第80話 蟻、行方不明
「えっ……蟻がいなくなった?」
「はい、クロヤマアリのスズちゃんなんです。生後8か月、飼育登録番号K-4012-7。昨日まではケースにいたんですけど、朝起きたら、もういなくて…」
初老の女が涙ぐみながら差し出したのは、小さなアクリルケースだった。
中は空っぽ。ただ湿った砂だけが沈黙していた。
私の名前は烏田。
私立探偵を名乗ってはいるが、最近はもっぱら「蟻の所在確認業務」の雑務ばかりだ。
「それは……“逃げた”ってことです?」
「いいえ、きっと……誘拐です!」
そんな大層な。
心の中で肩をすくめながらも、私は念のため依頼主からもらった写真を頼りに、近隣のフェロモントラップ、そして、半径1キロ圏内のコロニーを捜索、そして近隣住人に聴き込み、行政の巣内観測記録などをあたることにした。
近所を聴き込みをしても、奇異な目で見られる始末。
道端で歩いいる蟻を見つけては、じっくり観察する。
「…ったく、どれもこれも、同じ形でわかんねぇな」
鳥田はなげく…あちこち探し歩くが一向に見つかる気配がない…。
数日後、町のはずれの公園で“似たような蟻”が一匹いると連絡があった。
その公園に行ってみると、ブランコのあたりで徘徊しているのを発見。
虫眼鏡でしっかり確認したが、スズちゃんなのかどうかは定かでない…
なんとなく依頼人からもらった写真とそんな差異はないようだ。
「まぁ、こいつでいっか」
証拠も確信も曖昧なまま、それをスズちゃんとして依頼人に届けた。
「この子じゃありませんか?」
「あっ、この子です!良かった。スズちゃんです!ありがとうございます!」
依頼主は大喜びで迎え受ける。
「そうですか…良かったですね」
鳥田はほっと肩をなで下ろし、依頼人より残りの報酬を頂く。
帰り際…チラリと振り返った。
依頼人はソファに座ったまま、ケースに向かって連れ帰った蟻に語りかけていた。
スズちゃん、スズちゃんって──本当のスズちゃんのように…
(ま…まさかな…)
その数時間後──
警察が私の事務所を訪れた。
「烏田誠一さんですね。あなたを蟻管理法違反(第12条1項)及び無許可個体の媒介誘拐容疑で拘束します」
さらに依頼人も、「不確定個体への過剰帰属による誤認認可申請罪」で連行される。
取調室にて。
「なんでこんな大事になるんだよ……ただ俺は依頼主に頼まれて行方不明の蟻の探しただけじゃないか……」
鳥田の弁明に、若い警官が言った。
「そもそも行方不明の蟻ではありませんからね…。ただあなたも、共生蟻の誘拐ですからね」
鳥田は「でも、依頼人が“これがスズちゃんだ”って言ったんだぞ?」
「まあ、ご本人もちょっとアレで…違いに気づいてないようですから」
若い警官は言った。続けて
「あなたも、違うのわかってましたよね?」
鳥田は言葉につまった…
拘留されて4日目。
新聞には小さなベタ記事でこう記されていた。
『蟻探偵、虚偽媒介で書類送検』 『依頼人は精神鑑定へ。』
鳥田は今、保護観察下で“共生個体適正管理研修”を受けている。
共生法第9条──「誘拐とは、個体意思と登録主体の同一性を無視した再配置行為を指す」。
つまり、“誰の蟻かもわからず勝手に拾って返す”行為は、立派な誘拐なのだという。
教本の表紙にはこう書かれていた。
「善意の錯誤も、群れへの反逆である」
鳥田は頭をかいた。
善意だった──と、言えるだろうか。
いや、あのとき確かに「これでいいや」と思った。
ただの蟻一匹で人生が狂う。
そして、共に家族まで失う。
そんな世界に、彼はようやく気づきはじめていた。
そして…白い蛍光灯の下、鳥田の足元で何かが這っていた。
それは蟻だった。
「ふっ…お前も、俺みたいなのに誘拐されんなよ」
鳥田は皮肉を込めて呟いた。
そう…スズちゃんであったことを知らずに…




