第76話 蟻京大学へようこそ
東京都郊外に存在する、国が設立した“蟻”に特化した最高学府。その名も「国立蟻京大学」は、都心の一角に厳かに佇んでいた。
設立理念は、「真の共生社会を築くには、まず蟻を理解せよ」──
この大学では、「蟻社会構造論」「蟻語通訳実習」「巣内建築史」「女王フェロモン制御工学」など、すべての講義が“蟻に関することだけ”で構成されている。
にもかかわらず──入学者の偏差値は全国トップレベル。 “蟻共生官”“蟻系企業エリート”“外交フェロモン翻訳士”など、卒業後は超エリート街道まっしぐらだ。
春。
地方から上京してきた新入生・仁科 瑛人は、入学式の壇上でこう語られた。
「本学では、“人間の論理”は一切教えません。
皆さんが学ぶのは、蟻の構造・蟻の哲学・蟻の未来です」
瑛人の専攻は「群体社会理論」。
同級生には、「蟻言語学」や「蟻王政史」「分巣遷移工学」など、聞いたこともない専攻が並んでいた。
入学初週の時間割はこうだった:
月曜:巣内空間音響解析 I
火曜:交尾飛行と大気制御
水曜:対人間外交の蟻的視座(実習)
木曜:女王心理学入門
金曜:蟻視点からの資本主義批判
──想像以上に、“人間社会とかけ離れた”学問だった。
彼は思った。「……マジで、蟻のことしかやらねぇんだな…」
蟻京大学のキャンパスは、地上と地下にまたがっていた。
地下には「人間が立ち入らない蟻専用区画」もあり、人間学生と“共に暮らす蟻”が大学の構成員として扱われている。
食堂では「蟻種専用フェロモン調整食品」が提供され、食事も“蟻にやさしい” が人間に優しいかは甚だ疑問だ…。無味無臭で食べていても味がしない…。
図書館には、蟻の巣を模した構造の“閲覧径路”があり、書架は蟻関連の書籍しか置いていない。
教授陣もクセが強い。
農学部教授・宇野:「蟻が農業を始めたのは人間より2000年も早い。謙虚に学べ」
哲学部准教授・永里:「個を捨て、群れのために生きろ。“自己”とは何なのか、蟻は常に問いかけている」
瑛人は次第に疲弊していく…。
「こんなに蟻のことばかり学んで、俺は一体、将来何になるんだ……?」
そんな疑問がよぎる。
しかし、ある日、巣外観察実習で一匹の蟻と出会う──
脚を失いながらも自分の体よりも、大きい餌を運び続ける姿を見たとき、瑛人の心に何かが燻った。
教授がそっと言う。
「あれが蟻の美しさだ。家族の為に、損得なく、“つなぐ”ためだけに動く存在」
瑛人はその瞬間、気づいた。
「“何になるか”じゃない。ここは“どう生きるか”を学ぶ場所なんだ」
蟻京大学を出た者たちは、政府の共生局、蟻外交機関、世界の多国籍企業へと就職していく。
そして誰もが彼らに敬意を払う──
「蟻京出身者なら安心だ」と。
世間では今や、就活の頂点に「蟻京卒」が君臨していた。
「人間が作った“社会”のなかに、ほんとうの“共生”はあるのか。
答えは、あの巣のなかにしかない気がするんだ」
その背後では、地中から一匹の蟻が静かに歩み寄ってきた。
誰も言葉は交わさない。ただ、同じ方向を見つめていた──
蟻京大学…。
そこは蟻を学ぶ場所ではなく、“人間をやめる準備”をする場所なのかもしれない。




