第11話
決戦開幕
◇聖王歴1339年風ノ月6ノ日
猫の耳と尾を有する人達が、道を行き交い笑顔で挨拶を交わす。畑を耕す男も居れば、水瓶を運ぶ幼子も居て、縁側で茶を飲む老人も居る。
一見すると何処にでもある、ありふれた田園風景。過疎化が進む田舎らしき風景にも見える。複数の異常に、目を瞑るのならばと言う但し書きが付く話だが。
澄んだ空に浮かぶ月の光だけが照らし出す、その景色は地獄である。笑顔で笑い合う人々は、動く死体だ。死んだ時の状態のまま、治療一つされずに動かされている。
眼球が飛び出している男が居た。両足が欠落している女が居た。内臓を零している老人も居れば、頭が半分潰れた子どもも居る。そんな彼らは一様に笑顔を張り付けていて、しかし目だけが死んでいる。
腐っているのは、彼ら動く死者だけではない。畑の野菜は異臭を発していて、虫や獣ですらもう食わぬであろう状態。だと言うのに気にする素振りも見せず、男は鍬を振っている。
終わっているのは、彼ら動く死者だけではない。顔が半分潰れた女の子が背負う水瓶の中身は、黒く淀んで腐った水が満ちている。そんな水瓶を持って歩く幼子は、張り付けた笑顔で手を振っていた。
「ミミ」
振られた手に振り返せぬまま、ミュシャは小さくその名を呼ぶ。助けてとずっと口にしていたのに、ずっと助けられなかった大切な家族の名を。
「ごめんね。待たせたよね。大丈夫、もう、終わらせるから」
一つ、一つ、己に言い聞かせるように音を紡ぐ。日が暮れて、日付が変わって、それでも日中と何ら変わらぬルーチンワークを強要されている村人達。
彼らを終わらせる為に、少女は此処に戻って来たのだ。故にと息を深く吐いてから、ミュシャは前へと足を踏み出す。その傍らを歩いていた少年は、ふと空を見上げて呟いた。
「いる」
見上げた先に浮かぶ影。豪奢なローブを纏った怪物は常とは異なり、血肉は愚か皮さえない顔を隠していない。何故繋がっているかも分からぬ、剥き出しの顎が固い音を立てて動いた。
【やはり、気付くか】
「ジャコブ・ファミーユッ!!」
緑の瞳が射貫く先、浮かぶ死人は歪に嗤う。カチカチと音を立て揺れる眼光に浮かぶ色は侮蔑であろうか、赤い魔性の瞳がいきり立つ少女の姿を見下している。
【何をしに来た、と問うのは聊か無粋かのう。何が出来ると思って来た? 無様に逃げた小娘が】
「終わらせに来た! もう、全部っ! そうするべきだと、気付けたからっ!」
【カ、呵々々! 終わらせると、貴様がか。嗤わせおるわ】
空へと吠える少女の声など、死人にとっては負け犬にさえ劣るもの。百度やって百度勝り、千度やって千度勝る。万に一つも敗北はなく、故に警戒すべきは傍らの少年唯一人。
死人の目から見ても、一目で外れていると感じる力の量。彼をして怪物と断ずる人の形をした存在は、一体何を思っているのか。感情の読み取れないぼんやりとした瞳で、浮かぶ死人を見上げるだけ。
忌々しいと、既にない舌を打つ。ミュシャとヒビキが出会った直後に、死人は監視を解いている。逆探知を警戒して、故に少年の情報が足りていなかった。となれば、先ず為すは。
【では、月並みだがこうしよう。動くな】
パチンと指を鳴らす。直後、壊れたまま日常生活を模した行動をしていた村人達の動きが止まった。一斉に、僅かな遅延すらなく、ぴたりと不動になった彼らが視線を動かす。ぎょろりと、その目が少女を見た。
「ミミ、皆」
【分かるであろう、人質と言うやつだ。抗えば、こやつらがどうなるか】
「……従った所で、救う気なんてない癖に」
【然り然り、その程度には頭が回るか。だが、目の前でこやつらが苦しみ藻掻けば、見捨てる事も出来はしまい】
今のミュシャに対して、唯の人質など意味はない。まるで自分に言い聞かせるように返す少女に、成る程然りと死人は返す。散々に使い潰して裏切ったのだ。それでも此処に来たのだから、覚悟の程は読めている。
故にそうとも、これは少女に対するモノではない。傍らの少年がどう動くのか、どんな反応を見せるのか、探りの為に打つ一手。それと同時に、少女を嬲る為の手でもある。他者の不幸を望むのは、魔に堕ちた者の本能だから。
「助、けて」
パン、と軽い音を立てて人質の体が弾けた。
「痛い、痛い、痛い」
黒い光が雷のように体を走って、のたうち回る者も居た。
「苦しいよ、熱いよ」
まるで硫酸を掛けられたように、内側から体が解けていく村人も居た。
『お前の所為だ』
その誰もが、少女を睨んで告げるのだ。お前が為した全てが、今の苦痛に繋がっているのだと。恨む声の中には、小さき鈴の音も交じっていた。
「――っ」
【愚か愚か、実に愚か。其処で情を切り離せぬから、貴様達は落ちぶれたのよ。底まで落ちた猫人風情が、儂に抗おうとするなど愚行の極み。所詮貴様らは玩具に過ぎんのだ。使われ潰され終わるが、分相応と知るが良い】
ミュシャの発する負の感情。悲しさや怒りや後ろめたさと言った物。それを甘露と咀嚼しながら、死人は心の底から侮蔑する。
効果がなくて当然と、断じていた人質が機能している。覚悟したのではなかったのかと、どれ程に内面で傷付こうと知ったことかと返すが此処では正当であろうにと。
これで敵に、人質が通じると分からせた。死人が打てる手筋が増えた。喜ぶべきことなのに何故であろうか、ジャコブは何処か物寂しさも感じていた。
「ミュシャ、虐めちゃ、ダメ」
立ち竦んでしまったミュシャの前に立ち、そう口にしたヒビキは手を振る。右手を横に、それだけで糸が切れた人形のように村人達の動きが止まり一斉に座り込んだ。
【……ほう、見事なものよ。儂の術式を奪ってみせるか】
一体何がと、戸惑い問い掛けることはない。伊達に賢者と呼ばれていた訳ではないのだ。死人の最たる強みは分析力。状況を見て、数秒もあれば解が導ける。
魔術の術式、その制御を奪われたのだ。例えるならば人形の繰り糸を、人形師の手から盗み出すような行為。それを最高峰の魔術師であるジャコブ・ファミーユを相手に、気付かせもせずに軽く為す。それだけでも異常極まりないことであり、死人はヒビキに対する警戒心を一段上げる。術式を取り戻せないかと無詠唱で力を放つも、結果は想定さえも下回るもの。
【ふむ、力比べさえも出来んか。成る程のう。魔術と言う分野において、貴様に勝る存在はあるまい】
「ん。え、へん」
術式を奪われ、それを取り戻せない。魔術師としたは詰みに近い状態にありながら、鷹揚に褒める余裕を見せる賢者。褒められて素直に喜ぶヒビキと異なり、ミュシャはまだ何かあるのかと警戒しながら口を開く。
「これで、形勢逆転ね。人質は全員、解放出来た。アンタじゃ、ヒビキから奪い返すことも出来やしない」
【成る程、確かに。考えなしではなかったか】
人質は既になく、術式を奪われる以上は仕込みの全ても無駄となる。ミュシャが口にしたように、現状はヒビキ達の圧倒的な優位にある。
虎の威を借る行為だが、このままヒビキが動けば死人は終わる。空に浮いている程度では、悪竜の牙からは逃れられない。故に勝ったと、その見通しはしかし甘い。
【じゃが、甘い。儂が賢者と呼ばれた所以、全く理解しておらん】
『あおあァOあAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa』
「なっ!? ヒビキ!!」
「え、これ、何?」
死人が指を鳴らした瞬間、村人達の口から人の声帯が発するとは思えない異音が轟く。叫び狂い壊れている人質の姿に、困惑したミュシャはヒビキを見る。彼の顔には珍しく、焦りや困惑の色が浮かんでいた。
【やはり、のう。知識も技術も有しておるが、決定的に経験値が足りておらんようだ。その力、外付けの辞典のようなものであろう。破格ではあるが、まるで使い熟せておらんな】
元より、ヒビキに対して向ける警戒度は高かった。対面してから全ての行動は、彼の内面や能力を知る為の探り。術式を奪われた所で、老人の行動は変わらない。
何故奪われたのか、どうすれば奪われずに済むか。穴はないか、陥穽はないか、何処かにはある。完全無欠な物などないと、他ならぬ死人こそが知っている。故に探り、当たりを付けたのだ。
【貴様と同じ綱を引き合えば、儂の方が必ず負ける。多少綱を加工した所で、答えが見える貴様には無意味。ならば地を這う根のように、綱の数を増やせば良い。単純に対処が手間となる状況を用意する。さすれば如何に貴様であろうと、処理し終わるまでに時間が掛かる】
ヒビキの能力、その本質。死人は辞典と例えたが、より真に迫るのならばインターネットの検索エンジンと言った方が近いであろう。魔術に関する情報限定で、何でも知れるネット環境が脳内にあるのだ。
知りたいと望めば、それに関する情報が引き出せる。こんなことがしたいと望めば、それを為せる手段を幾つも知れる。石のない玉だけの検索エンジン。これが竜の叡智、幾千之魔導の正体である。
これに対し、研究者や開発者のような対応で挑むは下策。人が何日も掛けて辿り着く答えに、竜はクリック一つで至ってしまう。魔術に関することならば、まだ理論が出来ていない未来の知識さえ覗けるから。
故に死人は、異なる形での知識勝負に持ち込んだ。同じ学問の専門家でも、研究者ではなく教職の有する知識は質が違っているように。あくまでヒビキは辞書を持つだけなのだから、調べると言う手間が生じる分だけ浅い知識の分野では劣るのだ。
広く無数に深くはない術式を使って、発動に掛かる手間と時間で微かに勝る。魔術の頂点にある竜王相手に、経験だけで追い縋って見せる姿は正に賢者の異名に相応しい。
「で、でもっ! それでも稼げるのは時間だけ! 最後に綱引きで勝つのはヒビキよ!」
【然り然り。だが、見落としておるぞ小娘】
68年、賢者が生者として生きた時。死人と化してからの4年を加えても、百年に満たぬ時間は魔術の極みに至るには到底足りていないだろう。されどその圧倒的な経験は、未だ並ぶ者の居ない世界の頂点。
故に力勝負となれば負けると分かっていて、それをさせない強かさを死人は有している。無数の綱を根のように伸ばした理由は、単なる時間稼ぎではない。既に少年の質は見抜いた。故にこれは、勝利に向けての一手でもあった。
「え」
呆然と、呟いたミュシャの目の前で人質の一人が弾けた。内からバラバラに吹き飛んだ彼は、もう殆ど残っていない体液を撒き散らす。腐臭漂うどす黒い飛沫が、僅かに大地を濡らしていた。
【魔力は人体には毒だ。魔術の制御権を体内で奪い合うなどすればな、器がそもそも持たんのよ。唯でさえ、腐り切って脆くなっておる訳だからのう】
次から次へと、内側から破裂していく村人達。硬直したミュシャの姿に、困惑し焦燥するヒビキの姿に、死人の王は呵々と嗤う。
これは見せ札。分かりやすく破裂するように加工したのは、人質はもう一人居るのだと少年に分からせる為。その仕込みは遥か以前から、少女は死人の檻に囚われていたのだ。
「あ、え、ぐぅぃ――っ」
【そして当然、儂はこう動く。手駒としておったのだ。小娘に仕込みの一つもしとらんと思ったか】
唐突に蹲り、込み上げる物に耐えられず血反吐の交じった吐瀉を零すミュシャ。彼女の存在こそが、死人の王が少年に勝る為の要因要素。
苦しめる為の術式の制御を下手に奪えば、村人達同様に弾け飛ぶ。この状況でヒビキに打てる手は、実は相応に存在している。しかし複数ある手のどれが一番良いのかが、ヒビキには判断が出来ずに居た。
【さて、交渉人の交代じゃ。小娘を人質にされた貴様は、最早詰みに程近い】
「…………」
【儂が干渉している以上、その小娘の体内魔力値は限界寸前。貴様が魔術で儂の干渉を除こうとすれば、さぞや愉快な光景が見えるだろうて】
ヒビキが動きを止めた理由に、死人も当たりを付けている。何も出来ないからではなく、余りにも出来ることが多いから対処に悩んでしまうのだと。
素の知識がなく、追い詰められた経験も少なく、辞書だけを持つが故の欠落。対処法を幾つも提示されれば、その一つ一つを比較せねばならない。だが比較しようにも、何処をどう見れば良いのかさえ分からない。故にの硬直。故にの劣勢。しかしこれも、窮地と言うには程遠い。
【それでも勝つのは貴様だろうよ。小娘とこの村の玩具共。見捨ててしまえば、貴様が儂に負ける道理はない。追い詰めれば、詰むのは儂だ。分かっておる。故に交渉だ、小僧】
これはヒビキがミュシャを守ろうとするが故に発生している劣勢だ。彼女の心までも守ろうと欲を出しているが故に、本来負ける筈のない相手に追い詰められている。
彼が一度、見切りを付ければ済む話。ミュシャを見捨てれば、或いは村人達を見捨てて彼女だけに専心すれば、数秒程で不死者の王など地面の染みに変わるだろう。それ程に、彼我の実力差と相性は大きい。
【儂に手を貸せ。この玩具などくれてやる。所詮壊れた玩具など、邪魔なゴミでしかないのじゃから。この村ごとくれてやる】
「……何、したい、の?」
【人を滅ぼす】
故に賢者は交渉する。現状では逆立ちしようとも悪竜王を倒せない。なれば出来るは甘さに漬け込み、ある程度の妥協を引き出すこと。それだけが、死人の狙える唯一の勝機。
理想は協力を得ることだが、不可侵を結べるだけでも十二分。今の優位など時間があれば覆される程度のもので、だからと言って人質を害せば悪化しかしない。故にそれに気付かれる前に、己に優位な契約を結ぶのだ。
【人は醜い。奴らは直ぐに裏切る。簡単に掌を返す。嘘を吐き、怒り、憎み、足を引く。薄汚い生き物よ】
そう断じた死人は、己の目論見を語る。彼の思想。彼の理想。その長き年月の果てに至った諦観と絶望を知らしめて、少しでも譲歩を引き出そうとする。その為に、彼は己の過去を語った。
【亜人だからと、人は儂を王宮より排斥した】
彼は中央大陸で、梟の亜人として生まれた。齢五つの頃に、当時の王の政策で教育を受ける機会を得た。同時期に多くの偉人を輩出した学問所にて頭角を現し、王に見込まれ宮廷の術師となった。
偉大なる王の下、同じ境遇の者達と切磋琢磨しながら過ごした青春時代。亜人如きがと蔑む声は当時より多くあったが、それでも素晴らしい王に仕えることが出来た時代は確かな幸福だと言えた。
邪教の暗躍と西方の愚行により、魔王の影が現れ世が荒れた。人心を鼓舞する為に王は戦場に出て、そのまま帰らぬ者となった。王が居なくなった瞬間に宮廷の者らは、彼を含む亜人達を追い出しに掛かったのだ。
同門の中には庇ってくれる者らも居た。この窮地に何を言い出すと、正論を語る者も居た。だが亜人への排他と前王への不満は大きく、最悪は国が割れる可能性もあると、これ以上は庇えないと言われ国を追われた。
【亜人だからと、儂が為した功績は全て抹消された】
王への義理で、従軍も考えた。しかしそう考える度に、己を追い出した者らのことを思い出してやる気を失う。人間全てが悪い訳ではないと知っていても、若き頃程の気力は湧かなくなっていた。
そんな老いた亜人の下に、その日訪れたのは勇者。己の同門だった男の教えを受けて、頼れる男だと言う話を聞いて、仲間に誘いに来たのだと彼は言った。爽やかに笑って手を差し出す少年に、老人は何時しか希望の光を見始めた。勇者と聖女と騎士と四人で旅した日々は、青春時代に勝るとも劣らぬ宝である。
それでも死闘の果てに、魔王の影を討った彼に返る賞賛はなかった。そんなものだと割り切って、語られる英雄譚の中に己の姿がないことに嘆息して、老人は再び俗世を離れた日々に戻った。ほんの僅かな、光を胸に残して。
【亜人だからと、儂からあの子らを奪い去ったっ!】
己はもう報われることはないだろう。それでも、輝かしい日々を二度も過ごせた。ならば同じような日々を、あるいはそれ以上の宝を、後進の者には与えられるかもしれない。
前王への憧憬もあったのだろう。勇者のお陰で、少しは気力も戻っていた。魔王が倒れた平和な世で、他に為すべきこともない。だからと老人は己と同じ、亜人の孤児を集めて育てることにした。
小さな子らと触れ合い過ごす、人生で三度目になる輝かしい日々。そんな優しい時間はしかし、醜悪な人間達の手で奪われた。勇者の仲間に亜人が居るなど許せないと、そんな下らない理由で彼らの家は焼かれたのだ。
愛した子らは、唯の一人を残して死んだ。生き残った彼の顔には大きな火傷の痕が残り、その心にはそれ以上の傷跡が刻まれた。怒りを胸に復讐を叫ぶ幼子を止めることも出来ず、絶望と諦観の中に生きた老人はその数日後に命を落とす。
輝かしい光を夢見て、醜い人の裏切りを受け続けた。ジャコブ・ファミーユと言う老人の生涯は、そんな救いようのない物だったのだ。
【そも、魔王ですら人の悪性。あれが現れたのはな、本質的には人間の自業自得よ。人の半分である以上、全ての人が手を取り合えれば必ず討てる筈なのだから】
そんな賢者の成れ果ては、死後に俯瞰して判断する。己の生涯を翻弄し続けた人の醜悪さ。魔王さえも人の側面に過ぎぬなら、打破すべきは人間と言う種だったのではないか。
人類全ての悪に等しい魔王は、人類全ての善を向ければ倒せるモノ。事実先代勇者キョウは、聖剣を介して人類全てを繋いで見せた。誰もが希望の意志を持った事で、あの日に彼らは魔王を倒せた。
精霊王達は言う、これは奇跡だと。有史以来初の奇跡を成し遂げた、勇者キョウを誰もが称えた。しかし賢者は思うのだ。どうして、あの日に至るまで、誰もが想いを一つにすることすら出来なかったのか、と。
【だが、それが出来ない。己が尻拭いさえ出来ぬ不完全な生き物が、人と言う愚かな種。ならばその悪性諸共、滅ぼしてやるのが慈悲であろう。大儀ですらある。それで魔王は滅ぶのだから】
死人は結論付ける。人間には陥穽があるのだ。一部の例外を除いて、誰もが人の憎み人を呪い人を恨み足を引き合う。善より悪の方が大きいから、人類は魔王に負け続けたのだ。
そんな生き物、果たして何の価値がある。魔王と言う悪性が現実にある以上、価値がないどころか生きているだけで迷惑を撒き散らす害悪だ。だから滅ぶべきなのだ。死人と化した彼が出した、結論こそがそれである。
【貴様の力があれば、儂は人を滅ぼせる。あの汚らわしい生き物が、この星から消えるのだ。美しい世界が生まれるだろう。その為にも、儂に手を貸せ!】
それこそが、死人の望み。成れ果てた彼が、為さねばならぬと抱く夢。世界を救う。魔王を消滅させる。その為に、人間と言う害悪を滅ぼすのだ。
「……? どう、いう、意味?」
【儂は難解な言葉を口にした心算はないが、韜晦してみせるか、小僧】
「う、うん。難、しい、こと、言ってる。意味、殆ど、分から、ない。けど、分かる、ある、よ。でも、だから、分から、ないの」
そう語り、手を貸せと告げる死人の王。赤い眼光に歪んだ執念を宿すその彼が、嘘偽りを語った訳ではないのだろうとはヒビキにも分かる。
本気で彼は、世界を救おうと考えている。本気で彼は、人類の絶滅こそがその手段になると信じている。それが確かに伝わったからこそ、訳が分からないとヒビキは首を傾げ問い掛けるのだ。
「お爺ちゃん。一人で、滅ぼせる、よね。人類」
【な、に――っ】
そう、それが真実。彼がどうしても理解出来ないこと。賢者ジャコブ・ファミーユは、一人で人類社会など滅ぼせる。何時でも滅ぼせると言うのに、こんなにも本気で言っているのに、何で滅ぼしていないのか。ヒビキにはそれが、全く以って意味不明であったのだ。
「竜、の、権能。魔術、作った人、のことも、分かる。お爺ちゃん、禁呪、作った」
禁呪。第十小節魔術。魔術師の到達点とも言われるこの術は、第九以下の魔術とは質が違う。威力や規模が異なると言うだけではない。それだけで、禁忌の名が付く訳ではない。許されない罪と言われる理由が、確かにあるのだ。
「The sin of Unacceptable。許されない、罪ってね。人類を、滅ぼせる、って、こと、なんだよ」
The sin of Unacceptable。第十小節魔術に至った時、術師は無意識にその言葉を紡ぐ。それは人類の総意、集合無意識からの警告だ。お前が今から行うのは、決して許されない罪だと指摘されているのである。
全ての人間は、心の無意識領域で繋がっている。故にこそ、誰かが至れば即座に警告を下す。その条件とは、少年が告げた通りに人類を滅ぼせること。第九以下との違いも其処だ。どれ程の威力があっても、人の世が滅びない規模ならば第十小節には至らない。逆説、第十小節魔術を使える時点で、何時でも人類なんて滅ぼせるのだ。
【儂は】
「転移、して、何度か、それ使えば、人類、滅ぶ、よね?」
【儂は】
「で? お爺ちゃん、は、何、したい、の?」
【儂はっ!】
嘲弄するのではなく、純粋に分からないと問うてくるヒビキ。その無垢な言葉こそが、死人の胸を強く抉った。己はどうして、何を望んでいたのかすら今の彼には分からない。
【ああ、下らんことを言った! 不要であったな! 儂に貴様の助力はっ!】
荒れる胸中。望んだ筈のことさえ分からぬまま、それを棚に上げて思考を進める。何時でも人類が滅ぼせるなら、今直ぐに滅ぼしてしまえば良い。死人の王は、そう割り切ったのだ。
【為すべきを為せば良い! 此処で小娘を殺し、貴様と完全に敵対する羽目になったとしても! 逃げに徹すれば時間は稼げる! 一昼夜とは言わん! 一晩も時間を稼げれば、人類など儂のこの手で滅ぼしてみせるわっ!!】
老人の言は事実であろう。即座に撤退し、ミュシャを遠隔で殺害する。ヒビキは当然追うだろうが、逃げに徹すればそう簡単には追い付かれない自信がある。人類が詰む方が早いだろう。
世界全ての生者を、蠢く死者に変えてしまう。一部の強者ならば耐えられようが、インフラが壊滅した環境では長くは持つまい。最後に残るであろう己と言う汚物すら、この少年が処理してくれる。世界は、救われるのだ。
【これで詰みだ! 腹芸の一つも出来んこと! 悔みながら、守るべき者の末路をその目に焼き付けろ!!】
空間を歪め、転移の準備を。その直前に魔力を発して、ミュシャの命を奪い取る。今正に為さんとする死人を前に、アジ・ダハーカに出来ることは少ない。
彼に出来るのは、壊すことだけ。今直ぐ走って殴り抜いても、死人が滅ぶ前にミュシャが死ぬ。彼女だけは守り抜いたとしても、死人を取り逃がし村人達が全滅する。悪なる竜に出来ることなど、壊すことだけなのだから。
「……うん。そう、だね。今の僕じゃ、君は倒せても、ミュシャは守れない」
けれど彼は思い出せた。まだ全てを思い出せた訳ではない。その声を聴き取れた訳ではない。けれど確かに、少年は思い出したのだ。己の名前と、彼の名前。そんな小さな、されど大切な思い出を。
「だから、お願い。力を貸して――キョウちゃん!」
――仕方ねぇなぁ、行くぜ。ヒビキ!
空色の風が、彼の心の内より溢れる。竜の因子が眠りに就いて、目を覚ますのは勇者の力。それは想いが繋いだ、絆と言う名の奇跡である。
【な――っ! 空色、の風!? この気配は、まさかっ!?】
空色の光は、全ての精霊を束ねた力。そして同時に、人の善意を合わせた光。魔王にとっての対であり、魔術にとっては大敵である。その輝きは、死に穢れた地を清める。
無数の術式が根を張り、苦しめられていた人々が解放される。浄化の光に包まれて、息が出来るようになったミュシャは見た。その光の中心で、黒髪と青い瞳へと姿が変わった少年を。
――一緒にやるぞ。合わせろっ!
「聖剣――抜刀っっ!!」
声はまだ聞こえない。その想いは届いていない。けれど心は、一つである。共に行こうと、その意志の下に剣を抜く。
己の胸に右手を当てて、体と言う鞘の中から抜刀解放。小さな少年の、身の丈にも迫る両刃の剣。黄金に飾られた聖なる剣が、小さなその手の内にあった。
【勇者、キョウ。何故、お前がっ! 何故っっ!?】
あり得ないと動揺する死人の前で、少年は両手で剣を構える。竜の因子が眠った今、見た目相応の筋力しかない少年にこの刃は重い。
けれど、それで良いのだと思う。脳を圧迫していた悪意が消え、数年振りに取り戻した澄んだ思考が結論付ける。勇者ではない己が力を借りるのだから、軽くて良い訳がないのだと。
「人を繋ぎ、心を繋ぎ、世界を繋ぐ。星の輝きを頼りに、あるべき場所へ還れ! 迷いし全ての生命よっ!!」
重たい剣を天高く掲げて、響希は腹の奥底から声を上げる。全力で音に出したのは、この地に残る迷いし者らを救う為。空色の風が一際強く輝いて、滅んだ村の果てまで吹き抜けた。
「あ、ああ」
『ありがとう』
誰かが言う、感謝の言葉。誰もが言う、感謝の言葉。それを聞いて、未だ立ち上がることの出来ていなかった少女は瞳を揺らす。別れの時が訪れたのだ。
「ああ、ああああああ」
「お休みなさい、お姉ちゃん」
解放される魂。集合無意識の中に溶けて消え、他者と混じり何時か何処かでまた生まれるのだろう。そんな輪廻の果てへと導かれる命の中には、確かに少女が愛した家族の姿もあった。
「あああああああああああああああああああああっっ!」
気付けばミュシャは、泣き崩れていた。もう痛みはない。もう苦しみはない。そんな正しい死後に導かれた者らを想い、彼女は赤子のように泣き喚く。
【美しい】
そんな光景を、動揺より立ち直った賢者は見る。美しいものを見た、そう口にした想いは真実。この空色の風は何度見ても、美しいものだと今の彼でも断言出来た。
【あの日に見た、景色と同じ。また、見られるとは、思わなんだ】
人の想いを、思い出せたのは彼も同じく。魔に堕ちて、誰かの涙を甘露と感じる化け物と成り果てた。そんな彼でも、この輝きを美しいとはまだ思える。
きっとこの瞬間に、逃げる理由はなくなっていたのだろう。この光を前に、企てていた策は消えた。穢れ果てた死人であっても、信じたいとは思えたから。
【だがっ! この美しさを持った人が、弱者を虐げ、世界を穢すのだ! それをどうして、許容出来るっっ!】
この輝きが尊いと言うのなら、どうかこの怪物を終わらせて欲しい。世界の救済を捨てられず、人類の破滅を望んでいて、それでも負けると言うのなら――きっとそれは、信じられる光になると思うから。
【否と言うなら! あの日に語った、人の輝きを信じると言う言葉に嘘がないなら! お前の強さを見せてみろ、勇者キョウっっ!!】
――何度だって言うさ、爺さん。嘆く必要なんてない。諦めている暇もない。考えるのは、走り抜けた後で十分。真っ直ぐに貫き通すことこそ、人の持つ強さなんだって俺は今も信じてるっ!
「行こう、キョウちゃん。あの人を、終わらせる為にっ!」
声は届かず、されど心は一つにして。ヒビキは剣を手に、大地を踏み締め走り出す。ヒビキが戦う理由は、もうきっとない。けれど倒したい理由なら、新たに出来た。
この輝きを、美しいと言ってくれる人が居る。怪物に成り果てて尚、光を求めている老人が居る。それが親友の仲間だと言うのなら、命を賭けるには十分過ぎる理由と成ろう。
【奈落の底より湧き上がれ。聖者を呪う屍者の獄炎。青白き光に映りしを視よ。汝の果てたる屍蝋の彩を。唯一人例外なき孤独の終焉。救いなく続く末路。其は永久に儚き、不変の刹那。魂さえも穢し犯され滅ぶが良い。発動――――命蝕む呪怨の蒼炎!】
「第八小節っ! っぅ!?」
接近する少年から距離を取り、高速で呪文を唱え発動する。発動したのは、青白く輝く呪いの炎。渦となって襲い来る魔術の性質を、今の響希は見抜けない。
魔王の力は封印された。竜の権能は使えないのだ。それ以外の知識もさして持たぬが故、剣で防ごうとして傷を受ける。散らした火の粉が作った僅かな火傷が、泣き出したい程に強く痛んだ。
思わず足を止めた響希の眼前を、炎が壁となって塞ぐ。剣で浄化しても消し切れない呪いの炎は、あらゆる守りを無視して回復不可能な傷を刻むと言う性質を有している。
彼が悪竜だったのならば、傷跡の周囲の肉ごと抉って再生すれば終わった話。されど今の彼にはそんな手段は選べず、消せない炎を回避する為に遠回りを強要される。
【成る程、身体能力は人並み。いや、それ以下か。道理よの。聖と魔は相容れない。闇と光を併せ持てば、互いに相殺して零となるのが当然の結果。聖剣を握る限り、貴様は魔物としての力を失うのだな】
「動線の誘導! 時間稼ぎっ! その為の、消えない炎っ!? なら、次は――っ!?」
青白い炎の壁は、石造りの物と違って自在に動く。道が終始変わり続ける迷宮を前に、それだけで響希は攻めあぐねる。
剣の光を放出すれば、壁は消せるが迷宮自体を消すには足らない。ならば当然、その向こう側に居る賢者の体には届かない。
【降り注ぐ悪意。湧き上がる病毒。無形なる大地の浸食。有形なる天空の凌辱。溢れ包め何処までも。穢し染めろ何時までも。溶かし、犯し、腐らせ、呪え。展開――――呪い侵す酸雨毒霧!】
「広域攻撃! 防げない、程じゃないけど!」
攻めあぐねている少年に対し、賢者の攻め手は揺るがない。この程度で消える光では滅びてなどやれぬのだと、天を指差し呪詛に満ちた雨を降らせ腐食の霧で大地を穢す。
酸も腐毒も、精霊の光で消せる程度。聖剣の輝きならば、守りに徹すれば問題ないもの。されど攻めに出た瞬間に守りを抜いて来る酸と毒は、無視出来ない程の脅威ではあった。
【吹き抜ける、春の東風。照らし付ける、夏の炎天。大地彩る、秋の紅葉。荒れて狂う、冬の海。星を構成する四色の形よ。暗き悪意に飲まれて歪め。悪しき呪いに犯され変われ。展開――――断片的な天地創造!】
「うっ、地面がっ!?」
――響希っ!
「わっ! ああっ!」
それでも何とか、炎の壁を越えようと走り続ける。そんな少年の足元が揺れ、地割れと地盤沈下が起きる。崩れていく大地に飲まれなかったのは偶然の産物で、されどそんな幸運が何度も起きる訳がない。
足の踏み場を無くして、転んでしまった子どもは見上げる。前方には蒼炎の壁。毒の霧と酸の雨に追い立てられたその先は、賢者が用意していた殺しの間。逃げ場を奪い、一気に殲滅する為の策が此処に成ったのだ。
【貴様が何故、その聖剣を使えるか。貴様が何処で、その聖剣を手にしたか。敢えて問うまい。問う必要などない。必要なのは、それが偽りに過ぎんと示すこと!】
上空に座す賢者の手元に、集う極大の魔力弾。その漆黒の輝きを受ければ、龍宮響希は敗れ去る。それは推測ではなく、確かに訪れるであろう確定した未来。
龍宮響希は、特殊な体質を有しているだけの子どもに過ぎない。彼は鍛えてもいない、一般人に過ぎないのだ。そんな見た目通りの少年が、伝説の武器を手にしたからと、英雄に勝てる訳もない。
故に当然、彼は敗れる。善意を抱いた少年は無残に倒れ、その屍より蘇った悪なる竜が示すのだ。尊く美しいモノは皆儚く、悍ましく強きモノこそが全てを喰らい尽くすのだと。
【誤った救いよ! 間違った導きよ! 儚い光よ! 尊く美しいものは皆、儚く無残に散るが定め! それを示すため! 此処で、消えろォォォォォッ!!】
崩壊の引き金が引かれる。龍宮響希を倒すには十分過ぎて、悪竜王を滅ぼすには不足が過ぎる一撃が。黒き魔弾が空を飛翔し、少年に向かって着弾すればそれで終わり。誰も彼もが蹂躙される、救いのない結末が今此処に――――否。
「はぁっ、はぁぁぁぁぁっっ!!」
儚き光では届かない。ならばそう、此処に乱入者が現れる。人一人を殺すには十分過ぎる力の塊を、闘気を纏った足で蹴り飛ばして男は現れた。
「君、は」
【なっ、何故――っ!】
知っている。この場の誰もが、彼と確かに面識がある。乱入者ではあるが、部外者ではない男。顔に大きな火傷痕を刻んだ、若き狼の亜人。唯でさえ強面な顔立ちを、凶悪な笑みに歪めた男の名を少女は呼んだ。
「狂狼っ、リアム! どうして、此処にっ!?」
「あ゛あ゛っ、そりゃこっちの台詞だ。あの時の雌猫に、其処の黒髪はあのガキかよ。随分と見た目が変わってんなぁ、どういうこった」
狂狼のリアム。中央大陸を追われる、枢機卿殺しの犯罪者。在りし日に聖教によって家族を焼かれ、復讐を誓い成し遂げた男。そんな彼が見上げた先には、己を育てた老人の成れの果て。つくづく世の中糞だなと、リアムは鼻で嗤って告げる。
「は、まぁいいや。てめぇらなんざ、どうでも良い」
【お、おお、おおお】
「よう、久し振りだなぁ。糞親父」
動揺し、言葉も満足に出せずに居る老賢者。その前に立つ狂狼は、響希の首根っこを片手で掴むとミュシャに向かって放り投げた。
慌てて少年を抱き留める少女と、思考が追い付かずに目を回している少年。そんな彼らを背に庇うように立ち、リアムは嗤って言うのである。
「随分と前におっ死んだと聞いてたが、迷い出たらしいって話も聞いてよ。身内の不始末だ、尻拭い程度はしてやるのが親孝行ってもんだろう?」
片手を開き、握って告げる。その命を奪いに来たと、男の理由は親孝行で親殺し。成れ果てたという姿が余りに無様に過ぎたから、此処に刈り取りに来たのだ。
「棺桶に叩き込んでやるから、今度は黙って死んどけよ! 何度も迷い出て来んのは、流石に鬱陶しいからよぉぉぉぉぉっっっ!!」
【旧版との変更点④】
旧版同様、聖剣があっても本人が弱いのでヒビキは賢者に勝てません。
敗北後、悪竜暴走からの賢者殺害ルートが旧版。ですが今回はリアムが近くに居たので、展開が変わりました。




