後編
「シャルロットさん、ご実家からお手紙が届いていましたよ」
その日は突然来た。見慣れない封筒。差出人には父親の名前。
『婚約が決まった。次の週末帰ってきなさい』
短く、要件だけを伝える手紙。誰に決まっただとか、どう言う人に決まっただとかそういうのは一切ない。この感じで私の存在を覚えていたことだけでもよしとするべきなのかしら。
予想はしていたけれど、本当に私の意思は一切映されないらしい。私が不在の間に勝手に決められてしまった婚約。
はあ、とため息が出る。
一体どんな人と婚約することになるんだろう。父も母も私にとっていい人かどうかを気にするわけがない。かといってわざとあからさまに不幸になるようなところへ嫁がせることもしないはずだ。私に関心がないことを、他人に悟られることは避けていたから。
となると家門にとって利益になるかどうかで選んだはずだ。
こっそり作っていた、嫁ぎ先予想リストの上位を思い出す。
……大丈夫、覚悟していたことだから。
サイラス様や職場の人と離れることになるかもしれない、というのが寂しい。
どうしよう、すぐに嫁げとか言われてお別れさえもいえなかったら。……さすがになさそうだけれど、もしそうなったら全力で抵抗しよう。
せめて、思いを寄せることはできなくとも、綺麗にお別れだけはしたい。今までありがとうございましたって言いたい。
次の週末、と書いてあるけれど週末は明後日だ。明日には家を出ないと家族の住む領地まで間に合わない。
もう一度深いため息をついて、急ぎ有給の申請書を書いた。
本来は一週間前には出すべき申請だけれど、マルグリットさんなら事情を察して通してくれるだろう。
領地から戻ってくる時は何かお詫びの品を買ってこなくてはね。
申請書を書いたら、今度は荷造り。
実家に私の服はあるだろうか。
もともとほとんど最低限しか私のものはなかった。婚約相手と会うのだからそれなりの服装をした方がいいと思うのだけど、家にそんなものはない気がする。
妹は私よりも背が小さいから妹の服を借りるわけにもいかないし。となるとこちらにあるものを持参するしかない。
なんだか、帰る前から全てが面倒になってきた……。
覚悟を決めていたとはいえ、腰が重いものは重い。
仕方なくクローゼットからそれなりに見える服と靴を引っ張り出し、しわにならないよう鞄に詰めた。家族への王都土産は……いいや。向こうが私に礼儀を払わないように、私も家族へ礼儀は払わない。お世話になって来た使用人たちようにこっそりちょっとしたものを買っていこう。
荷物の準備や旅程などを考えているうちに、時間は過ぎていって寝るのはすっかり夜更けになってしまった。
***
「ただいま戻りました」
久しぶりの実家は以前と何も変わらなかった。
強いていえば少し殺風景になった気がする。少し家具が減ったような、使用人もなんとなく少なくなったような気がする。私が出ていって世話をする相手が減ったから使用人が減っていても不思議じゃないけれど。
私が帰ったところで出迎えなどは当然なく、しばらく玄関で待っていると通りかかったメイドが慌てて父を呼びにいった。
「遅かったな。すでに相手が来ている、すぐに用意しなさい」
「すみません」
見慣れない馬車が止まっていたのでもしかしたらと思ったら。相手が来ることになっていたなら前もって時間を指定しておいて欲しい。
一応すみません、と言いはしたけれど私は悪くないと思う。
バレないように小さくため息をついて、ひとまず以前自分が使っていた部屋へ向かった。
「……まあ、そうだよね」
部屋を開けると、以前の自分の部屋のまま……ということはなく、随分家具が整理されていた。
ベッドしかない。試しにクローゼットも開けて見たけれど、服が一枚もなかった。今日私が持参していなかったらどうするつもりだったんだろう。考えなしすぎる。
前々からここまで考えなしだったかしら?
構われてない自覚はあったけれど、ここまでだったかしら。私宛の釣書のこともそうだし、私以外の他人に迷惑をかけるレベルだと思うのだけど。
外聞を気にする割には杜撰だ。
幸い最低限の掃除はされているようだったので、荷物を広げて持って来た服に着替える。
「あら、お姉さま!おかえりでしたのね!」
「……アステル……なの?」
「そうよ、そうに決まってるじゃない。お姉さまったら相変わらず冷たいんだから!」
ふふ!と笑う、三年ぶりの妹。アステルは扉の前に立っていた。アステルの後ろでメイドが慌てて「お部屋へお戻りくださいませ……!」と言っている。
私に会わないように言われているのかもしれない。
妹は変わらず可愛らしい姿でそこに立っていた。ちょっとドレスが派手すぎるような気もするし、ちょっと宝石をつけすぎているような気もする。装飾がすごすぎて一瞬本当にアステルか迷ったくらいだ。
愛される妹と放置されている姉。
そんな姉妹が仲良しなはずもなく、妹は基本的に私のことを見下している。頭がちょっと良くて、自分より先に生まれただけの人と思っている、と昔言われたことがある。
『お姉さま、いつもお一人でかわいそう。でも仕方がないです、おとうさまとおかあさまは、私のことが好きなので』
『お姉さまはお勉強がお好きなので、お洋服はそんなにいらないですよね。私はお姉さまより頭が悪い分、可愛くしなければいけないの。だからお洋服をくださいね』
『まあ、お姉さま出て行かれるのですか?……ふふ、そうですよね、お姉さまはお勉強しかないですから、安心してください。素敵な男性と結婚して伯爵家を引っ張っていきますから。お姉さまはそれまで縁談を受けられないけど、きっとお仕事がお好きでしょうからいいですよね』
……とまあこんな感じなのだ。いつからこうだったかは覚えてないけれど。両親が私をぞんざいに扱うのだから、それを見て来た妹がこうなってしまうのは仕方がない。妹についてもとうに諦め切っている。だから今更何かしらの嫌味を言われたところで、あまり響かない。
家にずっといて、結婚するしか家を出る方法がなかったならこの環境はきつかったかもしれない。頑張って勉強して文官になっておいてよかった。
あの時の自分の選択は間違っていなかったな、と妹を見て思った。
「うふふ、お姉さま婚約おめでとうございます。お姉さまのお相手は子爵家なのですってね!ふふ、爵位が下がっちゃいますね!聞いてくださいな、私のお相手は侯爵家の方なんですよ!お父様もご縁ができて大喜びです。お姉さまとは大違いです。だって聞いたこともない家名でしたもの。領地もないんですって。きっとお金もないわ」
「そう。ありがとう、私は気にしないわ。アステルも婚約おめでとう」
「ふふ、結婚式は同じ日にしちゃいましょうか。お父様とお母様がどちらの結婚式にいらっしゃるか賭けてみましょうよ」
「好きにしなさいな」
両親は私に愛情をかけないだけで、こうやって意地悪を言うことはないけれど、アステルは違う。
どうしてここまで意地悪な子のなっちゃったのかしら。反抗しなかった私も悪いかもしれない。アステルはこういうことを悪いことだって知らないのかも。
にしたって、外でも同じように意地悪をしていないか少し心配になるレベルである。
色々と言われてはくすくすを笑われていたら、なかなか応接室へ来ない私を執事のマルロが迎えに来た。
「アステル様、シャルロット様は予定がありますので」
執事に言われてしぶしぶアステルは部屋へ戻っていった。
「アステル様をお止めできず申し訳ありません。行きましょう」
「ありがとうマルロ。……実は使用人たちにだけこっそりお土産があるの。あとであなたに託すか部屋に置いておくかするから、うまくみんなに渡しておいてくれない?」
「かしこまりました。シャルロット様、お元気でしたか?」
「ええ、今までで一番元気に生きてたわ」
そう言うとマルロは驚いたのちに「それはようございました」と微笑んでくれた。
「こちらです。旦那様と奥様、それから婚約者様がお待ちです」
「わかったわ。ありがとう」
お礼を言うとマルロは戻ってく。
ふう、と小さく息を吐く。家に帰ることになって何度目のため息だろう。数年分はため息をついている気がする。
アステルに言わたことを思い出す。
たいして有名じゃない、領地もなくお金もない子爵家って誰だろう。自分が作成していた、碌でもない嫁ぎ先一覧の中にそんな子爵家はなかった。
ということは想定よりマシな嫁ぎ先になりそうだ。あとは私が覚悟を決めるだけ。うん、大丈夫だわ。きっとどうにかなる。今までだって、ずっとそうして来た。
グッと拳を握り締め、扉をノックした。
***
「あ、え……?」
扉の向こうにいたのは予想外の人物だった。
「お久しぶりです、シャル」
「サイラス様……?」
無表情の両親の前に座っているのは、あのサイラス様だった。
え、なんで、どうして、おととい会った時だって、そんなこと一言も言っていなかったのに??そんな気配微塵もなかったのに???
「ふふ、シャル、とりあえず隣にどうぞ」
「あ、はい」
よくわからないまま、サイラス様に言われるがまま、隣に座って両親と向き合う。
隣にはサイラス様。顔合わせとして座る位置はこれであっているのかしら。
「では伯爵、約束は果たします。機会を生かすかはあなたがた次第ですが」
「こちらとしては約束を果たしてくれれば十分だ。シャルロットは君にくれてやろう。……シャルロット、そういうことだ。シシリア子爵家へ嫁げ。間違っても出戻ってくるな。いいな」
「あ、はい」
状況が飲み込めておらず一人気の抜けた返事をしてしまう。
両親は用は済んだと言わんばかりに立ち上がり、私を見下すと静かに部屋を出ていった。今の会話は一体なんだったんだろう。わけがわからない。
私とサイラス様が部屋に残される。
「驚きましたか、シャル」
「そうですね、……まさかサイラス様だとは思っていませんでした。そういう雰囲気もなかったじゃありませんか」
「ごめんごめん、驚かせようと思って内緒にしました」
「であれば大成功です」
言ってくれたらこんなに暗い気持ちで帰ってくることはなかったのに。
「ああ、すみません。拗ねないでください」
「拗ねていません」
「ふふ、本当ですか?」
「はい」
いつもの柔らかい眼差しで私を見てくれる。私はたぶんこの目が好きなんだと思う。私の話すこと、することが、すべて嬉しいみたいな、そんな眼差し。
そうやって見つめられると、照れ臭さとは違った不思議なむず痒さに包まれるのだ。でもそれが心地良くもあり温かくもある。
「サイラス様はどうして婚約を打診してくださったんですか?」
本当はわかってる。
でも本人の口から聞きたい。
「シャルが言ったんですよ、自分を愛してくれる人ならば誰でも良いと」
「それは、言いましたが」
少し前の、団長室での会話のことだ。
確かにあの時「愛してくれる人がいい」と言った。でもそんな言葉がきっかけで、まさかサイラス様と婚約することになるとは思っていなかった。
「私が、シャルを愛しているから打診しました。シャルの同意なく婚約を結んでしまった上で聞くのは卑怯だとわかっています。……ですが、あなたの口からも聞きたい。どうかこの婚約を受けてくれますか?」
「……喜んで」
***
そこからはとにかく早かった。
婚約から半年で結婚式を挙げた。婚約よりも前から準備を進めていなければ説明がつかないくらいしっかり豪華な結婚式だった。
妹は私と同じ日に結婚しようかしらなどと言っていたけれど、あまりの早さに間に合わなかったのか、家族三人参列者として来ていた。
バージンロードはなぜかアーサー様と歩いた。なぜ、とは思ったけれど私もあの父親とアーサー様だったらアーサー様がいいなと思ったので特に何も言わなかった。
あまりの豪華さに驚く家族と、悔しそうな妹の姿が目に焼きついた。サイラス様がうまく手を回してくれたのか、家族は控え室に入ってくることはなかった。
「シャルの妹はまだ結婚していないよ、というか婚約者すらいない」
聞かされたのは結婚式から一週間後だった。初夜から一週間、ほぼ寝室の住人だった私たちが少し落ち着いて。やっと部屋を出られたところで教えてくれた。
「シャルの妹は評判がすごく悪いんだよ。主に学園での振る舞いが原因でね」
「そうなの?」
「入学時点で決まった婚約者がいなかったから学園で婚約者探しをしたんだろうけど、あろうことかすでに婚約者のいる令息にばかり声をかけたみたいでね、高位貴族の怒りをかってしまったのさ」
「あぁ……」
なんとなく妹の性格を考えると状況が想像できてしまう。
「そこで謝って反省して選り好みしなければ今頃誰かに決まってたんだろうけどね。最終的に公爵令嬢とトラブルを起こして、いろんな家門から避けられてるんだよ」
そんな状況にまで発展しているとは知らなかった。
「実はね、今回の婚約の前に一度婚約を打診して断られてるんだよ」
「え、」
「ほら、団長が言ってたでしょう。婚約を打診して家に行ったら妹が出て来たって話。あれ実は私のことなんだ。妹が出て来て、『シャルロットには結婚の意思がないので妹を紹介したい』って言われてね。でもなんとなく様子がおかしかったから、あのとき団長に聞いてもらったってわけ」
「ごめんなさい、そうとは知らなくて」
知らない間にサイラス様との結婚を断ってたなんて。もしもそのまますれ違ってしまっていたのかもと思うと笑えない。
「君の妹は学園から卒業して数ヶ月の間にいろんなパーティに参加してたようだけど、彼女が望む婚約者が見つからなさそうだったから、侯爵家の四男を紹介する代わりにシャルと婚約させてもらえるようにちょっと交渉したんだ。
最初は紹介だけじゃなく婚約を約束してくれないとダメだって言ってたけど、妹の評判とか他の候補者がいないこととかを説明したらなんとか折れてくれたよ」
「でも、アステルに婚約者はいないって……」
「紹介したけどうまくいかなかったみたいだね」
だから結婚式の時に悔しそうにしていたんだな。
妹の歪んだ表情を思い出す。
「サイラス様は、いつから、その、私のことを好きだったのですか?」
「シャル、違うでしょう」
「……サイ」
「そう」
寝室で決めた愛称を呼べば、サイは満足そうに微笑む。
「そうだね、自覚したのはシャルが王城で働き出して一年くらい経った頃かな。その頃くらいから騎士団に書類を届けるようになったでしょう」
「ああ、そうですね」
一年たって、少し仕事に慣れだしてからマルグリットさんから書類を任されることが多くなった。
「シャルは知らないだろうけど、騎士団に来る人は大体2つのタイプに分かれるんだよ」
「……?」
「騎士に色目を使うか、騎士を軽視しているかのどちらかだ」
「そ、そんな」
仮にも仕事中にそんな態度を出す人がいるんだろうか。怪訝な顔をするとサイはふは、と笑う。
「本当だよ。そんな中でみんなに公平に接して仕事をこなすシャルって、実はすごく人気だったんだよ。団長からマルグリット様にお願いしてシャルを騎士団の担当にしてもらってたくらいなんだから」
「うそ」
「本当。実際、私以外にもシャルの家に婚約の打診をしている人は何人かいたんだよ。みんな妹とお見合いすることになったけれどね」
騎士団からの評判といい、騎士団担当になった経緯といい、知らなかった事実を告げられなんとなく恥ずかしくなる。
「あの日、団長にお願いしてあの場で事情を聞き出してもらってよかった。おかげでシャルを独占できた」
「独占って大袈裟な」
「大袈裟じゃないよ。いつかシャルが私じゃない誰かの婚約を受けたらどうしようってひやひやしてたんだから」
「えぇ……」
困惑する私をサイは思い切り抱きしめる。
「シャル、愛してる。幸せにする。だからいっぱい仲良くしましょうね。約束」
何が何だかいまだによくわからないけれど、幸せにしてもらえるのなら、愛してもらえるのならいいかと思ってしまった。
「できる限り一緒にご飯を食べて、子どもたちを平等に可愛がって、たまに出かけたり、夜会で偽りなく仲良くしたり、そんな家族になりたいんです。……付き合ってくれますか?」
「喜んで」
私たちはその後5人の子どもに恵まれて、幸せな家庭を築いた。子どもたちには得意なことや不得意なこと、色々あったけれど私たちはみんな平等に愛情を注いで可愛がった。
子どもたちがみんな成人する頃、私の生家は没落して取り潰しになったと聞いた。妹や両親がどうなったのか少し気になったけど、あえて調べるようなことはしなかった。
難しいとは思うけれど、どこかで幸せに暮らしててくれればいいなと思う。
「シャル、マークたちが孫を連れて遊びに来たみたいだよ。行こう」
「ええ。……サイ、愛してるわ」
私がそう伝えると、あの頃と同じ目で私を見てくれる。
「僕も愛してるよ」
短編のつもりが、思ったよりも長くなってしまったので二話に分けました。
本当は隠れ設定も色々用意してたんですが、さらに長くなるなあと思って省略。。。
現在長編も書いているので、よかったらそちらも呼んでいただけると嬉しいです!
https://ncode.syosetu.com/n0365lg/
10.28 見返すと結構誤字っていてすみませんの気持ち。




