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Re, DS  作者: SIOYAKI
第二章 迷わぬ者に悟りなし
24/25

第24話

聖王国の王宮にて。

◇聖王歴1339年風ノ月1ノ日


 金縁の窓から射し込む光によって照らし出された白き回廊を、張り巡らされた赤い手織りの絨毯が彩る。


 通路の端に並ぶ調度品の数々は、内の一つでさえも庶民の生涯年収を大きく超えている額の物。傍らに佇む観葉植物もまた極めて希少な物であり、見劣りしない贅沢品だ。


 豪華絢爛と呼ぶに相応しい、贅を限りを尽くした回廊。城内の片隅だけでもこれなのだから、その総額は一体どれ程に及ぶのだろうか。


 それも或いは当然と言えるか、ここは幻想と化した世における世界最大国家。シィクイード聖王国は首都、聖都ヴィル・リュミシオが誇る白亜の王城なのだから。


 そんな煌びやかな光の中を、一組の男女が進んでいく。道の先を進むのは、仕立ての良い純白のドレスを着た少女だ。


 腰まで届く金糸の髪に、透き通った碧眼。黄金が彩る銀細工のティアラに、装飾華美な皮の靴。纏いて優雅に歩むは、この城に於ける名目上の最高権力者。


 第一王位継承者、エリーゼ・ジョワ・ヒューゴ・リュウフワ・シィクィード。御年18歳となる、先王の忘れ形見だ。


 本来ならば、既に王位についていたであろう少女。しかし彼女の立場は、国の誰もが知る程に不安定で曖昧なものだった。


 毒殺された父母。早世した姉。後ろ盾となれる外戚も族滅している。これだけでも強権を振るえないのは明らかで、更には王位を争う対抗馬までいる。


 このような状況、幼い姫が悲嘆に暮れるのは当然のこと。国民の多くは可憐な姫を憐れんでいるし、貴族の中にも同情心を抱いている者は少なくない。


 だがしかし、そんな周囲の評判に反して少女は実に楽し気だ。我が世の春と言わんばかりの満面の笑みで、半歩後ろを共に歩く男へと言葉を投げる。


「ねぇ、ヨアヒム。宰相は何て応えるのかしらね?」


「……さて、この身は武辺の者故。文筆の者らの思考は、理解の外にあります」


 振り向いた少女の先に居たのは、両の瞳を閉じたままに歩く盲目の男。モノトーンの軍服に、黒のトレンチコート。漆黒の装束の中、僅かに目を引くのは胸元に輝く金色の階級章。王国軍は将軍位を示す装束を纏った男こそ、聖王国は三将軍の一人。空将ヨアヒム、その人だ。


 壮年の男性でありながら、妖艶とも言える色気を纏った美丈夫。黒衣の彼は姫の言葉に、僅か間を置いてから静かに返す。言葉に迷いがあったのは、話題に挙げた内容自体を思案したからではない。持ち掛けた相手に、不満があったからである。


 とは言えあくまで己は護衛。その役に徹するからこそ苦言を呈することはなく、されど器用に隠すことも出来ずに零してしまった。そんな男の内心を察して、エリーゼはくすくすと小さく笑う。


「別に良いのよ、ヨアヒム。口煩い侍従長も今は居ないのだし、思ったことは言葉にしたら?」


「お戯れを」


「二重の意味で? ふふ、貴方にしては珍しく諧謔が効いてるのね」


 どうにか絞り出した男の言葉に、少女の笑みは深くなる。彼にそんな意図はないのだろうが、姫が宰相に持ちかけた話を思えば、皮肉にも取れてしまうから。


 言われて苦い表情を浮かべる男を見詰めながら、少女はくるりと優雅に身を回す。そのまま敢えて足を縺れさせ、滑るように倒れ込む。放っておけば、地面に頭をぶつけるだろう倒れ方。しかし少女の表情に、焦りの色は欠片もない。


 ふわりと彼女の体が浮く、慌てる様子もなく動いた男が抱き留めたのだ。そう動くと分かっていたから、敢えて自ら足を踏み外した少女は男の腕の中で微笑む。男性にしては長い黒髪に指先で触れ、男を見上げる少女の瞳には分かりやすい程の熱があった。


「ごめんなさいね、転んでしまったわ」


「いえ、役目ですので」


「釣れない返事。相変わらずね」


 少女の秋波を端的な言葉で拒絶して、ゆっくりと彼女を立たせる男。そんな彼の様子に気分を害した素振りもなく、エリーゼはされるがまま。


 こうしたやり取りも、少女は楽しんでいるのだろう。それを察せない程に、黒髪の男も鈍くはない。寧ろ過去に浮名を流していたこともあり、彼も相応には女の扱いに手慣れている。


(全く、困った方だ。私などに)


 それでいて、男が少女の求愛に応えない理由は幾つもある。その一つが年齢差。三将軍筆頭である黒髪の男は、既に30歳は後半。40に近い年齢だ。18歳の少女の相手として、相応しくはないと明言出来る。


 二つに身分の差。少女は千年を超えて続く大国の姫であり、対して男は今こそ国軍の将軍位に居るが元は素性も知れぬ浮浪児だ。若き頃のやらかしもあって、一部の貴族からの反発だって買っている。


 三つに“混ざり者”と蔑まれる体質。彼は触媒なしで魔術が使えた。素性の分からぬ浮浪児上がりと言うこともあり、空将ヨアヒムはこう言われているのだ。曰く、魔物の血を引いているのだと。


 しかし、それらはきっと唯の言い訳。最たる理由は、唯の一つ。友の忘れ形見を守るため、北へと去ったもう一人の友。彼の守った小さな命が、己が名付けた小さな花が、姫と瓜二つに育っていると聞いたからだろう。


「今、あの子のことを考えたわね」


 そこに思考が至った瞬間、触れ合う距離に居た姫の瞳から光が消えた。少女を支えていた男の無骨な手に、白魚のように細い指絡んで爪が立てられる。


 常人ならば、爪が刺さって血が出ていたであろう程に強く。されど男は英雄域の存在で、そもそもの強度が違っている。故に傷付いていくのは、少女の側だ。


「貴方は私の。私のなの。あの子のじゃない。あの子じゃない。私を見て」


 されど、姫は痛みを前にしても止まらない。爪が折れ、隙間から血が流れる程に強く強く握り締めながら、それでも痛みに頓着せず色を無くした瞳で覗き込んで来る少女。


 その狂態とも取れる様相にヨアヒムは内心で自責しつつ、これ以上傷付けぬようにとゆっくりと姫の指に触れて手を解いていく。そして、傷口に触れると無詠唱の魔術でそれを治した。


「失礼しました」


 エリーゼ姫がこうなるのは、これが初めてのことではない。最も、言葉にしてもいないのに反応されたのはこれが初めてではあったが。


 余程分かりやすい表情だったのだろうな、と反省した後にヨアヒムは思考を切り替える。それを察したのか否か、先の狂態などまるで白昼夢であったかのように、満面の笑みに戻った姫は身を翻す。


「さ、行きましょう。ヨアヒム」


「はっ」


 平然と歩き出す少女に、思う所がない訳ではない。だが、それ以上に情がある。それは少女の望むような色ではなくて、きっと代替行為でもあるのだろう。

 だからこそ、姫はこんなにも歪んでしまった。そうと分かって、だがしかし、ならばどうすれば良いと言うのか。


 ヨアヒムに出来ないことは少ない。武においては三将軍一。学についても、自身で卑下する程に出来ぬ訳ではない。若い頃から女に困ったこともなく、狙って落とせなかった相手もまた居ない。


 聖王国最強。その呼び名が過剰ではない男が空将だ。しかし、その彼をして人生でも有数の苦難と語らせるのが現状の女難である。


 想いを隠さぬ姫に対し、忠誠と父性しか抱けぬ身で何を返せば良いと言うのか。ヨアヒムは今日も、そんなことに頭を悩ませていた。


 男がある意味下らぬ悩みに思考を巡らせている内にも、二人の歩みは進んでいる。故に目的地に辿り着くのも当然のこと。


 王城の中でも一際大きな扉の前に立ち、近くで警護する兵らに姫が声を掛ける。礼を返した兵の一人が室内に入って暫く、彼らを招くようにその扉が開いた。


「ようこそいらっしゃいましたな、姫様。空将殿」


 広い部屋の中、大きな机を挟んで居たのは非常に恰幅の良い男。豚か達磨かワインの樽か、そんなものを彷彿とさせる中年の男は脂肪を揺らしながら革張りの椅子より立ち上がる。


 処理の途中であったのか、机の上に積まれているのは国政に関わる重要書類の数々。それも当然、この肥満体の男こそが聖王国の政治を牛耳る宰相。ダリウス・ローガンなのだから。


「数日振りですね、ローガン宰相。今日は、この間の提案に対する返答を聞きに来ましたの」


「ああ、その件ですか。……お前たち、外に出ていろ。一時間は誰も近付けるなよ」


 姫が言葉にした直後、宰相の瞳が色を変える。ぱんと両手を叩いてから、彼はその場に居た侍従や護衛に命を下す。


 宰相の配下らは一瞬迷ったものの、何かを問うこともせずに執務室から退出した。


「これ、あからさまに過ぎません?」


「公爵の手勢は察するでしょうな。ですが、流石に聞かれるよりはマシでしょう。姫様に与しろ、と言う話への回答など」


 微笑みながら、姫が問うた言葉に然したる意味はない。姫は宰相の意図する所を察しているし、宰相もまた姫が察していることに気付いている。


 故に言葉は確認や牽制程度のものに過ぎず、双方がそうと分かっているからこそ、惚けるような宰相の軽い言葉に姫が追及の言葉を続けることもない。


「しかし、全く困った話だ。相も変わらず、姫様は周囲を振り回すのがお好きなようで」


「けれど、貴方にも分かっているのでしょう? このままいつまでも、風見鶏を続けることは出来ないと」


「確かに、ですな。近頃は付け届けの類も少なくなりまして、いつ食う物が足りなくなるかと日々心配しておりますとも」


 互いに軽い言葉を投げつつも話は本題へ。協力を求めたのは姫の側だが、現状に行き詰まりを感じているのは宰相も同じくだ。


 内乱寸前の暗闘が続く聖王国。どうにか内政は回されているも、王権は失墜し各地の領主は纏まりを欠いている。流通の不備。国軍の機能不全。それが齎した影響は、決して軽い物ではない。


 その事実は、この現状を引き起こした元凶の一人でもある宰相にだって理解出来ている。

 この心身ともに醜い男は、それでも政治家としては優秀だ。何せ混乱の渦中にあったとは言え、後ろ盾もない身の独力で政府を掌握してみせたのだから。


「聖王国は荒れていますわ。王位継承を賭けた争いはまだ暗闘の域とは言え、玉座の空位が招いた被害は軽くはない。国力は明確に、この12年で大きく低下した」


「宿主が弱れば、寄生虫もまた弱る。国の立て直しは必要で、旗色を明らかにするのもまあ必要ですな」


「風見鶏なんて、都合が悪くなれば直ぐに絞められてしまうものね。貴方も気が気じゃないでしょう」


「ええ、ええ、儂もストレスの余り、この一月で10キロも体重が増えてしまいました」


 三代目聖王の時代に中央大陸全土を征服し、世界最大の国家となった聖王国。千年を超える歴史を有するこの国は、王の下に三本の柱を有することで安定していた。


 王の命で王の敵を討つ王の武たる王国軍。王に従い国の法を作り政治を動かす王の文たる王党政府。王に代わり実際に各地を統治する貴族の寄り合い所帯である王国貴族院。これら三つの機関が、互いに影響力を有する形で国を纏めていたのである。


 軍は貴族院を構成する各貴族の有する領地への強制介入権を持ち、政府は王に代わり軍に命令を下す命令権を持ち、貴族院は政府の暴走を抑制するための高官罷免権を有している。


 どれも正当な理由なく用いれば罪と裁かれるが、見せ札として有するだけでも強力な権利。それを以って王の下に、三組織はバランスを取っていた。


 だが、12年前のロス家反乱。軍と貴族院の頂点にある王の外戚と言う強力な立場を有していたロス家が内乱罪で滅ぼされ、そこから生じた幾つもの混乱によって聖王国内は大きく荒れた。


「ですから、私に協力しませんか? と申しているのです」


 王国軍は三将の内、刀匠が反乱の首謀者として討たれ、雷将は貴族院との取引により北の地へ転封。残る空将は王の暗殺が起きたこともあり、王室の守護と言う名目で王宮に半ば軟禁されている状態。六大師団長がどうにか勢力を維持してはいるが、通常業務以外のことは出来ぬくらいに切羽詰まっているのが現状である。


 貴族院は最大の派閥を有していたロス家が消えたことで、残る五大貴族の四家が完全に分裂。次期聖王を直系のエリーゼ姫か第三位の継承権を有するモラン公にするかで、二分されてしまっている状況だ。


 そして残る王党政府は、混乱を突いて内部を掌握したダリウス・ローガンが宰相位に就き、王の不在を良いことに国政を私物化。国内を悪化させ過ぎないように回しつつも私腹を肥やし、官民問わず様々な勢力から反感を買い続けていると言う始末。


 このままでは、王位継承を理由にした内乱から国が亡ぶ。誰もがまさかと考えつつも、否定し切れず心のどこかでそう思っている。それが今の聖王国なのだ。


「ふぅむ。ですが、儂の立場なら、モラン公に与すると言うのもあるのでは?」


 国内三大勢力の一つを手中に収めた宰相は、皺だらけの顔を歪めて笑う。彼はこれまで、王位継承の暗闘には極力関わらずに居た。


 どちらが勝っても、どちらの懐にも潜り込めるように。適宜便宜を図りつつ、しかし決定的な加担はしない。どちらが勝つか、彼には読めなかったからだ。


 年若く可憐だが、能力は年相応以下。市民人気が高い空将を王宮に留めていることもあって、口性の無い者からは無能姫とも称されるエリーゼ。


 されど市政の評判が現実と乖離していると言うのは、不幸にもその本性を知る機会のあったダリウスにも分かっている。この小娘には、何をするか分からぬ怖さがある。


 対抗馬であるモラン公は、現王家とは少し遠いが初代聖王の血筋の一つリュウフワ・モラン家の当主である。

 派手さや華美さはないが、逆に言えば安定感のある人物。現当主でもあるが故、経験と実績は相応にあり、現状の国の立て直しにも期待が出来る。


 だが、欠点が二つ。一つは年齢。先王より年上と言う彼の年齢は、年若い姫とは逆の意味で不安が残ろう。そしてもう一つ、質実剛健な武人肌でもある彼は、しかし誰の目にも分かる程度に野心家だと言う点である。


 目の上の瘤であったロス家の先代当主が死亡するや否や、逆賊の一族であると汚名を着せてその親族の虐殺を強行した手腕。

 第二王位継承者でもあったロスの生き残りを目の敵とし、その延命を望んだ雷将に条件として国外への転封を突き付けたのもこの男だ。


 己が野心の為ならば、どんな悪辣な行為も良しとする。その在り様が、多くの貴族の反発を呼んでいるのも事実であった。


 故に読めない。どちらが勝つか、或いは共倒れに終わるのか。それが風見鶏で居続けることのリスクが分かっている宰相が、それでもどちらにも加担していない理由であった。


「貴方が、公に? まさか、ご自身の醜聞をご存知ではないのでしょうか? 悪名高い宰相閣下を、あの公は重用してはくださらないわ。使える内は使い潰して、不要となれば切り捨てる。まるで目に見えるようです」


 そんなダリウスの言葉に対し、エリーゼはくすくすと蔑みを隠さず笑う。


 ダリウス・ローガン宰相が国を腐らせた。その認識は、今では市井の民ですら抱いている程。今の地位を失えば、すぐさま私刑に合うだろう。それ程の悪名を、ダリウスは負っている。


 ダリウスと言う男は、薬にもなる毒である。そうであるからこそ公に付けば、薬の内は使い倒され毒が強まれば捨てられる。

 そんなこと、ダリウス自身にも分かってはいる。だが、それでも天秤に掛けるのは対抗馬の問題。この少女は、頭がおかしい気狂いなのだから。


「……儂の悪名の原因が、よくもまあ抜け抜けと言えたものよな」


 今から五年ほど前のこと。政府を傀儡にした宰相は、最後の詰めとして姫君を手籠めにしようとした。


 聖都において、男を阻める者など殆どいなかったのだ。その数少ない例外を潰す為に、王位と言う実権を求めた。同時に稚児趣味のあった宰相をして、当時の姫は食指が疼く見た目をしていたのもある。


 その襲撃、それ自体は王室警護に就いていた空将に阻まれた。しかしそれでも、問題はないと宰相は断じた。


 何せ、政府は宰相の掌中。彼を排除すれば、その時点で政が回らなくなるように工作していた。宰相を排除すれば、国が亡ぶ。故に排除など不可能であったのだ。


 その上、王宮で姫が襲われたなどと公表すれば、様々な権威が失墜する。王族を襲われて、その下手人には罰を下せぬ。そんな事実も明らかとなれば、それこそ王家にとっては致命傷。


 故に己に対しては何も出来まいと、また次の機会を待てば良いのだと、宰相は高を括っていたのである。


「ふふ。私は唯、従者に少し口を滑らせただけですわ。宰相が襲って来た際に、ヨアヒムが守ってくれた、と。それを口の軽い従者が面白可笑しく脚色して、周囲に触れて回った結果民間にまで噂が流れるだなんて、こんな小娘に予想出来たと思いまして?」


 しかしそんな思惑は、少女の行動で覆された。姫は敢えて口の軽い侍従に真実を語り、宰相の行いが噂話として王宮に広まるように動いたのだ。人の口に戸は立てられない。噂は王宮に留まらず、王都中にまで広がった。


 宰相の愚行と空将の活躍。王室の権威が落ちることも気にせず、振り撒かれた風評によって宰相の行動は制限された。更には次から次へと、宰相の行ってきた悪行の数々が噂として国中に流れていく。


 王室は何をしているのだ、と憤る者らも少なくはなかっただろう。だが大部分は幼く可憐なエリーゼ姫に同情し、彼女を守り続ける空将のヒロイックな活躍を称えるようになった。そういう噂ばかりが流れたからだ。


「それだけじゃなかろう。儂の警護を態と薄くしおって、お陰で何度暗殺者に襲われたと思っておる」


 そして同時に、宰相に向けられる暗殺者の類が急激に増えた。万全を期した筈の警備が何時の間にか穴開きになっており、枕元に短剣を突き立てられたのだって一度や二度のことではない。しかしその刺客たちも、まるで図ったかのように最後の一線だけは超えて来ない。


 敢えて生かされているのだと、察するのに時間は必要なかった。暗殺者に殺され掛けた翌日、にこやかな表情でこれで許してあげますと告げてきた少女に当時の宰相は背筋を凍らせたものである。


「まあ、そんなことが。私は唯、精兵の皆さまから色々とお話をお伺いしただけですのに。恐ろしいことに便乗する者らが、世の中には多く居ますのね」


「……糞。これだから、13歳以上の婆はろくでもないんだ。なんで5年前の儂、いけると思った」


「宰相。その物言いは、流石に不敬かと」


「んんっ。分かっておる」


 王国の政治を牛耳る宰相をして、エリーゼ姫は恐ろしい女である。その行動の読めなさも恐ろしいが、最も恐ろしいのはその本性を知る者が殆ど居ないと言う点だろう。


 市民は愚か大貴族ですら、噂話を信じている。エリーゼは能力がないのに、王位を継がなければならない立場にある可哀想な姫なのだと。悪辣な宰相に良いように扱われ、身を守ることしか出来ていない無能姫なのだと。可哀そうだが、優秀な空将から自由を奪っているお荷物でもあると。何が無能だ、恐ろしい。


 姫に嵌められたあの日以来、宰相は13歳以上の女性を性的な目で見ることが出来なくなった。元よりそういう毛はあったのだが、悪化してしまったのだ。どうしてくれる、と内心ではいつも思っている。


「確かに姫殿下の仰る通り、モラン公に与しても儂の利益は多くない。だが、だからと言って姫に与して、儂に何の得がありますかな」


 姫の流した噂の所為で、王室の権威は落ち、宰相の手札は大きく減った。当然、宰相は姫のことを恨んでいるし恐れてもいる。


 モラン公に与しても、いずれ切り捨てられると分かってはいる。それでも姫と手を組むのは、ある意味それ以上に怖いのだ。だから二の足を踏んでしまう。


 切り捨てられると分かっているなら、対処の手段も一つ二つは思い浮かぶ。しかしやはり、幾度かは賭けをせねばならぬだろうし危険である。


 詰まりはそう、目に見える危険と目に見えぬ危険。確実にある危険とあるかどうかも分からぬ危険。そのどちらを選ぶのかと言う、そう言う場面に宰相は居たのだ。


 正直言えば、まだ先延ばしにしていたい。それでも、選択の時は迫っている。これ以上、風見鶏は続けられない。故に宰相は、今ここに問う。


「貴方は儂に、何を渡す」


 先に姫が協力を持ち掛けた際、彼女はその対価を口にしなかった。考えておいて欲しいとだけ言って立ち去った彼女に対し、宰相は敢えてその情報をモラン公側に流すことだけをして待った。


 風見鶏は風見鶏らしく、より高値を付けた側に付く。そうした意思表示も兼ねて、宰相は受け身の側に立った訳である。


「全てを」


「は?」


「ですから、全てを。私はヨアヒムだけいれば良いので、他の全部――この国は貴方に差し上げますわ」


 有り得ない解答に、宰相の思考が一瞬止める。笑みを浮かべたエリーゼの言葉に迷いは一切なく、嘘偽りなどないこともあっさりと分かった。


 詰まりは責務の放棄。この無能と呼ばれる狂人は、王族として果たすべき役目の全てを此処に投げ捨てた。悪徳政治家である宰相に、国を売ると言ったのだ。


(何度聞いても、耳を疑う。戯れと思いたい、王族としては最低の発言だな)


 無言で侍るヨアヒムの表情に、驚きの色はない。彼は事前に、エリーゼ姫から聞かされていた。そして苦言を呈したが、しかし逆に論破をされてしまう。


 曰く、そちらの方がマシなのだと。姫にはやる気がなく、公は危険人物であり、どちらに任せても国は傾く。その当人から理路整然と告げられて、故にヨアヒムは何も言えなくなったのだ。


「実際、貴方は政治家としては有能だもの。自分が肥え太るためにも、死に掛けの宿主を必死に治そうとするでしょう。王位を継いだ後も暴走して世界征服でも始めそうな公爵や、国政に欠片も興味がない私が仕切るよりは余程民の為になる」


(姫の言う通り、それでも今よりはマシ、か。一先ずの着地点としては、悪くないと判断出来てしまうのが性質の悪い話だ)


 聖王国は、その膝元である王都ですら餓死者が出る程に困窮し始めている。富がない訳ではない。糧が足りない訳でもない。上手く回っていないだけなのだ。


 貴族がそれぞれの領地で溜め込むが為に流通は滞り、政府の決定を実行する戦力たる軍も機能不全を起こしているが故に解決が難しい。


 その状況で、名誉を溝に捨てる姫と戦争を起こそうとする公爵と私腹を肥やす宰相。どれがマシかと言えば、王室への忠誠心の厚いヨアヒムでも言葉に迷う程である。故に彼は妥協した。


「儂が、王国の全てを? 儂が、平民出と馬鹿にされ続けた儂が、国の頂点に」


「ええ、私の邪魔をしなければ、貴方の好きにして良い。これ以上の条件を、モラン公が出せると思いまして?」


 宰相は笑う。姫を手籠めにして、掴もうとした聖王国の実権。一度は諦めたそれが、予想外の転がり込んで来ることに歓喜を隠せない。


 ダリウス・ローガンは、この対価が提示された時点で必ず靡く。それがヨアヒムにも分かっていた。だからこそ、口惜しいと思う。


 国の為、民の為、姫の為。妥協しこの男を味方に付けねばならない。偉大な王を暗殺し、その罪を友の父に押し付けたこの男を。


「ぐふ、ぐふ、ぐふふ」


 ヨアヒムの瞳は、大魔女の襲撃に際して光を奪われた。以来盲目となった彼だが、故にかその感覚はより磨かれた。


 目で見えずとも、残る感覚の全てと魔力を用いた探知でそれ以上に感じ取れる。王宮内で交わされた言葉。筆が紙に記した文字。それら全てを、一つ漏らさず認識している。


 故に彼はもう知っている。12年前のあの日、一体何があったのか。切っ掛けは邪教の女。その口車に乗せられたダリウスが、刀将の罪をでっち上げた。


 その罪は彼の吸血鬼の手で事実に変えられ、刀匠が死んだ。そこまで大事になるとは思っていなかったダリウスは、調査に乗り出そうとした王を慌てて殺し、その罪をロス家に擦り付けた。全ては唯、己の保身の為に。


「良いでしょう。儂は貴女に付きますぞ。姫殿下。いいえ、女王陛下とお呼びすべきですかな」


「まだ気が早いですよ、宰相閣下。それとこの事は、暫く伏せて頂けますか?」


「ふむ。何か理由が? 儂がした工作もありますし、余り長くは隠せませんが」


「ええ、少し大きな動きが近々あります。だから早ければ数日、長くとも三十日くらいかしら? その程度、時間を稼げば十分ですわ」


 忠義を誓った王の仇で、亡き友とその父の死の原因。そんな男が味方になると告げた光景に、ヨアヒムは内心に湧き上がる複雑な想いを抑え込む。


 怒りはある。憎悪もある。だが彼は、王と臣民の剣にして盾。先王の遺命である姫の守護と、彼らが愛した国と民を守るためならば自身の情など切り捨てるべきことだから。


 少しだけ、眩暈がする。瞳が光を無くした頃から、いつも感じている偏頭痛が少し強くなった気がした。それでも彼は、まだ先王が誇る将のまま。狂愛を抱く少女に侍り従う。


「詳しく聞いても?」


「まだ駄目です。唯、そうは言っても納得は出来ませんよね。なので少しだけ、触りを語るなら、そうですね」


 可哀想な無能と語られる姫君は、宰相の問い掛けに笑みで返す。唇に人差し指を当て、まだ内緒だと笑ってから伝えるのは少しだけ。


 宰相が懸念しているように、この接触は数日とせずにモラン公の陣営に伝わるだろう。そこから手を組んだと言う事実が暴かれるまで、長くとも一月は掛かるまい。


 その事実には姫も、当然気が付いている。分かっていて、それでも秘するのは近々大きな動きがあると読んでいるから。

 その動きに乗じて、姫は己の意を通さんとしている。ヨアヒムにもまだ語られていない、抱え込んでいる一つの意図を。


「私のヨアヒムを、混ざり者だなんて馬鹿にする聖教の方々。彼らはもう少し、数を減らすべきではないかしら?」


 にこやかに、悍ましい言葉を語る。その愛に狂った瞳には、一体どれ程までの先が見えているのか。

 黙り込んだ二人の男の視線を浴びながら、姫は心底から愉しそうに笑い続けるのであった。






【旧版との相違点⑦】

姫が病んでる。


旧版でもヤンデレの素養はあったが、旧版の姫は第四さんの影響で空将と肉体関係があったので、満たされた結果落ち着いていました。


リメイク版は"空将、未だ健在也"とかやってる所為で、空将さんは姫に手を出してません。近くに居るのに自分の物にならない空将相手に、ヤンデレは盛大に拗らせています。

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― 新着の感想 ―
まあ、聖教はいじり甲斐がある変態ギャグ集団ですし。 こっちもオスカーの奇行をもっと見たいし。 だから頑張れ無能姫、極限までにオスカーを追い詰めてください。
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