第233話 蟻国交省
日本政府は新たな国家プロジェクト「巣道構想」を発表した。
「地中を活用し、蟻のネットワーク技術を応用した全自動輸送システムの構築」――そう説明されたこの計画は、“地上の道を不要にする未来の道”として歓迎された。
起点となったのは、都内の公園にあった小さな蟻塚だった。そこに開いた穴から、チューブ型のポッドが発車。人々は中に乗り込み、これまでにない“道”を移動し始めた。
巣道と名づけられたこのシステムは、地上の交通渋滞を完全に解消し、秒速での物流を可能にした。試乗した男性はこう語っている。
「速すぎて、逆に目的を忘れるくらいでしたよ。すごい。もう歩かなくていい」
都市は静まり、地下がざわめいた。地上から人が減り、代わりに地中の巣道が都市の動脈となっていった。
だが、数週間後、異変が起きる。
「ポッドが戻らないんです。母が乗ったまま……」
そんな通報が全国の交番に相次いだ。ポッドの追跡システムには「走行中」と表示されているが、到着先が記録されていない。どこに向かっているのかさえわからない。
政府は「一時的な混雑による待機ルート」と説明し、乗員の無事を主張した。しかしその裏で、不可解な事実が漏れ始める。
――ポッドの通信ログが、地上の言語とは異なる未知の記号で埋め尽くされていたこと。
――中継基地の職員が、深夜になると「蟻のような影」を目撃していたこと。
――消えた人々の多くが、過去に蟻の行列を潰していたこと。
国土交通省が調査を始めた矢先、“蟻”が省の中枢に入り込んでいるという噂が広がり、事態は急速に闇へと沈んでいった。
ある研究者が、巣道の仕組みに疑問を持ち、模型を使って実験を試みた。ポッドにGPSと生体センサーを搭載し、観察したところ――
「巣道は“運んで”いるのではない。食べている」
そう語った彼は、巣道の構造が物理的な輸送装置ではなく、蟻の神経ネットワークを模した“情報体”に近いものだと結論づけた。
つまり、巣道は人間の移動経路や思考を“摂取”し、解析し、制御していた。人々は運ばれていたのではなく、動線そのものを吸い取られていたのだ。
彼の最終レポートには、こう書かれていた。
“巣道とは、我々の動きを模倣していたのではない。
むしろ我々の文明が、知らぬ間に蟻の巣を模倣していたのだ。”
そのレポートが公表される前日、彼もまた姿を消した。巣道に乗り込んだまま、二度と戻らなかったという。
現在、都市の主要な移動手段の70%が巣道に依存している。政府は「一時的な行方不明者」を“自発的な離脱”と再定義し、法改正によって失踪扱いすらされなくなった。
今も誰かが、日常の中で何気なく巣道に乗る。
目的地に着かないまま、家族にも知られず、静かに、確実に、
蟻たちのネットワークの一部として、消えていくのであった。




