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普通の結婚、普通の家庭  作者: 立花 みどり


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1/2

前編


 あなたの人生は幸せなものでしたか?

 ……と、誰かに問われれば、別に幸せではなかったと答えると思う。


 私はテバ伯爵家の長女として生まれた。

 両親の夫婦仲はいい方だ。家は貧しくもなく、特別裕福でもない。目立つところのない普通の伯爵家だと思う。

 他家と少し違うところを言うならば、自分よりも3つ下の妹を可愛がる傾向が強いということくらい。


 姉から見ても妹はとても可愛い見た目をしている。くりっとしたタレ目に色白の肌、ぷっくりとした唇、平均よりも少し低めの身長。ふわふわのブロンドに、細身の体、守ってあげたくなるような見た目だ。小さい頃から甘やかされて来たので、適度に甘えることにも慣れていて、人懐っこい子。


 対して私は特段可愛らしくもない。普通の域を出ない見た目。小さくも大きくもない目に、薄い唇。赤みのかかったブロンドに少し高めの身長。ずっと真面目一辺倒な生活をしていたから誰かに甘えることに慣れていないし、どちらかと言えば常にアテにされる側だ。


 そんな二人が家にいれば妹に愛情が偏るのは必然なのかもしれない。


 妹の誕生日は盛大に祝うのに、私の誕生日は忘れていたり。妹にはたくさんの服や宝石が与えられるのに、私の分は必要最低限だったり。家族で旅行へ行くのに私を留守番にしたり。妹の宿題を代行させられたり。妹の婚約者が決まるまでは私の婚約者が決まらなかったり。


 終いには、妹が後継者になったり。


 妹が後継者になると決まったのは私が学園で2年次の頃だった。その頃には私は家族に対して全てを諦め切っていて、後継者を妹にすると言われても「ああ、やっぱり」という感想以外なかった。


 でも、けれど、このまま一生あの家で暮らすのは避けたかったから当主の業務は必ず妹とその夫で行うことだけを意地でも約束させ、私は卒業と同時に家を出た。王宮の文官試験に受かったからだ。


 文官になることを特に伝えていなかったので、家を出る時に驚かれはしたけど、薄情だのなんだの言われただけで特段惜しまれなかった。妹の宿題は今後は執事の息子のカナンに頼るように伝えておいた。


 妹の婚約者は未だ決まっていない。


 妹の婚約者が決まらない限り自分に結婚は回ってこない。次に家族と会うのは私か妹の婚約者が決まった時くらいだろう。それまでは会わないし連絡を取らないと決めて家を出た。


 あからさまに無視されたり、食事を抜かれたり、ドレスが全く用意されなかったりだとか、そういう虐待があるわけじゃない。ただ妹が優先されるだけ。だからきっと不幸じゃない。でも幸せじゃない。


 家を出て3年が経つけれど家族から手紙が来たことはない。それに落胆する自分と、ほっとする自分がいた。



***


「シャル〜、この書類を騎士団まで届けて来てくれない?」

「来週の晩餐会の配置変更の件ですか」

「そうなのよ。参加者に一部変更があってね、それに伴って騎士の配置を変更しなくちゃいけなくて」

「では急ぎですね、この後すぐに持って行きます」

「助かるわ。できれば団長に直接渡してちょうだい。アーサーが不在なら副団長に預けてきて」

「わかりました」


 家を出て文官として勤めて3年、それなりに楽しくやっている。

 上司のマルグリットさんは元々侯爵家の次女だけど、気さくな方で自分より爵位の低い人にも平等に接してくれる。私のことを「シャル」と呼んでくれる素敵な人だ。


 託された書類を持って王城の警備を担当している第一騎士団へと向かう。

 王宮の警備を担当している第一騎士団は私の勤める部署から一番遠くにある。

 

 ちょうど昼前の時間だから書類を届けたらそのままランチにしよう。気の利くマルグリットさんのことだから、そのつもりで頼んでいるはず。

 騎士団へ通じる長い渡り廊下を歩く。この渡り廊下はいつも風が強い。

 今日は少し気温が低いせいか、寒くすら感じた。夏の間は食材が傷んでしまうから食堂で食べていたけど、これじゃあもう秋だわ。そろそろお弁当を再開しようかしら、なんて思った。


 騎士団の建物の中に入ると、馴染みの騎士たちが何人か挨拶をしてくれる。そのうちの一人が「今日は団長いますよ」と教えてくれた。


「失礼します、来週の晩餐会の警備に関する書類をお届けに来ました」


 ノックして告げれば、「どうぞ」と低めの声。どうやら本当に団長殿は在室らしい。


「いつもありがとう。そしていつも不在ですまない。この書類は押印が必要か?」

「あ、はい。内容を確認の上で最後の2枚にお願いします」

「すぐ済ませるからそこにかけて待っててくれ。サイラス、シャルロット嬢にお茶でも出してくれ」

「ああ、いえ、お構いなく」

「そう言わずに。いつも書類を待たせる詫びだと思って菓子でも食べながらのんびりしてくれると助かる」


 オロオロと恐縮している間に、副団長のサイラス様は飲み物を用意しに行ってしまった。さすが騎士、判断と行動が早い。

 諦めてソファに座る。思えばこのソファに座るのは初めてな気がする。さすが団長室のソファ、すごくふかふかだ。


 団長であるアーサー様はとても忙しい人だ。

 騎士の配置から遠征の予定、入退団の手続きや訓練、備品の管理といった様々なものの決裁が団長の元へ集まる。

 会議も多いし、訓練も直接見に行かれるから団長室に不在なことが多い。直接手渡せないと決裁が後回しになることも多く、まあつまるところ私はよくこの団長室へ決裁の催促へ来ていた。


 団長という立場の忙しさをそれなりに理解しているので、別に書類が後回しになることについて文句を言ったことはない。催促も含めて私たちの仕事でもある。


 けれど真面目なアーサー様は申し訳なさを感じているらしい。


 その証拠に戻って来たサイラス様によって、有名な菓子店のお菓子がたくさん並べられ、上品な香りのコーヒーが用意された。


「……ありがとうございます」

「いえ。こちらこそいつもありがとうございます。ついでに僕も一緒に休憩させてください」


 どうぞどうぞ、とジェスチャーするとサイラス様はふふ、となつこい笑みを浮かべて正面に座った。


 アーサー様が不在の時、いつも対応してくれるサイラス様。

 体格も良く厳つめの印象のアーサー様に対して、サイラス様はどちらかといえば細身で雰囲気も柔和な方だ。出会うといつも大きすぎない声で挨拶をしてポケットから飴やチョコなどのちょっとしたお菓子をくれる。ちゃめっ気のある人だ。


 とはいえ、こうして同じ空間に長くいるのは初めてかもしれない。

 何か話題を、と迷っているとアーサー様から声がかかる。


「時にシャルロット嬢、こんな機会も珍しいので、一つ、もしかしたら大変失礼になるかもしれないことを聞いてもいいだろうか」

「あ、はい。大丈夫です」


 とても聞きづらそうで歯切れが悪い。

 そういう枕詞を使う人が言うことは、大抵そこまで失礼ではないと思い承諾する。

 一体何を聞かれるんだろう。


「シャルロット嬢は、結婚は考えていないのか……?」

「……」


 アーサー様らしからぬ、デリケートな質問に思わず目が点になる。


 ……結婚??


 どう答えるべきだろうかと悩んでいるとアーサー様が慌て出す。


「いや、あの、その、これには事情があってだな。実はうちの団員の何人かが、その、君宛に釣書を送ったらしいんだ。で、君のお父上から色良い返事をもらったので伯爵家に行くと君の妹が待っていた、と言うことが何件かあったらしくてな……。君がもし結婚願望がなくそのような対応になっているなら、団員たちにむやみに釣書を送るなと言っておこうと思ってだな……、すまない、失礼なことを言っている自覚はあるんだが……」


 あたふたとしながらアーサー様の声は小さくなってく。

 

 自分宛に釣書が来ているなんてまるで知らなかった。

 両親からそんな知らせは一切来ていない。私宛に来たものに対して妹をあてがうなんて、そんな、私だけでなく他家にまで失礼なことをするようになってしまったのかと愕然とする。


 「あぁ……」と呻いて頭を抱える。


 サイラス様から「大丈夫ですか?」と声をかけられる。我が家のつまらない事情でいらぬ面倒をかけてしまって申し訳ない。


 はあ、とため息をついてコーヒーを飲んだ。

 ここは正直に事情をお伝えした上で、釣書を送るのを止めてもらうのが良さそうだ。


「アーサー様と団員の皆さまには申し訳ありません。質問にお答えすると、結婚したくないわけではありません。……私宛に釣書が届いていることを今知りました」


 すみません、と重ねて謝れば二人とも驚いた顔をしている。

 まあ、確かに夜会などの他の貴族の目がある場所では仲のいい家族に見えるようにしていた人たちだから、我が家の事情を知らなくて当然だ。どういうことかわからないだろう。


「我が家では私より妹が優先なんです。なので父は妹の婚約がまとまらない限り、私の婚約を進める気がないのです。まあ、妹が後継者ですからね。妹も学園を卒業する年なので、両親も焦って私宛の釣書ですが、まずは妹とひき会わせたのでしょう」

「妹君はなかなか婚約話がまとまらないと聞いている。もしかしたらあと数年はかかるかもしれないが、それでもシャルロット嬢の婚約は後回しなのか?」

「何年先になろうと、妹が先だと思いますよ。まあ私は働いていますので貴族と婚約を諦めるか、あるいは年増でも構わないとおっしゃる方に嫁がせるんじゃないでしょうか」

「君は、それでいいのか?」

「いいも悪いも、こればかりは仕方ないかなと諦めております」


 あまり深刻になりすぎないように、肩をすくめてやれやれというポーズをとって見せる。

 けど二人の表情は硬い。


「大丈夫ですよ。どんなところに嫁ぐことになっても、それなりに楽しめるよう心の準備はしておりますから」


 茶化して言ってみたけどだめだった。

 二人の表情は硬いまま気まずい空気が流れる。


 ちなみにこれは本当のことである。どうせろくなところに嫁がせないだろうと踏んで、あまり評判の良くない家門リストを密かに作っている。蛮族と言われ四十手前で未だ独身の辺境伯か、三回の離婚歴のあるお金だけはあるけど見た目が一般的には美しくない男爵家か、四人の妻を看取って来た呪われし伯爵家か、その辺りが有力候補である。

 ちなみにとりあえず嫁いでみて、あまりにも酷い扱いを受けようものならどこかに逃げてしまおうというのもこっそり心の中で決めている。誰にも言ったことないけど。


 チラリとお二人を見れば、アーサー様はもはや完全に書類を捌く手が止まっているし、サイラス様は俯いて何かをぶつぶつ言っている。……微妙な空気にしてしまった自覚があるので何も言えない。


 居た堪れなくなって、誤魔化すようにコーヒーに口をつけた。

 二人とも何かを考え込んでいる。ああ、こうなるならもっと適当に返事をしておくべきだっただろうかなどと考えながらさらにコーヒーを飲む。


 ……コーヒーもなくなりそうな時、沈黙を破ったのはサイラス様だ。


「もしも、」

「あ、はい」


 ものすごく真剣な表情で話し始めるので、背筋を伸ばす。


「もしも自由に結婚できるなら、どういう人と結婚したいですか?」

「え、ええ……?」


 予想外の質問に困惑する。困惑のあまりアーサー様を見れば、彼もまたゆっくりと頷いた。なんで頷くの。

 ともあれ答えるしかなさそうな空気なので、仕方なく真面目に考える。家族に対して諦めてしまってから随分と経つので、そういう自分の要望のようなものを考えるのは久しぶりだった。


 どう言う人と結婚したいか。考えたことはなかった。


 一応貴族の娘なのだから、結婚するとすれば相手は貴族になるだろうな。

 両親みたいに子供のうち誰かだけを可愛がるような人は嫌だ。大きな借金がある人もできれば避けたい。大変そうだから。でも財産は多くなくていい。領地があってもなくてもいい。爵位も別になんだっていい。見た目も正直こだわらない。

 できれば仲良くできるといいなと思う。いい家族じゃなかったから。他の家族みたいに、できる限り毎日みんなでご飯を食べて、たまに一緒に出かけたり、誕生日は祝いあって、夜会では偽りのない仲の良さでいられるといいと思う。そう言う家族を目指せる人と一緒がいい。


 そう言う人ってどんな人だろう?


「……私を普通に愛してくれる人、ですかね」


 歪んだ愛情でもなく、本当に普通に愛してくれる人がいい。特別な運命や物語は必要ないから。


「それだけ?」

「今のところ思いつく限りでは」

「爵位は?君は伯爵家だろう?同じ家格がいいとかないのか?」

「嫁ぎ先で虐げられるようなことがなければどこでも大丈夫です」

「見た目の好みは?顔がいいとか、体格がいいとか」

「特にありません。正直男性の顔の美醜があまりよく分からず」

「魔法が使えるかどうかは?」

「周りに魔術師がいなかったので、あまり想像できないですね。魔術師が人気なのは理解していますが……」

「じゃあ本当に愛してくれればいいんだ」

「できれば歪んでない形であれば嬉しいです」


 昔、友人から恋愛小説を借りて呼んだことがある。歪んだ愛情物語だった。愛するあまり女性が異性と会話するのも許せなくて、監禁して、愛して、半ば強引に夫婦になって、女性は精神を病んでしまうけれど最終的には男を許す、みたいな。

 できれば監禁はされたくない。散歩とかしたい。なので歪んだ愛情は遠慮願いたい。


 アーサー様とサイラス様が交互に次々と質問するものだから、勢いに負けて真面目に答えてしまった。答えたところであまりのこだわりのなさにやや二人とも驚いているようではあるけれど。


 私の話なんぞ聞いてどうするのだろう。どうせ妹の婚約がすまないことにはどうにもならないというのに。話を聞いた印象だと、もしかしたら妹の婚約が決まるまで、結構時間がかかるかもしれない。


「教えてくれてありがとう」


 サイラス様はそんな私に本当にありがたそうにお礼を言ったものだから、不思議な人だなあと思った。


***


 団長室での奇妙な問答の後も、私の日常に変わりはなかった。


 朝起きて、軽く朝ごはんを食べる。身支度を整えて宿舎から職場まで短い道のりを歩く。午前中は各部署から回って来た書類を確認して仕分ける。マルグリットさんから急ぎと言われたものがあれば、急ぎ処理して次の部署へ持っていく。


 今は夏の季節が終わったので、昼食はお弁当を持参して王城の穴場スポットで食べている。午後は午前中に仕分けた書類を処理する。問題のある書類は差し戻しボックスに入れ、そうでないものはマルグリットさんの元へ承認を依頼しに行く。夕方になるとそれぞれの書類を部署のみんなで分担して各部署へ再び持っていく。


 私の担当は騎士団だ。騎士団へ書類を持っていく仕事は実を言えば女性に人気である。部署の女性陣が火花を散らし、男性陣が仲裁に入り、色々と揉めに揉めた結果私になった。女性陣から睨まれるかと思ったけれど、「シャルなら大丈夫か」と言われるだけで終わった。

 失礼な意味ではないと願いたい。

 マルグリットさん曰く、以前からよく騎士団へのお使いを頼んでいたので顔見知りの多い私が担当するのが妥当でしょう、とのことだった。


 なんの縁かあれ以来騎士団の庁舎内でサイラス様と出会うことが多くなった。本人曰く、冬に向かって日が短くなって来たので行動スケジュールが少し変わったらしい。


 団長室へ向かう途中に出会うといつも書類を半分持ってくれる。書類を届けるとそのまま退勤なのでサイラス様は宿舎まで送り届けてくれる。


「ほら、最近はこの時間帯になるともう暗いから、女性を一人で返すのは騎士としてどうかなって思いましてね」


 そう言われてしまうと断りづらくて、宿舎まで大人しく送ってもらっている。


 サイラス様はどうやら子爵家の嫡男らしい。真面目に社交をしてこなかったせいで、全然知らなかった。落ち着いて見えたから五つくらい年上なのかと思えば二つ上だった。何度も顔は合わせていたのに何も知らない自分が恥ずかしい。


「子爵家といってもかなり影が薄いので、知らなくても当然ですよ」

「もしかして今まで夜会などで話したことがありましたか?だとしたら申し訳ない……」

「いえ、お見かけすることはありましたけど、話したのは勤務中が初めてですよ。爵位も僕の方が下ですからもっと気軽に話してください」


 それは難しいお願いである。

 こちらはただの文官。サイラス様は若くして騎士団の副団長まで上り詰めた人だ。それを爵位だけで気さくに接するのは失礼な気がする。


「シャルロット嬢は休日は何をしているのですか?」

「その前に。えと、一つ、おこがましいお願いがあるのですが」

「なんでしょう」 

「できればシャルと呼んでいただけませんか」

「……っ」


 サイラス様が息を呑むのを感じる。


 そうですよね。多少会話するようになったとはいえ、他部署の異性に愛称で呼んでくれと言われればびっくりしますよね。


「すみません、他意はないんです。……ただ、少し、名前で呼ばれることが苦手で。無理にとはいいませんので」

「……シャル、と呼んでもいいのですか」

「はい。私からお願いしましたので。部署の皆さんにもそのように呼んでもらっていますから」


 シャルロットと呼ばれるのが苦手なのは家族のせいだ。

 シャルロット、とわざわざ名前を呼ばれる時、後ろに続くのは私にとって嬉しくないお願いごとがある時だったから。

 名前を呼ばれることに対して嫌な思い出がありすぎる。


「……シャル」

「はい」


 返事をすれば、珍しく照れくさそうな顔をしていた。初めて見る表情が珍しくて、思わずじっとみてしまう。


「シャル、照れます」

「すみません、見すぎましたね。えーと、休日何をしてるかでしたよね」

「……」


 話題を戻せば今度はやや拗ねたような顔をしている。これも初めて見る顔。意外と表情豊かな人なんだな。


「休日は、あまりこれと決まったことはしてないんですが。そうですねえ。散歩をしたり、平日は作らないようなちょっと手間のかかる料理を作ったりしていますね」

「……料理をされるんですか?」


 ぱちぱちと、色素の薄い目を瞬いている。

 貴族の長女が料理していたら驚くか。


「もともと興味があったんです。でも家にいると料理なんてなかなかできないじゃないですか。だから家を出たタイミングで始めたんです。そしたら見事にハマってしまって。あ、そういえばサイラス様は甘いものがお好きでしたよね?」

「よくご存知で」

「ふふ、いつも甘いものを持っていらっしゃるから。いつもこうして見送ってくださるお礼に、今度お菓子を作って来てもいいですか?実はすごく美味しいクッキーのレシピがあるんです。部署の皆さんにも大人気でしたから、味は保証します」


 ふふ、と胸を張って見せる。


 このクッキーのレシピは屋敷の料理人にこっそり教えてもらったものだった。


 一部の使用人たちは、両親から放置され気味の私に優しかった。私の話し相手になってくれたり、庭の手入れの仕方を教えてくれたり、市井で流行っているものを教えてくれたり。みんななりにいつも私を励ましてくれていた。

 その中の一つに、留守番の時にだけ特別に出してくれるとびきり美味しいクッキーがあった。


 本当に美味しくて、私はその味が大好きで、留守番中の楽しみにもなっていた。文官の試験を受けると決めた時に、料理人にお願いしてレシピを教えてもらったのだ。


 私にとって思い出のあるクッキー。


 今でもたまに作って食べる。自分のデスクで小さなご褒美として食べていたところを同僚に見つかり、一つあげたら美味しくて大騒ぎ。そこから部署のみんなに一つずつあげることになって、みんなもこのクッキーが大好きになった。


「それは嬉しいです。本当に。……一つだけお願いしてもいいですか?」

「……はい、なんでしょう?」

「僕に作る時は、僕のためだけに作ってください。他の誰かにあげないで」

「作った分全部お渡しすればいいですか?」

「そうですね、それが嬉しいです」


 サイラス様は満足そうににこりと笑う。食いしん坊な人なんだなあ。


「そういえばシャルはいつもお昼をどこで食べているんですか?最近食堂で見かけなくて。昼食をとれないくらい忙しいんでしょうか?」

「あ、違うんです。夏以外の時期はお弁当を持参しているから食堂には行かないんですよ」

「どこで食べているんですか?」

「旧備品庫ってわかります?」

「ああ、西門ちかくの」

「そうです!旧備品庫に二階には実は個室がいくつかありまして。そこで食べています。ちゃんと上司に使用許可をいただいていますよ」


 それを聞くと「ふむ」とサイラス様は考え出した。


 あれ、もしかして使っては不味かっただろうか。


 旧備品庫はもともと騎士団が管理している建物だった。けれど軍事費の拡大に伴い新しい備品庫が建てられ、騎士団の管轄を離れたはずだ。

 新しいものができれば古い備品庫なんて誰も要らないわけで、管理権限をみんなで押し付け合い、最終的にうちの部署に回って来たのだ。

 ゆくゆくは取り壊される予定だけれど、優先度が高くないので今ではもっぱら私のランチ場所としてしか利用されていない。日当たりも若干悪く、またアクセスも微妙なので本当に私しか使っていない。


「僕もご一緒しても?」

「……はい?」


 予想外のお願いだ。


「自分で言うのも恥ずかしいのですが、僕って人気者なんですよ。顔がちょっとだけいいでしょう?それに副団長という立場で、団長よりも接しやすい。だからお昼になるとたくさんの人に話しかけれれて全然ゆっくりできないんです。食堂なんて地獄なんですよ。次から次へといろんな人に話しかけられて。団長がいれば平和なんですが、あの人も忙しいので毎日魔除けにはなってくれなくて」


 ですから、ね? と問われる。


「ふふ、人気者で顔がよくて接しやすいって、ご自分で言っている人を初めて見ました。……ふ、」

「……笑わないでください。とても恥ずかしくなって来ました」

「んふ、食堂、大人気なんですね……ふふ」

「ああもう。……そうです、大人気です。おかげで早食いが得意になりましたよ」


 普段余裕そうなサイラス様が早食いするのもまた想像できずおかしくて、私はしばらく笑って彼を拗ねさせた。



***


「あ、サイラス様お疲れ様です」

「シャル、お疲れ様です」


 私たちは昼食をともにする仲になった。

 私は自前のお弁当、サイラス様は使用人の方が用意したお弁当を持参している。サイラス様のお家の料理人は南部出身らしく、たまに見たことのないおかずが入っていて新鮮だ。

 以前一つだけ味見させてもらった料理が美味しくて、思わず南部の方が書いた料理本を買ってしまったくらいだ。


 お弁当を食べて、お互い持ち寄ったちょっとしたお菓子を食べて、会話して仕事に戻る。


 お昼休みにサイラス様が加わっただけなのに、ただそれだけで私の日常は以前より楽しくなった気がする。日常で面白かった出来事だとか、小さな悩みだとか、美味しかったものだとか、会話自体は本当に他愛もないものばかりだけど、そういう気軽な話ができる人と出会うのは久しぶりで楽しい。


 サイラス様にとって興味がないであろう、料理や散歩道で出会った風景について私がどれだけ話しても、サイラス様はいつも優しそうな目をして話を聞いてくれた。


 そんな目を向けられるのは初めてだった。


 仲のいい友人たちでもそんなに優しそうな目で話を聞いてくれたりはしない。なんだか頭を撫でてもらえそうな、そんな空気さえある。

 いつのまにか私は気さくに話すようになった。


 ……でも、一定以上踏み込まないようにしなくちゃ。


 つい心を全て開いてしまいそうになると、自分に言い聞かせる。


 このまま一緒にいれば好きになりそうだ。

 でもそれはきっと良くないことだ。え私はいずれ両親の決めた相手と結婚する。そしてサイラス様も。子爵家の嫡男なのだから家の利益になるご令嬢と結婚するはずだ。


 そうでなくともサイラス様の人気は高い。こうして話すようになってから実感したけれど、サイラス様となんとかしてお近づきになりたい人間は多いのだ。

 子爵家とはいえ、異例の速さで副団長まで昇進した人。ただ強いだけではなく頭も良くて、王太子殿下との作戦会議にも参加して意見するくらいだ。王族からも信頼がある人。


 家族からの愛情に恵まれない、ただの文官が無邪気に恋していい相手じゃない。

 あくまで同僚として距離を縮めて、一定以上は踏み込みすぎないように注意しないと。

 

 「シャル……」


 たとえサイラス様の声に熱を孕んでいたとしても、見て見ぬふりをして。


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― 新着の感想 ―
なんか指摘されてる方いらっしゃいますが、旧くは「然う言う」と書きます。 然の字には「ありのままの様態を示す」意味があるのでそこに付ける「言う」を漢字で書いても誤用ではありません、安心してください。
「そう言う家族」・「そう言う人」という変換を見るたびに思っているんだけど、 この文章での「そういう」は丁寧に言うと「そのような」となるので「言う」という漢字は間違っているといつも思ってますがどうなのか…
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