第190話 何見てんだよ
──午後の公園。
青々とした芝生の上で、蟻たちがせわしなく動き回っていた。
その行列の中心には、羽のぼろぼろになった蝶の死骸。
何十匹もの蟻がそれを抱え込み、必死に巣へ運んでいる。
「うわ、見てあれ!かわいい~」
ベンチに座る若いカップルが、スマホを構えて笑っていた。
「蟻様が蝶々をおうちに連れてってるのかな?」
「仲良しだねぇ。」
女は無邪気に声を上げ、男も「ほんとだな」と優しく笑った。
──だが、その蝶の下で、蟻たちは重い顎を打ち鳴らし合っていた。
(……なんだこいつら…何見てやがる)
(あっち行けよ!こっちは必死なんだよ)
(こいつを分解して、幼虫どものために運んでるんだからよ。)
一匹の働き蟻が触角を立て、ふいに人間たちの方を睨んだ。
女はそれに気づいた。
「ねぇ、こっち見たよ。かわいいなぁ〜」
(クスクス笑いやがって……あっち行けよ!)
人間には、ただ忙しそうに蝶を運ぶ小さな蟻たちがいるだけに見えた。
「動画撮っちゃおーっと。かわいいから。」
女はさらにスマホを近づける。
(……おいおい、変な物近づけんじゃねえよ。)
別の蟻が静かに蝶の羽を齧りながら、ちらりと光るレンズを見た。
(お前らの屍体だって、俺たちには同じごちそうになるんだからな──)
カップルはそう思われてることも知らずに、にこにこと画面を覗き込む。
やがて蝶はずるりと芝生を滑り、蟻たちは息を合わせて再び歩き出した。
人間のことなど、最初から取るに足らない、どうでもいい存在のように。
けれど蟻の視線は、時折、薄く不気味に人間の顔を撫でていた。
(……お前らを食うのは、別に今日じゃなくてもいいからな。)