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第8話 適応できない個体

東京都内。某IT企業。


夜21時。まだオフィスの照明は消えない。


「お疲れさまで〜す」


人事部の松井サクラ(27)は、書類の山を抱えて帰ろうとしていた。


だが、そのとき、斜め前のデスク――アリヤマ・ケイが、無言でキーボードを打ち続けているのが目に入った。


「アリヤマさん、まだ帰らないんですか?」


彼は一瞬だけ顔を上げた。

相変わらずの、完璧な笑み。


「作業は終わりましたが、念のため、翌朝分の処理も進めておこうかと」


「……いや、すごいですね……」


サクラは無理に笑ってその場を離れた。だが、心の奥に何か、引っかかりがあった。


これは“会話”じゃない。言葉は通じているのに、なぜか意思が伝わってこない。




社員寮、深夜。


サクラは眠れず、ノートPCを開いていた。


「ねぇ……最近、同期、ちょっと変じゃない?」


チャットには何人かの元同期がいた。


「わかる!なんか、話が通じてるようで通じてないっていうか」 「あのアリヤマって人、笑うけど、目が死んでる」 「てか最近、職場の空気って“無”じゃない?笑い声とか、全然聞かなくなった」


サクラはふと思い出した。

先日、ロッカールームで見た“耳を掻いていた”同僚の姿。


血がにじむほど指を突っ込んでいたのに、本人は無表情だった。



その夜――サクラは夢を見た。


黒い群れが、誰かの耳の中へ、鼻の穴へ、目の裏へと入り込んでいく。


脳の内部に、区画を作り、作業を始める蟻たち。

女王蟻が、脳梁の中心に鎮座していた。


目が覚めたサクラは、汗だくで布団から起き上がる。


「うっ、……これ、ただの夢じゃない」


彼女の耳元で、一瞬だけ“かすかな羽音”が聞こえた気がした。


「えっ、」



翌朝。


オフィスの入り口には、新しいリクルートポスターが貼られていた。


「“考えるな。感じるな。働け”」 「新人歓迎。未経験OK。最適化された身体環境があなたをサポート」


アリヤマ・ケイがサクラの目の前を通り過ぎる。完璧なスーツ姿、整った歩幅。


サクラは背筋を凍らせた。

――あれはもう、“人間”じゃない。



Z19・精神適応研究部門

✅「非適応個体の発見:27歳・女性・個人コードM-SAKURA」 ✅「感情干渉度:高 社会順応:不安定」 「再教育か、“物件化”検討対象」



「感情記憶が残ってる人間は、壊れやすいけど“味がいい”んだよな」

「一気に掃除して、使える部分だけ巣にしようか」



誰かが違和感を抱いたとしても――


その“違和感ごと”、彼らは順応させる。


「異常に気づいた者から順に、順化されていく」


そんな法則すら、もう誰にも気づかれていない。


サクラもまた、同様に…



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