領土は最前線、死は身近なものであって誰もが覚悟してこの場に居る。
遺書を残すことは義務であり、親族も分かって此処に来ている。だから遺族に死を告げることは珍しい事ではなく、けれど何度やっても慣れないことだった。
「誠意と言うなら、遺族への支援金も減らせませんよね」
「あー、もしかしなくても資金繰り厳しい感じ?」
「今回は、数が数ですので。いつも通りの金額でも、回らなくもないのですが。設備の復旧を考えると、本当にギリギリですね。更に言えば、次の襲撃も予告されてますので、それに備えるとなりますと」
「削れる所を、削らないと、か。……うん。城の復旧工事は後回し。執務に影響出るとこだけ、直しておく感じで進めようか」
「そう、するしかありませんか。支援金の減額については?」
「そっちは最終手段。なるべくやりたくないけど、最悪はね。これ以上、死者を増やさない方が優先だ。……本当は人の価値に、優先順位なんて付けたくないんだけどさ。これだから、偉くなんてなりたくないんだ」
北方は元から危険地帯である。魔王が倒され落ち着いた今でも、この大陸には強大な魔物が多く人類の生存圏は少ない。この町だけなのだ。一般人が生活出来る場所など。
だからこそ、此処は常に余裕がない。中央の下部組織である以上、聖王国の方針には逆らえないと言う面もある。東国六武衆との敵対が確定してしまったのも、中央からの指示が原因だ。
魔王討つべし。人類の意思を統一して、魔物と戦うべきだと言う東の書状。その協力を求める使者に対し、クリス個人としては協力を約束したかった。
それでも中央が否と言うから、王国に従う限りは手を組めない。少しでも中央の譲歩を出そうと活動を続けてはいたが梨の礫で、そうこうしている内に東が我慢の限界を迎えた訳だ。
東の宣戦布告。中央から撤退の許可も出ておらず、手元に戦力が残っている以上はこの地を守る為に戦わなくてはならない。
いっそ東と組んで、中央に対し意を翻せば良かったのかもしれない。そんな風に思っても、結局の所は今更の話。敵対を避けられない以上、戦う準備が必要だった。
「因みに、シャルちゃん。ギルドの方は、どうだった?」
「罠師の協力は確約を得られました。北方の窮地とあれば、助力は惜しまないと。ギルド職員の方も可能な限り、戦力の融通をしてくださると言ってはいますが……正直、罠師以外の冒険者では」
「実力不足。足手纏いにしかならない、か」
だがそうは言っても、相手はスペシャル。英雄級の実力者しかいないと言う、この世界でも最上位の武闘派集団だ。対抗できる戦力も、数えられる程度しかいない。
雷将クリストフ。討魔師団の師団長シャルロット。罠師コルテス。北方大陸で六武衆と戦えるのは、大目に見てもこの三人だけ。
シャルロットやコルテスでも恐らくは下限値で、相性次第で食い付けるかどうかと言う程度。明確に伍するのは、クリストフ唯一人である。
「北守の師団長を呼びますか? 先生の権限で召集出来る戦力としては、彼が上限ですが」
「あー、ユルリッシュ君なぁ。居れば役に立ってくれるとは思うんだけど、軍師タイプだからなぁ。無双してくる英雄集団とは相性最悪でしょ、護衛置ける余裕もないし」
「下手に役立てば、あっさりやられそうですね。殴り合いだと、師団長最弱ですし」
「北守師団を纏める人員も必要だし、呼べないよねぇ。書類仕事とかも得意だから、現状すっごい居て欲しいんだけどさ」
聖王国は他国に比べて、人材の層が厚い。英雄級や準英雄級と言える戦力が土地柄か生まれやすく、国家の総力、強者の数と言う点では間違いなく五大陸随一と言えるだろう。
だが、そんな中央でも個の性能では東国に及ばない。中でも六武衆は、正に別格と言えた。
王国軍内でもシャルロットは上から四番目の実力者だと言うのに、一番下の六席相手にほぼ完封と言う様なのがその証左。
彼女以上の戦力となると、中央でも東守師団団長のゴーティエと空将ヨアヒムしか居ない。
しかしその両者とも、公爵派と王党派の最大戦力。今の北方と言う危険地帯への派遣など、期待も出来はしないだろう。
ならば西方はどうかと言えば、その陣容は中央より寒い。六武衆に勝てるかも知れないレベルの実力者は、灰被りの猟犬とその一党くらいのもの。灰被りは西の切り札。先ず動かせない。
四人のA級冒険者は聖王国の六師団長と互角と言われているが、六師団長でも二番手のシャルロットですらあの様だったのだ。
である以上、戦力としては下限値スレスレ。A級冒険者でそれならば、B級以下は足手纏いにしかならぬだろう。
「本当に、公方姫乃の心威が厄介です」
「数の利が、完全に死んじゃうからねぇ。少数精鋭で挑むしかないのに、相手がその少数精鋭の極致って言うのがきっついよ」
一騎当千の英雄でも、千の兵を相手にすれば疲弊するもの。少数精鋭に対する対抗策の一つは、数で圧殺すると言うものだ。
だが夜摩の判決がある限り、その正攻法は通じない。どれ程に数を集めても、一定以下の実力者では戦力として数えることも出来ない雑兵と化す。
その下限値も、かなり高い域にある。師団長で二番目に強いシャルロットが、不意打ちでは耐えられないレベルだ。
事前に来ると分かっていれば、シャルロットやA級冒険者ならどうにか耐えられるであろう。その域なのだ。予め備えていたとしても、B級冒険者以下では全滅するのが目に見えていた。
「取り合えずさ。ドーちゃんには、頭下げよっか」
「オードレ姉さん、ですか。確かにあの人なら、六武衆にも引けを取らないでしょうが」
「うん。聖教には、すっごい借りが出来ちゃうけどさ。それでもあのドーちゃんが、友達を何人か引き連れて来てくれれば……それで漸く、勝ち目が少しは見えてくる」
「オードレ姉さん、友達とか居るのかな。って、あ、十三使徒の他メンバーの事ですね」
現状で、彼らが呼べる最高戦力。思い当たるのは、雷将の一番弟子。既に師を超えたとも噂される、聖教会十三使徒は一人。オードレ・アルマ・カイ・ダグラス=サングフワー。
十三使徒の中でも上位に位置する武闘派の彼女ならば、六武衆とも互角の戦いが出来るだろう。
師として弟子の情に縋るのは情けないとも感じるが、手段を選んでいられる余裕はなかった。
「流石にロードナイト卿は引っ張れないだろうけど、武闘派を何人かは連れて来て欲しいなぁ」
「十三使徒も、実力の差が大きいとは聞きますね。三将軍と戦えるレベルは一握りで、大半は私達師団長にも及ばないとか」
「聖典に選ばれること、が列席の条件だからなぁ。ドーちゃんの話だと、ドーちゃんより強いのはデュラン君とロードナイト卿の二人だけだっけ」
「後はカルヴィンと言う人が、オードレ姉さんと互角扱いされているらしいですね。品位のない奴と五分な自分に腹が立つとか、前に聞いたことがあります。他には、マキシムと言う方の実力がどうも読めないとも言ってました」
「その読めない子がドーちゃんと同じくらいに強かったとしても、六武衆級は四人か五人か。皮算用をするにも、きっついよなぁ」
聖王国からの増援には期待出来ない。国土防衛の要であり王派閥最強戦力の空将は動かせず、師団長最強のゴーティエも公爵派閥の切り札であるが故に動かすのは難しい。他の師団長を引き抜くのも、今の軍部がギリギリで回っていることを考えれば不可能に近い。
西方からの増援にも期待出来ない。灰被りの猟犬は動かせず、A級冒険者でも死ぬ可能性が高い以上は出したがらない。英雄級やそれに準ずる実力者が産まれ難いのが西方だ。聖王国への隔意もあれば、北が弱ることは彼らにとっても喜ばしいことである。罠師を北から撤退させないことが、最大限の支援と考えるべきだろう。
故に現状で、頼りに出来るのは聖教会のみ。秘密主義の彼らではあるが、本拠地のある聖王国や魔物に対する最前線である北方が消耗するのは避けたいだろう。
となれば情で呼び込めるオードレと、彼女を介して数名の十三使徒。それらの助力は期待出来ると考えて、それでも厳しい戦いになるとクリストフは察していた。
「先生は、勇者との旅路の際に、六武衆と面識があったのですよね?」
「うん。特に武鋼のじっさま、当時の六武衆の頭張ってた人とは縁があってね。どうもあの人、おじさん達のことを変に気に入ったみたいでさ。何度も何度も絡まれて、四人掛かりで戦ったのに結局一度も勝てなかったなぁ」
「……それほど、ですか」
「キョウの奴が機転を利かせなきゃ、間違いなく全滅してたね。おじさん達」
吟遊詩人が語る勇者の歌にある、恐ろしい東の修羅。彼こそ当時の六武衆を率いていた将、武鋼。一体どれ程に生きているかも分からぬ老剣士は、強者との仕合だけを求める男であった。
正に修羅と言う呼び名が相応しい貪欲さと執念で、何度も何度も勇者パーティを追い詰めた偉丈夫。四人掛かりで一度も勝てず、最後は罠に嵌めて逃げ切ることで如何にか戦いを避けたと言う程の相手であった。
「剣と鎧を譲ってなかった頃のクリス先生が、四人掛かりで倒せなかった人。その老人が一番強いのだとしても、他の連中が対処し易いとも思えませんよね」
「んー、推測なんだけどさ、リアム君達の会話を盗み聞いた感じさ。武鋼のじっさま、負けてるっぽいんだよねぇ」
「……負けてる、ですか?」
そんな怪物が居るのかと知って、敵を更に上方修正していたシャルロット。彼女は続くクリスの言葉に、信じられぬと目を見開く。
リアムの強さも、姫乃の厄介さも肌身に感じて分かってはいた。だがそれとて、伝え聞く武鋼と言う老人には及ばぬと言うのに。それさえも超える何かがあるのか、と。
「六武衆の席次って、単純に実力順でね。誰かに負けたら、入れ替わるって感じなの。んで、あの子ら言ってたっしょ。陛下がどうの、とか。上が変わって、やり方変わった~みたいなの。……武鋼のじっさま、殺しても死にそうにない老人だったし、病気や老衰でくたばってくれてるとは思えないんだ」
「その陛下とやらが武鋼と言う老人を倒した。……詰まり、勇者パーティ全員を一人で相手取れる前任より、更に強い存在が敵の首魁と言う訳ですか」
クリスの推論を聞いて、シャルロットは頭を抱える。インフレにも程があるだろうと言いたくなる程に、六武衆の王とやらは聞くだけでも別格だ。
雷将クリスが全盛期の時に、同格三人と一緒に挑んで勝てなかった修羅。それより強いと言う王は、最低限に低く見積もっても、聖王国軍の全戦力を個人で上回る存在であると言えたのだ。
「私と先生と罠師に、十三使徒のオードレ姉さん達。それだけで、勝てますか? 東国六武衆に」
「難しい、だろうね。向こうの方が、明確に強い。おじさんの錆落としと、罠師の仕込み。それに加えて、十三使徒が何人来てくれるか。その辺全部ひっくるめて、ワンチャンあるかもってくらいじゃないかなぁ」
全てが上手くいって尚、北方側の勝機は薄い。先ず間違いなく東国六武衆は、世界最強の集団であるが故。
そして其処まで、全てが都合良く動く可能性も低い。聖教の戦力派遣も絶対ではなく、クリスの錆落としとて間に合わない可能性の方が高いのだから。
「今言った戦力も、理想値でしかない。聖教が動かなければ、絵に描いた餅。僕ら三人だけじゃ、順当に摺り潰されて負けちゃうだろうね」
「……やはり今回だけでも、アンジュに与えた剣と鎧を回収するべきでは? 打ち直した鎧は兎も角、剣の方は手渡すだけで済みますし。せめてそちらだけでも」
「なしだよ、それは。……私はあの子の未来を信じて、剣と共に意志を託したのだ。それを窮地になったから返せと言うのは、余りにもふざけた話だろう」
だからシャルロットは、アンジュ・イベールに渡した剣と鎧を取り戻すべきだと語る。本来の実力を発揮できていたのなら、雷将クリスがああも簡単に遅れを取ることはなかっただろう。
女は雷将クリスの本当の実力を知っている。彼に憧れ、彼を追い掛け、彼に恋い焦がれているからこそ、その決定は気に入らない。どうしてあんなに弱いあの子にと、思ってしまう面もある。
「負ける気では、戦わない。それでも、負ける可能性は極めて高い。だからこそ、あの剣は、アンジュに託したままで居たいのだ。……おじさんはあの子から、余りに多くのものを奪ってしまったんだからさ」
けれど、クリスの事情も分かるのだ。多くを奪ってしまったからこそ、せめて残せる物だけでも残してあげたいと。雷将が既に折れていることを知っていて、だから癒したいと願っているのだから。
けれど、アンジュの事も大切なのだ。家を焼かれ路頭に迷っていた当時のアンジュを、最初に助けたのはシャルロットだ。スラムに生まれ育った彼女は、人寂しさから飢えていた子を拾い助けた。そうして共に居た関係故に、本当の妹のようにも思っている。
「ごめんねぇ、融通の利かない頑固者で」
「……いえ、それがクリス先生の決めたことでしたら」
本当は納得なんてしていない。アンジュと共にスラムで生きて、一年もしない内にクリスの下へ引き取られた。そんなシャルロットは、謝礼としてクリスへの弟子入りを望んだ。
ほぼ同時期に弟子入りした二人。才能のあった姉弟子は直ぐに頭角を表して、才能のなかった妹弟子は今も燻りながらも師の剣と鎧を受け継いだ。其処に何も思わぬ程に、シャルロットは達観していない。
本当は、剣も鎧も継がせぬ方があの子の為だったのではないか。何処にでもある市井の幸福こそ、あの子が目指すべき物ではないのか。そうは思えど、其処に嫉妬が混じっていないとも断言出来ない。
剣と鎧を纏った雷将に憧れ、慕っているからこその言葉ではないかと。自問すれば自答が出来ぬのだ。だからシャルロットは様々な感情に蓋をして、師がそう望むのならと結論付けた。
これで話は終わりだと、ああ確かにそれで終わりだろう。其処に第三者が居なければ、の話ではあるが――
「理解に苦しむな。なぜ、己の矜持を優先し、目的達成の可能性を狭めるのか。愚かな僕には、分からない。別に分かる必要は、ないのかもしれないが」
影が揺らいだ。部屋の照明がちらつく中、咄嗟にシャルロットは構えを取る。剣を抜く動作だけで傷が開いて血が滲むが、それでもその切っ先は真っ直ぐに。揺れない瞳で誰何した。
「何者だっ!」
「何者、か。自分が誰か、一体どれ程の人間が自信を以って語れるのだろう。迷いなき意思には焦がれるよ。それはもう、塵屑のような僕の中にはないものだから」
韜晦するような答えを返したのは、影から湧き上がるように現れた半裸の男。
土葬された死体のような肌に、刻まれたのは薄っすらと輝く無数の刻印。生気の籠らぬ瞳で彼らを見据える、不吉さを感じさせる青年だ。
その男の名を、雷の師弟は知っていた。
「夢幻のアダム、か。相変わらず、神出鬼没な奴だね」
「何の心算だ、邪教徒っ!? オードレ姉さんの顔を傷付けた罪、今更償いにでも来たかっ!!」
シャルロット同様、構えを取っていたクリスが口にする。その名は聖王国でも広く知られた、邪教集団の幹部が名前。
夢幻のアダム。各国でテロ行為を繰り返す邪教の中でも、最上級の危険人物。雷将の門弟にとっては、初陣だった一番弟子に癒えぬ傷を刻んだ怨敵とも言える男である。
「すまない。本当に、幾ら詫びても足りないだろう。女の顔に傷を付けた事は勿論、こんな僕が師弟の会話を邪魔するのも本意ではないんだ。出来れば路傍の石として、気に留めないでいて欲しいのだが、そういう訳にもいかない理由がある。しかしそれは、こちらの事情だ。そちらには関係のない話であるから、ああ、しかし、役目を果たさぬ訳にもいかない。我が事ながら、本当に度し難いな」
「石は石だとしても、君は大岩レベルのそれだろうに。それで、自称路傍の石さんが一体何の用事だい?」
「趣味の悪い女が、若い娘に手を出そうとしている。そしてその趣味の悪い女から、僕は伝言を頼まれた。全く本当に趣味が悪い話だが、僕は彼女に逆らえない。だから愚かな僕は、君達に彼女の言葉を届けよう」
何時でも斬り掛かれるように構えながら、最大級の警戒と共に問い掛ける。何処にでも居て何処にも居ない怪物は、詫びるような表情のままに言葉を続けた。
「急いだ方が良いですよ、雷将閣下。ご友人の忘れ形見を、また同じ理由で失いたくはないでしょう? とのことだ」
「――っ! 貴様らっ! あの子に、一体何をしたっ!?」
瞬間、破裂するような音と共にクリスが動く。床を蹴ったのだと察した時には既に、予備の剣は抜かれている。
その切っ先はアダムの首に突き付けられていて、しかしアダムは一切の動揺もなくクリスの瞳を見据えて問うだけ。
「僕から聞き出そうとする、余裕があるのか。それは愚行だと思うが、しかし僕の浅慮では分からぬ深い思考があるのかもしれん。一概には否定できない。いいや、僕には誰も、否定出来ない。そんな権利など、もうなかったな」
(ちっ、本音か韜晦かは分からないが、夢幻のアダムから聞き出すのは現実的ではないか。不死身のこいつとやりあった所で、時間の無駄にしかならないっ!)
邪教の最高幹部、夢幻のアダムは不死身の怪物だ。邪教の最高幹部達は誰もが異なる形での不死を体現しているが、中でも最も完璧に近い不死性を有しているのがこの男。
首を切ろうと心臓を貫こうと、平然と動き続ける生きた屍。肉片一つ残さず消し飛ばした直後でも、平然と復活する異形。如何なる道理で蘇生するのかは未だ判明しておらず、故に殺し切れぬとクリスも知っている。
ならば、相手にするだけ時間の無駄だ。そう判断して、クリスは義娘の気配を探る。東国にて、恐るべき修羅との闘いの折に学んだ技術。気配の察知が捉えた場所は、北方西部の海岸地帯。
「アンジュの気配は、あっちかっ!」
「先生! 私も――」
「君は駄目だ」
即座に移動しようとしたクリス。後に続こうと動いたシャルロットの眼前に、巨大な鉄塊が道を阻むように置かれる。
無骨な両刃。成人男性の全長よりも巨大な薙刀のような剣を握っていたのは当然、夢幻のアダムと呼ばれる男。
「何の心算だ、邪教徒っ!?」
「趣味の悪い女からの指示でな。ああ、本当にアイツはいつも趣味が悪い。反吐が出るよ。そう感じながら、正そうともしない僕自身の醜さに。呆れてしまうよ。正すべき立場に居ながら、それが出来ない僕自身の無能さに」
道を阻むように動いたアダムが、制止するのはシャルロットだけ。女の動きを止めてはいても、男の動きを妨害しない。それが彼に命じた女の悪趣味な趣向だと、虚空に視線を向けながら、会話をする気もないのかアダムは自嘲し続ける。
「苛立ちは分かる。怒りも汲もう。憎悪をぶつけてくれて構わない。夜が明けるまでは、サンドバッグの代わりにもなろう。……だが、君はここから通さない。進もうとするなら、僕は君を斬らねばならない。愚かな僕では選べない、賢い選択に期待する」
夢幻のアダムを相手にして、シャルロットでは厳しいものがある。過去に数度交戦した経験があり、その時には師団長が三人掛かりでも一蹴されたのだ。
個人で戦って勝ち目があるのは、師や姉弟子のような英雄級の実力者だけ。そんな彼らをしても殺し切れない厄介な男が、目の前に立つアダムと言う男であるから。
本来は二人で戦った方が良いのだろう。だが、このままでいればアンジュが危険だ。そうと分かっていればこそ迷っている師を横目に見て、シャルロットは構えたままに言葉を口にした。
「先生、行ってください。あの子を、お願いします」
「シャルちゃん。……無理はしないでね」
嫉妬の情はあるけれど、妹分に向ける色は親愛の情の方が勝っている。だから任せたと言うシャルロットに、クリスは僅か悩んでから頷く。そうして駆け出した男の姿を、阻むことなく見送りアダムは言葉を掛けた。
「良い選択だ。素晴らしいよ、本当に。此処までは、の話ではあるのだが」
アダムとの戦闘を回避して、クリスを危険な場所へと向かわせた。これ自体は現状で選べる最適解であるだろうと認めて、しかし其処に含みがあるのはシャルロットが構えを解かないから。
戦う意思はない。シャルロットが動かないのならば、このまま立ち去る心算ではある。だと言うのに、女は敵意を男に対して向けている。彼女は戦意に満ちている。それは愚行だと、既に伝えていると言うのにだ。
「一応、聞いておこうか。それは意味のない行為だと思うのだが、本当にそれで良いのかい?」
「聖王国騎士団、討魔師団団長シャルロット・ブラン=シュヴァリエ! 此処に、お前を討つっ!!」
「君が僕を討つ、か……不可能だとは思うけど、そう言われたのならば僕の為すべき事は決まっている。前言を翻すようですまないが、所詮僕のような屑の言うこと。紙切れよりも薄いのだから、信に値しないと切り捨ててくれ」
先に語ったように、アダムに戦う心算はなかった。苛立ちを解消する為のサンドバッグになっても良いと、その言葉は本心であった。だが、駄目だ。その言葉は駄目なのだ。
「僕は死にたい。もう終わりたい。誰でも良い、誰でも良いんだ。このどうしようもない僕を、一秒でも早く終わらせて欲しい」
夢幻のアダムは不死身である。不滅の彼は誰も殺せず、だからこそ誰よりも彼は終わりたがっている。殺して欲しいのだ。だから死ねと言われれば、殺すと言われれば、倒すと言われてしまえば、其処に期待を抱いてしまう。試さずにはいられない。死の寸前まで追い詰めれば、もしかしたら己を殺せる程に育ってくれるかもしれないから。
「故にこそ、刃を以って問い掛けよう。君を追い詰め、その真価を見届けるとしよう。果たして君は、僕の死か?」
アダムは戦意を見せて、刃を構える。その鋭く巨大な刃は、長身な彼の身の丈すらも隠さん程。
円状の握りを中心に、上下に両刃の刃が伸びた薙刀のような大剣。それを手に、疲れた声で、澱んだ瞳で、男は女に問い掛ける。
誰より死にたいと願い、早く殺して欲しいと祈りながら、アダムは他者に死を振り撒くのであった。
邪教の三幹部が一人、夢幻のアダム登場。
しかし彼の戦闘シーンは、ダレるのでカットです。




