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Re, DS  作者: SIOYAKI
第一章 後悔先に立たず
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第13話

第一章ラストバトル。


 冷たいが、清らかな風が吹く。僅か三人、それしか残っていない廃墟の中を冷たくも優しい風が吹き抜けていく。


 炎の檻は既に消えている。羽衣は男の手の内へと戻り、空は本来の色合いに戻った。時刻はは薄明。青く染まった寒空にも、間もなく日が昇り始めることだろう。


 白く染まり始めた色は、まるで全ての終わりを告げているかのようで――されど、忘れるなかれ。夜明け前こそが、最も暗いと言う言葉もある。まだ、夜は明けていないのだ。


「ふん。手間掛けさせやがって、糞親父が」


 光の中へと消えた賢者。その最期の言葉は、光に飲まれて届かず消えた。少なくとも、響希とミュシャには聞き取れなかった。


 唯一人、最も聴力にも優れていた男を除いて。最期まで子を思っていた父の想いに、彼も感じ入る所があったのだろう。だから彼は気付かなかった。


「これで終わり。本当に、終わったんだ」


 震える少年の肩を抱くように支えていた少女は、消え去った光の残滓を見詰めながらに呟いた。多くの想いが籠った声音で、漸くに終わったのだと安心するように。


 そうとも、確かにそうだろう。彼女の問題は解決した。彼女の抱えた絶望や、続けてきた戦いは終わった。だから彼女は気を抜いてしまい、それで気付けなかったのだ。終わったのは、彼女の問題だけだったと言う事実に。


「ありがとう。本当にありがとう。ヒビキ。……ヒビキ?」


 満面の笑みを浮かべて振り向く彼女の視線の先で、荒い呼吸を整えていた少年。竜の因子を封じた彼は、人であった時の身体能力へと戻っている。


 発達障害を抱えていた彼は、14歳と言う年齢ながら、年齢一桁相当の体力しか有してはいなかった。小学校低学年女子にも場合によっては負けるのではと、そんな貧弱な肉体しか有してはいなかった。


 だから、これは当然のこと。この今まで保ったことこそ、一種の奇跡と言えるだろう。ましてや聖剣は、トゥーハンデッドソードと言う形状をした物。成人男性にとっても重い。


 カラン、と音を立てて剣が落ちた。握力を保てなくなった手の内から、聖なる剣が地面に転がり落ちたのだ。終わったと言う安堵や、積み重なった疲労が故に、彼は剣を手放してしまった。




 そして、それは一つの始まりを意味する。悪なる竜が、聖なる剣を手放した。それは終わりの始まりだったのだ。


「う、あ、あぇ」


 ヒビキが呻き出す。耐え難い程の苦痛や吐気と共に、脳裏に押し寄せるのは無数の悪意。人類総意の内に沈殿した悪意、瘴気と呼ばれる魔物を構成する要素。


 剣の光で堰き止められていたそれが、抑えつけられていた反動で急激に。まるで堤防を決壊させて流れ込む津波のように、ヒビキの内面を染めていく。響希の仮面は内へと戻った今、彼に抗う余裕はない。


「ヒビキ! ヒビキ、どうしたの!? 一体何が――きゃっ!?」


 それでも最後に、僅か残った自我で守るべき人を遠ざける。或いは真っ直ぐ剣に手を伸ばしていれば間に合ったのかもしれないが、そんな思考をすることもなく咄嗟に少女を突き飛ばしていた。


 手弱女のような少年が、全力で突き飛ばしたとしてもたかが知れている。悲鳴を漏らして尻餅を付いた少女の移動距離は、一メートルにも満たないだろう。安全地帯に辿り着いた訳でもない彼女に向かって、ヒビキは最後に言葉を伝える。


「ミュ、シャ。逃げ、て……」


「ヒビキ!?」


 何が起きているのか、少女は其処で漸く理解する。聖なる剣が、ヒビキの下より離れた現状。土の精霊王が語った、第五の魔王と言う称号。彼の存在が、危うい均衡の上に成り立っていると言う現実に。


「んだぁ? 何が起きてやがる」


 明らかにおかしな状況に、気付いたリアムが駆け寄りミュシャの襟首を掴む。猫の子を掴むようなぞんざいさで、彼が選んだのは距離を取ること。


 逃げろと言われているのだから、先ずはどうとでも動けるようにと様子見を。そんな常識的な行動に、ヒビキは安堵の笑みを、ミュシャは青ざめた顔で焦燥を、真逆の反応を互いに示した。


「待って! 剣、剣をヒビキに渡さないと! 今なら、まだ間に合うかもしれないのっ!」


「あ゛、剣? 聖剣なら、確かにガキの足元にあるが……詳しくは知らねぇが、テメェが行くのはもう無理だ」


 訝しむ男は、しかし慌てる少女を掴んで離さない。獣の本能が、戦士の経験が、リアムと言う男に告げていたのだ。此処で少女一人行かせた所で、もう遅い。死体が一つ増えるだけだと。


「あ、ああ、あああ」


 ヒビキの姿は、もう変じている。頭を抱えて呻いていた少年はその髪を白く染め、無数の黒い鱗が手足の先を覆い始める。両の腕は肥大化し、臀部からは尾が生えて、人の形が歪んでいく。


 土の精霊王との戦いの最後で見せた姿に近付いていく、まだあの時程ではなくとも確実に人間離れしていく肉体。両の肩に開いた口は、飢えた様子で唾液を零す。両の足も肥大化していて、されど胴と顔が変わらぬからこそ歪な姿に。


「ああ、あああ、ああああははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」


 歓喜に笑う。解放に酔う。笑っているのは果たして誰だ。嗤われているのは誰なのか。壊れた笑みを浮かべた黒と白の怪物は、黄金に染まった両の瞳で彼らを見る。


 其処にはあらゆる欲があった。吸気引水食物感性呼気性的自尊競争融雪攻撃反発顕示支配愉楽好奇批判感性承認優位安心気楽挑戦安全拒否依存孤立凌辱蹂躙破壊破滅。全てが籠った眼差しで、二つの玩具を眺めている。


「ひっ」


「ち、気味悪い目ぇしやがって。あのガキが朱亞様の言ってた、目覚めし第五の王だったのかよ」


 人が抱いたとは思えない、余りにも煮詰まった情念。それを向けられて怯んでしまうミュシャに対し、口悪く罵るリアムは漸くに状況を理解する。


 彼がこの地に来た理由は、身内の尻拭いだけではない。それは個人的な事情に過ぎず、公人として異なる理由を二つ有する。内の一つが、目覚めたと言う最後の魔王を見定めること。


 火の精霊王より聞いてはいたのだ。火を介して目覚めたことだけを知る彼女より、その事実を聞いた王が彼に命じた。故に、その役を果たさんと男は笑う。


「おい、女。あの剣を拾って渡せば良いんだな」


「え、あ」


「さっさと応えろ、愚図がっ! テメェじゃ行っても死ぬだけだから、俺がやってやるって言ってんだよ」


 火の精霊王の代行者である王にとって、そしてその王の臣下であるリアムにとって、魔王は討伐するべき敵だ。人の世に仇なす怪物は、倒さねばならない障害である。


 されど、王は倒せとは命じなかった。見てこいと、言われたのだ。ならば裁量は預けられたと言う事だろう。見て、下す判断は自由であるのだ。故にリアムは断ずる。あれは子どもだ。魔王であるのだとしても、それ以前に小さな子どもでしかない。


 だから助けられるのならば、助けたくなるのが情と言うもの。言ってしまえばこの男、存外甘く情に厚い。敵と認めれば容赦なくとも、身内や女子どもには特にである。


「う、うん。そう、だと思う。ヒビキに、剣が戻れば、元に戻る、筈。なんだけど、今のヒビキが手に持って、使ってくれるのか」


「はっ、テメェの滲はそういう類か。握れねぇなら、腹にでもぶっ刺せば良いだけの話だろ。魔物の耐久力なら、死にはしねぇさっ!」


 月の色に輝く瞳で見たミュシャが不安気に呟けば、リアムは笑って彼女を背後に放り投げる。背後から聞こえる悲鳴に振り返ることもせず、彼は前へと大地を蹴った。


「邪魔だ、ガキんちょっ! 足を退けろやっ!」


 まるで踏み躙るように、聖なる剣を足蹴にしている異形の少年。その身が動かぬ限り、拾い手渡すなど出来ぬだろう。


 故に、殴り飛ばす。加減は当然してやるが、それでも痛いぞと振るう拳。その一撃は、ヒビキの腹へと打ち込まれ――しかし、怪物は揺るがない。


「な――っ」


 返る衝撃と痛みに、驚愕を浮かべたのはリアムの方。まるでとても硬い物を殴ったかのような感覚。鉄の塊すら拳で砕ける男でさえ、体感したことのない硬質な重厚さ。


 金剛石よりも硬いのではと、己の骨に罅が入ったことを自覚しながら驚く男。そんな男の一撃を無防備に受け、されど身動ぎ一つしない怪物は嗤う。まるでその弱さを嘲笑うかのように。


「キヒ」


 歪んで壊れた笑みを浮かべて、己のされたことを真似るかのように怪物は拳を返す。握って、大振りに振るっただけ。だが、その一撃は、早く重い。


「ぐっ、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!?」


 咄嗟に腕を交差させて拳を受けて、後ろに跳ぶことで更に衝撃を受け流す。そんな対応を反射でしてみせたのは流石の実力で、しかしそれでも足りていない。


 受けた瞬間に、両の腕が圧し折れた。後ろに跳んだだけでは消し切れない威力は、リアムの体を遥か後方へと吹き飛ばす。幾つもの木々を薙ぎ倒して巻き込みながら、彼の体は遠退いていく。


 米粒のように小さくなって、直ぐに見えなくなる男の姿。木々の倒れる音だけが、彼の飛翔が終わっていないと言う証明。普通ならば一秒二秒で終わるであろう轟音は、一分を過ぎても終わる気配すら見せはしなかった。


「嘘、でしょ」


 何だこれは、と目の前の光景に呆然とするしかないミュシャ。彼女にとって、絶望の象徴だった不死身の賢者。それを圧倒したリアムが、相手にもなっていない実力差。


 彼が弱い訳ではない。英雄と称するに相応しい実力は、ミュシャが百人居ても勝てない程の物。だと言うのに、この現状は一体何だと。余りにも差があり過ぎて、思考が追い付いていない。


 確かに見ていた。ヒビキの実力は、あの土の聖域にて。それでも分かっていた気になっていただけなのだと、認識がまるで追い付いていなかったのだと、この今に漸く理解する。これが、第五の魔王、悪竜王。


「ヨワイ、ね。ヨワイヨワイよわい弱い、弱くて弱くてカワイソウ」


 ケタケタと笑っている。ゲラゲラと嗤い出す。他を踏み躙り、他を弄ぶ魔物の性。魔王とて、悪竜とて、その本質は変わらない。


 彼らは人の悪意である。彼らは人間の悪性である。人の想像し得る最悪こそが魔物であれば、何処までも純粋に何処までも単純に何処までも残酷で悍ましい行為が為せる。


「弱さはツミだ。ワルイ子には、罰を与えないト。何が良いかな何が良いだろ何が何が何が何が何が、キミはナニがイイ?」


 ゆっくりと嗤いながら近付いて、覗き込むように問うてくる。銀糸に輝く髪の隙間から、黄金に染まったひとみが見詰めて来る。弱いと嗤う対象は、己を含めた生き物全て。


 ケタケタと笑みを浮かべた幼子は、吐息が掛かる程の距離で少女を見上げている。少女の肩にも届かなかった筈の小さな体が、今では目線が口元にまで。まだ見下ろせる小さな体躯は、不釣り合いな程に巨大な四肢と尾の影響で歪に見えた。


「さァ、どうしようカナ。何がイイ? ナニが良い? 何が一番、泣きたくなるか教えてよ」


「私、は……」


 月の光に瞳が輝く。ケタケタと笑う少年の姿は、まるで泣き笑いでもしているかのように映る。ゲラゲラと嗤う肩に走った二つの口は、自他を嘲笑しているのだと理解した。


 悪なる竜は望んでいる。幼子の自我を苗床にして産まれる筈だった怪物は、聖なる剣が齎した奇跡によって封印された。産まれた直後、食い尽くす前に。故に龍宮響希が残っている。


 摩耗し壊れた残骸でも、確かに残った己の殻。その存在が、その良識が、その記憶が、悪竜王に不自由を強いる。眠っていなければならないと、微睡んでいなければ壊してしまうと。そう思いながらも、何故に己が我慢せねばならぬのかとも思っていて、だから悪竜王は苛立ってもいる。苦しめ踏み躙りたいと思っている。それが己と器を同じくするものであり、その行為が自傷に過ぎないのだとしても、いいや、自傷に過ぎぬからこそ加減はない。


「ヒビキ」


 故にその巨大な爪を少女に向けて、されど其処で空を迷わせる。迷っている。躊躇っている。結局の所、コインの裏表でしかないからだ。表も裏も、硬貨である事実は変わらない。


 傷付きたくないし、傷付けたくはない。逃げられるなら逃げたいし、選ぶことは苦手である。そんな臆病な性質こそが少年の本質で、其処から生まれた彼の半分とて方向性が違うだけ。


「もう、止めよう。大丈夫、だから、ね」


 何となく、そんな本質が分かった気がした。だから怯え震えながらも、笑みを作って触れる右手を優しく包む。母や姉が、子や弟妹に優しく言って聞かせるように。


 されど何となく、それでは届かないのだと言う気もしていた。月の光が瞳に満ちて、何となく本当に何となく、直感的に理解する。ヒビキは弱いから、其処から生まれる怪物もまた。


「キヒ」


 巨大な爪が振るわれる。赤い筋がミュシャの肌に刻まれて、柔肌を守る布地が千切れた。それでも繋いだ右手を離さぬ少女を前に、少年の動きは酷く鈍い。


 望んではいない。求めてはいない。どちらもそんな行為は嫌いである。されど脳裏を染める悪意と本能が、犯し穢し貶め嬲り殺せと叫ぶ。それに向き合える程、彼は強くない。


 一瞬、一時ならば耐えられる。されど一時間、されど一日、されど一月、脳裏でがなり立てる本能に耐えられるような精神性を有していない。だって、流されてしまう方が楽だろう。


 それが嫌だから、聖剣が作った揺り籠の中でヒビキは眠り続けていた。それが嫌だけど、慣れてしまえばきっと愉しい。そう思える怪物こそが、魔物と言う存在だから。それでも、彼の動作は酷く鈍い。


「分かってる、んだよね。うん、ダメ、だよ。こんなの」


 手を離しては、きっといけない。少年の内に残った人間性は儚い。触れる手を離してしまえば、彼は直ぐに転がり落ちる。もしもそれで彼が救われるなら、きっと少女は受け入れただろう。


 身内を救われた。心を救われた。代替品として重ねて見ている自覚もあるが、それでも確かに大切にしたいと思えている。だから彼が心の底から望んでいたなら、ミュシャは身を捧げることさえ良しとした。


 だが、違う。これでは誰もが傷付くだけなのだ。そうして堕ちた先で、報われることなどきっとないから。だから手を離さずにいるけれど、さして意味がないだろうとも気付いている。


 少年の本質は変わらない。こうして掴んでいる限り、抗い続けてはくれるだろう。それでも彼は弱いから、きっと最後は流される。だから結局の所、ミュシャの行為は終わりの瞬間を遠ざけているだけであり――


「な、めんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 されどその僅かな時間が、事態の悪化を食い止めている。鼓膜を叩く怒声と共に、大地を駆けて舞い戻った男が間に合う。


 少年と少女を視界に入れた直後に大地を蹴って、疾走の勢い全てを載せた飛び蹴り。先とは違う、此度は躊躇など欠片もない一撃を放った。


「……今、何かシタ?」


「ちぃっ! うっせぇっ! 今から何とかするんだよぉっ!!」


 しかし、それでも怪物は不動。平然と嗤う悪竜を前に、砕けたのはリアムの足。蹴り付けた左足の骨には亀裂が走り、顔面を強打された悪竜は蹈鞴を踏むことさえしていない。


 何かしたかと嗤う言葉に、舌打ち交じりに言葉を何とか返して着地する。地に足を付けた瞬間に激痛が走るが、泣き言一つ言わずに男は少女の襟首を掴んで後方へと大きく跳躍した。


「あ」


 切り裂かれた衣服の残った部位を掴まれて、呼吸を妨げられながら離れていく。苦しくて意識が遠退き掛けた一瞬に、見えた少年の泣きそうな顔。


 それは唯の幻覚だったのか、一瞬後には嘲弄する笑みに染まっている。少年は何もかもを馬鹿にするような笑みを浮かべて、少女を抱えたリアムの無様に揶揄する言葉を投げるのだ。


「言っタくせに、逃ゲるんだ?」


「だからうっせぇっ! 邪魔な雌を退かすだけだっ! ちったぁ、待ってろぉっ!!」


「ぎにゃっ!?」


 感慨に耽っていたからこそ、途中で放りなげられたミュシャは、着地も上手く出来ずに色気のない悲鳴を漏らす。


 頭から落ちて痛みに悶える少女を放置したまま、リアムは浅く笑って大地を蹴る。先とは逆の方向、悪竜王の眼前――ではない。


 元より求めたのは撃破撃退ではなく、もう一度封印してしまうこと。ならば優先するべきは、捨て置かれたままとなっている聖なる剣。


「マぁ、そう来るよネ」


「ちっ、うざってぇ」


 そんなことは分かっているから、先回りなんて簡単なこと。後より動き出したとしても、聖剣の下に辿り着くのは悪竜の方が遥かに早い。


 睨み付ける男の視線に、嘲弄する笑みを深める悪竜。彼はまるで良いことを思い付いたと言わんばかりに笑みの質を変えると、右の拳を肥大化させた。


「んだ、そりゃ……?」


 思いがけない光景に、一瞬硬直したリアム。その視線の先で肥大化した右腕は巨大な竜の頭部に代わっていて、右肩にあった筈の口は消えていて、牙の揃った大きな口が周囲の土ごと聖なる剣を飲み干したのだ。


「食べチャッタ」


「ふっ、ざっけんなぁぁぁぁっ!?」


 ニィと嗤った少年は、竜の頭部と化した腕をそのまま横薙ぎに振るう。肩から先がそのまま伸びて、二メートルはあった彼我の距離を無視して、リアムの腹に竜の頭部が激突した。


 呻き声と共に血の混じった唾を飛ばしながら、リアムの体は再び後方へと吹き飛ばされる。勢いを流し切れなかった彼の飛距離は先程ではなく、近くの樹木を数本巻き込む程度で止まる。


「アは、あはははハハハハハハ」


 ケラケラと嗤う異形。胴と頭部は未だ人の形を留めているが故に、異質な部位が余計醜悪に見える姿。黒き鱗に覆われつつある怪物は、まだ目覚めたばかりだと言うのにこれ程強い。


 聖なる剣は、既に怪物の腹の中。その変質は今も少しずつ進んでいて、進めば進む程に性能は上昇する。そんな怪物を相手取る英雄は、しかし相手にも成っていないというのが現実だ。


「抗ってみせろ。これは魔王の試練である」


 誰に言うとでもなく、嗤う悪竜はそう口にする。彼の意図したものとは思えぬ流暢な発言は、魔王と言う存在に与えられた縛りの一つ。これは人と言う種に与えられる、悪意に満ちた試練なのである。


「これが、魔王……悪竜王」


 どうすれば良いのだと起き上がった少女は、破れた残骸で胸元を隠しながらに思う。現状は詰みだ。もうどう考えても、どうしようもない状況だ。


 だってそうだろう。悪竜王はまだ、全力の一端さえも見せていないのだ。だと言うのに、出来ることが何もない。それでどうして、希望を信じて抗えようか。


(恐ろしく、強い。抗うことさえ、愚かなことだと思える存在。これでいて、まだ上がある。星を砕く程の腕力も、光より早く動ける速度も、あらゆる魔術を扱える権能も、まだ一つも発揮していない)


 悪竜王がその気になれば、次の瞬間にも人類は全滅するだろう。瞬きの時も必要なく、彼は世界を滅ぼせる。


 それこそ地面を強く叩くだけで、地球という星が四散し消し飛ぶのだから。挑むことさえ、愚行と言えよう。


(なのに、何でだろう。まだ、終わりじゃない。一歩間違えれば直ぐに終わってしまうけど、まだ詰んではいないと感じる)


 左の瞳が、月の色に輝く。滲み出す異能が、答えの断片を示している。冷静に考えれば考える程に、どうしようもない現状だ。なのに何故、まだ終わりじゃないと言えるのか。


(もっと詳しく、分かれば良いのにっ! どうして、こんな、中途半端な感覚なの!?)


 答えは必ず、何処かにある。それが奇跡に奇跡を幾つも重ねるような代物だとしても、弾指や刹那に劣る可能性であったとしても、それでも決して零ではない。


 でも分かるのは其処までだ。感じ取れる真実は曖昧で、幾つものヴェールを重ねた向こう側。滲み出す程度の出力では、確かな答えなんて分かりはしないのだから。


 何が正しく、何が間違いなのか。下手に動けば、それが終わりに繋がる現状。故に迷い動けぬ少女の視線の先で、事態は今も揺れ動いていた。


「くっ、そがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 倒れていた木々が、内側から蹴り飛ばされる。悪態を吠えながら、中から出て来たのは満身創痍の獣。両の腕は折れ、左の足には罅が入り、全身からは夥しい血が流れている。


 口から漏れる血の量は、既に常人ならば致命傷と言って良い程の量。内臓は破裂し、意識は飛び掛けている。それでも立ってみせるのは、彼が胸に刻んだ男の矜持が故に。


「くフ、凄いね、スゴイね。弱っちいのに、頑張るネ」


「だから、舐めんなって、言ってんだろうがぁっ! 俺を誰だと思っていやがるっ!!」


 絶体絶命の窮地。英雄の域にある男でも、神話の領域には届かない。人類の上澄み程度では、最強の魔王を倒すには至らない。それが目の前にある現実だ。


 だが、それがどうしたと言う。勝てる相手にしか挑まぬのか? 負ける戦いはしないのか? どちらも否。勝ち目がなくとも、為すべき理由があるのなら、前に進むが男の矜持。


 ましてや男には、まだ切っていない札がある。その切り札が残っているのに、どうして嘆き諦め逃げようか。


「誰かな誰だろ誰なのカナ? どうでも良いヨ誰デモ良いヨ。どうせ君も、ゴミ屑みたいなモノだろう?」


「ふっ、ざけやがってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 悪なる竜の侮辱を前に、苛立つ獣はその札を切ると決める。認めた相手か、王の命を為す時か、絶体絶命の窮地に使うと決めたその切り札。


 容易く頼れば己の成長を妨げるが故に、封じていたそれを用いる。切り札を切らねば真面な戦いすら出来ぬ己の弱さに苛立ちながら、それでも矜持を有するが故に。


「見せてやるよ、俺の切り札! そして刻み込んでやる! んな戯言言えねぇようにぃ、俺の力の全てをなぁっ!!」


 リアムは折れた右腕を胸の前へと動かして、まるで何か虚空を掴むかの如くに五指を僅か歪める。肩幅に足を開いたまま、呼吸を一つ。四肢に刻まれていた刻印の光が消えた。


 魔術に使う、魔力ではない。人の生命力を瘴気に染め上げ、制御可能な状態に落とし込んで物こそが魔力である。そうであるが故に、不純物が多いのだ。故求めるは、純粋な生命力を闘志によって高めた闘気。


 これより男が為すは、東国は最強の集団“六武衆”に伝わる秘奥。人が人の身のままで神の領域へと至ろうとした技術、神威法の第一階梯。即ち、心威解放。


――内功実行(ナイコウジツギョウ)・以って我は心威(シンイ)を示す――


 性質は内功。世界に満たす外の功ではなく、己の内にて完結する内の功。法則は実行。己の想像を形に変える想の行ではなく、現実にあるものを己の想像へと近付ける実の行。


 彼が心の底から求め望んだ成果は自己へと返るもの。そして存在しないものを願える程に、彼はロマンチストではない。故にその心の芯に抱える性質法則は、内功実行と言う形となる。


――熊、猪、狼。毛皮を纏い、フュアカトにてヒヨスを飲み干し、我は獣と成りて狂うモノ――


 闘気を高め、己の心に抱いた芯と混ぜ合わせ、人間の領域を超えんとする。その技術に本来、詠唱と言うものは必要ない。これは必要なものではなく枷である。


 出る杭は打たれると言う言葉があるように、人は逸脱した者を嫌い憎む。それは集合無意識もまた同じく、故に人類総意は人間から神に成ろうとする者に対して干渉する。


 その時発生する力の綱引き。抗い続ける者に対し、人類総意は人間以外の役を与える。特別だとは認めてやるから、此処で満足しておけと。


 総意に抗い切れぬ者は、人を超えるが神の域には至れず止まる。結果として彼らが得るのは、人が想像する空想存在の力。己の心に相応しい、役を被ることとなるのだ。


 この呪文は、そのためのもの。人類総意が用意した空想の器に、己と言う魂を馴染ませ同化するためのもの。総意から唱える事を強要された言霊なのだ。故に知らぬ言葉が、望まぬ音が、無意識の内に口より零れ詩を紡ぐ。


――秘薬と共に痛みを忘れ、激しい怒りを吠えたてろ。盾の端を嚙み千切り、出会う全てを喰い殺せ――


 故にこの呪は、総意には勝てぬと言う証左。でありながらも人を超えたと、人類全てが認めた証。概念存在への変性は、神話の怪物からしても取るに足りぬと言えるものではないだろう。


 魔王もまた、人の神話に語られるモノ。人間総意が夢見た神と言う名の概念存在であり、故にこの呪が完成した時に現れる存在は同格ではないが同質の存在。正に神に迫らんとする超人と成るのだ。


 ならば当然、妨害に動くが自然な話。此処に居たのが、悪竜王以外の魔王や精霊王であったのならば。この呪が完成する前に、息の根を止めんとしただろう。


 だが、悪なる竜は最強だ。封じられていたが為に、元となった人格以上に幼く未熟。されどそんな竜にも、己こそが最強だと言う自負がある。故に彼は、やってみせろと見下し嗤った。


 ゆっくりと虚空に浮かび上がって、胡坐を組んで見下す悪竜王。異形と化した右手を人の形に戻して、頬杖を付くその余裕。上等だと嗤って、リアムは呪を紡ぎ続ける。


 何をしても無駄なのだと、見下す魔王に目に物を見せてやる。狂笑を浮かべ闘気を高め、与えられた呪に続けて明かすは己の内面。作られた役に合わせる為、己を明かして歪めるのだ。


――忘我の果てに、残すは芯深く刻まれた焔の庭。嘗ての傷は、我が焦がれ。我が身焼く炎こそ、今も乞い願う憎悪の憧憬――


 脳裏に浮かぶ光景は、全てが奪われた彼の日彼の時。正義を声高に叫ぶ薄汚い宗教家共によって、己の家族が穢され弄ばれた炎の記憶。


 復讐は果たした。されど今も朦朧とした意識の中で耳にした、彼の日の叫びがこびり付いている。町一つを人質に取り焼土戦を選んだ枢機卿を殺す為、犠牲にした人々の叫びを忘れ去ることが出来ずに居る。されど炎の記憶はそれだけではない。


 人質の殆どを己が殺した訳ではないのに、己だけが民間人を殺したのだとレッテルを張られ悪だとされた。そんな世の理不尽に歯噛みしながら、中央を追われ逃げ続けるしかなかった弱さ。


 己に対する憎悪と憤怒で魔に堕ち掛けていた彼が、東の果てで出会った炎の王。武王は堕落し掛けた男を軽々と下し、その身を苛む穢れの全てを焼き払って告げたのだ。共に来いと、それがどれ程の救いと成ったか。


 あの日、あの時、炎の記憶は憧憬と成った。憎悪は変わらず抱いたまま、しかし同じ以上の意味を王は与えてくれたのだ。故にリアムは心に誓った。


――我は唯、戦士となりたい。王の敵を討つ、一本の牙であらんと願う。故に強く、弱さを捨てた獣と変われ――


 王が誇る戦士となりたい。王の前に立ち、その敵を討つ牙で在りたい。今はまだ届かずとも、何時か必ず其処へと至る。王が誇りに思う最強の臣下。目指す頂きとは其処だ。


 ならば――己は王以外に、負けてはならない。王が称える戦士ではない、駄々を捏ねる力が強いだけの怪物に負けて良い筈がないのだ。それが男の心に宿る、侮辱を許さぬ矜持である。


――心威・解放――


「月夜に狂え――狼面狂者(ウールヴヘジン)


 リアムの体が肥大化する。全身の筋肉が膨れ上がり、骨格さえも変形して全身が獣毛に覆われていく。剥き出しの牙が、鋭く尖っていく爪が、赤く輝くその瞳が確かに示す。


 狼面人身。狼男と呼ばれる異形。外から見れば堕落と呼ばれる魔物化現象に酷似していて、しかしその内実は大きく違う。言うなればこれは、完全制御された魔物化現象。人の自我を持った魔物への変性だ。


 元は180センチ程の身長が、2.5メートルを超える巨体へ。全身の筋肉や体重もそれに相応しい量へと。その膨大な筋肉が生み出す力は、元の体の凡そ三倍。


 魔物としての性質も有するが故、魔力を使えば体の傷も再生する。折れていた両の腕も、罅が入っていた足も、既に全快状態に。これぞリアム・ファミーユの心威、戦い続けるベルセルクへと己を変える技である。


【はぁっ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!】


 大地を蹴って飛び上がる、その身体能力は素の時点で先の三倍。魔王の側近でもある大魔獣にも迫る腕力と速力を、その筋量だけで発揮して見せる。それでもそれだけならば、殴り抜いた拳の方が割れていただろう。だが――


「――っ」


 宙に浮かんだ竜の体が、僅か後方へと押し込められた。ダメージはさしてない。精々が青痣にもならない程度の、しかしそれでも確かな被害。


 虚空に浮かんでいたが故に踏ん張りが効かず、後退を余儀なくされた怪物。悪竜王は忌々しいと舌打ちし、その光景にリアムは破顔し空を蹴った。


【良いぜ良いぜ良いぜぇ、上げてぇ行くぜぇぇぇぇぇっ!】


 風の魔術で足場を生み出し、空を駆けながらに放つ追撃。一発のダメージは、悪竜王にとっては大したことがない。それでも支えがなければ、体が浮く程度の威力がある。


 だから顎を打つ。振るわれる拳の側面を打つ。的確に防御の隙間や攻撃の発生点を打ってずらす。結果として起きるは一方的な攻勢だ。相手がどれ程に強くとも、何もさせなければ良いのだと。


【はぁっ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!】


 幾ら打っても不動であれば、こんな対処は不可能であっただろう。されど零ではないのなら、やって通せるだけの技量を獣は有している。一撃一撃が塵に等しくとも、積もるのならば、山と積み上げてみせるだけのこと。


 拳を顎に当て跳ね上げて、空いた胴へと連打。反撃に振るわれる腕を掴んで、その勢いを利用した回し蹴りを返す。空中から落ちながらに続く攻防は、片方が一方的に攻め続ける形となる。されど、まだ蹂躙劇には程遠い。


「――っ! はな、れろォっ!」


 竜が咆哮と共に瘴気を放てば、獣は為す術もなく吹き飛ばされる。如何に大幅に身体能力が上がっていようと、力比べで勝ち目がある程ではない。


 そして距離が取られれば詰みだ。竜の権能。その無数の魔術をもってすれば、今の獣であろうと摺り潰されるより他にない。そうと知るが故に、リアムは――


【は、逃げたな?】


「は?」


 敢えて其処で挑発した。距離を取るのはお前の逃げだと、言われて受け流せる程に悪なる竜は大人じゃない。右腕を巨大な爪に変じさせた怪物は、明らかに苛立った様子で距離を詰めた。


「舐めルな、人間」


【舐めんな、魔王】


 互いに至近で睨み合い、足を止めて拳を打ち合う。男の拳は竜の顔に突き刺さるが、その表情を僅かに歪めさせるだけ。


 対して竜の拳は男の回し受けによって空を切るが、その余波だけで男の腕は圧し折れ血肉が飛んだ。やはり実力差は明白で、なのにリアムは笑っている。


【はぁっ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!】


「ウゥゥ、アァァァァァァァァァっ!」


 そして連打。両者共に一歩も退かず、足を止めて打ち合い続ける。悪竜の方が攻撃は早い。悪竜の方が攻撃は重い。だと言うのに、獣の方が笑みは深い。


 弾け飛ぶ血肉。傷付く側は一方のみ。追い詰められているのはリアムの方で、追い詰めているのは悪竜の方。だと言うのに退かない獣の姿に、竜の方が呑まれ始めた。


「何ダよ、お前!?」


 意味が分からない。訳が分からない。理解が全く出来やしない。己の方が強いのに、相手の方が遥かに弱いのに、どうして敵は笑っている。どうしてリアムは、笑えているのだ。


 少年にはまるで分からない。理解出来ない現象とは恐怖だ。何でそうなるのだと、予想を外れた現実に怖気が走る。産まれたばかりの幼子は、此処に初めて、男を脅威と認めていた。


【漸くかぁ、良いぜぇ。改めて名乗ってやらぁっ!】


 傷付く度に血肉を魔力で再生して、辛うじて食らい付いて来る獣。圧倒的な差を前に、漸く認めたなと笑う男は鋭い横蹴りを打ち込んだ。


 その一撃に蹈鞴を踏んだ悪竜の胴を足場に、反動で大きく後ろへと跳躍したリアムは着地し啖呵を切る。これより名乗るは、己が誇る己の異名。


【俺はリアム! 東国六武衆、第五席! 凶狼のリアム・ファミーユっ!!】


 東国六武衆。それは東方大陸において、最強の名を冠する戦闘集団。古き世に生まれた修羅が蔓延る地にて、自他共に最強を認める六人だけが属することの出来る場所。


 席次は純粋な力の順。修羅と言う戦闘に特化した生まれではない身でありながら、その集団の五席にまで至ったこと。それこそがリアムにとっては最高の誇りであり、未だ目指す高みが遠いことの証明だ。


【狂気に酔った獣じゃねぇっ! 王の敵に、(マガツ)を届ける狼だぁぁぁぁぁっ!!】


 そうとも、目指すは六武の頂点。己は素晴らしき王の最強の配下として、敵に凶を届ける戦士。なればこそ、こんな所で立ち留まって良い理由はない。


 大地を駆けて、獣は天高く咆哮する。邪魔だぞ退けと、最強の魔王ですら彼にとっては通過点。実力差など立ち止まる理由にはならない。駆け抜けて行くだけなのだから。






旧版と違い、暴走悪竜王とのガチバトル開幕。


ミュシャだけだと絶対に負けるので出来ないが、今回はまあリアム君が居るので。

戦力的には足りていないが何とかなるんじゃね、と言う判断からSIOYAKIの中でGoサインが出ました。

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