第34話 黒い手袋の夜
時刻は深夜2時。
廃ビルの地下。電気も通らないはずの空間に、LEDライトの明かりが灯っていた。
冷えた空気の中に、ざらついた声が響く。
「全員、手袋と靴カバーを確認しろよ。絶対DNAを取られるような真似だけはするな」
男の名は葛西仁。元自衛官。現在では“無職”として登録されている。
だが、この地下に集まった30人の男女の前では、明確なリーダーだった。
今の法は構成員(蟻)に対する保護義務を怠った者は、擁護義務違反として罰せられる」
「蟻を見て、危険を認識したのに何もしなかった」だけで有罪だ。
「“見なかったこと”を罰する。このような無関心を今の社会は許さない」
「だが、俺たちは“蟻を見るな”なんてそんな教育、受けてねえ。ここにいる奴らは全員、最後の『昭和』の残党だ」
「やるなら今だ。構成員の『神経中継拠点』を叩くぞ。夜明け前には動くから。問題ないな?」
ざわり、と空気が動く。
全員が無言のままうなずく。
パイプ椅子の背もたれに、白い紙が何枚も貼られていた。
そこには拠点の図面と、構成員動線、警備ドローンの巡回経路、夜間シフトの人間警備員の名前――
そして、蟻の神経群が収納された機械式ケースの正確な位置。
「中枢を潰せば、数万の蟻構成員が一時的に指令不能になる。都心で掃除も輸送も止まる」
「市民の目が“何かおかしい”と感じるタイミングを、俺たちが作る」
1人が手を挙げる。
「葛西さん……もしそれ、失敗したら?」
「なら、次の奴がやるだけだ。“踏みつける側”は、何万でも生きてる」
「いつから俺たちは、たかが道にいるアリ一匹にビビるようになったんだ?」
「もう一度俺達は、“踏みつける側”に戻るんだよ――あの頃みたいにさ」
男たちは立ち上がり、使い捨ての作業着を着込み、カバンを背負って地下を出ていく。
地上はまだ静かな夜のままだった。
けれど、風の中に、ひそやかに火薬の匂いが混じっていた。
同時刻、別の場所。
廃校の旧体育館。
ここでも別のグループが集まっていた。
女子高生風の若者たち。
だが机の上には、PC数台とドローン制御端末、3Dプリンタで出力された模造プレート。
「擁護罪で捕まった人たちの投稿ログ、バックアップしてる」
「監視カメラのアルゴリズム、まだ穴ある。拡散用のAIに差し替えて、別ルートで流せる」
若者たちは無言で動く。
言葉より、互いの動きと情報の速さで繋がっていた。
画面の隅で、“踏みつける側に戻る”という言葉が再び点滅する。
そして翌朝。
都内4か所で、**同時多発的な“神経遮断攻撃”**が起きる。
交通整理、清掃、物流が一時停止。蟻構成員たちがその場でフリーズした。
『構成員の不具合。一時的な中継エラーの模様』
『復旧作業中。市民の皆様は落ち着いて行動してください』
だが、その裏で動いた者たちの名は、公にはならなかった。
誰も捕まらなかったわけではない。
だが、ひとつ壊されれば、二つ目が現れる。
“あの日から”、
少しずつ、人間たちは自分達の生活を守るために動き始めていた。




