第33話 踏みつける側に戻る
未明4時12分。
郊外の工業地帯――かつて倉庫として使われていた区画から、火の手が上がった。
蟻の構成員約3000体が駐屯していた仮設のコロニーは、激しい炎に包まれていた。
鉄骨は真っ赤に焼け、酸素供給用の小型ファンが破裂音を立てて弾け飛ぶ。
蟻構成員の一部は逃げたが、逃げ切れなかった無数の個体が、黒焦げとなって転がった。
「目を覚ませ! お前らは人間だろ!!」
「奴らは蟻だ!機械じゃねえ、たかが虫なんだよ!!」
倉庫の上階から、拡声器で怒声が響く。
男たちが10人以上、鉄パイプやスプレー缶、火炎瓶を手に暴れ回っていた。
彼らは顔に布を巻き、監視カメラを黒いスプレーで潰しながら、徹底して記録を妨害した。
だが――カメラはひとつではなかった。
近隣ビルの非常階段。ドローン。配達ロボの記録端末。
すぐに彼らの顔は“ぼやけた映像”としてすぐに拡散され、朝8時にはニュースに切り替わる。
『蟻構成員への大規模暴行事件。15名の人間によるテロ行為。既に7名を確保』
『指導的立場にあったのは、4年前に娘を“蟻の巣落下事故”で亡くした男』
『蟻殺傷第14号違反に加え、第32号反社会暴動罪が適用される見通しです』
「蟻構成員に、謝れ!!」
その夜、都心の広場では市民団体が追悼キャンドルを手に、声を上げていた。
焼かれた蟻構成員たちのために、名前が読み上げられる。
「第74群・清掃班・個体番号22091、死亡」
「第74群・清掃班・個体番号22092、死亡」
「……黙祷」
画面を見ていたある市民は、静かにスマホを伏せた。
(あいつら…人間より、名前をちゃんと呼ばれてるじゃないか……)
逃走者の一人は、まだ捕まっていなかった。
名前は田原昌史。
元消防士。
妻と娘を亡くし、再教育センターに一度送られた過去がある。
今夜は、田原は人気のない裏通りを歩いていた。
警察のドローンが上空を旋回し、監視は日に日に厳しくなる。
しかし、彼は臆することもなく淡々と歩いていた。
コンビニの明かりの下に立ち寄る。
ドアの前、アスファルトの隙間から、一匹の蟻が顔を出していた。
――一瞬、足を上げる。
しかし、店の軒下に取り付けられた監視カメラが、こちらを見ていた。
ゆっくりと、足を下ろし踏み潰す。
(絶対、つかまるか!)
彼はそう思った。
けれど――
その背後で、ドローンの小さなプロペラ音が近づいていた。
「逃走者第8号、発見」
次の朝。
彼の顔もまた、ニュースに映っていた。
《※この男を見かけたら通報をお願いします。蟻の命を奪った、反社会的危険重要人物です。》
だが、ネットの海の奥深く。
匿名掲示板の、とあるスレッドだけはこう書かれていた。
『次は俺がやる。もう黙ってられねえ』
『“踏みつける側に戻る”って言葉、絶対忘れない』
――動き始めたのは、もう彼らだけではなかった。




