第218話 蟻のフリをする就活生
「あなたは、自分を“蟻的”だと思いますか?」
面接官の質問に、俺は即答した。
「はい。日々、顎の可動域を広げる訓練を欠かしておりません」
言いながら、カクカクと顎を鳴らす。
面接官たちが無言で頷いた。
その反応に、俺はそっと指先を擦り合わせ、触角のつもりで左右に振った。
俺の名前は中村春樹。人間だ。
ごく普通の大学生──だったはずだった。
就活が始まった当初、俺は全く内定が取れなかった。
どの企業も口を揃えて言う。「もっと“蟻的”に考えてください」と。
“蟻的”。今の時代、どんな仕事に就くにしてもそれが最も重要とされる資質だ。
協調性、忠誠心、自己犠牲。
そして顎の可動域と、触角の演技力。
人間的な感情や個性は、もはや就活において“ノイズ”でしかない。
そんな世の中に適応すべく、俺は決意した。
──蟻のフリをしてやろう、と。
朝4時に起きて蟻動画を見ながら顎を鍛える。
夜は全身黒タイツを着て近所を四つん這いで散歩する。
時折、通報されそうになったが、すぐに「就活の一環です」と説明すれば、大抵の人は察してくれた。
「まあ……時代だからねぇ」と交番の警官も言っていた。
大学のキャリアセンターは最初、俺の行動を注意してきたが、
3社目で最終面接に進んだあたりから、手のひらを返してきた。
「中村くん、あなたの“自己消去”スキル、業界内で噂になってるよ」
そして迎えた、大手蟻企業《蟻構築連合》の最終面接。
面接官たちは皆、黒いスーツに身を包み、開始と同時に顎を鳴らした。
俺も即座に同じリズムでカクカク……と応じる。
「なぜ弊社を志望されたのですか?」
「“自分の意思”は持っていないので、わかりません。フェロモンに従った結果です」
面接官たちは頷く。
「あなたの強みは?」
「番号で呼ばれても反応できます。個性を剥がす訓練は済んでいます」
「あなたの人生の目標は?」
「粉々になるまで働くことです」
完璧だった。
数日後、封筒が届いた。
件名は《内定通知》。
胸が高鳴った。俺はついに、就活戦線を勝ち抜いたのだ。
社会に受け入れられたのだ。蟻として──いや、人間として。
だが、文章の末尾に小さく、だが確かにこう書かれていた。
「なお、人間枠ではなく、“兵蟻”枠での採用となります。ご了承ください。」
……兵蟻?
動揺しつつ調べると、「兵蟻枠」とは以下のように説明されていた。
“攻撃的業務を担当する、思考を持たぬ純粋作業型個体”
“長時間労働・無報酬・高い自己削減を前提とする契約”
“代替可能であることが前提”
それでも、俺は受け入れることにした。
社会が蟻的である以上、蟻を演じるしかない。
演じ続ければ、いずれ本物になれると信じていた。
入社式。体育館には黒タイツ姿の新入社員が整列していた。
誰も喋らず、ただ顎を鳴らしていた。
「諸君、今日から君たちは“兵蟻”である」
「名前も学歴も不要だ。君は君ではない。君たちは、“群れ”である」
社長の声が響く中、俺は顎を鳴らした。
あの日よりも、ずっと滑らかに、正確に、蟻的に。
そのとき、ふと思った。
(──俺はもう、“フリ”をしているのだろうか?
それとも……もう本当に、蟻になったのだろうか?)
顎は自然と鳴り続ける。
指先は、いつの間にか、本物の触角のように動いていた。
俺は今日も働く。命令されるままに。個性を削って。
だってそれが、蟻的な生き方なのだから。




