第38話 契約肢体(けいやくしたい)
都心から電車で二駅外れた、寂れた雑居ビルの一室。
壁紙の剥がれた室内に、男が腰をかけていた。
履歴書のような紙を前に、ぬるくなった麦茶をすすっている。
「……一口サイズからでも大丈夫なんですか?」
担当者はスーツの襟を整えて頷いた。
「はい。腸管、肺葉、骨髄、脳髄支配域……必要に応じて切り売り可能です」
「“共存型”コロニーは麻酔下で挿入されますので、痛みはありません」
「あの……正直、生きたままってのが……」
「安心してください。“収入”が入るのは生きている間だけですから」
【山下良太、42歳】
派遣切りで家賃滞納
もう、親も親族もいない
そして最後に残ったのが、「自分の身体」だけ
かつては、建設現場の重機オペレーターだった。
高校卒業後、職人の見習いとして働き、手に職をつけた。 背中に汗をため、泥の中で足を滑らせながらも、まっとうに生きてきたつもりだった。
だが、40を過ぎて「腰」を壊してしまった。
病院で椎間板ヘルニアと診断された頃、もう現場では若い作業員がタブレットで管理する時代に変わっていた。
復帰しても、もう山下には現場でする仕事はなかった。
もう年齢的にも再就職も難しかった。
腰痛もあり、日雇いもことごとく断られた。
唯一残ったのが、「派遣清掃の夜勤」だった。 だが、ミスをして機械を壊してしまい、二週間で首を切られてしまった。
もう所持金は残り4,600円しかない。
電気が止まり、水も止まり、最後はガスも止まってしまった。
もう生きているのか、干からびていくのか、自分でもわからなくなっていった。
そして、行き詰った山下は区役所の生活保護窓口に相談に行った。
カウンター越しに、若い職員が書類を見ながら淡々と答える。
>「お名前は? ……ああ、山下さんね」 「貯金口座はゼロで、扶養親族もなし」 「……でも、すみません。“資産”があるようですね」
「……は?資産…?」
「“人体提供契約”という制度をご存じですか? 新しく出来た制度なのですが、現在生活困窮者向けの代替収入制度として推奨されています」 「身体の一部を“貸す”ことで、定期的な収入が得られますよ」
書類には、**「対象可能部位:肺葉、骨髄、腸管、脳皮質の一部」**と書かれていた。
それを見つめながら、良太は思った。
(俺は、もう……“物”としてしか見られてないんだな)
でも、もう抗う力もなかった。
「……わかりました。契約書ください。」
こうして彼は、**人間としての最終的な“断念”**を行った。
「助けてくれる人がいなかったから」ではない。
「助けを求める声すら、出せなくなっていたから」だった。
「月間36万円支給、内臓貸与型、再生不可能箇所のみ支配可」
「その代わり、医療費免除・最低限の衣食住が保証されます」
月36万はおいしかった。
山下は即座にサインした。
それが最後の頼みの綱であることを感じていたから。
数日後、雑居ビルの一室で、彼の身体の“開拓”が静かに始まった。
左肺は分割され、女王蟻の小規模営巣地に
腸の一部は廃棄物処理ルートに変換される
夜になると、骨の中を蟻たちが移動する音が身体の中から聞こえる
しかし山下は次第に慣れていく。
やがて痛みも消え、飯が出て、シャワーが使え、ベッドで眠れる。
「これで……生きていけるなら、別にいいか…」
1年後。彼は“さらなる増資”を申し出る。
「もっと貸せる場所、ありませんか?」
「脳の一部なら、言語野とかでも、そんなに支障はないって聞いたんですけど……」
「可能です。ですがご理解ください。もし喪失したら以前の記憶は戻りませんよ」
「……もういいんですよ。たいしてこの世に良い思い出なんかないですから」
「そうですか…わかりました。」
ある日、モニタールームで担当者が報告する。
「山下良太、言語・運動野の50%譲渡完了」 「人格反応値、残存率14%」 「現在、巣内への感情投影が高まりすぎており、自我と群体の区別ができていません」
画面には、毛布をかけた良太がけたけた笑っている。
「……はは、こいつら……俺ん中で、育ってんだな……」
「すげぇな……もう、これが、俺の“家族”だ……」
脳内の蟻たちは反応しない。ただ黙々と巣を広げている。
《彼は、もう“誰か”ではない。ただの生態系の一部となった。》
テレビでは、コマーシャルが流れてる。
『新型コロニー契約新規受付中!月額36万から、あなたの“未来”を開放します』
《“使われる”より、“貸し出せ” – 人体提供支援機構》
「誰かの命になるなら、俺の身体、余ってるから」
繰り返しテレビでは放送されている。




