第221話 蟻の総選挙
―我らが代弁者、最も蟻的なる者に―
今年もやってきた。
年に一度のビッグイベント、「蟻社会人間代表 総選挙」だ。
テレビでは特番が組まれ、スタジオには選挙コメンテーターがずらりと並ぶ。
だが、司会のアナウンサーが紹介する候補者たちの姿はどこか奇妙だった。
全員が、黒一色のスーツに丸めた背、前屈みの姿勢で登壇してくる。
彼らはまるで“蟻になりきろうとしている人間”のようだった。
「さあ、次の候補はエントリーナンバー00642番、根来正志さん!前回惜しくも次点となった“群れの心を持つ男”です!」
壇上に上がった根来は、深く頭を下げたまま、声を張る。
「私は!個性という毒を捨て!集団行動の尊さを信じ!蟻様の意志を一言一句違えず代弁する覚悟をここに誓いますッ!」
スタジオは拍手と共に、顎をカクカクと鳴らす音に包まれた。
これは「蟻的評価」の証。多くの顎が鳴るほど、その候補は“好ましい存在”とみなされる。
この選挙に勝てば、国会での発言権を与えられる──ただし、自分の言葉を話してはならない。
当選者には、蟻社会の中央巣から送られてくる「意思統一素子」が脳に接続され、以後は蟻の総意を翻訳して話すだけの存在になる。
実質は“生きた拡声器”にすぎない。
それでも多くの候補者が、血眼になってこの選挙に挑む。
なぜか?
名誉、権威、そして──「蟻から選ばれた」という事実が、
この社会では最高のステータスだからだ。
選挙戦も終盤になると、キャンペーンは過熱する。
ある候補は「24時間顎鳴らしライブ配信」を敢行し、
別の候補は「出生証明に“昆虫由来DNA”を記載」と詐称していたことが発覚するも、逆に“熱意”として評価された。
さらに極端な候補がこう訴える:
「私は投票されなくてもいい!なぜなら、投票という行為自体が個の意思だからだ!我らはすでに、蟻様に選ばれているのだァ!!」
一部の支持層からは熱狂的な顎音が鳴り響き、彼のポスターには無数の「♯蟻の声だけでいい」が貼られた。
やがて選挙当日。
投票所では、係員が機械的にこう問う:
「あなたの顎音IDは登録済みですか?」
「意思確認のため、触角サインをお願いします」
タッチパネルで候補を選ぶとき、誰もが迷わず“最も蟻的”な人間を選んでいく。
俺はふと立ち止まり、こう考える。
(誰に入れたって同じじゃないか。どうせ“あちら”の声を繰り返すだけだ)
けれど背後から小さな顎音が聴こえる。
「……早くしてくれません?みんな待ってるんで」
その音に抗えず、彼もまた、無意識のうちに自分の顎を鳴らしていた。
当選者が発表される。
壇上に立つのは、ひときわ顎の大きな男だった。
「……このたびは、光栄にも“器”に選ばれました。これより、蟻様の総意をお伝えします」
その瞬間、彼の目の色がスッと薄れ、無表情のまま口を開く。
「……統制、維持、群れ。自由思想、排除。再教育、義務。……以上です」
そしてまた、満場の拍手と、無数の顎音がホールを包み込んだ。
この世界に、意志はいらない。
必要なのは、ただ一つ。
蟻的であること。




