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第95話 ありらくご

舞台の上には、一つの座布団。

その上にあぐらをかいて座るのは、口元に笑みを浮かべた噺家・八宝亭蟻丸はっぽうてい・ぎまる


「どもども、ようこそお越しくださいました。本日は“蟻の世界の落語”でございます」


客席はざわついていた。

最近では“蟻風刺”がご法度とされつつある中、彼だけはそれを続けていた。


「さてさて──人間も今、息苦しく大変ですが、蟻様もまた、これがまたなかなか大変なのです。じゃ今日はひとつ、“働かない蟻”のお噺を……」


演目は『蟻のニート』。

女王蟻に逆らって寝てばかりの一匹の蟻が、やがて“個性”として表彰されるという皮肉なお話だった。


観客は笑った。どっと湧いた。

「フェロモン逆流」「集合意識のすき間」といった小ネタも冴えていた。


「でね、そのニート蟻が言うんですわ。“働かなくたって巣は動くじゃないか。じゃあ、なんで働いてるんだ?”って。──すると女王様がこう返すんだよ。“お前がそう思えるのも、誰かが働いてるからだ”」


じわりと笑いが広がる。だがその空気に、少しの緊張が混ざっていた。


──数日後。


新聞の片隅に、小さな記事が載った。


「八宝亭蟻丸、“蟻差別的落語”で活動停止」

関係者によると、演目『蟻のニート』における台詞の一部が、

「非労働蟻への偏見を助長する」として“蟻擁護連盟”から通報された。



逮捕まではされなかったものの、落語協会から除名処分にされた。

以降、どの寄席からも彼の姿は消えた。


──その後、巷で一つの噂が出回る。

ある日、無許可のストリート寄席に突如現れた噺家がいた。

笠を深くかぶり、どこか見覚えのある口調で語り出す。


「えー、本日は新作、“蟻の裁き”でございます。

巣の入り口で裁判する蟻たち──判決はこうでした。

“お前の存在が、フェロモン的に不快だ”。……そりゃあ、生きづらいよ」


周囲を取り囲む警備ドローン。

男は最後に深く一礼すると、こう言った。


「それではみなさま方。お後が……蟻ますようで…」


その寄席で、ただ一人だけ笑わなかった男がいた。

目に涙を浮かべ、噺の最後に、そっと深く頭を下げた。


そして…その瞬間、通信電波が遮断された。

動画はすぐに削除され、その日以来、彼の居場所はもう誰にもわからなくなった。


それ以来、“演目”には制限が設けられ、蟻を使った演目は完全に禁止になった。

これからの噺家は決められた演目で規定の通りの笑いを、規定通りに噺する。


そして、笑うタイミングがきたら、テロップが出て、そのタイミングで笑うように指示されるのであった。


そして…数カ月後、ある日の駅前で。

「さぁて──では今日も見つかる前に、一つ、小咄を…では“逃げる蟻”のお噺でもしましょうかね……」

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