第73話 定員オーバー
ゴールデンウィーク初日。
晴れた空に白い雲が浮かび、空気はどこか緩んでいた。
中西家では、久しぶりの家族旅行が始まろうとしていた。
父・健一(42)はハンドルを握り、助手席には妻・麻美(38)。
後部座席には、中学1年の息子・翔太と、小学3年の娘・ひかりが座っている。
娘の膝には、小さな透明ケース。中には「共生蟻」が10体、静かに蠢いていた。
これはひかりが学校から預かってきたもので、連休中も必ず持ち歩くよう学校で指導されていた。
「ねぇ、パパ、はやくはやくー! 早く行かないと渋滞しちゃうよ!」
「わかってるって」
健一は微笑みながらエンジンをかけた。
それは、いつも通りの、ささやかな幸せの始まりだった。
車は順調に進み、高速の合流点を越えたあたりで、不意に道路が絞られた。
臨時のチェックポイント。案内板にはこう書かれている。
「共生パートナー確認・個体数検査実施中」
警備員風の係官がタブレット片手に近づいてきた。
「すみません、免許証お願いしまーす。あと、全搭乗体数の登録確認を行っておりますので、教えていただけますか?」
健一は落ち着いた声で答えた。
「えっと、搭乗者4人です」
係官はスキャンを済ませ、タブレットの画面を覗き込む。
一瞬、眉がわずかに動いた。
「他にも乗せていませんか?」
「あ〜、共生蟻も乗ってます。娘のケースに10体ほど」
「……こちらの車種、コンパクトSUVですね?」
「はい、それが?」
係官は画面をスクロールしながら無感情に言った。
「このタイプは“共生搭乗基準5体以下”に該当します。現在、人間4名+共生体10体で“定員オーバー”…です」
健一は目を丸くした。
「ちょっと待ってください、小指の先ほどのサイズですよ? 子どもが連れて歩ける程度の…」
「それは関係ありません。“個体数”でのカウントになりますので。大きさは考慮されません」
「じゃあ……どうすれば……?」
係官は、タブレットを操作しながら、事務的に続けた。
「申し訳ありません、搭乗上限を超えております。これ以上の移動は“過積載違反”となり、行政点3点減点および罰金7万円が科されます」
「……」
沈黙の中、後部座席から声が上がった。
「くだらねー。誰も困らないじゃん、こんなの」
それは翔太の声だった。
係官の目がピクリと動く。
「今の、共生蟻に対する侮辱罪に該当する可能性があります」
「す、すみません。子どもが、つい……」
健一は咄嗟に謝った。
結論は一つしかなかった。
「共生体が優先となります。人間の方、降車をお願いします」
「オーバーした共生蟻も降ろさないといけないですよね?」
健一は聞く
係員はしばらくの沈黙のあと
「あ〜、いいですよ。そのまま乗せて」
「えっ…」
麻美は車を降りた後
「じゃあ……あとはパパだけで行って。ホテルで合流しましょう。」
健一は言葉を失い、ゆっくりと頷いた。
ひかりは泣いていた。
翔太はふてくされ、黙ってスマホをいじっている。
家族三人が路肩に降り、車のドアが閉まる。
助手席には、小さな蟻たちが入ったケースだけが残された。
エンジンが再びかかり、車は静かに走り出す。
健一は、ふと助手席のケースを見てぽつりと呟いた。
「……ほんと、何なんだよ。家族より、蟻の方が優先されるなんてさ…」
ケースの隅で、1体の蟻がじっと健一を見上げていた──まるで、聞き取ったかのように。
その夜、家族と合流した。
ホテルのロビー。ソファに座ったひかりがスマホを見ていた。
ニュースアプリの画面に、大きな見出しが出ていた。
「共生体搭乗オーバーで旅行中断 。家族が一時足止め」
映像には、検問所の端で困惑する家族の姿が、ぼかし付きで映っていた。
コメント欄には、こう並んでいた。
「共生蟻を大事にできない奴に、家族なんて守れるわけがないだろ」
「そりゃそうだ。今の時代は“共生スコア”のほうが大事」
「まだそんな、古い意識もってんだ。ちょっと信じられないね」
画面を見つめるひかりの手が、少し震えていた。




