表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
208/279

第208話 蟻的振る舞い

最近、この国では「蟻的振る舞い」というものが流行している。


たとえば、道端で会釈する時には必ず触角(に見立てた指)を左右に振る。

職場では、書類を提出する前に一度小さく顎を動かす。

食事の際は、ひと口ずつ慎ましく咀嚼し、決して音を立てない。


街を歩けば、ファッション雑誌には

《今季トレンドは蟻的ポーズ》《蟻的ウォーキング完全マスター》

といった見出しが踊り、人々は膝をつき、手を細かく震わせて歩く。

あたかも蟻の脚のように忙しなく動かすその姿は、通りすがりに顎を小さく開閉させる礼儀も含めて、見る者に謙虚で慎ましい印象を与える。


「まあ見てごらんなさい、あの方のなんと蟻的なこと!」

「素敵だわ、あんな風に顎を揺らせるなんて理想よ」


そんな賞賛が日常に溢れている。


住宅街の庭先では、小さな子どもたちが列を作り、土を一所懸命に運んでいる。

「見て!わたし、一番働き蟻だよ!」

キャッキャとはしゃぐその様子は可愛いものだった。


また公園では、子どもたちが四つん這いになり、地面に頭を擦りつけるようにして「わたし女王様に尽くす蟻なの!」と声を上げながら遊んでいる。



さらに人気なのが「アントスクール」と呼ばれる教室だ。


講師は厳かに言う。


「背は決して伸ばさぬよう。脚を高く上げるなどもってのほかです。

もっと地を這いなさい。顎を…そう、もっと繊細に動かすのです。

あなたのその顎は、女王様に奉げる美しき器ですから。」


教室中の生徒たちは息をひそめ、小刻みに顎を鳴らし、触角のように指を揺らしていた。


一見すれば滑稽で不気味な光景だったが――

当の本人たちはいたって真剣で、そこに強い誇りを抱いているようだった。


(馬鹿げてる……)


そう思いながらも、俺も会社で浮かないようアントスクールに通った。

初めて四つん這いで歩いた時の、膝の擦れる痛みを今でも覚えている。


だが繰り返すうちに、膝は固く黒ずみ、指は自然に触角のように震え、顎は無意識に小刻みに動くようになった。


同僚に「最近お前、ずいぶん蟻的になったな」と言われたときは、訳もなく誇らしかった。



夜、部屋の鏡の前で四つん這いになり、そっと顎を動かし、指先を揺らしてみる。


(……俺、何やってんだ?)


そう思った途端、笑いそうになったが、同時にぞくりとした。

だって――人間である俺が、必死に蟻の真似をして悦に入っているのだから。


それでもやめられなかった。

明日もまた、周囲に「品の良い蟻的な人」として見られたかったから。


人間というのはつくづく哀れで、愛らしい生き物だ。

本物の蟻にすらなれないのに。


そして…今日も夜な夜な四つん這いになり、練習する。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ