第31話 ごめんな……
午後5時過ぎ。
オレンジ色の夕焼けが住宅街の屋根を照らす。
佐伯俊哉は、ハンドルを握りながらバックミラーを確認した。
(ダメだ…今日もギリギリだ……)
職場を出たのは定時をわずかに過ぎていた。
会議が長引き、書類の片付けに手間取り、気づけばもう17時前。
子どもの保育園のお迎えは18時まで。それを過ぎれば延長料金と、申し訳ない気まずさが待っている。
信号が変わるたび、ハンドルに力がこもった。
家から保育園までは車で20分。脇道を繋ぎながら、いつもの最短ルートを走る。
道路の端に、時折、小石や枯れ葉、なにか小さな黒い粒のようなものが転がっているような道路を走って迎えに行く
ハンドルを切る。タイヤがカーブを踏む。
車はいつも通り静かに進んでいく。
そして、保育園の前に着いたのは17時55分。
先生に頭を下げて、娘を受け取る。
「パパ、おそくなったね」
「ごめんな。でも間に合ったろ?」
帰り道、娘は助手席で今日の絵本の話をしていた。
俊哉は相槌を打ちながら、先ほどの道で帰る
(さぁ、今日の晩ご飯どうしよう……)
──その夜、食事を済ませ、風呂に入り、娘を寝かしつけたあと、俊哉は自分も早めに布団に入った。
翌朝――午前6時半。
目覚ましが鳴るよりも早く、インターホンの音が鳴った。
眠い目をこすりながら玄関を開けると、制服姿の男が2人立っていた。
一人が身分証を見せながら、淡々と告げる。
「佐伯俊哉さんですね。“蟻殺傷・第14号違反”で、出頭要請が出ています」
俊哉は何のことかわからず
「……は?僕が何かしました?」
警察官は続けて答える
「あなたは昨日、17時16分。国道118号線・第二交差点を通行中、あなたの車両が構成員個体12体を轢殺しました。」
「構成員……って?」
「はい。第四市街労働局・清掃班所属の構成員蟻です。地表作業中でした」
「いやいや、別にふつうに運転してただけだぞ!? 避けようがないだろ、そんな小さなもん……!」
俊哉は興奮して言う。
「意図的かどうかは関係ありません。あなたの車両には構成員回避補助装置が搭載されていない。加えて、回避動作も見られなかったと、ドライブレコーダーに記録されています」
俊哉は、口を開いたまま黙り込んだ。
頭がついていかない。
「……俺は、ただ子どもを迎えに行ってただけだ。誰も傷つけようなんて思ってないし、わかるわけないだろ……!」
「構成員の命も、“人の命”と同等に扱われています。気付かなかったでは済まされないのです。」
冷静すぎる警察官の声が、逆に現実感を奪っていく。
気づけば、差し出された逮捕状に署名を求められていた。
俊哉は一瞬抵抗しようとしたがもう無意味だと悟った。
もう何を言っても、この場での運命はもう変わらないだろう思い…諦めた。
手錠の金属音が、早朝の静けさに響く。
廊下の奥から、小さな足音。
寝間着姿の娘が、目をこすりながら顔を出す。
「パパ……?」
俊哉は、娘の前で笑顔を作ることができなかった。
(ごめん、ごめんな……)
娘の視線が、玄関の床へ向く。
そこを、一匹の蟻がのんびりと横切っていた。
娘が指を差す。
「きのうも、ここにいたよ」
俊哉の目に、じわりと涙がにじんだ。
だが、そのまま、警察官に腕を引かれて家を出る。
玄関の扉が閉まり、音だけが残る。
> 「第14号違反、確認完了。連行します」




