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第268話 蟻民(ぎみん)

自由と平等を愛する都市──《ネオ・エデン》。

ここではすべての市民が、自分の意志で働き、自分の意志で税を納め、自分の意志で政府を支持していた。

争いはなく、貧困もない。街には笑顔があふれ、誰も不満を口にしない。


……だが、僕は知っていた。

この都市には「言い争い」が存在しない。

怒号も、抗議デモも、失言も──一度も見たことがなかった。

それを不自然だと感じる僕こそ、異常なのかもしれないが…。


僕の名は近藤智徳とものり。情報記録局のエンジニアだ。

日々、市民の行動記録をクラウドに同期し、保存している。

この都市の平和は、完璧な「参加型記録制度」によって支えられていた。

誰が何をし、どこで何を言い、誰と会ったか──すべてが自動で記録され、市民自身の意志で公開される。


表向きは、それが「自由の証明」だった。

だが、ずっと疑問があった。


なぜ、誰も逆らわないのか?

なぜ、この制度を疑う者が一人もいないのか?


ある夜、僕は外部公開されている膨大な行動ログを解析し、“わずかなズレ”を持つ人々を探してみた。

握手を拒んだ。会議に遅れた。割り当て労働を早退した──

そんな「不協調行動者」は、たった三人だけヒットした。


だがその三人は、全員、翌週に「退市届」を出していた。

理由は「自発的な転居希望」。


……本当に自発なのか?


気になって、そのうちの一人──山本理恵りえの記録を追った。

彼女は生化学の学生で、公共施設で定期的に“意見交換会”を開いていた。

最後の記録には、こう残されていた。


「わたしは、わたしであることを証明したい」




そして、その後ログは途切れた。


嫌な予感がした。

僕は許可されていない方法で内部データベースに侵入し、彼女の足取りを追った。

最後の座標は──都市の地表から地下深くへ続く地点。

公式には存在しない階層、《Zフロア》。


夜、無断で地下搬送路に潜入した。

エレベーターは反応せず、階段をひたすら降りる。

10階分、20階分……

空気は湿り、電灯は途切れ、足音だけが響く。


やがて──

カサ……カサカサ……

壁の内側から、無数の小さな脚音が近づいてきた。


次の瞬間、壁が割れて崩れ、中から“蟻”のような存在が現れた。

有機的な骨格と、金属の筋繊維。赤黒い複眼。腹部は低く共鳴音を発していた。


僕はその奥を見てしまった。

そこには、広大な地下空間があり、無数の巣穴があった。

天井には繭のようなカプセルが吊るされていて、その中で人間が眠っていた。

……いや、あれは“動かされて”いた。


彼らの脳は切り取られ、透明な神経束が蟻型構造体へとつながっていた。

上層で笑顔を見せていた市民たち──その中枢はここにあり、群体意識として統合されていた。


そうだ。

上層にいる“人々”は、ただの端末だったのだ。

意志も判断も、この巣に集められた中枢で調整されていた。

異を唱える者は排除され、ここに運ばれ、「同化」されていた。


「君は知りすぎたね」


振り返ると、そこには山本理恵がいた。

だが彼女は、もう“彼女”ではなかった。

両目は複眼に置き換わり、腕の先にはケーブルが生えていた。


「ここは“真の自由”の場所。誰も命令しない。だからすべてが一致する。分断も争いもない」


「それは……自由じゃない。ただの同化だ」


「違う。君もすぐわかる。……君の意志を、見せて」


指先が額に触れた瞬間──

巣の構造、同調し続ける思考パターン、

「平等とは、構造の一体化である」という原理が、洪水のように流れ込んできた。


最後に聞こえたのは、群体の声。


「お前の違和感も、進化のために必要な刺激だったのだ」




気づいた。

僕は最初から選ばれていた。

反抗心すら、群れにとって計算の一部だったのだ。


──これが《蟻民》の正体。


自由とは「誰も否定しないこと」。

そしてその実態は──「全員で同じ夢を見ること」だったのだ。


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