表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
263/279

第263話 蟻財務省

「労働とは貨幣であり、貨幣とは忠誠である」

そんな標語が、財務省第二庁舎の壁に刻まれている。


 ――通貨は存在しない。

現代社会において、人間は“労働”によってのみ価値を持つ。

時給も月給もない。

ただ“蟻単位(Ant Units)”という指標が、すべての指標だった。


 何時間働いたか。どの程度群れに貢献したか。

肉体労働、感情労働、創造的労働、それぞれに応じて細かく定義された評価値が自動加算され、個体に付与される。

──それがこの国の貨幣であり、人格の重さだった。


 「個人」ではなく「単位」。

 「人生」ではなく「労働寿命」。


 すべては群体の効率のため。すべては蟻のように。


 財務省の査察官・多岐川新一たきがわ しんいちは、今日も淡々と数値の監査を行っていた。

 膨大なログの中から、異常値を検出し、それを調査する。それが彼の仕事だ。


 だからこそ、彼はそのログに目を疑った。


 無職の男──佐伯徹さえき とおる、39歳。就労記録ゼロ。


 なのに、彼の保有“蟻単位”は、国家平均の百倍近い──。


 「……バグ、じゃないな。意図的な供与だ」


 多岐川は椅子から立ち上がり、すぐに調査端末を起動した。

 この国では、“蟻単位”の供与はすべて労働と紐づいているはず。裏口供与や贈与は厳禁、見つかれば即隔離だ。


 だが、佐伯には、どこにも労働の履歴がない。彼は昨年から“棲処放棄者”として都心の労働群にも属しておらず、独居に近い生活をしていた。


 “何者か”が彼に単位を渡している。それも、国家システムを通さずに。


 「……これは、蟻の女王案件だな」


 多岐川は一人つぶやく。

 人間の上に君臨する“知性体の蟻”たち。その中でも特異な存在──“女王”。

 彼女たちは非公開領域に住み、国家に影響を与えるほどの力を持つ。


 しかし、直接人間と接触することは禁じられている。


 もし佐伯が女王と関係しているなら、それは国体に対する反逆に等しい。


 

 翌朝、多岐川は佐伯徹の居住地を訪れた。

 場所は、都内第十三区の廃村再生区──いわゆる“労働疎開地”。

 住民のほとんどは、過去に“労働拒否”や“感情逸脱”などで社会から排除された者たちだ。


 だが、その一角にぽつんと一軒、整然とした小屋があった。

 ログハウスのような構造だが、微かに光る蟻型ドローンの痕跡が散見された。


 「佐伯徹さんですね。査察官の多岐川です。蟻単位の供与に関して、いくつか確認させてください」


 ドアは、すぐに開いた。


 中から出てきたのは、整った顔立ちの男。身なりは質素だが、眼の奥に何か確信めいた光があった。


 「──やっぱり、来たか。財務省の人間」


 「応じていただけるなら、話は早い」


 「応じるさ。だって、俺はもう、十分すぎるほど“働いた”からな」


 「記録には、一時間たりとも労働履歴がありません」


 「そうだろうね。……でも、“記録されない労働”って、あるんじゃないのか?」


 多岐川は言葉を止めた。


 佐伯は静かに笑った。


 「女王様は、見てるよ。俺がどんな夢を捨てて、どんな忠誠を捧げたか。記録がなくても、知ってるんだ」


 「……あなたは、“蟻の女王”に仕えていたと?」


 「いや、“捧げた”んだよ。心も、体も。

 夜中の呼び出し、栄養管理、卵の世話、精神リンク、遺伝子提供、繁殖実験……」


 多岐川の背筋が粟立つ。


 「あなたは……まさか、“交配個体”か?」


 「さあ、どうだろうね。ただひとつ言えるのは、俺が得たこの単位は、愛による報酬だ。

 システムの外で──でも、誰よりも正当に」


 その瞬間、多岐川の耳元で警告音が鳴った。


 〈査察対象、感情圧迫域に接触──心理影響検知〉

 〈警戒:非数値的価値観に基づく影響力〉


 「……蟻財務省が一番恐れているのは、“非合理な価値”だ。

 でも、人間って、ほんとはそこにしか生きられないんじゃないか?」


 そう言って、佐伯は静かに微笑んだ。


 その目は、まるでどこか別の世界を見ているかのようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ