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第65話 蟻葬の火は、まだ消えない

火葬場で働くのは、中学卒業をしてすぐの少年だった。

名は、日下部 くさかべ・みなと

十六歳。貧しい家に生まれ、親を早くに亡くし、火葬場の雑役として今は住み込みで働いている。


 

彼の主な仕事は、蟻の遺体を拾うこと。

焼却炉の前に長いベルトコンベアがあり、蟻の遺骸を並べていく。

毎日、何千、何万という蟻が、全国から「火葬の義務」によって集まってくる。

掃除機で吸い取られたもの、交通事故に巻き込まれたもの、老衰したもの——

「命には違いない」として、すべて葬る決まりだ。


 

「黙祷します」

アナウンスの声が流れると、火葬スタッフ全員が三秒、頭を垂れる。

それが終わると、「着火」。

白い煙が、静かに炉の上から立ち上る。


 

湊は黙って作業を続けた。


 

彼の母は、五年前に自死した。

生活保護も打ち切られ、助けを求めた市役所では「自己責任です」と言われたという。

遺体は火葬されたが、骨壺も位牌も、誰にも渡されなかった。


 

いま、目の前で焼かれているのは、一匹の蟻。

大理石でできた小さな骨壺に、焼けた粉を入れ、金の文字で名が刻まれる。


【第八十五群 第十九個体 乃梨】


横に立つ親族役の人間が、深く一礼している。

その姿に、湊はただ、無言のまま、唇を噛んだ。


 


「命は平等なんだよ、湊」

上司が言った。

「人間も、蟻も。同じように扱わなきゃいけない。それが今の倫理だからね」

湊は、首を振ったり肯定したりしなかった。

ただ、うなずくふりをした。


 

夜、焼却炉の奥で見つけた。

溶けた靴底にくっついていた蟻の死骸。

誰にも見つからず、名もなく、崩れたように潰れていた。


彼はそっと手のひらで包み、裏口に回った。

自分で作った、小さな石の山がある。

そこにそっと埋め、目を閉じて、言った。


「おれの母ちゃんは、骨も拾ってもらえなかった」

「……それでも、あんたは、骨壺に入れてもらえるんだな」


風が吹いた。


遠くで、誰かが「蟻弔法 第七条違反」の通報をしていた。


湊は思った。


この国にとって、“命”とはなんだろう。

涙を流した数じゃない。喪失を知っているかでもない。

……ただ、“蟻であるかどうか”だけだ。


 


翌日。

湊は朝のミーティングに姿を現さなかった。

机の上には、一通の封筒と、名のない蟻の骨壺が置かれていた。


封筒には、走り書きのようにこう書かれていた。


> 「僕は母さんを、ここに入れてやりたかった。」




 

だが、社会はそれは許されない。


人間の遺骨を、蟻葬に混ぜることは、法律で禁止されている。


違反者には、重罰が下る。


 


しかし、それでも。

誰かがそれをするかもしれない。

そう信じたいと思った者だけが——いまも、火葬場で黙祷を続けている。


 

そして白い煙は、今日も変わらず、空に立ち上っていた。



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