第210話 蟻的フレーズ
最近、職場の同僚の田島が元気がない。
いつもなら昼休みに一緒に四つん這いで散歩に出かけ、触角(に見立てた指)を擦り合わせながら顎をカクカク鳴らすのが習慣なのに、今日は一度も顎が鳴らなかった。
「どうした、田島。最近、顎の動きが鈍いぞ」
俺は軽く触角を伸ばしてみせたが、田島は小さく笑っただけで、触角を返してこない。
「いや、ちょっとさ……将来が不安でさ。俺、本当にこのまま働き蟻として終わっちゃうのかなって……」
そう言って、田島は土に突っ伏した。
顎はピクリとも動かず、触角も垂れ下がったままだ。
(これは深刻だ…)
俺はそっと田島の肩に触れ、静かにこう言った。
「田島、お前、自分が何のために顎を持ってるか知ってるか?」
田島はきょとんとした顔で俺を見上げる。
「それはな、女王様に奉仕するためだ。
お前の顎は、女王様に咀嚼音を捧げるためにあるんだぞ。
だからもっと自信を持てよ。お前の顎の鳴りは、俺が知ってる誰よりも蟻的なんだから」
言いながら、俺は自分の顎をカクカクと鳴らしてみせた。
すると田島も、少しだけ顎を動かした。
「……ほんとに? 俺の顎、まだイケてるかな?」
「当たり前だろ。お前の顎は最高に蟻的だよ。
さあ、触覚と顎を擦り合わせようぜ。俺たちは仲間じゃないか」
触角同士がそっと触れ合い、そして顎へ…ジョリジョリと小さな音を立てた。
その瞬間、田島の顎が再び力強くカクカクと鳴り始めた。
「痛っ…髭が……でも、ありがとう。なんか元気出たよ」
「よし、それでこそだ。俺たちは一生、女王様のために顎を鳴らし続けるんだぜ。
それが一番イケてる生き方だろ?」
田島は泣き笑いみたいな顔をして、もう一度しっかりと顎を動かした。
(やっぱり、蟻的なフレーズってのは不思議だ。
こうして悩んでる奴も、すぐにまた元気に顎を鳴らせるようになるんだから)
俺は自分の触角を誇らしげに揺らしながら、田島と並んで再び四つん這いで歩き出した。
土の匂いが鼻をつき、どこか心地よい。
――俺たちは、今日も最高に蟻的だ。




