第7話 黙って順応した者たち
朝の通勤電車。
吊革につかまるスーツ姿の男たちが、等間隔に並んでいた。誰も喋らない。誰も目を合わせない。息遣いさえ、まるで調律されたように均一だ。
ミナミ・ジュン(26)は、その無音の一群に混じって立っていた。
少しだけよれたスーツの襟。直しきれなかった寝癖が、後頭部に残る。それだけで、周囲から浮いている気がした。
いや、実際に浮いているのかもしれない。周囲が「整いすぎている」のだ。
ふと隣の乗客に視線を送る。アリヤマ・ケイという男。
ミナミの部署のひとつ後輩にあたるが、ほとんど話したことはない。
そのアリヤマは、異様なほどに姿勢がまっすぐだった。背骨に定規でも入っているかのようだ。
目線は真正面。スマホも見ず、吊革も持たず、ただ無表情で立っている。
(なんか……マネキンみたいな奴だな)
ミナミは心の中でつぶやいた。
それは冗談というより、防衛反応だった。
不自然なものに向けた、言語化による自己防衛。
アリヤマの首の後ろに、薄い線のようなものが見えた気がした。だが、ミナミは深追いしなかった。
職場。
午前九時。職場のパーティションに囲まれたデスク。
蛍光灯の白い光が、すべてを均質に照らしていた。
「ミナミ君、報告書の体裁が少し違うね。前と同じフォーマットに揃えて」
係長の声音は柔らかいが、有無を言わせない圧がある。
「……すみません」
そう答えると、デスクの向こう側から、一斉に何人かがこちらを見てきた。
それぞれが同じように口角をわずかに上げ、首を傾けて頷いている。
“同期たち”だった。全員、声も出さずに、まるで同期された装置のように同じ反応をしている。
その目線は柔らかく、だが“均一”で、まったく感情が見えなかった。
(なんだよこれ……)
違和感。個性がない。呼吸がまったく同じテンポだ。
だが、誰もそれを変だとは言わない。
彼らのうち、何匹が既に“中に住まわれている”のか、ミナミには分からなかった。
だが、何かが“詰まっている”ような空気間だけは、確かに感じとっていた。
夜、社員寮
ミナミは狭い社員寮のベッドに寝転び、白い天井をぼんやりと見つめていた。
エアコンの音が単調に続き、眠気もこない。
スマホを見ても頭に入らず、ため息ばかりが増えていた。
そのとき、不意に――
耳の奥に、かすかな“かゆみ”が走った。
ビクリ、と身体が跳ねる。反射的に、指を耳の穴へ突っ込んだ。
「……えっ、何……違う、これは……中……?」
一瞬、異物の感触があった。だがそれは指をすり抜け、さらに奥へと逃げるように入っていった。
奥で、“何か”が蠢く気配がある。脈打つような、柔らかい圧が伝わってくる。
呼吸が荒くなる。恐怖というより、名前のない“違和感”が広がっていく。
そのとき、スマホが小さく震えた。
【通知:順応ガイド(ver1.9)】
「余計な違和感は、組織において不要です」
「“自分が変”と思ったら、まずは周囲に合わせましょう」
無機質なアナウンス音声と共に、イラスト付きのガイドが表示された。
にこやかに笑う男女が、整然とした行動を取っている。
ミナミは通知を指先で払い、ふぅ、と短く息を吐いた。
だが、耳の奥のかゆみは消えなかった。
かすかな不安が、かゆみと共鳴するように、神経の奥で広がっていった。
【Z19コロニー 通信ログ:居住拡大フェーズ】
✅観察対象:「非順応個体:ミナミ・ジュン」追加済み。
「“違和感”を抱きながらも、周囲に従う個体は最も利用価値が高い」
「侵入経路:左耳ルート、進入成功」
「この個体、警戒はあるが“抑圧傾向”が強い。
言わずに我慢する性質。改造後の苦情リスクも低い」
「最高の物件じゃん。リノベしても文句言わないってことだろ?」
ミナミは、洗面所の鏡の前で自分の目を見つめていた。
その黒い瞳に、ふと奇妙な“ちらつき”が走る。
虫の複眼のような、光の反射。けれど、それに本人は気づかない。
彼はただ、冷たい水を飲み、静かにベッドへ戻った。
部屋の中はとても静かだった。
――彼の体内を除いては。