第260話 蟻の間引き
四時間目の終わりと同時に、チャイムとは別の、低い音が鳴った。
ゴォ……ゴォ……というその音は、まるで地下から聞こえてくるようで、僕の背筋は自然と固まった。
「適性検査を始めます。全員、手順に従って静かに行動してください」
担任の永井先生の声が、スピーカーから流れる音にかき消されるように響いた。教室の空気が張りつめる。誰も喋らない。誰も動かない。ただ、順番に名前を呼ばれ、教室の後ろの扉から一人ずつ出ていくだけだった。
僕の順番は最後だった。
その間、誰が戻ってきたか、誰が戻ってこなかったかなんて、誰にも分からない。教室にはカーテンが閉められ、窓の外も見えない。まるで外界から隔絶された水槽の中にいるようだった。
「次、後藤浩平」
永井先生が読み上げる。僕は無言で立ち上がり、教室の後ろの扉を開けた。
廊下は異様なほど静かだった。普段の学校とはまるで別物の、封印された施設のような気配があった。誰もいない。職員室も空っぽ。壁にはなぜか蟻のシンボルがいくつも描かれている。
僕は促されるままに、小さな部屋に通された。中には白衣を着た二人の大人がいて、何やら書類をめくっていた。
「後藤浩平君。座って」
僕は言われるまま、硬い椅子に腰を下ろした。
「うーん……これは、ゼロですね。完全な拒絶反応」
「はい。親和性なし。数値としては──」
男が読み上げる数値は、もはや僕にとって何の意味もなかった。ただ、彼らの口調がやけに事務的で、“淡々としている”ことだけが妙に怖かった。
「本人には伝えますか?」
「いや……この年齢なら、まだ抵抗は少ない。案内だけでいいでしょう」
「了解」
そう言って、もう一人の大人が立ち上がり、僕に手を差し出した。
「浩平君、ちょっと来てくれるかな?」
僕はその手に従い、部屋を出た。
行き先を聞いても、彼は答えなかった。ただ静かに廊下を歩く。曲がり角をいくつか越え、普段使われていない旧校舎の奥へ。そこに“その部屋”はあった。
「ここだよ。入って」
小さな扉には「備品庫」とだけ書かれていた。だが、鍵を開けて入ると、中はまるで違った。
床は鉄。壁も、天井も、どこか地下施設のような造り。部屋の奥には、鉄格子のような扉があり、その先は……暗くて見えない。
「ここで待っててね」
男はそう言い残して扉を閉めた。
──鍵がかかる音が、はっきりと聞こえた。
しばらくは何も起きなかった。ただ、闇の奥から、かすかに“あの音”が聞こえてきた。
カチ……カチ……カチ……
──蟻が壁を歩く音だ。
やがて、鉄格子の奥に、何かが“這い出して”くるのが見えた。
最初に見えたのは、長く節のある脚だった。次に、膨らんだ腹部。その表面にはうっすらと、人間のような皮膚の質感があった。
蟻だった。
──だが、普通の蟻じゃない。
それは、まるで「人間の間引き」に特化して作られた、生きた装置のようだった。
そのとき、僕は悟った。
これは、選別なんだ。
親和性のない子供を、社会に出す前に、処理する仕組み。
誰にも知られないように。誰にも疑われないように。学校という名の選別機関で、ただ静かに「間引かれて」いく。
僕は立ちすくんだ。叫んでも、もう誰もいない。
教室の友達も、先生も、今ごろは何事もなかったかのように五時間目を始めているだろう。
──この部屋の存在など、最初からなかったかのように。
そして…数カ月後クラスでは…
「後藤浩平?そんな奴いたっけ?」




