第24話 適応型国民化指針
その日、政府は新たな広報映像を全国に流した。
タイトルは――「あなたと未来のあいだにある、たったひとつの違い」。
スローモーションで笑顔の家族が手を取り合う。
学校で整列する子供たち、無言で微笑む教師。
地下鉄の車両内では、全員が黙って、同じ角度で広告を見上げている。
そこにはこう書かれていた。
「共鳴せよ。すべての命と、共鳴せよ。」
――統合適応庁
そのころから、全国の公共施設で「気配適応確認機」の設置が始まった。
手をかざすと、機械が嗅覚センサーで何かを“測る”。
エラーになった者には、「適応支援プログラム」の案内が配られた。
本人はそれを“リスキリング研修”だと思っていた。
ある朝の国会中継。
登壇した厚生統合大臣が、まるで予め録音されたかのような抑揚でこう述べた。
「これより施行される国民適応基本法は、未来との齟齬をなくすための指針であります。
私たちはすでに、ひとつの方向を見つめている。
その視線を、揃えるだけでよいのです」
議場に拍手はなかった。だが、誰も異議を唱える者もいなかった。
全員が一糸乱れぬ姿勢で、ただ真正面だけを見つめている。
順化という言葉は、もはや公共では使われなくなりつつあった。
代わりに、「共鳴」「同調」「精神融合」「統一感覚」などの抽象語が政策文書に踊る。
地下鉄では、車両ごとに**“香り”**が統一された。
ある列車は「湿った木の根の匂い」、ある列車は「微細な腐葉土の酸味」。
どれも同じ効果を持っていた――“感じる力”の強化と同一化だ。
学校では「環境親和感受性訓練」が義務化された。
朝礼では全員で、無言で深呼吸をし、「感じたこと」を一言だけ提出させる。
そこに評価や正解はない。ただ、ズレた言葉を出した生徒は、数日後から姿を見せなくなった。
ある新聞社が、勇気を持ってこう書いた。
“多様性”という言葉が使われなくなった日、私たちは気づくべきだった。
それは「悪」ではなかった。ただ「別」であることが、適応外となっただけだ。
その新聞社は翌週、「紙面再構成による再発行の遅れ」を理由に休刊した。
街では、あちこちで新しいポスターが貼られていた。
やわらかい色合いのグラデーション、目を閉じて並ぶ市民たち。
そこに添えられた言葉は、ただひとつ。
「もう、考えなくていい。」
そして小さく書かれていた。
― 統合適応庁・順応広報部 ―
順化はもはや隠されていなかった。
だがその名も形も、誰にもそうとは気づかれないままに、
**香りと映像と政策と言葉の“選び方”**で、すでに人々の中に満ちていた。




