第191話 蟻に決められる人生でいいのか?
夜の公民館。
安っぽい蛍光灯の下、男は壇上に立っていた。 髪はぼさぼさ、スーツは皺だらけ。握りしめた紙はすでに汗でぐしゃぐしゃだった。
「み、みなさん……!いいんですか、このままで……!」
数十人の町民たちがパイプ椅子に座り、所在なげに視線を泳がせている。
「蟻様に、進学先を決められ、就職先を決められ、誰と結婚するかも決められる。ましてや、人生まで決められる。これが自由と言えますか?」
(ざわ……ざわ……)
男は唾を飲み込む。
「僕らは……!僕らはもっと、自分達の頭で考えて、自分達で人生の岐路を決めるべきじゃないんですか!」
だが、前列に座っていた老人がそっと呟いた。
「でもよぉ……蟻様が決めた方が、間違いないんだべ?」
「そうそう、就職だって間違いなく安泰だし……」
「あたしらみたいな凡人が自分で決めて、失敗したらどうすんのさ?」
少しずつ、会場の空気が冷めていく。
男は必死に拳を握りしめた。
「ち、違います!たとえ失敗したって、それでも自分達の人生は自分達で決めるのが一番良いに決まってるじゃないですか……!」
(……だめだ、うまく伝わらない)
そのとき── 会場の後ろからバタバタと駆け寄る足音。
「ちょっとあなた!もういい加減にしてよ!」
怒鳴り声と共に、男の妻が現れた。 エプロン姿で買い物袋をぶら下げている。
「今日はゴミ出しも頼んでたのになんで行ってないの!? それに明日の蟻様献上会議の準備やったの?」
「いや、…あの……」
「子どもの学校の三者面談も来週あるって言ってたでしょ。あんた勝手に何やってんの!」
妻は会場に一礼すると、男の腕を掴んでずるずると引っ張り出す。
「皆さんすみませんねぇ。うちのもんが変なこと言っちゃって……これからも蟻様に従って生きていきますんで!」
「あ、はいはい……」
「お疲れさまでしたー」
しんと静まり返る公民館をあとに、妻は睨みつけるように夫に言った。
「いい? あんたが変なこと言うから、子どもが学校でいじめられたらるのよ!蟻様に逆らって生きていけるわけないでしょ?もう二度と変なこと言わないで!」
「……はい」
男はしょんぼりとうなだれた。
(結局……誰かに決めてもらった方が楽なのかもしれないな)
家までの道を歩きながら、そんな情けない考えが浮かぶ。
頭上では街灯に照らされて、蟻の行列が何重にも枝分かれしながら規則正しく続いていた。
そして男はその列に足を止め、ふと羨ましそうに見つめていた。
そして…また家では…
「あなた!何回言ったらわかるの!?脱ぎっぱなししないでって何回も言ってるでしょ!!ほんとに…あなたが決めるくらいなら、蟻様に全部決めてもらったほうが百倍マシよ!」